第百十七話 千景万色の狭間(2)
竜魔術を用い、空を飛び南下して、横浜を目指す。
大気を切り裂き突き進む。その温度は冷ややかだけど、夏の空はどこか、碧く輝いているような気さえした。
「広龍さん……! できればもう少し、速度を落としていただけると……!」
跨るには少々小さい銀雪の背に乗り、しがみつく様な姿勢の御庭の姿を見る。彼女は糸状に具現化させた霊力を使い、自身の身体を固定しているようだが、それでもこの勢いには負けるようだ。
「ダメだ。このまま最高速を維持する」
「は、はい……! しかし、横浜まで行ってどうするおつもりで?」
長い髪の毛を一度ゴムでまとめて、俺の方をじっと見つめる御庭さんが聞いてくる。何も言わずに雨宮の重世界を飛び出したような形なので、まだ何も伝えていない。
「義姉さんと澄子さんが作った重世界は、東京、横浜、といくつか点在しているが、そのどれもは重家が共用で使用するための拠点だ。雨宮の城のように、市民を受け入れるほどのキャパはないし、そもそも重家にその能力はない」
「その通りです」
「だから、作るぞ」
「はっ?」
「横浜に限りなく近く、かつ安全に避難が可能なギリギリの場所に、新たな重世界空間を作る。竜の権能を使ってな」
空を突き抜け、雲を切り裂き、神奈川県横浜市の上空までやってきた。
巨大なホテル、観覧車の姿が目立つ港街の姿は、いつもとは程遠いものとなっている。
上空からでもはっきりと、地上が地獄の様相を示していることに気づけた。観覧車は運転を停止しており、あちこちのビルの窓、屋上には、タオルやハンカチを振って助けを求めている人々の姿が見える。
御庭が愕然とした表情で、重家の妖異殺しの死体を確認していた。
装備品などからどの家の者かを判別し、壊滅した重家の部隊を数え終えた彼女は、汗をポタリと垂らす。
「……完全に、戦線が崩壊して突破されている」
「…………今彼らを助けることはできない。重世界に潜るぞ。御庭。術式を使え」
「はい……」
重世界の扉を開け、別世界へ俺は足を踏み入れた。
ここは千景万色の狭間。色という色が折り重なり合い、色彩が可能性の在り処を示している。
魔力は渦潮のように、川流れのように、時に波間のように揺れ動いて、この世界の中を巡り巡っていた。
ここはまるで宇宙に感じるもののような……超常的な存在の恐怖を、俺に教えてくる。
〝嚮導〟の術式を発動した御庭は、自身の存在をこの流れの中で確立させ、まるでそこに床があるかのように宙で自立し、腰に手を当てこちらを見ていた。
「広龍様」
「ああ。今、ここに作り出す。御庭と銀雪は、その支援を」
人差し指を中指につけ、薬指を小指にあてる。そうして、龍の三本指を模した俺は、今流れに身を任せるままだった重世界の千景万色を掴み、捻った。
虹色は捻じれ、黒白を生む。
「ぐっ……!」
頭からつま先までを、全身を満たしていた黒漆の魔力が、今、抜け落ちていくかのよう。
流れの中で抵抗しながら、何とか俺の動きに喰らいついていこうという御庭の姿と、凪の海に立つかのような静けさで、その場に佇んでいる銀雪の姿を見た。
龍。それは、重世界の頂点に立つという空想種。
雨宮家の資料に記されていたものと、西洋の魔術師が書いた『重世界の環境と龍の社会性』という本に置いて、彼らを生態系の頂点たらしめる理由が言及されている。
彼らがこの重世界の頂点に立つ理由。それは、彼らが所持しているこの重世界の流れを変えることができるという権能と、社会性を持つということにあるそうだ。知識と記憶が繋がって、かつて、里葉に重世界は別名、『龍脈』とも呼ばれると話していたのを思い出した。
色と色が視界の中を、高速道路の風景のように過ぎ去っていく。
重世界空間を確立させようと必死に偽物の権能を振るって集中し作り上げている最中だと言うのに、また、砂嵐が俺の視界を覆った。
『ひ……!! た……さ……ま』
御庭が必死で声を上げているようだが、何も聞こえない。
竜の血を引いた金色の右目が、霞目の未来を映し出す。
いや、これは未来なのか? 過去なのか? それとも……自分が持てたかもしれない可能性なのか?
砂嵐の中。そこで何とか覗き見たのは……どこか聞き覚えのある、懐かしい声をした、誰かとの会話。
吹き荒れるような暴風がそこには吹いていて、真っ暗闇の夜空へ展開される誰かの、数字のような形をしたライトグリーンの魔力を煽っている。
『広龍。この重世界に、果てはあると思うか? 方角というものが存在せず、〝表〟と〝裏〟の繋がる場所はあべこべで、重世界の座標で言えば、イエメンと東京が隣にあるような、そんな場所、がだ』
〝彼は俺の向こう側にいる、誰かを鋭い目つきで睨みながら、話を続ける〟
『重世界。宇宙のように、三次元に広がる亜空間。そのどの方角に向かって歩こうとも、進もうとも、その果てを目指そうとすれば、私たちは必ず、ある場所に辿り着く。それが、重世界を管理する龍が巣くう場所』
『世界の最果てだ。そこで、私とそこにいる彼の、全ての決着がつく』
『さあ。広龍。お前はどちらに着くんだ?』
俺は━━━━
視界がいきなり晴れる。目の前でじっと俺のことを見つめている、銀雪の姿で俺の視界は埋め尽くされていた。
「ハァ……ハァ……銀、雪。お前、もしかして、ここ最近俺が見る光景は、お前が見せているものなのか……?」
「クルルルゥ」
「そ、りゃそうだもんな。俺が白川と戦うとき、俺と里葉の未来を見たみたいに、何かきっかけがなきゃ、見えないんだから。俺にそのきっかけはないから、お前が見せているとして、しかし、おま、え、一体どんな因縁を抱えてる」
世界の最果て。この重世界は、そんな場所に繋がっているのか。もし俺が見た光景の中にいる人物の言っていたことが正しいのであれば、龍の住処とされるような場所が、ここには存在するという。
里葉と共に戦ったあの独眼龍。今ならあの時とはまた違った戦い方ができる自信があるが、それが群れのように何体も襲い掛かって来るのであれば、話は変わってくる。
里葉や義姉さんから〝世界の最果て〟などといった場所の話は聞いたことがないが、そのような場所を知っている者━━━━それは、誰がいるだろう?
「広龍様。重世界空間の確立に成功しました。中には、真っ白な空間が広がっています。今、急いで確認してきました」
いきなり広龍様の目つきが変わって、口を利かなくなったので心配しましたが……と彼女は呟いている。
「なあ。御庭。世界の最果てって、知ってるか?」
「……聞いたこと、ありませんね。一体、どこからそんな話を聞いたのか知りませんが……」
「そう、か」
重世界の流れから、重世界空間の中へ潜り込む。白の床を踏んで、何もない空間が広がる場で、大の字になって寝転がってしまった。
「流石に消耗したな……体に強い疲れが残っている。やはり、〝残躯なき征途〟を最大限使ったときじゃないと、十全に振るうのは難しいな。俺の、人間の方の体がついてこれない」
「……なるほど。やはり、半龍半人ということで、完全に能力を振るうことはできないのですね」
「ああ。人間の感覚と、龍の感覚が同居しているような感じだ……」
しかし、これで新たな重世界空間を……それも、広い空間を用意することができた。物資も衛生設備も医療設備もない場所だが、少なくとも妖異はいない。
「各地の、政府機関や重家に通達だ。相当でかく作ったし、重世界に誘導のアンカーを魔力で設置する。これで……少しは役に立つはずだ……」
起き上がって、御庭の方を見る。
「よし。監視員ががたがた抜かす前に、雨宮へ戻るぞ」
久しぶりの更新となり申し訳ありません。公募頑張って書いて、新作書きだめしたりしてました。
ぼちぼち更新して、三章完結目指します。よろしくお願いします!