下
玄関に誰かいる。
勘弁してくれよ、と思いつつ、ひょっとして警察かと身構える。何せ向こうからすれば、誰もいないはずの家の中に誰かがいるのだ。
玄関に向かいながら、しかし来るときここまで苦労したのに誰が来たんだろう、この土地の人には簡単に来られるルートでもあるのだろうか、あ、役場の人か郵便局の人かもしれないな、と思いつつ、別に私は勝手に入ったわけではないんだ、この家の持ち主に…まだ持ち主なのだろうか?ともあれこの家の関係者に頼まれているのだ、何もやましいことはしていない、と思い、「はぁい」と返事をしてドアを開けた。
シルクハットを被り、タキシードを着た老人がいた。
何も言えず黙ってしまった私に、老人は帽子をとって挨拶をした。
「初めまして。○○と申します。ちょっとお願いがあって来ました」
顔立ちは上品で、なんとなく外国人の感じもする。日本人といえば日本人だし、外国人といえば外国人に見える顔だ。名前の部分は聞き取ることができなかったのは、外国人の名前だからだろうか。
「すいません、お名前をもう一度よろしでしょうか?」セールスの電話でもそうなんだが、初対面の相手に流暢に名前を言ったって、聞き取れないものだろうに。
「○○と申します」やはり聞き取れない。
「すいません、ちょっと発音が難しいようで聞き取れないです。で、ご用件は?」どこから来たんですか?とは聞けない。
老人は顔をしかめるでもなく要件を切り出した。
「ここからずいぶん離れたところで盗難事件がありましてね。犯人は捕まえたのですが、盗んだ物をこの家に置いたと言ってまして。よろしければお返し願いたく参上した次第でございます」
「盗んだ物ってなんでしょう?私も今日この家に来たんですが、何もありませんでしたが」
「これくらいの箱に入った指輪です。この家の二階の勉強部屋にあった机に置いたと言っています」
「机の上って、さっき見ましたが、何もありませんでしたよ?」
「いえ、こういうのがあるはずです」と老人は懐から印刷された紙を出した。そこには箱の画像と指輪の画像の二つが印刷されていた。
あまりの言葉の力強さに、見落としたのかなぁと自信がなくなり、紙を受取り
「えー、そうですかぁ…もう一度見てきますね」と階段を上った。
あぁ、柱時計の時報は立ち会えなかったな、と思いつつまた勉強部屋の扉を開け…あった。
机の上には箱があった。箱の存在感は、絶対に見逃すはずのないものだった。
さっきは無かったのに、なんで?と思いながら箱の蓋を開けると、画像の指輪が入っていた。
石は無く、鉄とも銀とも違う質感の金属で丸みを帯びている中に細かい装飾がびっしり刻まれている。
なんだこれは?
しかしまぁ、盗まれた物であれ、あの人の物であれ、返さないといけないよな、来てるんだし、と悪いことも思いつけない。
部屋を出ながら、いや、そうではない、私は仕事を邪魔されたんだ。時報に立ち会えなかったのは私のこだわりでしかないにしろ、私の思っていた流れを邪魔されたんだ。
だったら私も老人に要求したっていいのではないか。
そんなことを思ったが、玄関の外で待っている老人を見ると、敵わなそうというか格が違いそうと弱気になってしまう。
「ありました。これですね」
「よかったです。渡してください」老人がほっとする。
「この指輪を見たとき、私はアラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」を思い出しましたよ」
「ほう」すぐ返さず話を続けた私に、老人は別に不快の表情はせず、会話を受け止めてくれた。
「魔法使いがアラジンを洞窟に入れ、ランプを持ってこさせようとした、しかしアラジンは洞窟を怖がって入るのが嫌だという。そこで魔法使いは指輪を渡し、何かあったらこの指輪をこすれと言いました」
「ほう、それで」
「ランプをこするとランプの精が出るように、指輪をこすると指輪の精が出るのですね。ランプの精ほどではないけど指輪の精もなかなかの力を持っていて、何回かアラジンを助けたんです」
「ふむ」
「この指輪って、そういう類いのものではないですか?」
老人は、いかにも面白いという笑みを浮かべ、
「もしそうなら、どうしますか?」
「どうしますと言われても、だからといって普通の人間である私が、何をどうもできません。でも「悪魔は魂と引き替えに三つの願い事を叶えてくれる」と言うじゃないですか、この指輪は私の魂なんかより価値があるものだと思うので、この指輪と引き替えに願いを三つ叶えてもらうのってどうでしょうか」
言ってるそばから自信が消えていき、最後はゴニョゴニョと、まぁ言ってみただけですどうせ駄目ですよね、という語尾になる。
しかし老人は
「私が魔法使いと思われているのか悪魔だと思われているのかはっきりしませんが、その三つの願いとはなんですかな。興味ありますな」紳士的な姿勢そのままである。
「えぇ…一つ目は、私を語学の達人にしてください。旅が関わる依頼が多いので、外国の言葉ができるようになると、助かるんですよ。どんな言葉もぺらぺらすらすらと読み書き出来るようになりたいです」
「ふむ、二つ目は?」
「相手の名前が解るようにしてください。相手の本名と、言われたがっている名前が解るようにしてください」
「なるほど。三つ目は?」
三つ目は、ずっと冒険活劇小説を読んできて、全ての主人公が悩み足を止める困難を帳消しにする力を口にした。別に私は冒険活劇になるような仕事はしていないし、この先もそんな目に遭うことはないだろう、しかし大金を願うよりも不老不死なんかよりも、欲しいと思い続けてきた力を口にした。
「ええ、構いませんよ」
「え!いいんですか!」思わず大声になってしまう。
「三つとも、あなたが寿命になったらそのまま終わるものですからね。他人に強く影響を及ぼすものでもなく、あなたの死後も続く能力でもないので、全く構わないですよ」
「あぁ、では…」と箱を渡そうとしたが、老人は指を伸ばして私の額にあて、
「私を信じてください」言い、力を込めた。
頭に衝撃がきたがすぐに済み、
「脳を少しいじりました。後遺症はありません」
ぐらぐらした頭を抑えながら
「特有の、意地悪な、言われなかった副作用なんてのは…」悪魔特有の、とは言えなかった。
「大丈夫です。信じてください。自分の欲をきっちり自覚して、ちゃんと交渉する人は、好きなんですよ」
いつの間にか老人の後ろに子供がいた。
その子が黙って手を伸ばし、指輪を要求する。渡さぬ道理はない。箱を掌に乗せる。子供は表情を変えず指輪を確認し、ポケットに入れた。
「では、ご協力を感謝します」老人は子供と去りかけたが
「あの!この先、あなたから何か仕事を依頼されることって、ありますかね!」と声を掛ける。
老人は私を見返してにやりと笑い、
「その時はまた、よろしくお願いします」と会釈し、子供と山のほうに去って行った。
やはり緊張していたのだろう、がくりと肩が落ちた。
大きな溜息をついて、自分の仕事を思い出す。
応接間のドアを開け、一歩足を入れた途端、時報が鳴り始めた。
依頼人に頼まれたものを全て渡した。印刷された箱と指輪には覚えがないらしい。私はすぐにこの紙を焼き捨てた。