思いこみってこわいね
「別に良いけど。この世界のことに関しての質問なら、わたしよりもきみのほうが詳しいと思うよ」
パイプ椅子にもたれかかりつつ、保健室の先生が伸びをしている。肩がこっているようで頭を左右に動かしていた。
「それともミドリサカリョウとわたしの関係を聞きたくなったのかな?」
目を輝かせている幽霊の彼女は、その話を聞きたいようだけど個人的には興味がない。ぼくに殺してほしいと言っているんだから、後ろめたいことでも握られたんだろう。
「ぼくは興味ないんですが。ナギサは聞きたそうなので……ミドリサカを殺した後にでも教えてあげてくれれば」
「きみが殺した後に?」
「ええ。まあ、ぼくに聞かれて良いのなら。今、話をしてもらっても。時間のほうもそれなりにありますから」
確かめてみたいこともあるし。できれば、そのミドリサカとか言う男子生徒を殺した後に聞かせてほしいが。他にも、やりかたは。
「その話は、殺してもらってからにしよう。そっちのほうが、わたしにもメリットがありそうだし」
それに、きみはなんだかんだナギサちゃんに甘いだろうから、と保健室の先生が続けている。
ミドリサカリョウとの話を後にしたほうがぼくに確実に殺してもらえるとでも考えて。
「ふーん、甘いんだね」
保健室の先生の言葉を信じてしまったようで、幽霊の彼女がしたり顔をしながら、ぼくの顔をのぞきこんでいた。だまっていると、照れているとでも思ったらしく、にやつき。
スラックスのポケットに入れてある、スマートフォンから音が聞こえてきた。真似でもしているのか、幽霊の彼女も身体を震わせている。
「ナギサちゃんは見ていて飽きないね」
身体全体を震わせるのは疲れるようで……顔を上下に動かしている幽霊の彼女を見つつ保健室の先生が欠伸をしていた。
「でなくて良いのかい?」
「欠伸をしている先生が、電話をしている時に邪魔をしてきそうな気がするので」
そのうち、殺す予定の幼なじみだから関係が多少悪くなったところで、問題はそれほどないのだが。
ぼくが確実に殺すまでは、できるだけ面倒なことが起きないでほしいと願うのが、人情みたいなものだろう。
「心配をしなくても高校生の色恋を邪魔するほど、わたしはヒマじゃないよ。欠伸もしてないし」
今のところ、うそしか言ってない保健室の先生を信じる人間は……スマートフォンから響いていたメロディがとまった。
「それで、わたしに聞きたいことは?」
似たもの同士みたいだし、真面目に答えてくれる可能性のほうが低いと思うが、一応。
「アカイユウナ。って、名前の生徒を知っていますか?」
想像していたよりも普通の質問だったからか保健室の先生が目を丸くしている。アカイユウナのことを思いだそうとしてくれているようで、こめかみの辺りを人差し指で押していた。
「アカイユウナ。女の子なんだろうけど……聞いたことがない名前だね」
うそは、ついてなさそうだな。そもそも、保健室を利用している生徒達のことを覚えてないって可能性もあるのか。
目が合うと、保健室の先生が笑みを浮かべながら、ぼくの名前を口にした。しかもフルネームで。
「期待に応えてあげられなくて悪いが。これでも、保健室の先生としては真面目にやっているんだ。顔を合わせた生徒の名前くらいは覚えているよ」
そう得意顔をしている保健室の先生。今の対応で、ぼくの頭はこれを女性だと認識してしまったのか可愛いと思っているようだ。
「顔を合わせたこともない、ってことですよね? アカイユウナとは」
「そうなるね。きみがわたしにうそをついていなければ、だけど」
信じてもらえるかどうかは分からないが、ぼくは保健室の先生の名前を言った。なぜか忘れていたので少し不安だったけど、合っていたようで驚いた顔つきをしている。
「名前を教えた記憶がないんだが?」
「本人から教えてもらわなくても、やりかたは色々とあるかと」
「それもそうだね。わたしも、きみの名前を聞いた覚えもないし」
似たもの同士なんですから、ぼくが先生の名前を口にした理由は分かりますよね? と言おうかとも思ったがやめておいた。そんなことを教えるほど、関係を保ちたいと思ってないみたいだし。
今のところ保健室の先生に聞きたいことはなくなったので、ベッドから立ち上がると。なにかがきしむような音が聞こえてきた。
「ナギサちゃん、お腹でも痛いのかい?」
先ほど聞こえてきた音は……幽霊の彼女がベッドの上に倒れこんだ時のものだったようだな。保健室の先生の言う通りに、腹が痛いらしく両手で押さえている。
しばらく、うずくまっていたが。あお向けのほうが楽なことに気づいたらしく、幽霊の彼女はベッドの上に寝転がって、天井に視線を向けた。腹の痛みが落ち着いてきたのか、目をつぶっている。
「うーん、ガスかな? ナギサちゃんがしているところを見たことある?」
「保健室の先生ですから、真剣な質問だとは思いますが。異性のぼくの口からは言えないですね」
と言うか、幽霊の腹にガスがたまるか? ドーナツとかを食べられるんだから全くないとも言い切れないのか。
「もしかしたら、子どもだったりして」
「笑えないジョークですね。幽霊に効くのかどうかは分かりませんけど、胃薬とかもらえますか?」
そう聞くと、保健室の先生が顔を近づけてきた。キスでもするつもりなのかと思ったがそうでもないらしい。
「これからわたしが言うことをナギサちゃんに聞かせてから、これを食べさせて」
保健室の先生が小さくて丸い赤い色のアメを渡してきた。ぼくが知らないだけかもしれないが、その辺の店で売っているものと同じだと思う。
「ナギサ」
あお向けに寝転びつつ、両手でお腹を押さえている幽霊の彼女に声をかけた。つぶっていた目を開いて、ぼくのほうに視線を向けている。
「これがなにか分かるか?」
保健室の先生から渡された赤いアメを見せながら幽霊の彼女に聞いた。
「んー、多分。アメ玉」
甘い匂いでもしているのか、鼻をひくつかせている幽霊の彼女。顔色が良くなっていると言うのも変だが、そんな感じがした。
「似ているけどな。これは薬なんだ」
「苦いのは、やだよ」
生前の記憶かどうかは知らないが……薬はきらいなようで赤い舌をだしている。これはアメだから、そんな心配はいらないのに。
幽霊の彼女は、このアメをなにかの薬だと信じてくれているらしい。ぼくは、うそつきなのにね。
「心配ないよ。この薬は甘いからな。ナギサだったら匂いで分かるだろう? それとも、少しだけなめてみるか」
「なめる。でも、信じてない訳じゃないよ」
保健室の先生がにやついているのか、背後から小さな笑い声が聞こえてきた。お互いに性格が悪いことはすでに知っているしな……今さらか。
アメを口もとに近づけると、幽霊の彼女は赤い舌を伸ばして、なめた。ぐうぜんだろうけど、ぼくの指も。
「甘いか?」
「うん」
「でも、薬なんだ。このアメをなめていればその腹の痛みも少しずつなくなるからな」
うなずいているつもりなのか、幽霊の彼女がまぶたを開閉させている。ぼくの人差し指と親指もしゃぶり、アメを口の中に入れた。
「プラシーボ効果ってやつだね」
腹の痛みがなくなったようで、おだやかな寝息を立てている幽霊の彼女。そんな彼女の姿を見ながら保健室の先生が妙な台詞を口にしている。
「思いこみの力で、普通のアメ玉も薬と同じような効果を得られる。みたいなものでしたっけ?」
「そうそう。そんな感じの言葉だね。きみの言う通りに、ナギサちゃんに胃薬かなにかを飲ませても良かったかもしれないが。幽霊に人間の薬が効くのかどうかは分からない」
そんなあやふやな可能性よりも……ナギサちゃんが信じているであろう、きみにうそをついてもらうほうが確実でしょう? と保健室の先生がにやついていた。
「うそをつくのは、きみの得意分野だし」
「ものは言いようですね」
「いやいや。今回の場合は、うそもほうべんって感じだろう。あはは、うそは世界を救うことができるのかもしれないね」
「それはないと思いますよ。すみませんが、手伝ってもらえますか?」
保健室の先生に手伝ってもらい幽霊の彼女を背負ったが、奇妙な感覚だな。
確かに幽霊の彼女の身体が触れている感覚はあるのに、重さは全く感じない。いるはずなのにいないような、だから幽霊なのか。
「良い夢でも見ているようだね」
幽霊の彼女の顔を見て……保健室の先生が笑みを浮かべている。多分、小さな子どもを見た時と同じ種類のものなのだと思うが完全に悪人面だった。
「これだけ安心しきった顔をして眠っているってことはさ、それだけきみを信じているんだろうね」
「先生。顔が悪人になってますよ」
「へへっ。うそつきのきみも照れるんだね、少しだけ安心したよ」
これ以上いれば面倒なことになりそうな気がしたので、保健室からでようとすると。
「ミドリサカリョウのこと、よろしくね」
「分かってますよ」
とは答えておいたものの、ぼくがその男子生徒をなにがなんでも殺す理由がない。それにうそつきに頼むこと自体。
保健室をでて、廊下を歩いている途中……なんとなく窓の外に視線を向けた。嫉妬するような人間ではないのだが。
一応は、ぼくの彼女であるアオハラキユが男子生徒と一緒に校門を通り抜けようとしていた。
「先生は運が良いみたいだな」
ぼくの記憶が正しかったら、幼なじみでもあるアオハラキユと一緒に帰っていた、あの男子生徒の名前は。