第百七話 珈琲、煙草、メロンフロート(2)
失礼、といった城戸が、懐から取り出したマッチを着火させ、煙草の先へ付ける。
机に置かれた灰皿の存在を確かめながら、彼は肺を煙で満たした。
「……美味しいんですか?」
「いや、不味いよ。こんなもの、吸っているやつは頭がおかしい」
「うーん?」
「まあ……なんというか……情けない大人ってコトだ」
会話の終わりを示唆するかのように、再び煙草を彼は咥える。一服したあと、揺れる珈琲の液面を眺めながら、彼は初維の方を見た。
本題に入ろうとしていることを察した初維が、あえてそれをさせぬように、話を振る。
「城戸さん。やっぱり……強いですね。さっき戦った三体の妖異、悍ましい見た目をしていました。あれ、わざわざ侵犯用に裏世界で調整された妖異だとおもいますよ。あんなサクッと片付けられるなんて、すごいです」
「慣れているからね。既に、あの手の連中とは何度も戦っている」
「誰か、共に戦う人はいないんですか?」
「いない。いつも一人で、戦っている」
「…………」
メロンソーダとアイスクリームをかき混ぜ始めた初維は、彼の方をじっと見ていた。
彼女は幼い。純真であり、掲げる妖異殺しの誇りは、無垢なものである。
故に彼女の父は、彼女だけにやらせることを選んだのだろう。
「君こそ、妖異殺しとなってから、ずっと戦い続けているんじゃないか? いつ、妖異殺しというものになったんだい?」
「……いつからかは、覚えていません。術式が完成したと大喜びするみんなを見た日からかな。渦に潜ったのはずっとずっと前だし…………いつだったか、おぼえてないや」
ストローを器用に使って、初維はアイスをぱくぱくと食べる。
「まあ、わたし将来有望な佐伯家の妖異殺しなので。佐伯家歴代を見ても、わたしすっごく強いんですよ?」
「……」
「珍しい話じゃないですよ。雨宮の家の凍雨姫さんなんて、十歳の時に大枝を切り倒してるんですから」
物思いに耽る彼が灰皿に煙草の先を押し付け、火を消した。
彼は、初維のことを真っすぐに見つめている。
「…………」
メロンフロートのアイスが口元に付いているのに城戸は気づいたが、珈琲と共に笑いを飲みこむことによって彼はスルーした。
「そういう城戸さんこそ、いつから戦ってるんですか? えっと、その、初維ちゃん、城戸さんが魔術師と足抜けした妖異殺しの子孫だって聞きました」
「……!」
「あ」
しまったと言わんばかりに、初維が口元で手を広げている。
悪気ないその姿を見て、城戸は大きくため息をついた後、またもう一本、煙草に火をつけた。
ため息をつくように煙を吐いた彼は、優しい笑みを浮かべる。
「……ううん。初維ちゃん。大丈夫だよ。重家の人間が少し調べれば、分かることだろうし。確かに俺の祖父母は、魔術師と妖異殺しだ。しかし、俺には関係ない」
「……この前城戸さんが使っていた、術式の話を家の者にしました。そしたら、わたしが外国語だと思っていた言葉は、きっと、魔術師の言語なんじゃないかって。城戸さんは……魔術と妖異殺しの術式を使ってるでしょ?」
彼は考えるときに、どうやら煙草を挟む癖があるらしい。ゆっくりと、味を確かめるように、考える彼が言葉を放った。
「…………祖父と祖母が、いつか絶対に必要になるって、俺の両親に伝えていたんだ。両親には”才能”がなかったが、俺にはあって、おじいちゃんとおばあちゃんの遺言だから、と覚えたものだよ。それが、DSと融合して、使うようになっただけだ」
「……いまいち、魔術について知らないんですが、どんなものだったんですか?」
「魔術師は、一つの専攻概念というものを持っている、戦闘ではなく研究を生業とする妖異殺しみたいなものだ」
じわりじわりと灰となりて、煙草がみるみる内に、短くなっていく。
「詳しい話を聞いたことはないが……うちの祖父は、”物語”の魔術師だったらしい。要は、”物語”という概念を研究する魔術師だったということだ。それと、うちの祖母は妖異殺しだったから、その家に伝わる基礎的な術式に関しての知識を持っている」
「……それって、今の城戸さんが使う術式とも関係があるんですか? あ、質問ばっかりでごめんなさい」
「……正直な話をすると、ある。その能力の詳細までは流石に明かせないが……だから、今その祖母がいた妖異殺しの家から敵視されている」
「そう、なんですか。でも確かに、妖異殺しは技の流出を嫌いますから、そういうことは起き得るかもしれません」
うんうんと、そもそもこの会話、この接触の目的を見出せず、悩んでいた初維がピコンと思いついた。もしかすれば、これをきっかけにすることができるかもしれない。
「城戸さん。それでしたら、私たち佐伯家の食客になりませんか? その……あの……ン、あまり詳しい話はわたし知らないんですけど、その、色んな人にぱとろん? みたいなことをわたしたちはしてて。もしわたしたちのところに来てくれれば、その問題を解決することができると思います。その、城戸さんはすっごく強いですし、きっと爺さまも父上も大歓迎ですよ」
「…………」
ゆっくりと息を吸い込み、煙を体に満たす。
まだ火を点けたばかりの煙草を、何故か彼は灰皿に押し付けた。その動作を訝し気に見ていた初維も、すぐに察知する。
脱いだ後、椅子に掛けていたサマージャケットを羽織り、彼は袖を通した。
「店長。一度外に出る。すぐ戻ってくるから、会計は」
「いつも通り、ってコトでしょう。城戸さん。分かりました。待っています」
「初維ちゃんは、待っててくれ。すぐに片付てくる」
紅迅の魔力の片鱗を見せた彼は、窓ガラスの外に見える風景を睨んでいた。
「わたしも行きます。わたしは、佐伯家の妖異殺しなので」
「……止めても来るんだろう。行くよ」
ドアベルをもう一度鳴らす。
外に出て、体を魔力で満たした彼は、強く地を蹴り上げ疾走する。紅迅の軌跡が空に残るように、その色は深く、濃いものだ。
(すごい濃さの魔力……繊細なのに、すっごいぱわーを感じる……)
紅を下地に、芝桜の花柄が載る。彼女の可憐さを暗示するかのようなその文様に目を向けた城戸は、そのまま一直線にその場所へ向かった。
「……また妖異か!」
車道の中央。四つん這いになり、雄叫びを上げながら舌を震わせ、涎を撒き散らす黒く細い妖異の姿を彼らは見た。その横には血を頭から流し、ガードレールへもたれ掛かっているおばあさんがいる。
「……! あの、人、も、う」
握り拳を作った城戸が、その犬歯を見せつけた。
「……間に合わなかった。クソッ!!!! 早く物語を認識して術式を使っていれば……!」
昏く、重いその表情。良くも悪くも妖異殺しとして割り切るように生活してきた初維には、出来ない表情を彼はしている。初維は、そう感じる。
「……せめて遺体だけでも。初維ちゃん。俺の後ろに━━」
「いえ。城戸さんが受けてください。わたしが殺ります」
城戸が、返答する間もなく。
前脚の一本が、四本に割けるように開き、それぞれがタイミングをずらして城戸の元へ振るわれる━━!
「シッ!」
徒手空拳の彼は手に魔力を集中させ、それを弾くように、時にそれを流すようにして、凌ぎ切った。
「はッ!」
いつの間にやら、十数本の髪の毛をナイフに変化させていた初維が、指にナイフを挟み込むように持ち、四本ずつそれを妖異へ投げつけ、突き刺し、コンクリートへ磔にする。
最後の一本を大太刀へと変えた初維は、切っ先の遠心力を用い横から首を断ち切った。
爆発するような音と共に、宙へ広がる灰。残心とともに、揺れるポニーテール。
夏風に乗ったそれは、虚ろな目をしたおばあさんを慈しむように、降りかかった。
近くに人が来ようとも、倒れ込む彼女は何も言わない。
「クソッ……!」
苛立ちを隠せない城戸は、スマートフォンをポケットから取り出して、どこかへ電話を掛ける。
何かを説明している彼を、見上げるように初維はじっと見ていた。
「……ええ。そうです。今、こちらに、そのおばあさんの遺体が。はい。周辺は安全だと思います。さっき、”妖異殺し”が訪れたようで。ありがとうございます。では」
電話を切り、スマホを持つために上げていた腕をだらんと降ろす。
震える指を動かして、ゆっくりと懐から煙草のケースを取り出し煙草を吸おうとした彼は、その中に一本も残っていないことに気づいた。
「……城戸さん? 先ほどの妖異は、すっごく攻撃的な個体だと思います。これで済んだのは、ラッキー━━」
「そんなこと言うな! 仏さんの前だぞ……」
「…………」
冷徹な表情をした初維を、城戸は信じられぬものを見るようにして見ている。
先ほどまで彼女は、喫茶店から提供された甘味を、メロンフロートを、楽しむ女の子だったはずだ。しかし、本質的な部分で、決して違うと確信させるだけの冷たさを持っている。
彼女はアイスクリームのように甘い、天真爛漫な少女。
それでいて、世界に対して冷え切っている。割り切っている。
「……やっぱり城戸さんは、一人でも多く、助けたいんだよね。こんなに悔やむってことは」
彼女は、彼の矛盾を見抜いてしまっている。
「さっき聞いた質問のこたえ、聞いてないや。どうする? わたしから言えばすぐですよ?」
それを言葉にしないのは、温情か、それとも彼女の幼さか。
「…………それは、できない。ただ、何故できないのかも言わないのは、不義理だと思う。だから、話させてほしい」
目を伏せていた彼は見上げるようにして。初維の方をじっと見た。
これから彼がするのは、彼の根源となる、このDSへ彼が何故乗り込んだのかという、そんな話。
「これはただの、情けない大人の物語だ」
書籍の発売三日前です。
緊張しておりますがよろしければお手に取ってみてください
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