第百九話 FIREMAN(2)
体の節々に痛みを覚える彼が飛び起きたのは、どことも知らぬ、白い部屋だった。
寝汗でびっちょりと濡れた、着た記憶もない服に鬱陶しさを覚えながら、自分が寝台の上にいることに気づく。
壁に掛けられた時計の針は十二時を指しているが、この部屋には窓がなく、外からの情報がないため、昼夜が分からない。体はどこか浮ついたような感覚で満たされていて、吐き気が少しする。
白いベッドの横に、医療器具と思わしきものが並んでいたので、ここは病室なのだろうと彼は結論付けた。しかし、消防士として救助活動に参加した経験もある彼が見たことのないタイプの設備だったため、判断に悩む。
彼の目覚めに合わせるかのように、コンコンコン、とドアをノックする音がした。
ガチャリ、とドアを開ける音に続いて、部屋に入ってきたのは、一人の男だった。
彼は黒色のスーツを身に纏っていて、眼鏡をかけている。張り付けたような笑みを浮かべる男だと彼は感じていたが、細身ながら、かなり鍛えているのではないかと推測した。
「こんにちは。城戸雄大さん。私は、空閑肇と言います。よろしくお願いします」
医者には見えない男を前に、彼は少し身構えるが、それでも返事をする。
「……どうも、空閑さん。お伺いしたいのですが、ここは……どこでしょうか」
「ここは、妖異殺しでもない。魔術師でもない。私たち、携帯型戦闘システム『ダンジョンシーカーズ』運営の、医療設備です」
「……は?」
「結論から申し上げると、貴方は急行した火災現場にて、侵犯妖異と呼ばれるものと交戦し、何とか撃破するも大きな傷を負って倒れていました。重世界と裏世界の存在を知る上層部から現場の情報は統制、隠蔽され、貴方は事故に遭い、大怪我をしたということになっています」
両親との記憶を掘り起こして、それぞれの言葉の意味を彼は理解する。
「……おれ、の、隊の奴らは」
「全員死にました。貴方が最後の一人だったので、知っているはずですが」
顔が真っ青になって、震えが止まらない。
真っ白な布団を握りしめて、俯きながら、目を戦慄かせている。
ダラダラと流れ始めた汗が、顎を伝ってポタポタと落ちていった。
「ほんとうに、そんな、せかいが、ばけものがいるなんて」
「ええ。いますよ。ちなみに私は、そんな連中と戦う人間です」
「おれが、しんじていれば、しっていれば、おれの仲間は、死なずにすんだのか?」
「まあ、それは知りません。私だったら助けられてましたけど……まあ、珍しい話じゃありませんし」
「……は?」
「今現在、妖異による被害は増加の一途を辿っています。もうこの国でも、人が死ぬことなんて珍しくなくなりますよ」
瞬間。彼は、不甲斐ない己に失望した。
誰かを助けるために。自分が助けられたみたいにって。
そうやって目指してなったものじゃ、救うことが出来ていなかったみたい。
「城戸さんが急行した家に住んでいた家族……全員、炎の妖異にいきなり襲われて、焼死していたそうですよ。災難ですね」
「ア……」
出動してから、共有されていた家族構成の情報。
その中に一人、小学生の男の子がいたらしい。
彼は業火の中で、助けを呼びながら、のたうち回って死んだのだろうか。
それともあの炎の精に襲われて、何事か理解する間もなく、これからという人生に終止符を打ったのか。
彼だって決して、救えなかった命がなかったわけじゃない。何度も何度も悩んだうえでその苦悩に向き合って、割り切って、なんとか人を救おうと足掻いてきた。
それでも、与太話だと切って捨てていたものの裏側で、たくさんのひとが苦しんでいる。
自分は、助ける人になりたいって夢を追いかけたのに。
助けなきゃいけない誰かを、認識することすら出来ていなかった。
「お仲間を失ったこともあって、落ち込んでらっしゃいますね。しかし、貴方が重世界について知らなかったのは、仕方のないことだと思いますよ? 早々、信じられる類のものではありません」
理解を示しているようで、彼の表面をなぞるだけの言葉が紡がれている。
「しかし、貴方が全ての妖異を撃破したおかげで、それ以上の被害はありませんでした。誇っていいと思います」
満面の笑みを、空閑は浮かべていた。
「……お前ェッ!!」
寝台に拳を打ち付け、城戸が表情を強く歪ませる。
そんな様子の彼を見ても、空閑はピクリとも表情を変えない。
「あぁ、すみません。しかし、これが現実なんですよ。それだけ、今は状況が厳しい」
息を荒げる城戸が、大きく深呼吸をする。彼とて、自身の怪我を治療してくれた恩を、忘れたわけではない。
「……いま、何日経った?」
「四日です。初めての術式行使に、体が悲鳴を上げたのでしょう。まあ、次からは問題なく使えるでしょうが」
立ちっぱなしだった空閑が、部屋の隅から丸椅子を取ってきて、彼の前に置き座り込む。
ニコリと笑った空閑が、城戸の方を真っすぐに見つめた。
「貴方は、非常に面白い経歴をしている。わざわざ介入して貴方の身柄を保護したのは、そういう理由です」
「…………」
「魔術師と妖異殺し。その物語の果てに生まれた貴方は、両方の技術を受け継いでいる。まあ……その分厄介事も引き継ぐことになりますが……面白い。私は、そういう人間がほしい」
ポケットから取り出したのは、城戸のスマートフォン。表示された画面には、彼の友人や彼の同僚からのメッセージの通知で、満たされていた。彼の身を心配するメールにしては、その量が多い。不在着信まで入っている。
「この中に、『ダンジョンシーカーズ』をダウンロードさせて頂きました。これは、貴方のこれからの戦いを支援し、貴方の能力を強化することのできる、デバイスです。これを使えば、貴方は更に強くなれます」
震える手先でスマホを開き、『ダンジョンシーカーズ』を開ける。
瞬間。ロード画面に突入したそれは、しばらくの時間を要した後、通知ウィンドウを表示した。
──特異術式『気怠げな主人公』を習得しました。
彼の体を、紅迅の魔力が包んでいく。燃え盛るようなそれは、空閑の髪を靡かせた。
「やはりすごい……! すぐに術式の再構築が成された! それもこの術式、魔術を融合させている……!」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
魔力が体を満たすのに合わせて、体が漲ってきた。今だったら、動くことも出来るだろう。
寝台から起き上がり、三日も寝込んでいたのにもかかわらず、確かな足取りで部屋の外を目指した彼の背に、空閑が言葉をぶつける。
「一度、家と職場の方に帰らせてもらう。こんなの、うんざりだ。時間がほしい」
「その前に、シャワー、浴びていったらどうですか。着替えもありますよ」
「こんな、訳の分からん『ダンジョンシーカーズ』なんてもの、まだ使う気にならない」
「……時間を欲している貴方に言っておきますが、貴方に時間はありませんよ?」
平坦な抑揚で放たれたその不気味な言葉に、城戸が一度足を止めた。
「貴方には、機能をまず渡そうと思います。その上で、DSベータ版プレイヤーとして活動したいという申し出があれば、それ相応の対応をしましょう。詳しくは、DSの中に入っている資料から確認してください」
「…………ご厚意に、感謝する」
「いえ。では、頑張ってください」
疲労困憊の体を引きずり、彼はどこかも分からぬ重世界空間から、自宅を目指す。
ライトグリーンの輝きを纏う男が、口角を吊り上げた。
書籍明日発売です。
献本頂いて確認しておりますが、むちゃ分厚いです。詳細や見た目などの情報が欲しい方は是非Twitterの方に。
@Nanashino_7434
よろしくお願い致します!!!!
ぜひお手に取ってください!






