第百六話 珈琲、煙草、メロンフロート(1)
何とも言えぬ空気のまま、彼と彼女は路地裏を出る。お皿を手に載せたまま、渡された東京バナナをむしゃりと食べる城戸が、どこから突っ込めば良いのか分からないという表情で歩いていた。
父親の指示があったからか変に意識している初維も、そわそわと動揺を隠せない様子で、どうすれば良いのか分からないという表情をしている。
人気のない路地を抜けてから、往来のある表側へ出る。立ち止まった後、振り返って、彼は俯いたままの少女の姿を見た。
「…………」
一歩彼の後ろを歩く、何も言わない少女の姿を見て、彼女の考えていることをなんとなしに察知した城戸は口を開く。
「……初維ちゃん。少し話も聞きたいし、あのお菓子のお礼をしたいから、喫茶店でも行こうか」
「ひゃ? 喫茶店?」
話しかけたのは自分の方なのに、気を遣われ、城戸の方から誘ったかのような形になってしまったので、彼女は委縮した。
「あ、あの……私、今こんな格好なので、もしかしたら入れないかもしれません。お店」
「ん?」
「今、和装の人たちは表側の人から疎ましく思われることがあるので……私たち佐伯家はわようせっちゅーのすたいるに変わりましたが、それでも重家の衣服だし……」
狩衣風のセーラー服を着た初維が、スカートを摘まんで、少したくし上げて見せる。
少し悲し気な表情をした少女の姿を見て、城戸は目を細めさせた。
「わたしこの前、渦の破壊ついでに、なんか、かわいいお店に入ってみようとしたことがあるんです。なんか、表側の子たちにすごい人気らしい、飲み物を売っているお店なんですけど……」
ニコッと笑みを作った初維が、彼の方を向く。
「入店……断られちゃいました。てへ。初維ちゃんは、全然いいんですけど」
曰く、表側の方へ出るようになった重家の者が、店に迷惑をかけたことがあるらしい。
空に罅が生まれ、侵犯妖異が発生した際、それを迎え撃つために必要以上に大暴れして、問題になったという話がある。もしヒーローであれば、その被害の問い合わせ先があるが、重家ともなれば、泣き寝入りするしかない。
こんな、悪い噂が一度たってしまったので、入店拒否に合う、ないしは妖異殺しかどうかを店員から確認される、といったことがあるようだ。
年功から、その表情の裏側を察した城戸が、優しい声色で言う。
「…………大丈夫だよ。俺がよく行っている店で、店の人とは知り合いだからさ」
その言葉を聞いて、初維は更に委縮する。
「……良くないですよ? わたしはどこかでお話できればいいので、お外でも」
そんな行きつけのお世話になっている店に、純然たる妖異殺しの自分が訪れるのは、外聞的に良くないかもしれない。初維は父親からは、”刺激しろ”という指示を受けているが、迷惑をかけたいわけではなかった。
「まあ、なんだ。単純な理由が一つあるだけだから、気にしないでくれ」
「?」
彼は、苦笑いを彼女へ向ける。あの日彼女に向けたような、鉄面皮ではない。どこか、茶目っ気を見せたような顔つきで━━
「その店、喫煙ができるんだ。許してくれると嬉しい」
キョトンとした顔を見せた後、初維は、抑えきれぬ笑いを漏らす。
「ぷぷっ! あはははっ! うん。私の部下でも、重世界産の煙草、吸う人多いから。大丈夫です!」
「色々面倒な話はあるけど、まあ、妖異殺しだし大丈夫だろう」
「あははは! わるいところもあるんだ!」
張り詰めたようにしていた表情を、初維が弛緩させる。
けらけらと面白そうに笑いながら、彼の行きつけの場所へと彼女は向かった。
カランカランと、ドアベルが鳴る音がする。
鼻孔を刺激する珈琲の香りと、煙草の匂い。
こげ茶色の枠組みと、光沢を纏うカウンターが映える喫茶店へ、城戸を盾にしながら、恐る恐る初維は足を踏み入れる。間接照明が配され、インテリア代わりに設置された旧式のミシンや扇風機が、レトロモダンな雰囲気を見せていた。
大人っぽくて、それでいて可愛さもある。そんな雰囲気の場所だが、とても初維一人で入れるような、そんな敷居の場所ではなかった。
ドキドキする初維とは裏腹に、城戸の姿を見た店員は、ニコリと笑みを浮かべた後会釈をする。どうやら、行きつけというのは本当らしい。店内の最も奥に位置する席へ、初維を連れ向かった城戸は、彼女を赤茶色ソファー席へ座らせる。
「あ、ありがとうございます……」
「ああ。大丈夫だよ。ここにメニューがあるから、好きなのを頼んで」
「じゃあ、お言葉に甘えます」
遠慮なく、じろじろと写真付きのメニュー欄を見る初維の瞳が、だんだんと輝いてくる。
「……わあ。すっごく悩みます。今まで、入れたり入らせてもらったことがなかったので」
「……部下の妖異殺しの人と、行ったりはしないのかい?」
「そんな暇ないです。それと、いくら佐伯家があたまやわらかいおうちとはいえ、こういうところはまだ忌避されます。わたしは、行きたかったんだけど……」
視線を右に左に動かし、どうやら初維は二つ、どちらにするかで頼むものを悩んでいるようだ。
「……どっちも頼んでいいよ」
「えっ!? ほんとうですか? やったー!」
店員を呼んだ城戸が、コーヒーを頼み、初維は嬉し気な表情でメロンフロートとホイップのついたブラウニーを頼む。
しばらくの間、物珍しげに初維は辺りをきょろきょろと見回していた。心地よい沈黙に身を任せていると、店員が頼んだものを配膳しにくる。
「わぁ……!」
メロンソーダのグラデーションに、アイスクリームとチェリーが映える。ブラウニーまでやってきて、初維はそれを嬉しそうに、フォークでつついていた。
「んん~~~!!!! あまくておいしいです! あ、こっちも……」
ストローをぱくっと咥えた初維が、メロンフロートを飲んでいく。すると━━
「わ、えほ、けほ、な、なんですかこれ。口の中で今バチバチしました」
口元を手で押さえ、心底不思議だという表情で初維はメロンフロートを見ている。
「……炭酸ジュースって、知っているか?」
「いえ。なんか、キラキラしてて面白そうだったのでたのみました」
「あー……炭酸ジュースってのは、水の中にしゅわしゅわするのを閉じ込めたやつだよ。初めてだときっと慣れないから、ゆっくり飲むといい」
「いえ、もう慣れました。ぱちぱちしててすっごくおいしいです。こんな飲み物が表側にはあるんですねー! あ、このすとろーなるものの使い方は知っていたんですけど」
「……どこかで、使ったことがあったのかい?」
「うん。こっそり佐伯の方に持ち帰ったときに、爺さまの点てた抹茶をこれで吸ったら、はんぱないぐらい怒られました」
神秘的な雰囲気すらある佐伯の茶室を頭に浮かべる初維が、その情景を説明して、城戸を笑かそうとする。
「……そりゃ、怒られるだろうな」
「今は、こっそり髪の毛を変化させて吸おうとしてます。でも、毎回爺さまには見破られてしまうんですよね……」
珈琲を一服する城戸が、うーん、という表情を見せた後、小さな声で呟く。
「やはり、年相応の側面はあるのか……悪戯なんかしてみて……でもあんなにも勇ましく戦う……」
「ン? 城戸さん、なんて言いました?」
「いや、なんでもないよ。しかし、お気に召したようでよかった。ここの店は本当に俺のお気に入りでね」
所在なげに、彼がコーヒーカップの縁を撫でた。
ブラウニーを食べようと、フォークがかちゃりと音を鳴らす。






