ちゃんと見えているのか
「お兄ちゃん。おはよう」
「まだ夢を見ているのか?」
思わず口にしてしまったが、妹には聞こえなかったようでベッドに寝転がっているぼくの顔を見下ろしたままだった。
確か、夢の中でアカイユウナにミドリサカのことを教えてもらっていたはず。
いや。今の幼なじみであるアオハラキユに教えてもらったことを、夢の中でくり返していたって感じか。それよりも。
「おはよう、スズナ。悪いけど、起き上がりたいから移動してくれないか?」
小学生の妹とは言え女の子だしな、さすがに重いとは口にしづらい。
「お兄ちゃんがそう言うのなら」
笑みを浮かべると、妹は寝転んでいるぼくの腹の上から動いてくれた。
妹に少し違和感があるが、特につっこもうとは思わない。そもそも小学生だし、こちらの呼びかたのほうが普通なんだと思う。
幽霊の彼女は妹が苦手なのか部屋の壁から顔だけをだしていた。なぜか分からないけど怒っているようで頬をふくらませている。
「お兄ちゃん?」
誰もいないところに視線を向けていたからかベッドの傍らに立っている妹が不思議そうに首を傾げている。
「ああ。悪い悪い……まだ寝起きで頭がふらついているみたいでな」
起き上がって、ベッドの上に座ったままで軽く伸びをしながら妹に笑顔を向けた。
「ふーん」
ぼくが見ていたところに、妹が目を向けているが。幽霊の彼女の姿は見えなかったようで、すぐにこちらに視線を戻していた。
でも幽霊の彼女は妹と目が合ってしまったと勘違いしているのか驚いた顔をしている。
「そんなことよりも、お兄ちゃん。なにか、変わったこととかないかな?」
お兄ちゃん、って呼んでいることをつっこんでほしいんだろうかね。長年の夢だったと言う訳でもないが間違っていた場合。できるだけ考えたくないな、あまりにも失うものが大きすぎる。
「スズナがツインテールじゃないとか」
その答えがあったか……とでも思っているようで妹も自身のセミロングの黒髪を触っていた。
「間違ってないけど、正解でもないね。ま、今日はそれで良いや」
兄妹だから、ぼくの考えていることをなんとなく分かってくれたんだろうな。失うことのこわさは、誰でも理解できるものだしな。
「助かるよ」
明日の朝も同じようなクイズがあるらしいけど、妹とのスキンシップみたいなものだと思えば可愛いものか。
「それで正解はなんだったんだ?」
「答えが分かっているのに、わたしが教える必要はないかと」
「お兄ちゃん……って呼んでくれたことだったりして」
ジョークっぽくそう言うと、妹が目を丸くしている。しばらくするとなにかに気づいたらしく、小さく声を上げて笑いはじめた。
「あはは、ジョークか。お兄ちゃんの分かりづらいから考えちゃったよ」
笑っている妹の顔を見ているが、ぼくの頭は少し混乱をしているみたいだな。今の言葉を信じるのなら、ずっとお兄ちゃんと呼んでいたことに。
「悪いな。寝起きは頭が回らなくてさ」
「もう、そんなに心配しなくてもお兄ちゃんのジョークは面白かったよ」
それに関しては心配してない。個人的には笑わせるつもりもなかったし。
考えたくはないけど面倒なことが起こっている可能性があるよな。それが当たっているのなら、妹がお兄ちゃんと呼ぶようになった理由のほうも。
「そうだ。お兄ちゃんの彼女って、キユさんだったよね? 青みがかった黒髪でスポーツ万能って感じの」
「ん、ああ。そうだけど。それがどうかしたのか?」
お兄ちゃんには言いにくいことなのか妹が髪を左右に揺らしている。気のせいかもしれないが、どこかから甘い匂いがしていた。
「わ、笑わないでね」
「妹のジョークを笑うほどに、お兄ちゃんは人間をやめてないからな」
「そこは人間をやめてでも笑ってほしいな」
「女心は複雑なんだな」
妹が大きく口を開いて、万歳をしている。お兄ちゃんには分からないが、なにか彼女にとってうれしいことを口にしたんだろう。
「今、わたしはレベルアップしました」
「自分で分かるものなんだな」
レベルアップしたことを分かりやすくしているつもりなのか。妹が口笛を吹こうと唇をとがらせていたが、できないと諦めたようで拍手に切り替えている。
「で、話の続きなんだけど」
切り替えがはやくないか……と、つっこみたかったが。妹の後ろに浮かんでいる幽霊の彼女が代わりに、つっこむような動きをしてくれていた。
「少し前にお兄ちゃんが女の子とデートしている夢を見たんだ」
「変な夢を見たんだな」
自分が見ている夢だからって。必ずしも、その本人が主役になれるとは限らないよな。
「それでね、夢の中のお兄ちゃんはキユさんと違う女の子とデートしてたんだよね」
赤みがかった茶髪で……背がわたしと同じくらいで、胸が大きな女の子だったんだよ、と妹が怒ったように言っている。
多分、アカイユウナか。確か、同じくらいの身長だったはずだしな。それにしても妹の夢の中にまで、でてくるとは。
「浮気はしてないよ」
「分かっているよ。でも、その赤みがかった茶髪の女の子さ、どこかで見たことある気がするんだよね」
そう言えば妹もアカイユウナと二人でお茶をしたことがあったとかなかったとか。
仲は良かったんだろうな、今さらだが。
「学校にいく途中で、見かけたとかじゃないのか? 赤みがかった茶髪なんて、そんなに珍しい髪の色でもないし」
「そうだよね。へへ、変な話をして、ごめんね。笑わないでくれて、ありがとう」
個人的には笑えない話だったな。それに、ぼく以外の誰かが。そのことは後で考えるとして。
「スズナ」
「ん? なに、お兄ちゃん」
ドアノブを握った状態のまま、妹がこちらに可愛らしい笑顔を向けている。
「キユにも妹がいるのは知っているよな?」
「うん。ユウナさんのことだよね。あ、そうそう。ゴールデンウィークに会う約束をしているんだよ」
わたしとキユさんとユウナさんの三人で、と……妹が人差し指と中指と薬指をそれぞれに立てていた。
「お兄ちゃんもくる?」
「いや。キユとデートをする予定があるからやめておくよ。可愛い女の子が二人もいるんだ、それこそ嫉妬される可能性もあるかと」
半分くらいは本音だけど、そのメンバーで遊ぶ場合。ぼくは、かばんもちみたいな立場になるだろうから面倒そうだな。
「そうなんだ。この部屋で?」
「そのつもりだけど、スズナもヒマだったら遊ぶか? 三人のほうが楽しいし」
デートする日を教えようとしたが、その前に妹が大きく首を横に振ってしまった。
「そんなことはできないかな。お兄ちゃんも恋人と二人きりの時間を邪魔されたくはないでしょう?」
「妹と一緒に遊ぶことを、お兄ちゃん的には邪魔だとは思えないかな」
「本当に……お兄ちゃんは口が上手いよね。わたしももっと見習わないと」
お兄ちゃん的には見習う必要はないと思うが。真面目な妹だからこそ少しくらいは身につけておくべきかもしれないな。
「あ、そうそう。お兄ちゃんはさ、殺す? って言葉を知っていたりする?」
自室の扉を開きかけた状態のままで、妹がこちらに視線を向けている。気のせいか普段よりも瞳の色が暗いような。
「いや、知らないな。新語かなにかか?」
「うん。多分ね、そうだと思うよ。わたしも聞きかじったくらいだから、意味とかは知らないんだ」
うそをついている感じではなさそうだけどその言葉をこの世界で知っている人間はそれほどいないはず。
妹に、誰がそれを口にしていたかを詳しく聞きたいが。ぼくを試している可能性もないとは言い切れない。
「それにしても。ふふっ……お兄ちゃんでも知らないことがあるんだね」
「残念だったか?」
「んーん、そんなことないよ。お兄ちゃんの弱点を見つけたみたいで、うれしかったり」
「スズナが思っているよりも、お兄ちゃんはそんなに強い人間じゃないよ」
「そうかもしれないけど、お兄ちゃんは」
妹がなにかを言いかけたが、途中でやめてしまった。恥ずかしいことでも、言うつもりだったようで赤くなっている顔を隠すために自室の扉を盾にしている。
「お兄ちゃんは、女の子とつき合っているんだから。もっと自信をもって良いと思うよ」
きんちょうでもしていたのか、普段よりも慌てた感じでそう言うと……妹は自分の部屋に向かったようだな。耳を澄ませれば、それなりに聞こえるのか。
問題が増えている気もするけど今はそんなことより。勢い良く近づいてきた幽霊の彼女に押し倒された。
「はよん」
「おはよう」
腹の上にのっている幽霊の彼女がなにかを言いたいのか口を開閉させている。頭を左右に振ったり、髪を逆立てたりして、そんなに言いづらいことなんだろうか?
「そんなに言えないこと?」
「今はミドリのことで色々とややこしいから言ったら駄目だと思うの」
幽霊の彼女なりに考えてくれているみたいだな。個人的には、教えておいてほしいものだが大きな問題ではないことを願うしかなさそうか。
「そっか。ありがとう」
「にへへ」
それと……ベッドがきしんでいる音が隣にいるであろう妹に聞こえてないことを願っていた。