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「まぁ気楽にして茶でも飲め」
「…短剣ちらつかせるヤツの前で気楽にできるか」
広間から場所を変え、連れてこられたのはシリウス・レイノルズの執務室。部屋の脇にある真っ白いクロスが敷かれた丸いテーブルの上には、先ほど使用人が準備したティーセットが置かれている。紅茶の芳醇な薫りが部屋中に広がっていて、妖精達が傍にいれば喜びそうだなとふと思った。…褒められるのは匂いだけで、それ以外は最悪の状況だが。
私の向かいに座るシリウス・レイノルズは、獲物でも狙うような目付きでじっとこちらを観察している。使用人達はお茶の準備だけしてささっと出て行ってしまい、この部屋にいるのは私とシリウス・レイノルズ、そして少し離れた場所で控えている宰相のフィズ・シャノンだけだ。
「お前、私が帰るのを邪魔してまで何がしたいんだ」
腕組みをしながら問いただせば、シリウス・レイノルズは目を細める。この男の無駄に整った顔で見据えられると、どうも泣かせてやりたいという欲求が湧く。いい加減、私を舐めすぎなんだ。普通はそこの宰相みたいに、私の顔色を窺うものだぞ。
「始めに言っただろ。貴様、…『災厄の魔女』をアゼリアの城仕えにしたい」
「断る」
「理由は?」
理由なんて腐るほどあるが…、そもそも多くの魔女や魔法使いが各国の権力者に仕えているのは、贅沢な暮らしができるからだ。その『贅』は富であったり衣食住であったり、ただの戦好きであったり魔法研究のためであったりとそれぞれだが、メリットがあるからそこに住んでいるだけ。そうでないなら、誰が表面上でもただの人間なんぞに“仕える”か。傲慢で強欲でなければ、魔女にも魔法使いにも成れていないのに。
…それでいくと、この男は魔法使いに大いに向いているな。妖精の“祝福”さえ受けていれば、試練のために私のもとへと来ていたことだろう。
「私にメリットが無い」
「見返りならなんでも用意してやる。金か、宝石か、ドレスか…」
「そんなもの要らん」
「女の生き血か?」
「阿呆かお前…!?要らんに決まってるだろ!」
ガタリと椅子を揺らせば、シリウス・レイノルズは「血を浴びるというのはやはりただの噂か…」と冷静に呟く。
噂…。『災厄の魔女』の噂は、いったいどこまで尾鰭背鰭がついているのか。魔女や魔法使いは『災厄の魔女』について何も語らないし、人間はこの手の信憑性の無い話が好きらしいから、私としても諦めてはいるが…。
「1人で世界を滅ぼせるというのは本当か?」
「………」
なんだ、今度は私の噂の真偽に興味を持ち始めたのか?阿呆め、そんなもの答える義理は無いわ。
「世界中の魔女と魔法使いが束になっても、貴様1人に敵わないというのは?」
「………」
「先ほど18歳だと言っていたが、神話の時代から生きているという話もあるな」
「………」
「絶世の美女…というのが嘘なのは解ったが」
「…お前な。国ごと潰されたくなかったら、いい加減口を慎めよ」
声低く威嚇すれば、宰相が「陛下…!」と慌てたように注意する。しかしシリウス・レイノルズはどこ吹く風で、態度どころか表情さえ変えようとはしない。
「金も宝石もドレスもメリットにはなり得ないか。あと子供が好きそうな物は…」
「おい、お前いま私を『子供』と言っただろ」
「フィズ」
「聞けよ」
本当に腹立たしいな。もう詠唱せずに魔法を使えるようになってやろうか。…いや、落ち着け。大人はこんなことで意地になったりしない。
そんなことを私が考えている間に、シリウス・レイノルズに命じられた宰相は壁際に置いてあったカートの上からお皿を手に取る。
「私は宰相であって使用人ではないんですけどね…」
そう言いながらも私の目の前に置かれたお皿の上には、瑞々しい真っ赤な苺で飾られた白い滑らかな…甘い匂いのする……なんだコレ。
「おい宰相」
「はい?」
「コレはなんだ?」
「見たままの苺のケーキですが…、お嫌いですか?」
若干びくつきながら、モノクル越しに私を見る宰相のフィズ・シャノン。嫌いかどうかと聞かれても…。
「どうだろうな。食べたことが無いし、見るのも初めてだ」
「えっ!?貴女は普段何を召し上がってるんですか?」
「基本的には果物だな」
お茶やお酒は妖精が好きだから飲み物は作るけど、料理に関してはなんの知識も無い。調べるほど興味も無いし、どうせ食べるのは自分だけなのだから、手っ取り早く果物で充分だ。
「存外質素な暮らしをしているんだな」
「黙れシリウス・レイノルズ」
事実だとしても、お前に言われるのは無性に気にくわない。宰相のどことなく憐れんでいるような視線は…、癪ではあるがまぁ許してやる。
「変な物入ってないだろうな」
「ええ、どうぞ安心してお召し上がりください」
「ん」
頷いたものの、初めて見るものをすぐに口に入れるのはさすがに…。警戒心を捨てきれず、ひとまず皿の端にあった苺を摘んで口の中へ放り込む。そうすれば間髪入れずに、「手掴みですか!?」と宰相の驚いた声が部屋に響いた。
「なんだ、手じゃ駄目なのか?」
「フォークもご用意してあるでしょう…!」
「…ふぉーく」
私と宰相のやり取りを見て、シリウス・レイノルズはくつくつと喉を震わせて笑う。ギッと睨みつければ、シリウス・レイノルズは意地の悪い笑みを浮かべたまま「フィズはマナーにだけは煩いからな」と告げた。
宰相は私を畏れて怯えているくせに、マナーが絡むとつっかかってくるのか…。シリウス・レイノルズといい、フィズ・シャノンといい、この城の連中は本当に面倒くさいな。
「フィズ」
「…かしこまりました」
私の側を離れ、宰相は再びカートに歩み寄る。そしてケーキの載ったお皿をもう一枚手に取り、それを今度はシリウス・レイノルズの前に置いた。
「こうやって食べるんだ」
そう言って、シリウス・レイノルズは私に手本を見せるようにフォークを使いケーキを切り分ける。何を偉そうにとでも言ってやろうかと思ったが、その所作はマナーを知らない私の目から見ても綺麗で卒がなく、結局文句を言うのはやめた。見よう見真似でフォークを使い、ぎこちなくケーキを切り分ける。……わぁ、すごく柔らかい。熟れた果実の蕩ける柔らかさとは違い、ふわふわと軽い弾力のある柔らかさだ。
「フォークは食えないぞ」
「いくら初めてでも食べ物と食器の見分けくらいつくわ…!」
シリウス・レイノルズとは違い、私の手元でふるふると無様に震えるフォーク。載せたケーキが落ちてしまわない内にぱくりと口に含めば、「しっかりしたマナー指導が必要ですね…」と宰相が溜め息混じりに呟いた。しかし今はそんな言葉もまるで気にならない。今大事なのは、初めて食べたケーキの味だ。
「美味しい…!」
わぁぁぁ…!何これ甘くてふわふわでとろっとしてて、今まで食べた物の中で1番美味しい!!
「こんなものを作れるなんて、見直したぞ宰相!」
「いえ、作ったのは私ではないですが…。お口に合うなら宜しゅうございました」
慣れないフォークを駆使して、はくはくと夢中でケーキを食べ進める。
ああ、妖精達も物を食べられるならお土産にしたのに。今まで口に入れたどんなものよりも美味しい。食べるだけで幸福を感じられるような味だ。
「まだ召し上がれるなら、おかわりもありますよ」
「ほんと、」
「待てフィズ」
本当か!と反応しかけた私の言葉を遮って、シリウス・レイノルズは意地の悪い笑みを浮かべる。その顔を見た瞬間に嫌な予感がして、私はくっと眉根を寄せた。
「城仕えになればケーキを食わせてやるぞ、『災厄の魔女』」
「…そう言ってくる気はしてたよ」
この性悪が、…と言ったところで無意味だな。なんと言ってもコイツは、『非道の王』と呼ばれる男だ。遠慮無く短剣ぶん投げてくるようなヤツが、善意で何かを差し出してくるとも思えない。
「なら結構だ。他所で食べて帰る」
「残念だが、ケーキを作れるのはこの城の料理人だけだぞ」
「な…っ」
嘘だろ…!?………いや待て。確かにこんなに美味しいものが、その辺で簡単に入手できるとは思えない。街に出たところで、庶民の食卓には並んでいないだろう。
「仮に貴様が城仕えになれば、毎日ケーキを食わせてやるがな」
「毎日…」
「ケーキにはたくさん種類があるから、飽きることもないだろう。これより更に気に入るものがあるやもしれん」
「これより…さらに…?」
この苺のケーキがこんなにも美味しいのに、これよりも美味しいケーキが食べられるかもしれないのか…!?
くそ、なんて魅惑的な条件を…。
「どうする?『災厄の魔女』」
「………」
今は立春の直後で、当分は魔女としての仕事も無い。しかし私は普通の魔女や魔法使いとは違い、あの森を出てずっとどこかに住むなんてことは不可能だ。…でもケーキは食べたい。
こうなれば、背に腹はかえられんか。
「…城仕えにはならない。しかし条件次第では、期間限定の城住みになってやる」
「条件とはなんだ?」
「ひとつ、私がここに逗留するのは長くて秋まで。秋には森へ帰る。ふたつ、帰るときには必ず声をかけるから私の行動を制限、監視はしないこと。みっつ、私がここの城住みになったなどとは他国に広めないこと。よっつ、毎日ケーキを食わせること。…これを守れるなら、しばらくはこの城に居てやる」
「それだとこちらにあまりメリットが無いな」
ふむ、とシリウス・レイノルズは口元に手をやって逡巡する。…まぁそうだろうな。もともとコイツの意向は、『災厄の魔女』の名を借りて他国や反乱分子を征圧することだ。それができなければ、私をこの城に留める理由も無い。
「ならこちらからも条件だ。ひとつ、有事の際には正体を隠したままでいいから俺に協力すること。ふたつ、貴様が完全にこの国の城仕えになるよう何度でも交渉させること。みっつ、この国の人間には手出しをしないこと。よっつ、制限はしないが毎晩その日に何をしたかは報告しろ。総て了承するなら、貴様からの条件も呑んでやる」
シリウス・レイノルズの緋色の双眸と真っ直ぐに視線が絡む。思惑はそれぞれにあるが、お互い口を閉じてじっと対峙するだけ。
これは欲に負けた愚行だろうか。でもこれを下準備と思うのなら、決して無為な時間ではない。どうせこの先、少なくとも一度は人間の生活に関わる時がくる。
シリウス・レイノルズからの条件なんて、どれも有って無いようなものだ。
「いいだろう。私もお前の条件を総て呑んでやる」
ふっと軽く笑い、了承の言葉を口にする。
「なら契約成立だな。条件を違えてくれるなよ、『災厄の魔女』」
「安心しろ。私は嘘は吐くが、契約は破らない。お前こそ、魔女との契約がどれほど恐ろしいか肝に銘じろ。違えれば国ごと消滅するぞ、『非道の王』」
立春の翌日は、いつも寝覚めが悪い。しかも今年は寝覚めの悪さに加え、予想だにしていなかった出来事が起こった。『非道の王』シリウス・レイノルズと契約を交わし、あろうことか共に生活することが決まるとは…。
まぁ短期間の休暇であり、長めに得た準備期間のようなもの。今後の『災厄の魔女』としての務めに、なんら悪い影響は及ばない。