決着
現実とはさして変わらない意匠を見せる異世界。
その都市の外れに存在する小高い山々に面する道路。その背後には、無機質な街の様相が広がっている。
「とうとう……か」
道路のど真ん中に突っ立ていた志賀が呟く。見上げる先には西洋の城を思わせる巨大な鉄のヒトガタが、騎士の兜を模した頭部から不気味な橙色の光を煌かせていた。
「間近で見ると、本当に大きいですね……」
志賀と同じく<鉄の巨人>を仰ぐ楓。時々首を摩っては、痛みを和らげている。
「まぁ、俺達がこいつと闘り合うってわけじゃねぇからな。かといって、こっちの仕事を疎かにする気もないが」
銀次が腕を回しながら、緊張を解す。
「ロビンさんは、これを、これから一人で……」
「いいえ。私達もいるから、六人」
「……うん、そうだった。戦うのは私達も一緒、だよね」
舞の弱気を、唯が諭す。舞は頷いて、拳を固く握った。
そんな彼らの様子をちらと見て、正体を表した幽霊ことロビンが口を開いた。
「さぁ、始めよう」
剣を作る”力”を持つ者が揃ってから三日間彼らは己の”力”を曲りなりにも扱えるようにするため、ある時は異世界、またある時は現実で、時間を惜しまず修行を積んできた。
そして今日……つまり<鉄の巨人>が街に侵攻する期限の最終日に、異世界へ集結したのである。
〇
「まずは、俺からだな。先鋒っつうのは緊張するが……」
言いかけて、銀次はおもむろに頬を打った。喝を入れたのだ。
「いっちょやるか」
皆が見守る中、足元の地面に両の掌を当てるとそっと目を閉じた。
そして、己の求めるものを想像し頭脳に繰り広げる。対象は金属、剣を形作る大本の物質だ。
「えー、地殻、マントル……」
彼はぶつぶつと地球の内部構造を唱え始める。イメージをより具体的にするための作用なのであろう。
いよいよ始まったという雰囲気が辺りを緊張で満たし、時の感覚を鈍らせていく。
「……おらぁっ!」
永遠にも思えた一瞬の後に、銀次が瞑想から目を覚ました。それと同時に、大きな地の震えが世界を縦に揺らす。
「おわっ」
「あっ!」
揺れが収まり、銀次を除く皆が態勢を立て直した時には、目的のものが宙に浮かんでいた。
六堂銀次の土の”力”によって生まれた魔力の塊、あるいは結晶が、黒色の金属となって地中から飛び出したのだ。
「凄い……」
「やった!」
第一関門を突破して静かな喜びが全員の心に湧くが、まだ三つの工程が残っている。
「わ、悪いが、ちぃと休ませてくれ……」
現実で生きる人間には全く馴染みのない力を使って全身汗だくの銀次は、勢い地べたに寝っ転がり、荒い鼓動を落ち着けるために深く息を吸った。
「ありがとよ、六堂さん。後は任せてくれ」
珍しく本名を言った志賀は、続く、火の”力”を以て金属を溶かす作業に入った。
呼吸を整え、差し出した左の掌に視線を集中させる。さながら虫眼鏡の要領で熱を集めているかのようだ。
果たして変化は起こり、燃える微かな囁きと共に手にすっぽり収まる淡い焔の玉が浮かんだかと思うと、やがて生物の本能を脅かす嵐に似たざわめきとなって、留まることを知らない業火と化した。
「……」
その迫力と熱に辺りは一気に静寂へと戻り、激しく爆ぜる音だけがやたらに響く。
獲物を求めて蛇の舌を伸ばす火の玉は志賀の元を離れ、浮かび、銀次の編み出した金属塊に触れて瞬く間に覆い尽くしていく。
すると、落ち着きのない炎は金属を包む皮となり内部まで熱を浸透させ、やがて気泡が跳ねる液体の状態にまで溶かした。
「舞ちゃん、唯ちゃん!」
「はっ、はい!」
志賀の声に、舞が返事をして、唯が頷く。ここからは時間の勝負である。
二人は手を繋ぐと、唯が空いている手を中空に浮かぶ液状の金属に差し伸べる。
「行くよ、舞」
「うん……!」
唯が開く手に力を籠めると周囲を巻き込むほどの風が起こり、それは流動する金属の形状を柄と刃を伴った剣へ巧みに変えていく。余剰になった部分は大気のうねりの隙間から零れ落ちて、コンクリートを焼いた。
「は、早く……」
唯の表情が厳しいものとなり、口から空気が漏れ出る。額から汗が噴き出て滑り落ちていく。
「行きます……!」
最終工程、楓は合掌の形を取って、目を瞑る。脳裏に浮かべるのはシャボン玉と雨粒。
極限まで思考を研ぎ澄ました彼女は、覚醒し、閉じた両の手を慎重に広げた。
そこには小さな水の玉が、崩れることなく球状とその潤いを保って創られていた。
彼女がそっと唇を水の玉に近付け息を吹き込むと、水の玉は膨らみ、剣を易々と包めるほどに膨らんだ。
「大丈夫ですっ」
楓の声を聞くや否や、唯が溶けたままの剣を細心の注意を払って風で動かし、水の玉に投入した。
「っ!」
途端、水の蒸発する音が喧しく響き、勢いで熱水が飛び散る。楓の頬に一粒が跳ね、反射でのけ反りそうになるが剣を作る一心で堪えた。
「こ……れ、で」
形を保った赤熱は、徐々に元の色を取り戻し、燻んだ黒に落ち着いた。剣は出来上がったのだ。
「で、きた……」
完成を見届けた楓と唯は意識の緒を切らして無造作に倒れ込みかけたが、傍にいた舞と志賀が慌てて抱き留め、静かに地面に横たえた。
直後水の玉は潰れてアスファルトを濡らし、支えを失った黒色の剣をロビンの手が掴んだ。
「やっと……」
5人の力の結晶に眺め入るロビンに、志賀が振り向く。
「行くのか?」
彼はちらと志賀を見て、首を振った。
「いや、君にやってもらいたいことがあと一つ、残っている」
倒れた3人を舞に任せ、立ち上がった志賀にロビンは向き直る。そして、口を開いた。
「北谷志賀。僕に火を点けてくれ」
突拍子もない発言に、思わず志賀は首を傾げた。
「い、一体どういうことだ?」
「言葉の通りだよ。もうちょっと細かく言うと、僕の身体そのものを燃料にして、奴に接近するエネルギーに変換する」
「そうすると、お前の命は……」
志賀は皆まで言うことなく悟った。命は消える。異界の青年は最初からそのつもりで動いていたのだ。
ところが、痛々しい傷跡の残る顔はあろうことか微笑んでいた。
「いいんだ。もう、いいんだ」
どことなく言い聞かせるように言葉を零すと、彼は空いている左の手を志賀に差し出した。
「……帰還の手段は残してある。だから、どうか心配しないでほしい」
「そういうことじゃ……!」
「もう時間がない。さぁ」
志賀はロビンの顔をじっと見つめた。寂しげな笑みは既に消え去り、そこには覚悟の据わった瞳だけが残っていた。
散々頭を掻き乱した末に、志賀はゆっくりと手を伸ばした。青年の命の刻限が迫る。
「……行ってこい」
志賀の掌に赤々と輝く炎が灯り、そのままロビンの手を握った。
その火は静かにロビンの体内を駆け巡り、内側から彼を炎の色に照らした。皮膚が灼けた紙片のように剥がれ、灰と化して風に消えてゆく。
「志賀……いや、皆」
「ありがとう」
ロビンは踵を返した。対面するは彼の因縁の敵、<鉄の巨人>。
「行くぞ……<鉄の巨人>」
切っ先を向け宣言すると共に、力強く地を踏み出した。
文字通り命を燃やしたエネルギーは凄まじく、およそ人間の限界を超えた速度で坂となっている森の中を駆け抜け、まもなく岩石を無造作に積み上げたような足に辿り着く。
ロビンはその出っ張りの一つに足を引っ掛けると、跳躍した。
そして限界に達すると脚部の隙間に剣を差し込んで足場を作り、跳躍と同時に引き抜くという荒業を繰り返し、更に上へ上へと昇っていく。
「……!」
自らに異変を察知した<鉄の巨人>が重い頭をもたげると、体を飛び跳ねるノミを知覚した。
途端、ビルを横付けしたような長く太い金属の左腕を振るって、脚を掃おうとする。
傍から見れば天から降ってきた巨大な鉄球にも思えるそれを目の端で捉えたロビンは、むしろ好機とみなし大人しく出っ張りの一部につかまって襲撃を待つ。
来た。
ロビンは手を離した。突き抜ける凄まじい風圧に敢えて身を任せ勢いで空高く飛んだかと思うと、宙に留まったままの巨人の右腕、肘に当たる部分にしがみついた。
そして岩石の出っ張りによじ登り、巨人が右腕も振り下ろす前に全力で腕を駆け上がる。
今度は右腕にひっつくロビンを掴もうと左手がその異形を広げて迫って来た。第二撃だ。
「っ」
ロビンは更に速度を速めた。臓腑が灼け、吐く息は焦げ付き、手足が徐々に灰に崩れていくが、もう知ったことではない。
一度勢いをつけた大質量は、急な方向転換は出来ない。鉄槌の猛追をなんとか振り切ったロビンは肩に到達し、動力源の光る頭部が間近に見据えられた。
しかし先程の体力の消耗が激しく、残された生命はもう僅か。悩む暇も与えず、彼はいちかばちかの賭けを取った。
およそ残された力の全てを籠めて、ロビンは跳んだ。衝撃で岩石がひしゃげ、自らの足が脆く崩れ去る。
「おおおおああああああっ!」
魂からの叫びが赤い世界に響き渡る。その轟が彼に最後の鼓動を送った。
最早透けていると言っていい程に白熱する腕を鞭打ち、五人の力で創り上げられた剣を振るう。
剣すらも彼の生命の火を帯びて、暗い黒ずんだ鉄は再び赤熱した。
<鉄の巨人>はずっとそれを見つめたままだった。まるで諦めでもしたかのように、或いはその炎に見惚れるように、もう微塵も動かなかった。
ずしりと剣が深く突き刺さる。すると橙色の怨嗟の魂はひび割れ、眩い光を解き放ち、それは剣の輝く炎と同化して、巨大な光の球となった。
紅い世界の中で、唯一の太陽のように、白く光を放つ……それはまるで、浄化であった。
「ロビン、さん……」
舞は茫然としてその光景を眺めていた。自分でも気付かぬうちに、涙が頬を伝っていた。
「終わった、か……」
異界の青年の一切を見届けた志賀は、やるせない溜め息と共に座り込む。
傍らには唯と楓が気絶を通り越して、今は穏やかな寝息を立てていた。
「あのバカ野郎……」
銀次はというと、いつの間にか疲れも吹き飛んだ様子で動作を止め立ち尽くす鉄の塊を見ていた。
「舞ちゃん。六堂のおっさん」
いち早く思考を取り戻した志賀が、起きている舞と銀次に呼び掛けた。
「……おう」
ロビンの消えた火に舞は依然気を取られており、代わりに銀次が答えた。
「帰ろう」
「……あぁ、そうだな。全部、終ったんだもんな」
「それで、帰る手立ては?」
「それが……」
分からない、と言いかけたその時、
「おっす。お疲れ様」
とあらぬ声が、彼らの背中に掛かった。志賀と銀次のみならず、放心していた舞までもが驚きの余り振り向いた。なぜなら、
「功成!?」
「よっ。ロビンは……やっぱりか。全く……」
現れた人物が功成だったからだ。さっきの軽い声とは裏腹に、苦々しい表情をしている。
「どうしてここに?」
志賀が訊ねると、彼は何でもないように答えた。
「そりゃ、帰るためさ。一緒に、現実へ」
「ちょ、ちょっと待て。だってお前は”力”を……」
「そういう話はあと。ほれ、舞は唯ちゃん、お前は楓ちゃんを背負ってやれ」
早々に煙に巻かれてしまい更に問い質したくなったが、功成の言うことももっともなので、眠っている楓を優しく背負った。それで舞も我に返って、肩を貸して唯を支える。銀次はというと、色濃い疲労のために口出しせずに黙っていた。
しんみりとした空気が漂う中、突如地面がぐらついた。見ると、怪物の形を成していた岩石が崩れ去って森のあちこちに散らばっていた。
かくして山中に聳えた<鉄の巨人>は潰え、異世界はその用を無くしたのだ。
「……それじゃ、現実の光景を思い描いてくれ。魔法の要領だぞ。……そうだ、ここしばらく通ってた公園にしよう」
怪物の崩壊を見届けた後、功成が沈黙を破った。言われた通りに三人は瞳を閉じて、瞼の裏に公園の景色を思い浮かべる。真夜中の、外灯が煌々と照らす人気のない静かな公園。
「三つ数えればもう、元の世界だ。……いくぞ?」
同じく想像を広げる功成が合図を取る。志賀達は黙って彼のカウントダウンを待つ。
「3、2、1」
「ゼロ」
揺れる思考のどこかで、サヨナラと言う声が聞こえた気がした。