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叙述トリ憑ク  作者: 御法 度
3/4

癲 ――テン――

 

 5 はらぺこのおに


 娘は出された飲み物の味が奇妙なことに気付いていました。それになんだか変な気分でした。

 そう、家に入った時から、ずっと違和感がありました。この家の持つ気配。主人のまとう気配。それだけではない、なにかおかしい匂いがしたのです。

 娘の脳裏をよぎったのは、森に住む動物たちの生態のことでした。彼らは冬を越すため、食料を蓄えるといいます。いつ手に入るか分からない食料を、あらかじめ落ち葉の下に、地下に保存しておくのです……。

 主人は一人暮らしと言っていましたが、この家には、他にも誰かいるのではないでしょうか?

 思考を巡らせる娘に、魔の手がかかろうとしていました。




 6 付喪神


「私からも、一つ話をしてよろしいですか」


 唐突に、フデの口から言葉が発せられた。私ははっとして、手を引っ込めた。手? そうか。私は、待ちきれず、彼女の細い首に、爪の伸びた手を向けていたのだ。口を半開きに、犬歯をむき出しにして――。


「ええ、かまいませんが」


 動揺を悟られぬように居ずまいをただした。が、その効果がどれほどあったのかは分からなかった。事をせいてはならなかった。夜はまだたっぷり残っているのだから……。


「先ほど、付喪神のお話をなさいましたね。それで思ったんです。あなたのコレクションはさぞ幸せだろうと。心を込めて使ってもらえて」


 淡々と話し始めた娘の表情からは、その意図は窺えなかった。視覚を封じられた者特有の鋭さで、私の狙いに気付いたのだろうか。まさか。仮にそうだとしても、なにが出来るというのか。


「昔、付喪神の出てくる草紙を読み聞かされたことがあります」


 歌うような声で、娘は語りだした。


「お母様が寝る前に読んでくれました。内容は、ある家で宴会が開かれているというものです。住人の目線で物語は綴られます。それが実に楽しい面々なのですね。陽気で、愉快で――聞いているこちらも幸せな気持ちになるような、騒々しく、浮ついた、温かい宴が繰り広げられます。

 そこに家の主が帰ってきたところで、彼らはピタリと黙ってしまうのです。主人が見たのは、座敷に散らばった茶碗や草履、様々な小物でした。

 ずっと付喪神の視点で物語は描かれていたのです。その時は知りませんでしたが、今思えばあれは、叙述トリックと言うべきものだったのでしょう」


 彼女にはそぐわない単語の様な気がして、私は思わず口を挟んでしまった。


「貴女は探偵小説や怪奇小説も嗜まれるのですか」

「少々です」


 意外な発見だった。虫も殺さぬような乙女が、恐ろしい話を好むなんて。それもおそらく読み聞かせや点字を読む手間を負ってまでしているのだから、言葉以上に好きなのだろう。

 だが、そこまで意外な話でもないのかもしれなかった。鬼の話をした時も、娘は平然としていたではないか。それに、どのような嗜好を持っていたとしても、目の前に絶世の美少女がいる事実には変わりなかった。私が今までに見た素材の中でも、最上級の――。

 ほうら、じきに眠り薬が効くぞ。


「今の状況に似ているなと思いまして」

「……なにがでしょう?」


 一瞬、返答が遅れてしまった。娘は、額に汗を浮かべていたが、いっこうに倒れる気配はなかった。


「叙述トリックというものは、文章の性質を上手く利用した手法です。

 読者は文字でしか情景を思い浮かべられません。筆者の意図によっては、読者をもうにすることも容易いのです。私のように」


 一拍おいて、彼女はゾッとするような笑みを浮かべた。怯えと我慢が混じった、それでいて強がっているような、複雑な表情。彼女は口を開くと、言葉を突きつけてきた。


「声はまるで男性のようですが、()()()()()()()()()()? それも、お若い」


 喉に刀の切っ先を当てれたような緊張を感じた。私が女であると、どうして気付いた――?

 落ち着け。弁明の余地はある。それに相手は盲の小娘ではないか。力でもこちらが勝っているはずだ。


「すみません。隠すつもりはなかったのですが。

 幼い頃、喉を怪我しましてね。声帯が潰れたのです。それ以来、小さな機械と、食道発声で代用しているので、このような声になるのです」


 この体験は、私という人間の中心で、大きな存在となっていた。声を失ってみて初めて、声帯がいかに緻密にできていたか、思い知らされた。「モノ」の研究を始めたきっかけは、この出来事だったかもしれない。同時に、人体の神秘に強烈な興味を覚えた。渇望を抱いた。

 過去を懐かしみ、喉元に何気なく手をやった時、私はスカーフを巻いたままだったことに気付いた。それが先ほどからの暑さの一因だったことにも。私は馴染みの業者の前に出る時も、これだけは外さないようにしていた。醜い傷を見せたくなくて、他人の目がある所では外せなくなっていた。

 しかし今夜は、家に入ってからも付けたままだった。目が見えないとはいえ、少女がいることで気が張っていたいたのかもしれない。

 そうか。私は最初から演技など出来ていなかった。自然体ではなかったのだ。どこかでこの娘を警戒していた。それが言動の端々に現れていたのだろう。


「そうなってくると、話が変わってくるとは、思いませんか」

「『話』とは?」

「先ほどの話ですよ。最初におっしゃいましたでしょう?」


 私は集中を欠いた頭で、整った顔立ちを眺めていた。彼女は盲だというのに、全てを見通しているかのようだった。その声は、じゃっかん震えていた。


「鬼の話――この森には鬼が住まうそうですね。若き女性の生き血を啜る、美貌を求める()()()が」


 額を汗が滑り落ちた。このままでは、取り返しの付かないことになるのは分かっていた。行動を起こさねばならないのは明白だった。しかし私は、不気味に語り続ける彼女から目を離せないでいた。彼女はさらに言葉を継いでいった。


「最初から、おかしいと思っていたんです。決め手は匂いでした。

 ――この家には、()()()()()()()()()()()()。若い女の匂いが、地下からも漂ってきています」




 7 狩り


 すでに我慢は限界を迎えていた。彼女もそれは同じだったろう。

 二つの影が同時に揺れた。命を賭けた鬼ごっこは、しかし、一瞬で勝負が付いたのだった。


「逃げても無駄ですよ!」


 その言葉通りに、私はあっという間に小柄な少女に追いつかれ、組み伏せられてしまった。

 最初は軽く触れるような、女の腕でも抜け出せるような甘い掴みだった。しかし手を振り払っても、次に重心を向かわせた先には足が構えられていた。繰り出される手や足を避けているうちに、私はどんどん身体の動きを制限されていった。逃げ場を奪われていった。弄ばれていたのだ。獅子が、獲物を前に戯れるようだった。

 ついには、がっちりと床に押さえつけられていた。私はごく短時間の間に半狂乱になっていた。


「先ほどのコーヒー、変な味がしましたね。薬でしょうか。残念ですが、一度捕らえられた時に、あらかたの毒には耐性ができてしまいました」


 鬼は、弾みで床に転がった判子を掴み上げると、恐ろしく尖った歯で咥えた。美しい装飾がちりばめられた、漆塗りの滑らかな表面が、白い歯に押し潰されていった。

 次は私だという比喩に違いなかった。鬼は飽きたのか、「まずい」と鼻で笑うと、判子の残骸を吐き捨てた。


「とても食べられたものではありませんね。やはり新鮮な女の生き血が、一番です」


 その時、鬼の力が、一瞬緩んだ。私は我に返り、全身のバネを使って拘束から逃れた。しかし鬼は、いとも簡単に私の足首を掴み直した。もとよりそうするつもりで離したのだろう。私はどこまでも遊ばれていた。


「ああ、若い女の匂い。私を虜にする甘い香り――」


 乱れた着物の裾から覗く私のふくらはぎに、鬼は、片方の手で爪を立てた。焼けるような痛みとともに、赤い血が流れ出す。鬼は口を近付け、上手そうに啜った。


「ひっ」


 私は必死に両手を伸ばし、やっとのことで掴んだ椅子を、鬼へ振り当てた。自分でもこれほどの力が出せたのが不思議なくらいだった。まさに火事場の馬鹿力というものだった。

 しかし無情にも、鬼の手により椅子の脚はへし折られてしまった。鋭い爪によりカワが裂かれ、ワタが溢れ出た。


「ああ、イイギ――」


 私は言葉を詰まらせた。私の蒐集品が。一番のお気に入りが。無残にも、壊されてしまった。

 鬼が椅子を手で払ったことで、私の脚は自由になっていた。私は恐ろしき殺戮者から飛び退いた。犠牲を無駄には出来ないと、自らを強く戒めた。


「久しぶりに馴染みの土地へ帰ってきてみれば、山に奇妙な人間が棲み着いているというではありませんか。流水に囲まれるのはゾッとしませんでしたが、見に来た甲斐がありました。まさかこんな人でなしでしたとは」


 鬼は距離を詰めてはこなかった。状況が少し好転し、後悔が湧き水のように溢れ出てきた。目が悪いと高をくくったのが間違いだった。まさか彼女が鬼だったとは。吸血鬼だったとは。

 家主の許可なしに立ち入ることはできないと知りながら、迂闊にも迎え入れてしまったのは、獲物を目の前にした興奮がなしたことかもしれなかった。黒い髪。美しい肌。私は彼女に虜になっていた。彼女をどうしても、この家に閉じ込めておきたいと思った。少女の群れに加えたいと思った。


「人攫いをするのは、金銭のためですか?」

「違う」

「ふふ。そうですか。どうでもいいですが」


 私は駆けた。しかし、手負いの私の逃げ足では、すぐに追いつかれてしまった。足がもつれ、私は転んだ。結果的に、それは鬼の攻撃を避けることになった。代わりに、空を切った鬼の手は障子を捉え、真っ二つに引き裂いた。幻想的な崖は割れ、制御を失った滝が飛沫を上げた。カミがはらはらと辺りに散らばった。

 それでも逃げ続けた。考えろ。生き延びる手段を。唯一の勝機といえるものは、書斎に眠っていた。

 私は、薄暗い地下へと伸びる梯子に脚をかけ、降り始めた。片足が不自由な今、踏み外さないように、慎重に。速度は出なかったが、幸い鬼はまだ壊れた障子で遊んでいるようだったので、なんとか地下まで降りることができた。しかしまたすぐに追いつかれてしまうのは明らかだった。

 その前に、逆転の手段を得るのだ。

 奥の書斎の引き出しには、拳銃が入れてあった。それ自体は普通のものと変わりないが、銃弾が特殊で、吸血鬼の弱点である銀で作られていた。これを一発でも撃ち込まれれば、奴らはひとたまりも無い。


「逃げても無駄ですよ。あなたの香ばしい匂いのしるしが続いています」


 早くも、廊下の奥から鬼の声が響いてきた。目の見えぬ鬼は、嗅覚を頼りに狩りを行うらしかった。着物に染み付いたむせ返るような臓物の臭いは、よりいっそう強い芳香となって、鬼を導いたことだろう。

 私は脚を引きずりながらも、なんとか書斎に逃げ込み、机に駆け寄った。扉の鍵はかけなかった。椅子や障子を破壊したあの怪力を見れば、無駄であることは明白だったからだ。それよりも準備が先だった。鬼を葬り去る、起死回生の一手。あとはそれに運命を託すだけだった。


「もう行き止まりのようですねっ」


 果たして、鬼は入り口に姿を現したかと思うと、書斎に飛び込んできた。黒髪を振り乱し、血に濡れた片腕を前に構え、鋭く伸びた爪を私の喉元へ向けていた。

 私は机を背にしながら、瞬間、怪我をしていない方の脚で、扇子を鬼めがけて蹴り飛ばした。鬼は驚くそぶりもせずに片手で叩き落とした。

 よし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。本命はこっち――鬼の胸元ががら空きになった所へ、私は、とっておきをお見舞いしてやった。

 充分に狙いをつけて、引き金を引いた。轟音とともに、銀の銃弾が鬼へと射出された。反動で手首の関節が軋みを立てた。痛みに眉をひそめながらも、私は鬼から目を離さず、睨み付けた。弾丸は空気を切り裂いて、その心臓へ到達するだろう。

 鬼は倒れなかった。

 身体の前面に、目にも留まらぬ速さで、何かを構えたのだ。梯子だった。身体の陰に隠すようにして、後ろ手に引きずってきていたらしかった。銀弾は魔物には有効だが、物理的な威力では劣る。頑丈な梯子にめり込み、鈍い悲鳴を上げさせただけだった。眼前が敗北の色で塗り潰されていった。


「くそ、くそ!」


 私は痛みも顧みず、なおも銃弾を発射し続けた。しかし、素人の腕前では、鬼の恐るべき洞察力を打ち破ることは不可能だったのだ。銃弾はことごとく防がれてしまった。残り1発になるまで撃った時、梯子はすでに原型をとどめていなかった。


「どうして! 目が見えないのに……!」

「銀の弾丸のことですか。おぞましい異臭です」


 ぼろ切れのようになった梯子を片手で吊るしながら、鬼は答えを口にした。


「一度、これに身体を穿たれた時は、死の瀬戸際を彷徨ったものです。おかげで、飛び道具への警戒は常に怠らないようになりました」


 私の奥の手など、鬼にとっては矮小な小細工に過ぎなかったのだ。潜ってきた修羅場の数が桁違いだったのだろう。

 拳銃を構えているのも辛くなってきて、私はがくりと肩を落とした。最後の手段に出るほかなかった。このまま嬲り殺されるくらいなら――銃口を自らの顎の下に突きつけたが、発射することは叶わなかった。

 次の瞬間、天地がひっくり返った。感じた衝撃は、銃弾が延髄を貫いたためではなく、鬼によって床へと叩きつけられたことによるものだった。胸骨が圧迫され、肺が強制的に押し潰された。口から「コヒュッ」と、安いっぽい玩具のような音が漏れた。

 拳銃の行方をかろうじて確認すると、私の右手首ごと、壁際まで吹き飛んでいた。


(ああ、ああ)

「あなたの淹れてくれたコーヒーも美味しかったですが、こちらもなかなか」


 流れ出す血を、一滴残さず、鬼は舐めている。圧倒的な力の差。いたぶられる恐怖。再び私は鬼に組み敷かれていた。不思議と右手の痛みは感じなかった。全身から力が抜けていくのを感じた。終わったのだ、と私は思った。

 一通り手首をねぶった後、鬼は白濁した瞳で私を見据えた。それは歓喜に濡れていた。


「鬼の体液は便利でして。簡単な薬にも、にかわにもなります。傷口に塗り付けておいたので、血は止まるでしょう。また、徐々に溶け出してあなたの血液を補うので、失血死することもありませんよ」


 私の生もこれまで。ついに焼きが回ったのだ――いや。


(私を)


 言葉を発そうとしたが、掠れてうまく出なかった。叩きつけられた時、喉の発声機器が故障したのかもしれなかった。鬼はにんまりと笑うと、私の口元に耳を近づけた。形のよい耳だった。


「なんですか。言ってご覧なさい」

(私を。眷属にしてくれ)


 鬼よ。美しき鬼よ。お前もそうだったのだろう。吸血鬼に眷属にされたのだろう。

 だったら私を鬼にしてくれてもいいではないか。もう日のもとを歩けなくなってもいい。化け物になってもいい。お前にも手は出さない。だから、私の生きがいだけは、続けさせてくれないか。

 それは私が生き残る、唯一の道だった。私はまだ(せい)を諦めてはいなかった。


「あはは、分かりましたよ、言いたいことは。なるほど。もっともな判断です。たいした精神力ですね。このような状況になってもまだ生き残る術を考えている――。いいでしょう」


 私はこの女に感謝を伝えたかった。目には喜色が現れていただろう。しかし鬼は焦らすように、私の頬をつついた。


「その前に。少し身の上話をしましょうか。鬼の出自の話です。さきほどあなたがおっしゃったような、一部で言われているものとは違う、本当の話――」






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