EP1アースシェイキング・オカマ・ショー前編③『黒木覚醒せず』
酔っ払った震源地となったオカマをなだめようとネゴシエーションはまだ続いていた。
だが内容にあまり変化はない、酔っ払いに論理的な交渉は通じないのだから至極当然だ。
そもそも会話が成り立たない、だからネゴシエーションは適切な手段ではない。だが、交渉は続く。
こんな相手を『相談可能な状態にする』のが自分の仕事だと、黒木は未だに信じられない。
「お水いらない?ほんとに?うーん、え、あ」
どうにかしてジェリーをなだめようとしていた拡声器の音がぷっつりと途切れた。
交渉の断絶に気が付いた植山が走り出す。年齢と肥満気味に見合わず脚は早い。
植山はつい先ほどまでどこか冷めた目で事態を傍観していたが、その表情は既に失せていた。
彼は鬼気迫る表情を露わにしていた。
「あいつら交渉を打ち切った! おたおたすると ジェリーが殺されちまうぞ!急げ! 」
植山が殺気だった声で叫ぶ。が、黒木の理解は状況に追いつかない。
『交渉』が通じない相手が『相談』に応じるなんて想像がつかない、自分たちは相談室員なのだ。
赤沢は肩に掛けたアタッシュケースを操作する。瞬く間にケースがマシンガンに変形した。
いや、さっきまでの歓迎会ではサブマシンガンだと赤沢が熱弁してたか。
どうでもいいようなことを黒木は思い出した。
銃の動作を確認すると植山に続き赤沢も駆けだした。
赤沢は元SPとか言っていた、相当の訓練をこなしたのだろう、素早い所作だった。
絵にかいたようなお役所仕事しかしてこなかった黒木には無縁の世界だ。
「あんたもくるの! 早く! 」
赤沢に呼ばれる。が行ったところで自分に何ができるのか、飲み込めず棒立ちになる。
「あんたらはともかく、デスクワーカーを修羅場に投げ込んだところで何ができるんだ」
黒木は心の中で叫んでいた。
植山はすでに警官隊のところまでたどり着き何か怒鳴りつけている。
赤沢の鋭い瞳がこちらを睨みつけている。
この混乱した状況により、黒木の脳内から「『相談』における銃の必要性」という根本的な疑問が抜け落ちていた。なんとなく今日貸与されたばかりの拳銃を抜こうとする。
手が脇の下のホルスターに向かう。勿論使い方は知らない。
これまで書類とだけ格闘してきた黒木と拳銃は無縁の存在だった。
「あんたは身分証をかざして『元の所属』を叫びながら駆けつけるだけでいいから! 」
そうか、黒木はなんとなく理解した。必要とされているのは自分ではなく、権限なのだ。
そう思うと黒木は少し落ち込んだ。
これまでの役所でもこの修羅場でも必要とされているのは『自分』ではない。
ただ、その方向が少し変わっただけだ。
だが、この寂しい現状理解も前に走り出す起爆剤にはなった。
拳銃を握ろうとした手を背広の内ポケットに入れてIDカードを取り出す。
わずかなためらいの後、黒木は喧騒へ向かって走り出す。
「特殊能力省の黒木でーす」
間の抜けた声が交錯する交響曲に加わった。
警官隊に近づくにつれ喧騒が大きくなる、あたり一面は赤色灯で赤い光の洪水だ。
植山が機動隊員を相手に絶叫していた。
「誰がここを取り仕切ってる! 真田はどうした! 」
警官たちは誰も答えない、その余裕もなさそうにも見える。
植山に気が付いた警官の一部は顔を見合わせバツが悪そうに視線を交わす。
何か知っているのだろうかと黒木は勘ぐった。
植山は一機の機装具の存在に気が付くと、猛烈な勢いで駆け寄った。
その機体は他の機体と違ってタンデム、背後にもう一人が乗り込む指揮型だった。
植山は機装具が装備する重機関銃にも憶することなくその腰を何度も叩く。
機装具の腰といってもその高さは成人男性の胸部くらいに位置する。
やがて鋼鉄の巨人の胸元が上に向かってに開きはじめた。その間も植山は叫ぶ。
「真田何を考えてる! ジェリーだぞ! お前も知ってるだろ!あのジェリーだ! 」
「お前忘れた訳じゃないだろう! こんな物騒なマネしなくたっていいじゃないか! 」
やがて機装具の乗員の顔があらわになる、同時に植山の肩から力が抜けた。
機装具を操っているのは30半ば程の筋骨隆々とした男だった。
「中隊長は母親の葬儀に出ている」
離れた黒木にも聞こえる植山に対する明らかな敵意、いや蔑視を抱いた口調だった。
植山の期待した真田いう中隊長はいなかった、そういうことだろうと黒木は察した。
依然としてジェリーが起こす地面の振動は続いている。
「佐山、お前が指揮してるんだな!この案件の方針は」
植山は黒木に向かってこっちにこいと手招きしている。
黒木はそれを目掛けて警官隊の中へと飛び込む。
が、銃口を遮らないように蛇行するため時間がかかる。
防弾ベストに沢山の装備を付けている警官は警察というより軍隊みたいだ。
彼らをパラミリタリー、準軍事組織と呼ぶもあながち間違っていないだろう。
そんな中をどうにかこうにか二人の会話が聞こえるくらいの距離まで近づけた。
「特殊能力者対処基本方針にのっとっている。交渉にも応じる様子は見られない、公共物に対する破壊行為は依然続けられており、被害の拡大も想定される。逮捕も困難であり、射殺もやむを得ない」
射殺、確かにそう言った。初日から物騒すぎる、やめてくれ! 黒木の心の叫びがこだまする。
足がもつれそうになる、倒れかかったところで赤沢に引っ張り上げられた。
「だからって殺すっていうのか!ただの酔っ払いだぞ!」植山が食って掛かる。
「ただの酔っ払いじゃない、相手は超能力者だ! こっちに実害が出る前に片付ける」
昨今では特殊能力者を超能力者と呼ぶのは差別的な意味合いすら持っている。
そんな言葉を口に出す人間がこの場を取り仕切っているのか。
「マズい」、自然と黒木の口からでた言葉だった。今までとは違う、ある種の気迫を帯びた声だ。
黒木は凄みを帯びた表情になっていた、赤沢がそれをみて驚いたような顔をしてる。
黒木は自分自身のことをそれなりに理解している。
黒木はこの変貌を『覚醒』と名付けている。
脳が活発に動き出し、自分から見える世界がはっきりと切り替わるのだ。
この状態になると、処理すべき事項と無関係な事象が『無意識』に意識から排除される。
そしてやがて体はリラックス状態になりつつ、脳はフル稼働を始める。
それまで全く無関係に思えた事象同士を結び付け、同時に中心となる一つの事象を掘り下げる。
こうなると普段がぼんやりしていたように思えるから覚醒と呼んでいる。
そして普段は自他ともに認める「人の良い」顔から、獲物との距離を測る飢えた肉食獣の様な、
攻撃的でいて、そしてどこか絶対的な強さを思わせる顔へと変貌を遂げる。
「肉食獣は獲物による反撃を恐れない、しかし獲物に逃げられることは恐れる」、
そういう顔だとサバンナへ何度も足を運んだことのある高校の生物教師に言われた。
彼が言うには、肉食獣は獲物に気が付かれずにどこまで忍び寄れるか、
どこまで近寄れば確実に獲物をしとめることが出来るのか、
獲物の群れの中でどいつを襲うのが最適か、どれだけ食べれば飢えが収まるのか、
そういうことを同時に考えているらしい。そんな冷徹で、結果主義的な思考が顔に出るのだという。
そのサバンナの肉食獣の話が本当かどうか、まして自分がそんな顔なのかは解らない。
しかし少なくとも周りからは「別人だ」という評価だ。
だが、現状としては黒木が『覚醒』に至るための条件がそろっていない。
それは黒木が『当事者』になること。黒木は自分と目の前の事件との距離感を思い知った。
黒木は息を整えまた駆け出す。
植山の説得は続いている。
「強引に手を出さなければ害はない! 」
「手を出ささずに事態は収拾しない! あの腕力だ、取り押さえるのは無理だ」
「彼奴の能力は単なる剛腕じゃない、取り押さえるのは問題ない。信用してくれ」
植山の声はこれまでと違い、必死に懇願している。
怪力ではなくて、どんな特殊能力がこの地震を引き起こしてるのか黒木にもわからない。
特殊能力に関する情報はどんな国家機密よりも重要なのだ。
映画や漫画で出てくるような陳腐なものから、全く予想が付かないようなものまで
特殊能力は数多くある。それを邪な目的の為に利用すれば想定外の被害をもたらす。
元々が無害な能力でも「組み合わせ」れば核爆弾が子供の玩具に思える程の被害を生み出す。
そんなシミュレーションがあったという噂を省内で聞いたことがある。
実際、特殊能力者を知らしめた『あの事件』のせいで世界は戦争とテロの泥沼に沈んでいる。
それだけの脅威を、特殊能力者は持っている。
だから特殊能力とその保有者に関する情報は機密中の機密である。
保全方法は特殊能力者出現以前のセキュリティーとは比べられない程単純で強力になった。
情報の断片化、抽象化、サイバー空間からの切り離し、そして漏洩に対する厳罰化。
更に漏洩された特殊能力者も生活にかなりの制約が課せられるようになる。
だから植山も口にはできない。ジェリーの能力を佐山に教えることでこの『戦場』を
はた迷惑なオカマショーという『日常』に戻すことが出来るとしても。
植山本人にとっても、ジェリーの為にも、そして言い合いをしている佐山の為にも口にはできない。
佐山は少し黙った、植山目をつぶって考え事をしている。
『恐らく植山が言うように簡単に取り押さえはできるのだろう。しかし、万が一そうでない時、
ここにいる人間の多くが死ぬ。そうなれば抑えが無くなる、災厄は広がりつづける』
指揮官にとってリスクマネジメントが優先だ。だからそう考えているだろう。
しばらく間が空き、佐山が重々し気に口を開く。
「あんたはもうデカじゃない。都庁の職員、ただの部外者だ。口出しはするな」
それまでの怒りはない、植山を哀れんでいるかのうような静かな声だった。
その声が植山には堪えたようだ、植山が沈黙する。
佐山はぱっくりと開いた機装具の装甲を再び閉じ始めた。
植山は頬をひきつらせて、地面を睨みつけている。
だが装甲が閉まりきるより黒木がたどり着くほうが早かった。