中
初日。
いざ役場に到着してみると、誰もその開発を知らなかった。若い人が知らないのは無理もないだろうが、年配の人も皆知らないという。
手紙の宛名をデジカメに撮っていたので見せると、年配の人ほど大きな溜息をついて深く思い出そうとしてくれるのだが、地図を引っ張り出しても記録を探しても、それでも解らない。
このあたりを通るバスがあることは調べていたので、乗り場や時間、降りるのに近いバス停、帰りのバスの時間などを教えてもらい、役場を出た。そして(あ、手紙が届いていたんだっけ)と気がついたので郵便局にも寄ってみたが、やはり知っている人はいなかった。
二日目。
朝の十時過ぎにくだんのバス停に降りる。車はほとんど走っていないのでバスはスイスイ進むが、曲がりくねった山道を走るので、とてもじゃないが歩いて帰るのは無理だ。レンタカーは慣れない山道なので頼まなかった。帰りのバスは約三時間後。仕事に掛けられる時間もそんなものだろ。ちなみにバスでさらに先に進む場合、バスが来るのは夕方である。
バス停から宅地に通じるはずの場所まで数十分。着いたと思うのだが、やはり道はみつからない。枝道の両側とも森である。
分岐点から枝道に進むこと十分…戻って十分…もう一度進んで十分…ひょっとして依頼人が右と左を間違えて覚えているかもしれないので反対側を見ながら戻って十分…やっぱりこっちかと茂みを睨み付けながら歩いて…ようやく違和感に気がついた。ここだけ草の生え方が違う。とはいえ単に気のせいかもしれない。その奥も道らしきものはない。道があるはずだと思っているからそんな感じがするだけかもしれない。
しかし帰りのバスまでまだ時間があるし、他にピンとくるものもない。
ここを進むことにした。
足下にガラスだの釘だの隠れていないか、拾った枝で探りながら歩く。そんなものがなくてもヘビでもいて噛まれたらどうしようもない。
慎重に歩いて、定期的に後ろを振り返って来たルートを確認し、目に付いた蔓に結び目を作ったりしながら前に進み、三十分くらい歩いて、いきなり視界が開けた。
森は唐突に終わった。といってもそれは進んできた側からの視点で、帰るときには来たときと同じ森の始まりかただ。違うのはこちら側からだと道の行き止まり、向こうは森の壁状態というくらいか。
小石がごろごろしているが舗装されている。この行き止まり感というか森の始まり方というかは、自然にこうなるのだろうか?解らない。
前に進む。また十分くらい歩いて、家が見えた。
八軒ある。同じ建物だ。土地を切り開き、家を建ててコミュニティを作り、分譲する、しかし失敗したのだろう、誰もいないし道も塞がっている。いったい何があったのだろう。
道もああだったし役場の人達も知っている人がいないくらいだ、廃墟マニアたちにも知られていないのだろう、落書きもされていない、窓ガラスも割れていない。
ネットを見ていて「廃墟で怖いのは心霊現象ではありません。オバケや幽霊より怖いのは、“先に来ている人”です。次に怖いのが“ふいに閉まって開かなくなる扉”。あとは釘やガラス片を踏んでしまって黴菌が入ること」等々注意喚起を読んだが、少なくともここで寝泊まりしている人はいなさそうな静けさである。
表札はそのままだ。一件目…二軒目…三軒目に依頼人の名字があった。同姓の人の家がないか他の家も全て表札を確認する…ない…ここで決まりか。
預かった鍵を鍵穴に入れ、回してみる。カチリ、と鍵が開いた。
「失礼します」と声を掛けて中に入る。
この家の設計者というか宅地造成の担当者は、よほど力を入れていたのだろう、電気は当然来ていないのだが、家のあちこちから光が入るように作られている。落ち着く明るさだ。
用意していたスリッパを出し、靴を脱いで上がる。
埃はあるが、積もっているほどではない。
玄関に入って左が台所、前に行く廊下、右が二階に行く階段だ。昔懐かしのアドベンチャーゲームを思い出す。
まっすぐ歩き、応接間に入る。
すぐに大きな柱時計が目に入る。ソファとテーブルはあるが、こまごました物は何一つない。侵入者が持ち去った形跡もないので、この家を出るときに全て持ち出したのだろうか。
二階に上ってみる。部屋は寝室と書斎と子供部屋という感じで三つ。応接間のソファもそうだが、座るための物がやたら豪華というか装飾が細かい。子供の勉強机か?その椅子まで凝った作りになっている。
簡易な探検を終え、また応接間に。柱時計の手入れをしないといけない。
柱時計は大きくて単純な構造の物だった。手入れが簡単なやつだ。油を差すところは初めての私にも解ったし、ゼンマイが切れないか心配だったがキリキリと巻けた。なに、今回動けばその後ゼンマイが切れようが歯車が欠けようが、もう役目は終わりだ。
時計の針を腕時計に合わせる。今回私が一番やってみたかった、「リアルタイムの時報」である。ただ仕事をこなすだけでは、針を十一時五十八分でも合わせて、すぐ十二時の時報を鳴らせばいいのだが、バスの時間とこの家を探す時間が上手く噛み合ったのだ、本当の十二時に鳴らそう。…とはいっても、振り子が無事に動き、カチコチという音が気持ちよく刻まれ、肝心の時報が鳴るかはそのときになってみないと解らないのだが。
時計の調整が出来たので、今度は録音と録画の準備だ。三脚を伸ばしビデオカメラをセットし、とっとと録画ボタンを押す。テーブルにICレコーダーを置き録音ボタンを押す。長めに録音録画するぶんには、後で編集すればいい。
準備万端、時計も快調、十二時まではもう少し、その瞬間を待とうと壁際のソファに座った瞬間、ノックの音がした。