後日談
異世界の消失から数日。その後の現実はというと、別段変化も起こらず日々を送っていた。
昼時の晴れた空の下を、授業を早めに切り上げた志賀はある場所へ向かう。それは、市内に小ぢんまりと佇む交番だった。
道を歩いていると、銀次が丁度外に立っていて、やって来る志賀を認めると向こうから声を掛けてきた。
「おう、志賀」
「こんちは」
銀次の挙げた手に志賀は軽い会釈で返す。
「今、時間あるか?」
「ちょっとだけな。で、どうした?」
用を聞こうとすると、青年はいきなり深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。協力して下さって」
思いもよらぬ彼の行動に、中年はだいぶ戸惑いながら慌てて手を振る。
「お、おいおい。気にするなよ。全部解決したんだからよ」
そう言った後に、自分の失言に気が付いた。
「あー、あぁ……。あいつは、逝っちまったが」
「……」
妙な間が空いて、困った銀次がふと空を見上げる。志賀もつられて目を向けた。
そこには不気味な紅など全く存在せず、澄み切った青が広がっていた。
「……もし生まれ変わりがあるなら、今度こそは幸せに生きて欲しいもんだな。さて……」
銀次は志賀に向き直る。
「仕事があるからここら辺でな。じゃあな」
「あぁ、六堂さ……おっさん」
「こら、呼び捨てするな。年長を敬えよ」
苦々しい表情を浮かべて無礼を指摘する銀次に手を振って、志賀は元来た道を辿っていった。
街路樹の並ぶ横断歩道を渡り、公園を横目に通り抜けて、自分の暮らすアパートのある通りに差し掛かる。
するとアパートの隣、楓の家の前に、その本人と舞、唯が楽しげに話し込んでいた。
それぞれお洒落をしており、何やらどこかへ出掛ける様子である。
近付くと、舞がいち早く志賀に気付いて顔を上げた。
「北谷さん!」
志賀は手を挙げて挨拶を返し、気になったことを訊ねる。
「3人揃ってどうしたんだ?」
これには楓が答え、
「その、舞さんにお買い物に行こうと誘われまして……」
「私は付き添い」
横から唯が付け加えた。
「そっか」
志賀は思わず頬を緩ませた。今回の事件が労苦ばかりではなかったことに嬉しく思ったのだ。
「北谷さんは疲れとか残ってませんか?大丈夫ですか?」
「あぁ。そっちも、元気そうで何よりだ。それと……」
舞の心配に笑って返すと、言うべきことを思い出して咳払いをした。
3人は何事かと黙って志賀の言葉を待った。
「その、本当にありがとうな。手伝ってくれて」
「そんなっ、気にしないで下さい」
「……どういたしまして」
彼のお礼の言葉に楓があたふたしながら志賀をたしなめ、唯は仏頂面ながら素直に受け取った。
「私は唯ちゃんに付いてただけですし……」
「いいや、舞ちゃんがいなかったら剣は出来なかったんだ。改めて、感謝する」
舞が俯きがちにぼやいたが、志賀が励ましそれに呼応して唯が何度も頷く。
「そう、ですか。……それなら、良かった……」
少女はほっと安堵の溜め息を吐いて、元の明るい笑顔に戻った。
伝えるべきことを伝え終え、話もそこそこに3人の出発の時間が来た。
「それじゃあ、行ってきますっ」
「うん。気を付けてな」
踵を返す3人を、志賀は手を振って見送った。
やがて姿も見えなくなると、一息ついて自分の仮住まいへ帰る。
狭い駐車場を抜け、経年により錆びついた階段を上ると、自分の部屋の前にいつもの友人の姿があった。
「功成」
「お、志賀。出掛けてたのか」
思い思いに声を掛けたかと思うと、功成が志賀の元に寄ってきた。
「丁度いいや。ちょっくら散歩しようぜ」
「む……まぁ、いいか」
志賀は再び歩くことに若干げんなりしたが反論するのも面倒なので、同意して二人で階段を下りた。
そして、女子が向かった道とは反対の方向に歩き出す。
「……さて、何から話す?」
功成が単刀直入に聞いてきた。志賀は即座に質問を口にする。
「どうして、あのとき異世界にいた?」
志賀には非常に気になることであったが、功成はなんでもなさそうに答えた。
「そりゃ、ロビンが俺を連れてきたから……と言いたいところだが、そういうことじゃないよな。お前が聞きたいのは」
友人のもったいぶった話しぶりに、志賀は苛立ちを通り越して越して呆れながらも肯定する。
「当たり前だ」
その言葉に満足そうに頷くと、功成は一つ呼吸をして話し始めた。
「あのとき……六堂のおっちゃんと会ったときの日だな。俺、ロビンに力があるかどうか見てもらっただろ?」
志賀は視線をさまよわせながら頭の中の記憶を掘り起こす。
「……そうだな。でもあのとき確かに、剣を作ることは出来ないと言われてたような」
「”剣を作ること”は、な」
志賀は驚いて隣の友人を見る。彼が何を言いたいのか予測が着いた。
「転移の魔法……!」
今度は勢い良く頷いた。
「正解。俺はどうやら転移の魔法に適性があったみたいだ。日頃の帰宅部精神の賜物ってやつだな」
「それはどうかと思うが……」
「とにかく、そのことに気づいたロビンは翌日の朝早く、俺に協力してもらうため一足早くその事実を話した。今思えば、あいつはその頃から死ぬ気だったんだと思う」
さらっと述べた事実を半ば茫然と聞いていると、志賀の頭の中でもう一つの疑問に突き当たった。
「じゃあ、何故あいつはそれを俺達に話さなかった?」
功成は溜め息を吐いて答えた。そんなことも分からないのかと小馬鹿にする勢いである。
「口止めすることを協力の条件にしたのさ。皆を驚かせたかったからな。ついでにあいつの素性もそのときに聞いた」
「はぁ……お前って奴は……」
友人のタネ明かしとあまりの奔放ぶりに、つくづく呆れた志賀は盛大に脱力した。
「まぁ、全て終わったことだから、もう気にするなよ」
「……お前が言うな」
「そうカッカするな。気晴らしにラーメンでも食いに行こうぜ?」
「……そうだな」
功成のとりなしに志賀も渋々承諾しながら、歩みを進めていく。
こうして、非日常はまた日常へと埋もれ、彼らのありきたりな物語は続くのであった。