第百五話 芝桜の乙女(2)
根拠もない、不思議なふわふわとする安心感を覚えながら、就寝したあと。目覚めた初維は、寝ぐせを直し起床の準備を終えて、渦の破壊のために出撃した。
「やっ! はっ!」
「初維さま! 後ろです!」
「あれっ!?」
渦の中。妖異を断ち切り討ち取っていく佐伯初維は、その攻略に集中できていない。普段は全く背後の取られることがない初維が、佐伯の妖異殺しの援護を必要とするぐらいには、妖異を相手取れていなかった。
身外身の術式を発動し、髪の毛を変化させようと唇で食む初維。
佐伯初維は悩む。具体的に言うと、絶対に逆らえない直属の上司である父親から言われた、すっごいアバウトな指示にめちゃ悩む。
とりあえず、佐伯の者たちからの情報によれば、彼が横浜にいることは間違いないらしい。ある程度の範囲を絞った場所さえ特定できていれば、術者としてはあんなに目立つ力を持っているのだから、おそらく、目星をつけて見つけることは可能だ。
彼女の父の言葉のせいで、部下たちは彼女を助けようとはしない。出来る限り他の者の手を借りずに、他者の干渉の痕跡を残さず、彼に会えというのが当主の意図するところらしい。
こんな探索者、ヒーロー崩れの者を相手に時間を使うくらいなら、一気に力をつけ始めた雨宮やDSと連携することに労力を割いた方が良いのではないか、という皆の言葉は、一蹴された。
初維は自由にやれという言葉を聞いて、精一杯悩む。頑張って頑張って考えてみる。
「初維さま! そちらの道ではありません!」
「あれーっ!? ちょ、わああああああ!!」
「な、何故なんでもない側溝に落ちているんですかぁあああああああ! 足挫いてませんよね!?」
城戸雄大という男に接触する以外にも、彼女は佐伯家の妖異殺しとして、関東各地の渦の破壊活動も抱えていた。彼女は交通機関を利用し、どこからやってきたのかも分からぬ大老との現地集合を繰り返している。何度も渦に突入しては、彼の指導を受けつつ枝をぶった切った。
朝イチで出発し、やっとその全てが終了したのは、もう夕刻のときのこと。
佐伯の重世界へ帰るために、トボトボと歩く東京駅構内。風塵でくすんだ髪を手で梳かす彼女は、もうくたくたである。ましてや、DSのリリース以前、こんなド田舎ならぬド都会の場所を歩く機会の少なかった彼女は、未だこのような場所に慣れていない。
「ああ~~~なんで父上はあんなわけわからないこと言うの。もう初維ちゃん疲れた……甘いものたべたい……」
ドデカい声で、初維はそんな独り言を言う。
狩衣のセーラー服を着る初維を、多くの人がちらりと見ては、ああ、最近たまにいる『妖異殺し』かと納得して、立ち去っていく。誰も、女子高生然とした幼い容貌には、疑問を抱かない。
人混みの中、妖異殺しとしての身体能力を活かし、上手く避けていく。駅構内の施設には、駅弁やお土産等が販売されており、それに殺到する人々の姿を目で追っては、何をそんなに探しているのだろうと初維は疑問に思った。
(あ〜〜〜〜もう〜わ〜〜何すりゃいいかわかんね〜〜)
気持ち悪くなってしまいそうな、東京駅の人波の中で。
彼女は、良いことを考えついた。
とりあえず、城戸さんにはお世話になるっぽいし。つか、私が今食べたいだけだけど。
東京バナナ買お。
つか、なんでバナナなんだろう。東京じゃん? ここ。
東京バナナをノリで購入し、そのままノリで京浜東北線に乗り横浜へノリノリで直行した初維は、電車に揺られながら横浜駅に到着する。
侵犯事件があった影響か、人の往来が平時に比べ少なくなった駅構内。迷路だのダンジョンだの言われるこの場所を、初維は妖異殺しの能力を活かして何とか突き進んでいく。
芝桜の魔力を他者に気づかれない程度に開花させ、初維はこの横浜の街の中、城戸雄大の姿を探す。
なかなか見つからず、むー、とだんだんいらいらしてきた初維は、東京バナナの箱を開け、小分けにされた袋を手に取りむしゃむしゃと食べ始めた。
「や、うまうま~」
東京バナナを齧りながら外に出た初維を、夕焼けが照らす。制服に身を包み、キャッキャと駅前で遊んでいる女子高生の集団が、彼女の横を過ぎ去っていった。
「……」
逃げるように、彼女は移動を開始する。纏めただけのポニーテールを揺らして、つぶらな瞳で真っ直ぐに前を見て。
芝桜の紋様を空に浮かべ、彼女はゆっくりと、周囲を探っていく。しかしそれでは見つからぬと、痺れを切らした初維は、体に纏うように花柄の残像を濃くさせた。
特異術式『爛漫の乙女』を使用し、空間を飛び跳ねるように移動を開始した初維。
看板に乗り、ビルの壁面に付いた配管を手にし、アクロバティックな動きで彼女は移動していく。
宙で二度、特異術式を発動した初維は、ビルの壁面に取りつく。窓ガラスの向こう側で、オフィスワークに勤しむ職員のド肝を抜きながら、初維は芝桜の魔力を空に揺蕩わせるように展開した。
東京バナナを口に咥えながら、ぺこりと会社員へ謝った初維の、ピンク色の花柄が風に乗り空を泳いでいく。それは全て、かの存在を探るため。
「あっ!」
思わず、と漏らした声は、歓喜のもの。
朧げな紅迅の魔力の痕跡を発見した初維が、空へ飛び立つ。両手を広げダイブし、術式を使うことによって飛行距離を伸ばして、空を飛んでいくような恰好になった。
芝桜の魔力を空に広げ、彼女は横浜の街を一望する。
都市の中心から離れた路地裏で、紅迅の魔力を立ち昇らせる城戸の姿を、彼女は視界の隅に捉えた。
降り立つように、彼女はコンクリートを踏み締め着地する。今、彼女の目の前には、紅迅の魔力を纏い雷電のように迸らせる男の後ろ姿と、彼の前に立ちはだかる、三体の妖異がいる。
蛇のように荊棘を動かす、無数の花を開花させた妖異。
四角形の肌色を中央に、両脇に無性の顔を備えた妖異。
ナナフシのように細い体に、人間の顔を載せた妖異。
(嘘! この三体、等級は低いとはいえ全て希少種……! やっぱり、爺さまの言う通り大規模侵犯の時が近い━━!)
芝桜の魔力を高め身外身の術式を発動し、ナイフを手にした初維が、援護の準備をする!
路地裏の狭い地形を利用し、壁から壁へと跳躍を繰り返して上へ登っていく顔と四角の妖異が、飛び降りる勢いのままに回転し、城戸へ噛みつこうとした。
「シッ━━━━!」
武器を何も持たない徒手空拳の城戸は、紅迅の魔力を拳に纏い、迎え撃つように腕を振るう。
彼の羽織る、サマージャケットの裾が翻った。
握り拳は確かに妖異の頬を捉え、確かな一撃となる。
回転する顔と四角の肉体の妖異を、逆方向に数回転させるほどの威力の拳撃は、奴を仕留めるには十分なようで、吹き飛ばされた妖異は宙で体を爆散させた。
壁と地面を伝い、存在を強く主張するような紅迅の魔力が、輝きと速度を増す!
手のひらに魔力を集中させた城戸は、鞭のように振るわれた荊棘の妖異の攻撃を、一歩下がることで回避した。体を捻り、棘に突き刺さることも厭わず、強く荊棘を掴み取る。握り拳の中から荊棘へ、まるで感電するように動いていく紅迅の魔力を前に、荊棘の妖異は耐えきれず、その花弁を黒焦げた消し炭とした後、灰となった。
最後に、状況を静観していた初維が放った、五本の投げナイフが、ビルの壁と壁を足場にしていたナナフシ型の妖異を断ち切り、最後の一本が人間の顔の頸椎に当たる部分を撃ち抜いて、灰とする。
カランカランと、投げナイフが地面に落ちる音。少し時間が経つと、それは髪の毛に戻って、夏風に乗り、空を泳いで消えていく。
後ろを振り返った城戸が、初維の姿を視界の中に捉えた。
「…………また、君か」
「あの、えっと、その……」
あばばば、とどうすれば良いか分からない初維が、ガッツリテンパる。
「えっと、その、えっと」
気が動転した彼女は、ポニーテールから一本髪の毛を抜き取り。
それを唇で食んだ後、息を吹きかけて。
そこに生み出されたのは、真っ白な皿。ポケットをごそごそと漁った初維が、もう二つしかない、小分けにされた東京バナナを置く。
「ど、どうぞー! そ、粗品ですが……お土産です!」
「……………………わあ。あ、ありがとう……どういう手品?」
鮮やかな戦いぶりからは想像できない、なんとも締まらない空気で、彼と彼女は路地裏にて再会した。
書籍版での改題に合わせてなろうの方も改題しました。よろしくお願いします。






