症 ――ショウ――
3 よるのおに
娘は、家の主人からおにの伝説について聞かされました。しわがれた声は、その主が親切な人であると分かってはいても、娘の耳には恐ろしい悪魔の囁きのように思えました。あるいは、おにの声のようにも。
「鬼の伝説は数多く伝えられていますが、どの話にも共通しているのは、もともとは人間の女だったいう点です。女は裕福な家に生まれ、なに不自由なく育ちました。しかしある晩、吸血鬼に見初められ、眷属になっと言われています」
「異形と成り果てた女は、初めこそ自らの運命を呪ったことでしょう。しかし、抗いがたい吸血衝動に支配され、家族を殺し、その血肉を食らいました。それでも醜い欲望の杯が満たされることはなく、今度は村の人間を次々に殺戮していきました」
「鬼としての性が彼女を残虐な行為に走らせたのか、はたまた行為自体が人としての心を蝕んでいったのか……どちらにせよ、彼女は身も心も化け物へと置き換わってしまいました」
「自らを眷属にした吸血鬼が滅びてからも、女はこの世に留まり続けました。幾つもの夜を血で染め続けました」
「そんな虐殺を続けていては村が幾つあっても足りませんから、鬼は外の世界にも出るようになりました。そして、獲物を厳選するようになりました。自らの美貌を永遠のものとするため、若い女性の血に限って啜るようになったのです」
「鬼は今でも時々、この森に帰ってくるといいます……」
4 蒐集品
私の拙い話にも、フデは熱心に聞き入ってくれていた。
「すみません。長々と。お嬢さんにこんな話をしても、つまらなかったでしょう」
「いいえ。見事なお話ぶりでした。さすが、お詳しいです」
謙遜の言葉にも、彼女は好意的な発言を返してくれた。取るに足らない反応一つで、すっかり舞い上がってしまうのだから、私も単純なものだ。年甲斐もなく、胸がジンと熱を持つのを感じた。
「あなたは、怪異の研究をなさっているのですか?」
「まあそれに近いです。『モノ』の研究とでも言いましょうか。付喪神はご存じですか?」
「はい。聞いたことがあります。道具に魂が宿ると」
「そうです。長年愛用を続けた『モノ』は、人格を持つようになるという言い伝えです。そのような品を集めて回るうちに、家具や道具の蒐集が趣味のようになってしまいました。
今貴女がお座りになっているのも、実地調査で手に入れたものなんですよ」
「ああ。とてもよい座り心地です」
私はほとんど有頂天になっていた。この椅子は、私の蒐集品の中でも、最も優れた出来映えだったからだ。素材本来の美しさに加え、実用に耐えうる改良を随所に施してあった。
「非常に丈夫に出来ています。
貴女のように華奢な方なら言わずもがな、岩のように屈強な大男が座っても潰れたりしませんよ。内部をボルトで補強してあるんです。4本とも驚くほど強靱に作ってあります。それでいて表面の、なめらかな質感は損なわないように」
「本当。素晴らしい手触りですわ。こんなチェアは初めて……」
彼女はうっとりとした表情で椅子を撫でた。
「特に脚の曲線美にはこだわっています。理想的な形を保つのは難しいものでね。普段から、日に当たらないようにしているし、手入れも欠かさない。だから居間に置いて座ることができるのも、このような夜に限られるのです」
表面の滑らかなカーヴ、心地よいカワの感触――そして、先ほどまで座っていた人間の微かな温もりさえも、彼女の白魚のような指が感じ取っているのかと思うと、すっかり心が舞い上がってしまいそうだった。
「素晴らしいかけ心地でしょう。長時間座ってもお尻が全く痛くならない。一番の蒐集品ですよ」
「コレクション……他にも、この椅子のような素晴らしい品々があるのですか?」
娘の眉が微かに持ち上げられた。興味を抱いてくれたらしかった。
「よくぞ聞いてくださいました」
私は次々に、この家の秘蔵コレクションを挙げていった。それらを手に入れた過程も含めれば、夜が明けるまで語り尽くせる自信があった。
「例えば、この居間と廊下を区切る仕切り――」
私は立ち上がって障子の所まで歩いていき、その表面を撫でた。視覚に訴えかけることはできないが、その分説明のし甲斐があるというものだ。俄然、やる気が首をもたげていた。
「幻想的な、中国奥地の風景をモチーフに、彫り物を施してあるんです。思い浮かべてください。水墨画で描かれるような崖と滝のある、儚げな風景……。
もともと二つで一つだったのですが、ここには片割れしかありません。ですから片側は常に空いた状態。遮蔽はできないのです」
そこで言葉を切る。彼女が疑問の表情を浮かべたからだ。予想通りの反応に、私はますます調子づいて言った。
「不思議そうですね。私も本当はどちらも手に入れたかったのですが、ポリシーに合わなかったので。泣く泣く、片方だけを引き取ったというわけです」
「それは、さぞや無念だったことでしょう」
娘は心から同情してくれたようだったが、私はこの状態に十分満足していた。障子の真横を通る度に、時空を超越した旅を、そう、古い時代の中国へ行ったかのような気持ちになれるのだ。
次は梯子だ。持ってくるのは難しいので、言葉だけで魅力を伝えなければならない。
「地下へ降りる梯には、東北の寒村で見つけたものを使用しています。素材の特性を十分に活かし、確かな強度と、踏みしめる度に足の裏で味わえる愉悦を両立させた逸品です。
これを手に入れる時は、いささか苦労しましてね。私はこれと見定めた品は必ず手に入れる主義ですから、金に糸目はつけません。汚い手練手管を使ったこともあります」
梯子を迎え入れた時の苦労。今でも暗澹たる心地になる。もう少しで、あのがめつい老夫婦を手にかけるところだった。
「恐ろしいことを、なさったのですか」
私の心を読んだような彼女の一言に、ぎくりとなった。悪事を働いたことがないと言えば嘘になるが、それでも人を殺めたことなどなかった。一度たりとも。
「私自身が危険に晒されたことはあっても、誰かに害を加えたことなどありません。ですが、強引な手段を用いたことは、確かにあります……失望されましたか」
「いえ。あくまで理想に殉じようとするそのお姿は、敬服に値します。お話を続けてくださいますか?」
ああ、なんと。私には娘が聖女のように見えた。これはやはり、運命の邂逅だったのだ。彼女こそ、私が求めていたものに違いなかった。
はち切れんばかりの期待に胸を膨らませながら、私は唇を潤した。熱中して話したせいか、汗が出てきていた。私は懐から扇子を取り出し、顔をあおいだ。
「失敬、少し暑くって――そうそう、地下の奥の書斎にも、九州を旅した際に手に入れたものが飾ってあるのです。そっちは手で持つには大き過ぎて、実際に使うことはできませんが、刺繍が施してありましてね。どれだけ見ても飽きることはない美しさですよ」
扇子を手に入れた経緯は、誰に話しても恥じることのない美談なのではないかと思う。自信を持って娘に語ることが出来た。
「旅館を営む夫婦から譲り受けました。というのも、彼らは借金の厳しい取り立てに苦しんでいたのですが、私が肩代わりしたのです」
「なるほど、そのお礼というわけですか」
「ええ。実は夫婦にはまだ幼い娘がいたのに、一家心中しようとしていたというんですから、危ないところでした。旅館を訪れたのが数日でも遅れていたらと思うと、肝が冷えます。
今でも彼女は元気に暮らしていますよ」
これらの素晴らしい作品のことは、いつまでも語れるような気がした。出会いから、自分のものにした経緯、そしてその美しさを保つための、現在に至るまでの努力の数々。
「もっと実用的なものもあります。印鑑を記す時のこれなどは――失礼」
私は美しい手を取って、傍らに置いていた判子に触れさせた。表面を覆う漆のヒンヤリとした感触に、彼女は気持ちよさそうに口元を緩ませたようだった。
「私が利用しているのは馴染みの配送業者だけですが、その時だけ、コレクションの一部をみせびらかしているというわけです。彼らには蒐集の手伝いをして貰っていますから、ほんのお礼のつもりなのです――いや、失敬。いささか傲慢なことを申してしまいました」
私は口が止まらなくなっていた。喉の渇くのも気にせずに舌を回し続けた。彼女の視線――実際にはまぶたは閉じているのだが、その奥の、白く霞んだ眼球から、確かに視線が、熱く向けられていた。私は目を離せなかった。
美しい髪。白い肌。黒い髪。真っ黒な髪。小ぶりな鼻。美味しそうな丸い頬。美味しそう? そうだ、私はお腹が空いている。話し疲れた。すっかり、腹が減ってきた――。
彼女は、もうコーヒーを飲み干していた。そろそろ薬が、身体に回る頃だろう。




