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非道の王と災厄の魔女  作者: 春川 こばと
プロローグ
3/23

3

真っ白な陶器のバスタブの湯面で、浮かべられていた桃色の花弁と共に私の灰色の髪がゆらゆらと広がり揺蕩う。石鹸の清潔な匂いの中に花の淡い香りが混ざり、湯気で霞むバスルームはどこか幻想的だった。

もうどのくらいこうしているだろう。

毎夜湖で水浴びをするだけだった身としては、初めて入った温かいお風呂は衝撃的だった。心地良さに指先から融けてしまいそうで、時折右手をお湯から出して存在を確かめる。確かめては手を沈め、目を閉じ心地良さに浸るという行為を飽きもせず何度も繰り返していた。


「…人間というのは、なんとも贅沢な暮らしをしているな」


ぽつりと呟いた言葉が予想外に響き、バスルームでは声が反響するのかと驚いて口を噤む。数秒動きを止めて神経を研ぎ澄ませるけれど、今の声で誰かが近寄ってきた気配は感じずふっと肩の力を抜いた。

…くそ、色々と勝手が違いすぎて困る。そろそろ水鏡で妖精達と連絡をつけようと思っていたのに、これじゃあ誰に聞かれるかわかったものじゃない。


「………」


…まぁ今くらい、元の姿に戻ってもいいか。お風呂の世話をすると言ってきた侍女にも「呪われたくなかったら近寄るな」と言って脅しておいたし、見られる心配もないだろう。

立ち上がり目を閉じて、自分にかけていた魔法を解く。くらりと一瞬酔ったような感覚のあとに目を開ければ、壁にある姿見には本来の自分の姿が映った。


灰色だった髪はウェーブがかった長いブロンドヘアになり、紫色だった双眸は碧色に変わる。手足も身長も歳相応に伸び、身体のラインも子供から大人の丸みのあるものに戻っている。

この姿で18歳だと告げれば、疑う者なんてきっと居ない。しかし妖精以外に見せることのない姿なのだから、子供扱いされるのもまぁ仕方のない話だ。


水鏡を、と望んだ瞬間には、詠唱もなく宙に浮く巨大な水鏡が出来上がる。続けざまに誰もこの場に入れない魔法と声が外に漏れない魔法をかけ、「聞こえる?」と水鏡に向かって声をかけた。水鏡の表面に波紋が広がったあと、3人の妖精達の姿が映る。私の手のひらに載ってしまうほど、小さくて可愛く綺麗な妖精達。


元の姿になった私にとって、魔法は手を動かすのと同じようなものだ。『こうしよう』と思った瞬間に動くのと同じで、思った瞬間に魔法が成立している。そして際限無く、一度に複数の魔法を重ねられる。杖も詠唱も不要で無限に魔法を繰り出せるという、『災厄の魔女』にだけ与えられている能力。世界中の魔女と魔法使いが束になっても私には敵わないというのは、こういった意味からでも真実だった。…まぁ子供の姿になっている時は、条件が揃わない限り詠唱必須ではあるけれど。


【…………!】

「うん。今は誰にも見られる心配が無いから、この姿に戻った。この通り無事だから心配しないで」

【…………!】

「そうかな?みんなのほうが綺麗だよ」


妖精達は本来の姿の私を見るたび、絶世の美女だと褒めてくれる。それが人間達の噂として広まっているのは謎だけど…。でも私にしてみれば、妖精のみんなのほうがよっぽど綺麗だ。ずっと一緒に生活してるけど、毎日そう思う。


【………?】

「うん、あのね、私しばらくアゼリアの城住みになることにしたんだ。『非道の王』が居るところ」

【!!】


もともと大きな硝子玉みたいな目をさらに大きく見開き、バタバタと飛び回って困惑する3人の妖精達。そのうちの1人がとうとう泣いてしまいそうになって、私は慌てて口を開いた。


「大丈夫!『非道の王』って呼ばれてても相手は人間だし、それにずっとじゃないから!秋になったらまた試練を受けに見習いが森に来るでしょ?それまでには絶対帰る。そういう契約を交わしてる」

【………?】

「嫌になってないよ、私は『災厄の魔女』だもの。それにちょっと早いけど、選定の準備も兼ねればいいかなって。ギリギリに慌てるより、色々と知っておけばその時により良い判断ができると思って」


笑いかければ、妖精達もやっと落ち着いたのかほっとした表情を見せる。心配しなくても、私が帰らずの森の外でずっと暮らすなんて有り得ない。そんなことみんなはとっくに理解してると思ってたけど…、やっぱり理解と不安は別物なのかな。


「あのね、みんなに話したいことが今日だけでもたくさんあるんだよ。でも1番したい話は、ケーキっていうのを食べてね」

【………?】

「んっと、柔らかくてふわふわしてて…。あっ、ちょうどこのスポンジみたいな!これよりもっとふわふわだったけど」


初めて食べたケーキのこと、美味しい紅茶を飲んだからみんなへのお土産にしようと考えていること、果てはシリウス・レイノルズの憎たらしさを、妖精達に話して聞かせる。いつまでも話していたくて、結局私はバスタブのお湯が冷えるまで、ずっと言葉を並べていた。


***


寝る前までは気分が良かった。最終的に冷えてしまったけどお風呂は気持ち良かったし、妖精達とも楽しく話せたし、用意された部屋も広くて豪華。そしてベッドも大きくてふかふかだった。元の姿に戻ったついでに、ある“仕掛け”もしておいた。

…そう、寝る前までは気分が良かった。


「……なんのつもりだシリウス・レイノルズ」


不遜な態度で私を見下ろしているのは、今日も朝一から憎たらしいシリウス・レイノルズ。どうして目覚めてすぐにコイツの顔を見なくちゃならないんだ。というか、どうして私がコイツに起こされなくちゃならないんだ。


「起きろ。仕事だ」

「ふざけるなよ。私の行動を制限、監視はするなと言ってあっただろう」


私は眠いんだよと、頭から布団を被る。しかしすぐに引っぺがされ、その間に宰相のフィズ・シャノンがカーテンを開けたことによって攻撃的なほど眩しい日光を浴びることになった。思わず日光に悶えれば、シリウス・レイノルズは嘲るように笑う。チッという私の舌打ちの音が、広すぎる部屋に虚しく響いた。


「有事の際は協力しろと言ったはずだ」

「どこが有事だ。平和すぎて外で鳥が囀ってるだろ」


せめて爆発音でも轟かせてから『有事』と言え。どう見ても春の穏やかな朝じゃないか。


「じきに春の祭典が催される」

「春の…?ああ、立春の5日後に各国で行われる祭のことか」


どうやら盛大らしいということは、私も聞いて知っている。世界中の国々が同時に祝う春の祭典は、1年で最も盛大なイベントだ。花火が開き、花弁が舞い、歌が流れる賑やかな1日を過ごす。


「それのどこが有事なんだ」


ふあっと欠伸を零し、ベッドの上でのそのそと上体を起こす。顔にかかった灰色の髪を右手で後ろに払ったあと、指先で目元を擦った。

…くそぅ、やっぱり眠い。私は自分が自然に目を覚ますまで、誰にも起こされたくない主義なんだよ。


「貴様には城下の様子を見てきてもらう。準備が間に合いそうか、不備は無いか、その他諸々を見て報告しろ」

「はぁ?そんなの自分で行け」

「あいにく俺は忙しいからな。それに、顔も知られているから隠れて偵察も難しい」

「なら部下に行かせろ。宰相とか」


壁際で控えていた宰相を指差せば、モノクロ越しに目が見開かれる。宰相は反射的に口を開いたけれど、眉根を寄せてから冷静さを取り戻すように深く息を吐いた。


「…陛下も私も、進めなければならない政務が多々あるんです」

「じゃあ兵でも使用人でもいいだろ」

「よろしいですか。宰相である私が陛下の付き人を兼任しているように、この城には今、必要最低限の人員しかおりません。春の祭典準備で城内の仕事も増えていますから、こうして貴女にお願いしているのです」


いや、シリウス・レイノルズのはお願いではなく命令だったぞ。しかしそうか…、広間でも他の場所でも、あまり人に会わないのはそのせいか。こんなに巨大で広大な城なのに、働いている人間が極端に少ないんだな。なんとも侵入も征圧も容易そうな城だが、『非道の王』の名がある種の防犯対策になっているのかもしれない。普通の感性を持っていれば、シリウス・レイノルズのような人間を相手にはしたくないからな。


「事情は理解した。だが断、」

「断っていただいても結構ですが、その場合は城でみっちりマナー講習を受けていただきます」

「………」

「しかし引き受けてくださるなら、昼食のデザートにティータイム、夕食のデザートにそれぞれ別種のケーキをご用意いたしましょう」


コイツ、にこやかに断れないような提案を…。さすがシリウス・レイノルズの治める国に仕える宰相とでも言うべきか。私に対して恐怖心は持ってるくせに、ちゃっかり図々しい。


「…わかった、仕方ないから見てきてやる」


コイツらの思うように動くのは癪だが、城下の人間の暮らしを見るのは初めてだし、それに1日でケーキが3種も食べられるのだから別段悪い話というわけでもない。逆にマナー講習なんて、面倒この上ないしな。


「引き受けていただけてようございました。本日の朝食はいかがなさいます?」

「朝はもともと食べないから何も要らん。顔を洗ったら適当に城下へ出る」

「かしこまりました。ではマナー講習は明日からに致しましょう」

「はぁ!?聞いてないぞそんなこと!」


今日だけの話じゃないのか!?城下に行けばマナー講習を回避できると思ったのに…!


「マナーなんぞ私には必要無い!」

「いいえ、城で生活するからにはいつ必要になってもおかしくありません。マナーが身に付いていなければ食べ辛い形状のケーキもありますし、子供の内からマナーを身に付けておけば将来役立つことも多いはずです」

「だから子供でもないと言ってるだろ…!」

「それでは尚の事、レディーとして必要ですね」


私と宰相のやり取りに、シリウス・レイノルズは昨日と同じようにくつくつと喉を震わせて笑う。

本当になんなんだコイツらは…!偉そうだわ子供扱いするわ面倒を押し付けてくるわ、人間ってのはこんなのばっかりなのか…!?


「お前ら本当に覚えてろよ…!」

「まるで三流の捨て台詞だな」

「黙れシリウス・レイノルズ!出掛ける準備をするから、お前らさっさと部屋から出て行け!」


キッと睨みつければ、シリウス・レイノルズは薄く笑いながら、フィズ・シャノンは溜め息を吐きながら部屋を出て行く。扉が完全に閉まったのを見届けてから、私は八つ当たりで大きな枕を数回叩いた。

…おかしい、私はこれでも一般的に畏れられている存在のはず。なのにこの扱いはなんなんだ。偵察だのマナーだの、必要の無いことばかり。


「人間は本当に面倒くさい…」


はぁ、と深い溜め息を落とす。これから先出会う人間が全員こんな調子だったら、選定が難航する気しかしない。早めに準備するのは、思っていた以上にいい案だったかも。森に帰るまでには、人間の本質を見抜けるようになっておきたい。


「よし、頑張るか」


意気込みを新たに、ひょいっとベッドの上から飛び降りる。城下へ出掛ける準備をするため、部屋に備え付けられているパウダールームへと足を向けた。

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