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「今日は城下の者達と親しくなったらしいな」
「は…?」
夕食の席で、シリウス・レイノルズが唐突に口を開く。別に仲良く食事をしようとしたわけではない。私が1人で無駄に長いテーブルの端で夕食を食べていたら、あとからシリウス・レイノルズがフィズ・シャノンを供に食堂へ入ってきただけだ。先ほど言われて知ったが、フィズ・シャノン曰くシリウス・レイノルズの席は1番奥だと決まっているそうで、たまたま奥端に私が座っていたせいで運悪く距離が近い。
この食堂で食事ができるのは王族と客だけ。だからフィズ・シャノンと使用人は壁際で控えていて、私は今シリウス・レイノルズと2人で食事をするはめになっている。…昼食の時のように、執務室へ食事を運ばせればいいものを。
「どうしてお前がそんなことを知っている」
眉根を寄せながら、握ったフォークを肉料理に突き立てる。そんな私の所作にフィズ・シャノンは何か言いたげに目を細めるけれど、今朝の約束どおりマナー云々について突っかかってはこなかった。
「私の行動は監視しないという契約だろう。破ったのであれば、」
「別に監視はしていない。城下の警備兵が時計台の事故やその他諸々を偶然見かけて報告してきただけだ。契約違反にはならんだろう?」
しれっと答えて、シリウス・レイノルズは品良くグラスを持ち上げてワインを口に運ぶ。城生まれ城育ちの王族なのだから、マナーが身に付いているのは当然の話だ。当然の話だが、コイツに綺麗な所作を見せられると腹立たしいのは何故だ。
「…まぁそれなら違反にはなら、」
………ん?確かに違反はしていない。していないが。
「おい、シリウス・レイノルズ」
「なんだ」
「お前今朝、人が足りないから私を城下へ行かせたんじゃなかったのか」
城下に警備兵がいるなら、私がそんなことする必要無かっただろ。じろりと睨みつければ、シリウス・レイノルズは緋色の双眸をこちらへ向ける。そして小馬鹿にしたようにふっと笑い、視線を逸らさないまま口を開いた。
「ろくに事情を知らんヤツに、本気で視察を命じるはずないだろ」
「はぁ!?おま…っ、はぁ!?」
私の安眠を妨げておきながら、何をさも当然のように言い放ってるんだコイツは…!?
「じゃあなんのために私を城下へ行かせたんだ!」
「人間の中に放り込んだら、貴様がどんな行動をするのか興味があってな。ああ、もちろん何かあれば警備兵が“勝手に”報告してくるだけだから監視はしていない」
「なん、」
「飴菓子5つで人助けとは、『災厄の魔女』との契約は随分安いな?」
こちらの反応を楽しむかのように、意地悪く口角を上げたままのシリウス・レイノルズ。さらりと流れる黒い前髪の隙間から覗く緋色の目が、私の表情や動きをじっと観察している。
「貴様が食べたことのない菓子を5つやるから、城仕えにならないか?」
これでもかというほど馬鹿にしたもの言いに、カッと頭に血がのぼる。勢いよく椅子から立ち上がった拍子に、テーブルの上の食器がガシャッと音を立てて揺れた。
「断る!私はお前が大嫌いだ!」
怒りを投げつけるように言い放っても、シリウス・レイノルズは「そうか」と軽く流し食事を再開する。その様子にさらに苛立ちを煽られて、コイツをどうにかしろという念を込めて壁際のフィズ・シャノンを睨んだ。そうすれば、フィズ・シャノンも仕方ないとでも言いたげに息を吐く。
「…陛下、お戯れもほどほどに。それに貴女も、マナーについては言いませんがせめて食事中に席を立つのはおやめください」
「ちゃっかり私にまで小言を言うな」
「本当ならお伝えしたい小言などこの短時間で山のようにありますよ。デザートのケーキを用意させますから、ご着席を」
不服ではあるけれどケーキに釣られ、しぶしぶ椅子に座りなおす。シリウス・レイノルズを見ないようテーブルに頬杖をついていれば、フィズ・シャノンに指示された使用人がケーキの載ったお皿を運んでくる。メインの皿が下げられて、代わりに目の前に置かれたお皿に載っていた扇型のケーキには…見覚えがあった。
「…おい宰相、これはなんだ?」
「レモンケーキですね。クリームで飾られてはいませんが、そちらもれっきとしたケーキですよ。アゼリアでは春の祭典の時期によく作られます」
「ほう。ところで、ケーキはこの城の料理人にしか作れないんじゃなかったのか?」
声を低くして尋ねれば、何かを察したのか返答に少しの間が開く。答えを促すように強く睨めば、フィズ・シャノンは若干顔色を悪くして口を開いた。
「……そ、うなってますね」
「 しかし私は今日、レモンケーキをもう口にしている」
食べたのは四角い形にカットされていたが、形が違うだけで種類は同じだ。そりゃあ確かに、今目の前にあるレモンケーキのほうが見栄えはいいが。
「今日城下で貰ったものの中に、レモンケーキが入っていてな。作ったのは城の料理人…のはずがないよな?」
昨日と今日の昼食とティータイムに出されたケーキは全てクリームを塗ったものだったから気づかなかったが、クリームが無くてもケーキだったとは知らなかった。新たな発見ではあるが、今はそんなことどうでもいい。
「私を騙したな、シリウス・レイノルズ」
テーブルに両手をつき、ゆっくりと立ち上がる。さすがに食事の手を止めたシリウス・レイノルズは、それでも怯むことなく冷静さを保ち私を見据えた。
「契約内容に不備は無い。問題なのは貴様の無知だろう」
私は自分自身の権威に興味は無い。けれど『災厄の魔女』には、権威も畏怖も必要だ。たとえばシリウス・レイノルズの言うように、私が帰らずの森に隠れ住む物知らずであっても。私が『災厄の魔女』だと知られているのだから、馬鹿にされたまま放っておくことはできない。
「確かに私は人間の生活を知らない。早まってお前と契約を交わしたのは私の落ち度だ」
「えらく殊勝な言葉だな」
「ああ。それでもやはり、力関係ははっきりさせておくべきだろう?」
「やってみろ。貴様の詠唱より早く、」
シリウス・レイノルズの言葉は、壁の砕ける音で掻き消される。ひび割れ砕け落ちたのは、シリウス・レイノルズの背後の壁。使用人の悲鳴と、フィズ・シャノンの青ざめた表情。まさかこんなに早く昨夜の“仕掛け”を使うことになるとは思わなかったが…、瞠目して固まるシリウス・レイノルズを見られたからまぁいいか。
「誰が『詠唱しなければ魔法を使えない』と言った?」
「………」
「私を侮るなよシリウス・レイノルズ。私は私の思惑があって逗留を決めただけだ。お前ごときの脅しなど、私にはなんの効力もない」
緋色の双眸で睨みつけてくるシリウス・レイノルズを、今度は私が鼻で笑ってやる。それが癪だったのか、シリウス・レイノルズの眉間には深い皺が刻まれた。
昨日からの私の言動には矛盾がある。けれど人間達に、どこからがはったりなのかなんて見抜けるはずもない。
「契約上、この国の人間に手を出せないのが実に残念だ。その首が繋がっていてよかったな、シリウス・レイノルズ」
それだけ言い残し、私はケーキには手をつけず食堂を出る。足速に廊下を進み、急いで自室に戻ってからふっと小さく息を吐いた。
「……良かった、誰も傷つけなくて」
ぽつりと零した独白は、誰に伝わることなく消える。当たらないよう計算はしていたけれど、やはり人間に向けて魔法なんて使うものじゃない。
視線を落とせば、息遣いに合わせて微かに揺れる灰色の髪が目に入る。詠唱無しに魔法を使えたのは、昨夜元の姿でいるときに時間差で魔法を使えるように仕掛けをしたから。使えるのは仕掛け一度につき魔法1回。だけどどうしても、元の姿に戻ってもう一度仕掛けをしようとは思えなかった。
***
バラバラと、音を立てて本が床に散らばる。もはやお馴染みとなったその光景に拾う気力まで削がれて立ち尽くしていれば、コホンと当て付けのような咳払いが耳に届いた。
「はい、もう一度です」
「…いや、もうい、」
「もう一度」
言葉を被せられ、堪らずに「おい!」と声を上げる。するとモノクル越しに私を見据えたフィズ・シャノンは、「なんですか?」と至極落ち着いた様子で答えた。
「頭に本を載せて歩くなんて奇妙なこと、何度やらせるつもりだ…!」
「貴女が本を落とさずに歩けるようになるまでです」
「なんのために…!?」
「美しい歩行のためだと、何度もお伝えしているでしょう」
言いながら、床に散らばったままだった5冊の本を拾い上げる。そして当たり前のように、再びその本を私の手に押し付けた。
「…お前、私が怖くないのか」
昨日の夕食時私の魔法であれだけ血の気が引いてたっていうのに、昨日の今日でこうして朝からつきっきりで私にマナーを教え込んでいるフィズ・シャノン。シリウス・レイノルズとはあれ以来顔を合わせてないから知らないが…、あの男のことだから私に恐れをなすなんていう可愛げのある思考は持ち合わせていないだろう。
「貴女の魔法は確かに脅威ですが、ここに居る以上は契約に則り私を傷つけることはないでしょう」
「それはそうだが…」
「それに私は…、勿論陛下もですが、魔女や魔法使いなんてものは等しく強欲で傲慢なものであると端から理解しています」
「………」
「貴女の世間知らずも、どこまでが本気なのかわかったものではありません。貴女がいつまでも律儀に契約を守るという保証もありませんから、最初から陛下もお言葉ほど貴女を侮ってはいません」
それは…、結局怖がってるということじゃないのか。私の物知らずが演技で、いつか契約を破棄するかもしれないという可能性も考えてるなら、どうしたって魔法は脅威だ。
「…が、しかし、陛下はそれでもまだ貴女を城仕えにしたいとお考えです」
「はぁ!?」
「なのでいつそうなってもいいよう、10日で全てのマナーを完璧に身に付けていただきます」
「はぁ!?」
10日…!?朝から数時間、何度も本を落としてるっていうのに歩行だけじゃなく全てのマナーを10日…!?
「無、」
「因みに、陛下は3歳の頃全てのマナーを7日で身に付けられましたよ」
「7日…!?」
さすがに嘘だろうと疑いの視線を向ければ、フィズ・シャノンは嘘のはずないでしょうとでも言いたげに目を細める。3歳の頃に7日でだと…?どうせあの腹立たしいしれっとした顔をしてたんだろう。
「わかった、なら私は4日で身に付けてやる!」
「無理はなさらなくていいんですよ?」
「無理なわけあるか!3歳児が7日でできたんだぞ!?」
なら18歳の私は4日で身に付けて然るべきだろ!
胸の内で闘志を燃やし、再び5冊の本を頭に載せる。歩く前から不安定な状態に上目遣いになっていれば、フィズ・シャノンの溜め息の音が耳に届いた。
「『頭に本が載っている』と思いすぎなんですよ、貴女は」
「いや、だって載ってるだろ」
「何度も言ってますが、体の軸がブレないようにするのが目的なんです。背筋を伸ばし、肩を落として胸を張り、顎を引いて、目の前よりも少し遠くを見るようなつもりで立つんです。その姿勢が続いていれば、歩いていようが本は落ちません」
「背筋を伸ばして、…肩を落として、」
言われたことを小さく復唱しながら、立ち姿を調整していく。最後に少し遠くを見るように前を見据えれば、頭上の本は不思議とぐらつかなかった。
「ああ、立ち姿はなかなか様になりましたね」
「ほんとか!?」
振り返った瞬間、音を立てて床に落ちる本。途端にフィズ・シャノンの表情は、ひどく呆れたものに変わった。
「あー…、今のは私が悪かった…」
「…貴女は落ち着きも身に付ける必要がありそうですね」
小言を並べながらも、フィズ・シャノンは再び散らばった本を拾う。また私の手に押し付けられた本を「すまんな」と受け取れば、モノクルの奥から訝しげな視線を寄越された。
「貴女、ご自分から謝ったりするんですね」
「はぁ?何かしたら謝るのは普通だろ」
「いえ、そういうことではなくて…。『災厄の魔女』らしくないと思っただけです」
「………」
「まぁそもそも、『災厄の魔女』について知っていることなど皆無に等しいですが」
確かに、『災厄の魔女』なんて呼び名は禍々しさしか感じないからな。広まっている噂も、人の恐怖を煽るようなものばかりだし。かといって、ここで妙に『善い魔女』のように映っても困る。
「自分の非を認めないなんていうのは、小物のすることだ。例えばお前の主とかな」
ふっと笑ってやれば、フィズ・シャノンは分かりやすく眉根を寄せる。しかし言い返してこないところを見るに、やはりあの男は謝罪の言葉を口にしたりはしないんだろうなと薄っすら思った。
「基本的に私は温厚だ。謝罪もするし礼も言うぞ」
「…温厚な方は、城の壁を粉砕しないと思いますが」
「シリウス・レイノルズが腹立たしいのが悪い。夜の内に壁を元どおりに直してやったんだからいいだろ?」
またいろいろと言われるのが面倒だったから、誰にも見られない夜中の内に直しておいた。それはそれで、朝使用人の間でちょっとした騒ぎにはなったが。
「確かに業者を呼ぶ手間と修繕費は省けました。しかし今後はこの国の建造物や物を壊すのはおやめください」
「なら言動を改めるよう、お前の主に言っておけ」
話を終わらせて、姿勢を正して本を頭に載せる。…うん、立っているだけならコツは掴んだ。
「こういうことだろ?」
「ええ。糸口さえ掴めれば、貴女は飲み込みが早いようですね」
「なにせ4日で身に付けるからな!」
「…本気で仰ってたんですか」
むしろ本気じゃないと思ってたのか、お前は。3歳のシリウス・レイノルズに負けるなんて、癪でしかないからな。
「本気だから、早く歩くコツを教えろ」
「ですから何度もお伝えしているように、そのまま前を見ておくんです。自分の歩く道に真っ直ぐな線が引かれているとイメージして、その線に沿って歩きます」
「足を出すコツは?」
「今の体の軸が前後左右上下にズレないように」
前後左右上下って、全方面じゃないか。その言葉どおりに足を出せたら、確かに本は落ちないだろうが。
「貴女が本を落とさず歩けるようになったら、昼食にしてテーブルマナーに移りましょう。その後採寸して、ドレスを1着と靴を1足作ります」
「待て宰相、なんのためのドレスと靴だ」
「マナーのためのドレスです。女性は重く動きづらいドレスを着つつ高いヒールの靴を履き美しく振る舞えることで、初めてマナーを身に付けたと評価されます」
「…なら歩行も食事も、」
「その薄い服と平たい靴ではなく、動きづらいドレスと靴でできてこそです」
当たり前のように告げられて、先の長さに愕然とする。ドレスなんて着たことないが、アレは絶対に動きづらいだろ…!自前のこの服でさえ、歩行困難な状態だっていうのに…!それに加え、ずっと背伸びを強要してくる靴を履けと…!?
私の心中を察したのか、フィズ・シャノンは「10日にしますか?」と涼しい顔で聞いてくる。一度言葉にした以上引っ込みのつかない私は、その問いかけに「4日だ…!」と答えるしかなかった。