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非道の王と災厄の魔女  作者: 春川 こばと
プロローグ
9/23

9

日増しにアゼリアの気温は上がり、肌寒さを感じることも少なくなった。フィズ・シャノン付きっきりのマナー講習も乗り越え、城生活もひと月が経とうとしている最近では、私の立ち居振る舞いに対する小言も稀に飛んでくるだけになった。しかし相変わらずシリウス・レイノルズとはウマが合わず、毎日「城仕えになれ」と勧誘してくることにうんざりしている、とある昼食時のこと。


「……見合い?」


デザートのミルフィーユを食べている手を止め、フィズ・シャノンの口から出た言葉を反芻する。指先でモノクルの位置を正したフィズ・シャノンは、特に表情を変えることもなく冷静に頷いた。


「そうです。1週間後、陛下のお妃様選びの大規模なお見合いを城で開きます」

「それはまぁ好きにすればいいが…。いいのか?お前の主がひどく不機嫌そうだぞ」


シリウス・レイノルズはかろうじて文句を吐いてはいないが、眉間の皺が深すぎて痕が残りそうな勢いだ。ティーカップを掴む指先にも、心なしか無駄に力がこもっているように見える。


「陛下が不機嫌なはずがありません」

「いや、誰がどう見ても不機嫌だろ」

「お妃様を迎えていただき、お世継ぎを産み育てていただくのも大切なご政務です」


…ああ、なるほどな。一国の王ともなると、そんなことまで仕事になるのか。だからシリウス・レイノルズも、不機嫌になっていても拒否はしないと。


「しかし、見合いを開くといっても相手はいるのか?『非道の王』なんて言われている男に喜んで嫁ごうとする女がいるとは思えんが」


疑問を素直に言葉にして、ミルフィーユを口に運ぶ。バターが薫るサクサクのパイ生地と濃厚なカスタードの相性は、もはや芸術だな…。ミルフィーユを綺麗に食べる技術を身につけるのに、どれだけフィズ・シャノンにしごかれたことか。


「エレノア様はご存知ないと思いますが、陛下に想いを寄せている貴族の娘や諸外国の姫は多くいらっしゃいますよ。そもそもお見合いの申し出があったのを、陛下が断わり続けていたんです」

「嘘だろ…!?コイツのどこに女に好かれる要素があるんだ…!?」


『非道の王』と呼ばれる男と結婚したがるなんて、どれだけ図太い神経をした女なんだ…!


「陛下は容姿が整っておいでですから」

「………見た目と地位か。わかりやすいな」


そういえば春の祭典のとき、シリウス・レイノルズの見目に執心してる女性は多くいるとエマも言ってたな。でも結婚するとなれば、もっと他に目を向けたほうがいいと思うぞ。


「それ以外で判断できる部分が無い、というのが正しいですね。陛下は女性の目を引きますが、直接お声をかける方もいらっしゃいませんので」

「ああ、さすがに話しかける命知らずはいないんだな」


頷きながら、紅茶を飲むシリウス・レイノルズを見る。眉間の皺は相変わらずで、それどころか私に向けてくる緋色の双眸の視線は痛いほどに鋭い。


「…何だ」

「いや、見合いに来た相手も、お前と話した瞬間に熱が冷めそうだなと思っただけだ。シリウス・レイノルズはいけ好かない男だからな」


しれっと告げれば、フィズ・シャノンもさすがに顔色を変え「エレノア様…!」と窘めてくる。けれど意外なことに、シリウス・レイノルズはいつものように不敵に口角を上げてみせた。


「俺のことより、貴様は自分の心配をするんだな。18歳で見た目と言動がそれとなると、嫁の貰い手が無いぞ」


コイツ…!お前のそういうところがいけ好かないと言ってるんだ私は…!

瞬間的に苛立ちが募る。がしかし、この件に関しては怒る必要が無かったことを思い出し、私はすぐに落ち着きを取り戻した。


「…お前の心配は無用だ。私は結婚する気が無いからな」

「そういえば貴様は『災厄の魔女』だったな」

「おい、そういえばとはなんだそういえばとは」

「ここ最近の貴様ときたら、フィズにマナーを叩き込まれケーキを食べ、時折城下へ遊びに出ているただの子供にしか見えんからな」

「く…っ!」


言い返したいが、言い返す言葉が出てこない…!言い訳をするなら、ひと月かけて城下をきちんと調べてから他の地域へ出ようと思ってたんだ…!でもそんなことまでコイツらに話すわけにはいかない…!


「私はこれでも忙しいんだ…!」

「忙しい、ね。なるほど?」


信じてないなこの男…!くそぅ、やっぱりシリウス・レイノルズとはウマが合わない。ひと月共に生活しようがこの調子なんだから、きっと私とコイツは根っから相性が悪いんだろう。

じっとりとシリウス・レイノルズを睨みつけていれば、フィズ・シャノンの咳払いが小さく食堂に響く。そして気を取り直したように、「エレノア様」と私を呼んだ。


「なんだ?」

「そういうわけで1週間後には国内外の王侯貴族とその御令嬢が多勢いらっしゃいますが、エレノア様は…」

「部屋に籠る。どう考えても面倒くさそうだからな」


王侯貴族なんて堅苦しそうだし、もしシリウス・レイノルズみたいな横柄で傲慢な性格をしたヤツらばかりなら腹が立って仕方ないだろうし。それなら部屋でケーキを食べていたほうが、有効的な時間の使い方と言える。


「さようですか。エレノア様もダンス以外のマナーはひと通り身に付けられましたし、折角ドレスと靴も仕立ててあるのですから、場慣れのため会場にいらしてはと思ったのですが」

「ダンスだけは何を言われようと絶対しない。…それよりなんの場慣れだ、なんの」


繰り返し言うが、私はこの城でずっと生活する気なんて一切無いからな。秋には森に帰るぞ、絶対。


「ダンスに関してはエレノア様があまりに頑ななので私も諦めています。けれどきちんとした言葉使いも習得していただいたのに、エレノア様はいざという時使えればいいんだろの一点張りですし」

「シリウス・レイノルズだってそうだろ。ま、いざという時なんて来ないだろうけどな」


これから先もそんな堅苦しい場に出ようとは思わないし、ドレスも靴も窮屈だから嫌いだ。


「とりあえずシリウス・レイノルズは気を引き締めて、未来のお妃様を見つけるといい」


他人事だから軽く言ってのけ、ミルフィーユを口に運ぶ。シリウス・レイノルズも結婚すればお妃様の相手をしなくてはならないだろうし、そうなれば私と顔を合わせる頻度も今より少なくなるだろう。必然的に「城仕えになれ」としつこく言ってくることも減るし、いいことだらけだ。

なんて、機嫌良くミルフィーユを頬張っていたというのに、シリウス・レイノルズから予想外な言葉をかけられたのはその日の夜のことだった。


……………………

………………

…………


キシリと、私の些細な動きに合わせてベッドが軋む。

それは恒例の、夜の報告の時間。契約を守り、私は毎夜かかさずその日どう過ごしていたかをきちんとシリウス・レイノルズに報告している。場所は食堂だったり執務室だったりと様々だが、今夜は珍しく私の部屋へシリウス・レイノルズが1人でやって来た。フィズ・シャノンが供についていないのは、このひと月の報告の時間では初めてのことだ。


部屋に来るなりベッドに座っていた私の腕を掴み、引き寄せるようにして耳元へ口を寄せてきたシリウス・レイノルズ。唐突な距離感にどう反応していいかわからず、ただ頬に微かに触れた黒い髪が擽ったくて、僅かに顔を横に逸らした。

…どういう状況だ、これは。

急になんなんだと文句を言おうと唇を薄く開いた矢先、耳元で「おい」とシリウス・レイノルズが囁く。


「……なんだ、いい歳して内緒話か?」

「ああ、そうだ」


………まさか本当に内緒話だとは。私とこの男の間で、ねぇ。察するに、フィズ・シャノンに知られて困る話か。


「いったいなんの用だ」


つられるように囁けば、部屋の空気が無駄に密やかさを増す。お互いの表情も読めないその状況でも、距離が近すぎるせいでシリウス・レイノルズが言葉を紡ぐために息を吸ったのが分かった。


「…貴様、魔法で姿を変えることはできるか?」

「………は?」


本当になんなんだ。2人きりで、距離を詰めて、声を潜めて、わざわざ聞きたいのがそんなことか?

ぽかんとしていれば、「どうなんだ」と答えを急かされる。変化の魔法。条件はあるけど…。


「できるが…それがどうした」

「なら大人の姿になって、見合いに出席しろ」

「…………は?」


この男が何を考えているのか、本当に理解できない。とりあえずこんな距離感でする話ではないなと結論を出し、掴まれていない左手で軽くシリウス・レイノルズの肩を押した。


「とりあえず一旦離れろ。まともに話しづらい」

「話を、」

「他の人間に聞かれなきゃいいんだろ?部屋に魔法をかける」


私の言葉に、シリウス・レイノルズはようやく腕を放して離れていく。まだ耳元で話されたときの感覚が残っているような気がして、私はベッドから下りながらわしゃわしゃと耳元の髪を指で混ぜた。

面倒ごとの予感をひしひしと感じつつも、仕方ないので詠唱を開始する。


「静寂の帳 夜幕を降ろし 斯くも耽美に秘言を覆え」


その間にシリウス・レイノルズは勝手に椅子へ腰を下ろし、じっと観察するように私を見る。魔法をかけ終えた私に、見合いの話でも再開させるのかと思えば。


「今日は詠唱するのか」


また…、下手に突っ込まれたくないところを。だからこの男の前であまり魔法を使いたくないんだ。


「気分だ。それより早く本題に入れ。どうして私を見合いに出席させたいんだ」


腕を組んで、座っているシリウス・レイノルズを見下ろす。うん、やっぱり私達にはこのくらいの距離が必要だな。お互いに手を伸ばしても触れ合わない、絶対的な距離。


「魔法で大人の姿になり見合いに出席した貴様に、一目惚れしたふりをする」

「はぁ?」

「後々になってそれが貴様のイタズラだと知り、今回の妃選びは穏便に終了」

「……つまりお前は、今回の見合いを台無しにしたいと?」


私の問いかけに、シリウス・レイノルズは無言を貫く。…沈黙は何よりの肯定、か。私を見据える真剣な表情に、ふっと小さく息を吐いた。


「妃を迎えるのも大事な政務なんだろ?」

「ああ、だから然るべき時にはきちんと妃を選ぶ。ただ今はまだ困る、というだけの話だ」

「どうして困るんだ?」

「………」

「お前な…」


そこでだんまりは、協力してもらう立場でどうなんだ。…まぁこれ以上追及したところで、こうなったコイツが事実を語らないということは短い付き合いの中で承知している。

私達はお互いに、自らの核心は語らない。深追いもしない。それが仲の悪い間柄でできた、唯一の暗黙の了解だった。


「…とりあえずきちんと妃選びをする時のために、遺恨を残さないよう今回の見合いを台無しにしたいということでいいのか?」

「そうだ」


私はシリウス・レイノルズが嫌いだ。男として以前の問題で、人としてどうかと思う。それは『非道』と呼ばれている時点で察しではあるが…、でも政務だけは真面目にやってるらしいんだよな。最低限の人員しか雇っていないせいでフィズ・シャノンは宰相なのに侍従としても動いているし、シリウス・レイノルズも普通の王族は自分でしないようなことも自分でしている。何を考えているかは解らないが、“何か”はちゃんと考えてる。


「そもそも、どうしてこんな時期に見合いするのを許可したんだ」


もっと早い段階なら中止にできただろ。いや、それどころか見合いの企画さえしなくてよかったじゃないか。


「フィズが今の時期を逃すと暫く妃選びをする時間が取れないからと、俺に黙って動いた」

「あー…、なるほど。最近じゃ、私の前でも世継ぎ問題についてぼやいてたからな」

「王位についてから時期ではないと断り続けたからか、ついに強硬手段に出てきた。俺自身、見合いの話を聞いたのは今朝だ」


それはまた…、フィズ・シャノンも強引な手を使ったな。らしいと言えばらしいやり口だが。


「で、思いついたのが私を使ったその方法だと」

「ああ」

「残念だがそれは無理だ。変化の魔法で姿は変えられるが、対象は動物に限られている」


私は魔法で子供の姿になっている。でもそれができるのは、『災厄の魔女』だけだ。他の魔女や魔法使いが変化できるのは、人間以外の哺乳類か鳥類のみ。年齢操作や人間としての容姿変化はできない。

大人の姿になった私が見合いを台無しにするということは、それが私の本来の姿だと他の魔女や魔法使いに知られるかもしれないということ。知られてはならないという決まりはない。けれど私は本来の姿は隠すものだと…“そういうもの”だと思っている。


「…そうか。では、魔法で王都の門か…橋か道を壊すのはどうだ」

「ば…っ、それで誰か怪我でもしたらどうする!」

「それもそうだな。商人が入国できないのも困る」

「猫になって出席してやろうか?猫を選んだ時点でご乱心扱いされるだろうが」

「………」


無言で睨んでくるのをやめろ。ただの冗談だろ。


「…誰か選んでおいて、時期がきてから結婚じゃダメなのか?」

「相手が王族や貴族の娘ともなるとそうもいかん。選んだ時点で伝統だのしきたりだのに則ったプロセスがある」


なんとも不自由なことだな…。結婚も子供を為すのも政務。何をするにも伝統やしきたりやマナーがついて回る。きっと私を城仕えにするのも政策上必要というだけで、シリウス・レイノルズの自由意志など含まれていない。それに対して、気の毒だなんて非道いことを思ったりはしないが。


「もしもの話だが、その見合いで一目で気に入る娘がいたらどうする?本当に、一目惚れするような相手がいたら」


くだらない質問だと嘲笑されると知った上で、あえて言葉にして問いかける。けれどシリウス・レイノルズは嘲笑することもバカにすることもなく、今まで見たことのないような柔和な微笑を浮かべた。


「そうだな…。そんな相手がいたなら、時期だのなんだのとくだらないことを考える前に、すぐ妃に迎えるだろう」

「………」


言葉が何も浮かばなかったのは、その声がどこまでも穏やかで、果てにどうしようもない諦めが映ったから。そんな現実は、きっと奇跡と呼ぶに相応しい。私とシリウス・レイノルズの立場は全然違う。違うけど、胸の奥で共感にも似た痛みが生じた。


「まぁ、貴様の魔法でどうにもならんなら仕方ない。別の手立てを考える」


それだけ言い、シリウス・レイノルズは席を立って普段の不敵な笑みを浮かべる。なのにまだかける言葉を見つけられない私に対し、何を言い残すこともなくシリウス・レイノルズは部屋を出た。

独りきりになり、しんしんと降り積もる静けさに息を止める。組んでいた腕を解き、右手でぎゅっと胸元を握った。


「…やっぱり、人間なんかと関わるものじゃないな」


ほとんど無意識に呟いた言葉は、紛れもなく私の本心だった。本当にこの言葉を深く痛感するのは、もっと先のことだったけれど。

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