第百十六話 千景万色の狭間(1)
突撃を繰り返し、妖異の主力を壊滅させた里葉が、一人、立ち止まって休息を取る。『迷い人の旅行鞄』へ召喚した四従卒を引き戻し、鏡の世界へ鞄を投げ込んだ里葉が、残心を取った。
あの戦いの中で、彼女は返り血を浴びていない。それを見て思わず舌を巻くのは、他の重家の者たちだ。
並び立つ村将は、誇らしげな笑みを浮かべている。
「……里葉様。凄まじい戦果です。東京の敵戦力へ大穴を開けることができました。避難誘導の者たちもこれで前へ出れます……雨宮の名が轟く!」
最後まで里葉に追従し、その薙刀を振るい続けていた村将が、息を切らしながら里葉に言う。しかし里葉は、まだ満足していなかった。
「気を抜かないでください。村将。まだ、敵は残っている。群れと部隊での衝突はないでしょうが、散兵による散発的な戦いは予測されます。死傷者は、出ていますか?」
「死者はおりませんが、負傷者が出ています。応急手当を行って、雨宮の重世界へ移送させるつもりです」
「それで良いでしょう」
和袖コートの裾を翻し、里葉は手にした金色の槍を地に打ち付ける。
まだ建てられて間もない、建造物だったのであろう。今では妖異の攻撃や、重家の戦闘の余波を受け、ぼろぼろになり砂埃を落とすその屋根の上に、佐伯初維が立っている。跳躍を繰り返し、周辺の哨戒に出ていたと思われる彼女が、里葉の横に着地した。
「……協力を感謝します。佐伯初維」
「いえ。あそこは、お姉さんにやってもらった方がいいと思ったので。えぐかったです」
「佐伯は横浜に展開していると聞き及んでいたのですが……二手に分かれていたのですか?」
「はい。でも、この分だとこの土地は大丈夫そうなので、一度横浜にいる爺様たち……本隊の方の指示を仰ぐつもりです。おそらく、向こうへ合流します」
「あちらの戦況は?」
「重家の一つが最前線で孤立したらしくて、壊滅しちゃったそうです。こことは比べ物にならない地獄だとか。それと、千葉の方もやばい……みたいな……」
淡々とした初維の語り口を聞きながら、里葉は改めて周りの景色を見てみる。
コンクリートを足で踏みならそうとしてみれば、粉塵や砂利が薄くコーティングしているように広がっていて、じゃりじゃりとなる感覚がある。
道路のあちこちはでこぼこになり、中には地割れのように断裂している箇所もあって、車が走るには、まず間違いなく工事が必要となるだろう。
断線しかかっているのだろうか。電力供給が安定しない、光る看板は、明滅を繰り返していている。
荒廃したその、街の中で。
まだ収容することも出来ていない、民間人の死体が目立った。
仰向けに倒れ、陽射しを浴びてぬらぬらと光る、肉の花を咲かせている男がいる。
……妖異に集られ、食い殺されたのだろうか。顔の皮が剥げていて、筋肉が晒されている女性の腸は、風穴が空いており、食べ残しの目立つ四肢は、周囲に転がっている。
必死に守ろうとしたのだろうか。重家の者と思われる男の生首が、無念を訴えるように、恨めしそうなドロッとした目を、里葉の方に向けているようだった。
戦闘の興奮から覚めてみれば、この場所を満たす酷い死臭に、鼻を摘まみたくなった。
つん、と鼻の奥を突き刺すようで、むわんとかおる、臓腑の匂い。鼻を摘まもうにも、現場にいる自分の体にその匂いが染みついてしまっているのだから、逃れることができない。
慣れていない、デバイスランナーの一人が、嘔吐している。
これで、マシなのか。
一体どんな地獄が、広がっているのだろう。
「……やはり、村将。私たちも、横浜へ転戦を……」
「無理です。里葉様。雨竜隊は、既に消耗しております。交通機関も麻痺している以上、横浜まで徒歩か、重世界を通って向かうことになる。移動に割ける魔力が、我々にはありません」
「ならば、せめて私たち二人でも」
「里葉様。東京で、また何かがあったとき、雨竜隊を誰が守るのです」
唾棄するような表情を里葉は浮かべた。
確かに、彼女も疲弊している。それは否定できない。それほどまでに先ほどの戦闘は、濃密なものだった。
「……大丈夫です。私たちが向かいます。ですが、お願いがありまして。雨宮の重世界へ寄らせてもらうことはできますか?」
頷きを返した初維に託して、里葉はこの町に残る。
避難誘導を開始し、民間人の保護、帯同を始めたとの知らせが、澄子や芦田から入った。
重術を利用した通信技術の、独特な暗号通信の音が部屋に響いている。
参謀本部。今、雨宮の重術師の一人から、雨竜隊と敵が激突したという報告を聞いた。里葉を中心に伝承種を暗殺して回り、一度敵を後退させようという作戦だったが━━
「雨竜隊、沿岸部の妖異を全て撃破しました! これより避難誘導を開始します!」
「でかした里葉……!」
里葉が一騎当千の活躍を見せたことによって、民間人を助けに行くことが可能になる。大きな隙を見せることになるそれを、安全に行うことができそうだ。
「DS運営から連絡です。楠晴海を派遣したとのことで、今、鉄道の沿線上を移動し、各地の妖異を撃破しているようです」
しかし、おちおち胸を撫でおろしてもいられない。目まぐるしく変わる戦況を前に、また、新たな情報が舞い込んでくる。地図上に、魚群を率いる楠の位置情報が表示された。
俺、片倉、御庭の三人と参謀たちが今この空間にいるが、全員、情報のアップデートとその把握に追われ、一息つく間もない。
「楠は……どこへ向かっている?」
「……南下を続けているようですが……目的が分かりません」
「…………」
「今、横浜の戦力比が明らかになりました。さ、更に妖異が展開されていっているようで、どうなることやら……」
大机に表示された情報が、今、参謀の手によって更新される。
横浜に表示されている赤色が、雨竜隊がぶつかる前の東京の、数倍近くの量になった。
「これ、は」
御庭が、その規模を見て瞠目する。重家や妖異に明るい彼女だからこそ、その異常さが際立って分かるのだろう。
「今、この量の増援はまずい。確実に戦線が崩壊します。いや、すでに崩壊していたのを、決死の妖異殺したちが堰き止めていたような状況なのに……」
「片倉。横浜の方に、あの数の民間人を収容できる重世界はあるか?」
「いえ。重家の思惑という不確定要素を鑑みて、それらの重世界を候補から除外すると、ほぼありません。東京には、雨宮仕置で怜様と澄子さんが開発した重世界空間が残っていますが……」
雨宮仕置で配置した重世界が、ここで生きてくるのか、と、少し感慨深い気持ちになる。他の重家の者たちは、そこを前線基地にしていたようで、故に、東京では戦力が充実した状態で敵と当たれていたようだ。
その重世界の存在を思い出すことによって、一つの妙手を思いつく。
しかしまずは、現状の把握だ。
「…………雨宮の方の、避難誘導はうまくいっているか?」
この参謀本部の外から聞こえる不安げな喧噪が、浮足立たせるような感覚と、肩にのしかかるような重圧を俺に与える。
「ええ。アホみたいに広いこの城郭が幸いしました。物資も配布していますし、みなさん落ち着いています。芦田たちや、柏木家が上手くやっているようです」
「よし。この様子なら、東京の方は何とかなりそうだ……それに、ここはDSの人口が一番でかい。空閑が金をばら撒くつもりなようで、続々と有力な人材が参戦していっている。もっとも、最後までへばりついて戦うやつもいないだろうから、そこは注意しなければならないが……」
顎に手を当て、考え込む。
数倍の兵力ともなれば、政府も、重家も焦るだろう。それを見て、重家探題が動くのは近いかもしれない。
しかし、彼らの判断を待つ間にも、多くの犠牲が出る。
そして、それを許容することは絶対にできない。
「御庭。片倉。今から俺は、雨宮仕置に抵触しない範囲内での行動を取る。東京は里葉たちに託せばいい。千葉の方には、国の戦力が既に展開している。それを考えると、やはり、横浜を放置はできない」
彼らに、今から自分がしようとしていることを説明する。
片倉は目を瞑り考え込んだ後、静かに頷きを返し、御庭は、その難しさを説きつつも、やる価値は間違いなくある、と同意した。
重家探題から派遣されてきた監視員の目を盗み、雨宮の重世界を出る。
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