魔法
二人の少年が対峙していた。どちらも濃緑の外套を羽織っていたが、片方はフードを目深に被り、もう片方は弓に矢をつがえていた。
「どうして」
矢をつがえた少年の言葉とともに、森がざわめき、微かに差し込む太陽の光が葉の陰を一層際立たせる。
フードを被った少年は、長い沈黙の後に口を開いた。
「出たいと思ったからだ。この村を」
答えにならないような答え。
「……」
向かい合う少年は、弦を引く力を強める。フードの少年はただ殺気を放つ矢を冷たい目で見つめる。
「お前は、この魔法がどんなに凄いものか分かっているのか?」
「……」
「これ《・・》を世の中に広めることができたら、人々はもっと良い暮らしを求めることができる。食料の輸送や、怪我人の救助だって!」
「良いことばかりじゃない。君こそ、村の人々があの魔法を隠した理由を分かっていない!」
しばらく睨み合いが続いたが、これ以上はフードの少年にとって不利だった。もうすぐ追手の増援がやって来てもおかしくない頃だったのだ。
「俺は行く」
「……動けば撃つ」
「お前は、俺を止めることは出来ない」
そう言うと、フードの少年は踵を返したところに、弓を構えた少年がちょっと遅れて矢を放った。しかし時既に遅く、先ほどまで目の前にいた濃緑の外套は跡形もなく消え去っていた。
標的のいない地面に突き刺さった矢に視線を落とした少年に、呪いのように先ほどの言葉が思い出された。
「マット……」
木々の中取り残された少年はただ独り。村を抜けた親しき友の名を呟いた。
〇
今朝も変な夢を見た。そういえば昨日もあったと思いつつも、やっぱり夢であるからその内容は思い出せない。日常の朝、支度を済ませて一人暮らしのアパートを出ると、隣り合った洋風建築の一軒家のドアも同時に開いた。なんとはなしに扉の開く音に反応してそちらを見遣ると、志賀は驚きの余り思わず間抜けた声が出た。
「あ」
その声に反応して、隣の家を出た人物も同様に唖然とした。志賀の存在に気づいたからだ。
「あ」
その人物とは、昨日志賀が出会った女の子であった。それまで全く気付いていなかったが、双方ご近所に住んでいたことになる。
「えっと、おはよう」
「おはようございます」
戸惑いの抜け切らぬ中、とりあえず挨拶を交わす。
そこで、志賀はようやく問うべき事柄を思い出した。
「私、決めました」
ところが、志賀が聞く前に、女の子の方から先に切り出してきた。しかも、答えをだ。
「私も戦います。<鉄の巨人>と」
「……いいのか?」
志賀は真剣に訊ねた。それは、女の子の意志が本当に自分のものかどうかを問うていた。
女の子はしっかりと頷いた。澄んだ黒の瞳は志賀を真っすぐ捉えていた。
少女の意志をはっきり理解した志賀は、改めて自分の名を名乗った。
「俺、北谷志賀って言うんだ。君は?」
「宇佐美楓です。よろしくお願いしますね、北谷さん」
「あぁ。よろしく頼む」
楓はその言葉にこくりと頷いて、
「……」
志賀の顔をじっと見つめた。
「どうかした?」
「あ、いえ、何でもありません。それじゃ、私はこれで」
そう言うと、志賀の返事も待たずに走って行ってしまった。
「……ま、いいか」
楓の沈黙が気になったが、自分も学校へ向かうことにした。
〇
2時限目の授業が終わり、昼休みに入る頃。教科書とノートを片付けていた志賀の元に功成がやってきた。
隣には、当たり前のように幽霊もいた。
「もう殆ど慣れたな……」
幽霊がいる、ということは何か話があると志賀は踏んでいた。身構えて幽霊の言葉を待つ。功成もこれを認めてか黙ったままだった。バケツが喋り始める。
「全員揃ってから……とも思ったが、そろそろ伝えておいた方がいいかと思ってな」
そう前置きをして、話し続ける。
「魔法の使い方を、教えようと思う」
「魔法……」
何度か耳にはしていたが、改めて言われるとなんだか妙な心持がした。
「まぁ、ここじゃなんだし、昼食食ってからにしねぇ?」
「あぁ、そうだな」
教室を抜け、大学構内のベンチに二人は座った。空は青く澄み渡り、羊雲がのんびりと浮かんでいる。幽霊は立ったまま空を眺めていた。
「……で、魔法、どうやって使うんだ?」
大学付きのパン屋で買ったあんパンを頬張りながら、志賀が訊ねた。バケツは我に返って答えた。
「至って簡単だ。魔法に必要なもの、それは2つ。祈りと想像《イメージ》だ」
「祈りと想像?」
オウム返しに功成が訊ねた。バケツは頷いて、
「原初において、私の世界では魔法はそういう形を取っていた。即ち欲するものを心に呼び起こし、神に祈りを捧げることでそれを具現する」
志賀は怪訝な表情をする。
「俺たちはこう言っちゃなんだが、信仰の薄い時代に生きている。こっちにお前の言う神様は多分いないぞ」
バケツはそのことは問題ではないという風に首を横に振った。
「先程も言ったが、それは原初の魔法の形態だ。つまり、祈る対象は何でもいい。とにかく、想像を実現しようとする強い意志が必要なんだ」
「それじゃあ、想像は?」
「言葉の通りだが、例えれば剣を作る工程に必要な”力”のイメージを頭の中で描くといったことだ」
「成程……」
「なぁなぁ、それって魔法を出すためのエネルギー源とかはないの?」
横合いから功成が口を出した。
「君、異世界は紅かっただろう?」
「あぁ、まぁ」
話す間に全く別の観点のことを聞かれ、志賀は困惑しながらも肯定する。
「その赤色が私の世界で言う魔力というものだ。どうやら、こちらの世界では異物として認識されているためにあちらでは血のような不気味な色に染まっているようだが」
「ともかく、その魔力によって、想像は祈りを伴い発動する。これが魔法となる」
「へぇ」
「問題は誰がどの魔法を使うか、だ」
六堂と楓の存在を思い出しながら、功成はハンバーガーを食む。
「それ、決まってたりするのか?」
「大まかには。適正といったところか。例えば、君」
バケツは志賀を指差した。
「俺?」
「あぁ。君は、あの少女の中に蒼い炎を見たと言ったな」
当時の状況を振り返りつつ、志賀は頷く。
「まぁ、そうだ」
「おそらく、炎は”力”を表している。それは、君が他ならぬ”火”の属性を力に持っている故だ」
「蒼いのはなんで?」
「それは少女の持つ力の色だ。蒼は”水”の属性になる」
「へぇ……、じゃあ、おっさんは?」
「彼は”土”だ。だから、後1人は”風”の力を持つ者を探せばいい」
「ふむ……。で、今は使い方の話だったな。具体的には、どうすればいいんだ?」
間髪入れずにバケツは答える。
「想像……イメージが何よりも重要だろう」
「何でも良いから、己の扱う自然について何か知っておく、或いはは見てみるといい」
「はぁ」
志賀は考えた。土の力で金属を作り出し、火で溶かす。溶かすには相当の温度、熱が必要になるだろう。
「授業終わったら、DVDでも借りるか?」
「そうだな……そんなのでいいなら」
「では、私はロクドウとウサミに伝えに行く」
そう言った後すぐに、バケツは指を鳴らすと共に消えた。丁度、午後の授業が始まろうとしていた。
〇
「ただいまー」
「お邪魔します」
大学の授業が終わり、志賀は功成の家へ行くことになった。志賀のアパートにはDVDプレーヤーがなかったため、功成の元へお邪魔したという次第だ。
靴を脱いでいると、玄関の奥から声が聞こえた。
「おかえりー」
と同時に、ひょこっとリビングの戸口から顔を出したのは、セーラー服を着た女の子だった。
丸っこい瞳が瞬き、二つに纏めた髪が軽く揺れる。彼女は功成の後ろにいる志賀の姿を認めて、声を上げた。
「あっ、北谷さん。こんばんは」
「こんばんは、舞ちゃん」
彼が舞と呼んだ人物、即ち功成の妹である高田舞は、ぺこりとお辞儀をしてそそくさとリビングへ戻った。
後に続いて中に入ると、舞はお茶を用意していた。
テレビの前に陣取っている大きなソファに功成は身を投げ出し、志賀も腰を下ろす。
「母ちゃんはどうした?」
「買い物に行ったよ。私はちょうど帰ってきたところ」
コップ一杯の麦茶を二つ持ってきて、ソファ前のテーブルに並べる。二人は礼を言って一口飲んだ。
「北谷さんは、お兄ちゃんと遊びに来たの?」
「いや、自然を学びに来た」
「なにそれ」
至って真面目に答えた志賀の顔がおかしくて舞はくすくすと笑った。
「DVDだけど、お前も見るか? つまらないだろうけど」
「うーん……見、る」
少し躊躇いつつも、舞は頷き、志賀の隣に座った。
功成はキャビネット下にしまってあるプレーヤーに、借りてきたDVDを入れた。テレビを付け、再生すると、水の流れる自然音を背景にしたメニューから、火山の項を選択した。
「何で火山?」
「カッコイイから」
落ち着きある男性ナレーターの声とともに、火山の様子、仕組みがスライドや実際の映像を含めて丁寧に説明されていく。志賀は本編を通して鑑賞し、特に、溶岩の湧きだす噴煙を散らす噴火の場面やマグマの煮えたつ火口の場面はじっくりと見た。一方兄妹はというと、ほぼ眠りかかっていた。
映像の再生を終え片付けをしていると、ふとソファから功成の声が掛かる。
「終わったか?」
「ああ」
「……なぁ、一つ、聞いていいか?」
大きな欠伸と伸びをして立ち上がった功成はまだ呆けた様子で志賀に問いかけた。
「何だ?」
「舞には”力”、ないか?」
「……あったら、どうするんだ。協力させるのか?」
「うん。……そりゃ、危険かもしれないけどさ、それ以上に<鉄の巨人>を放っておいた方が脅威になるんだろ。ましてや、その、楓ちゃんだっけか。あの子だって、まだ小学生なのに戦おうとしてくれてるんだぜ」
「まぁ、”力”があるって分かってからだけどな」
「……そこまで言うのなら、試すだけ試すか」
渋々と承諾すると志賀はソファに寄って、舟を漕いでいる舞の肩を優しく叩いた。
うつらうつらしていた舞は即座に意識を取り戻して、目もパッチリ開いた。
と、目の前に思った以上に近くに志賀の顔があって声にならない程驚いた。思わず体を反らせてしまうほどだった。
「すまん。驚かせちゃったな」
「い、いえいえいえ。こっちこそスミマセン」
どぎまぎする舞を気にせずそのまま志賀は彼女の目を見つめて、離れた。
そこには安堵とも落胆ともつかぬ表情が浮かんでいた。功成もその結果を悟り、一つ息を吐いた。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るぞ」
反応がストップした舞に別れの挨拶をして、功成と共に玄関へ向かう。
「気を付けてな」
「あぁ」
そんな短いやり取りを交わして、志賀は功成の家を後にした。
志賀の見送りを終えた功成がリビングに戻ると、舞はぼんやりと天井の明かりを見つめていた。
「……ねぇ、お兄ちゃん」
「どうした?」
「何か、あったでしょ?」
妹の鋭い問いに、兄は頭を掻いてどうしたものかと思案する。
「……信じられないような話だぜ?」
「それでもいいから」
功成はもう一つ大きな溜め息を吐いて、事の次第を話し始めた……。
〇
徐々に日の伸びた夕暮れ。暖かな夕焼けの照らす帰り道を志賀は歩いていた。
「火……金属を溶かす火。マグマのような……」
映像で見た炎を想像しながら、彼は空いている左の掌を見つめた。
彼の掌には、そこ《・・》には見えない透明な炎が、小さく、しかし確実に灯っていた。