ひょんなこと
翌くる日の朝、志賀は昨日幽霊と会話した公園に来ていた。
まだほんの少し冬の名残のある涼しい風に木々がそよとさざめき、錆びついたブランコが微かに軋んで揺れる音が辺りに響く。案の定と言うべきか人は誰もいなかった。
「……寒」
入口で上着のポケットに手を突っ込んでぼうっとしていると、背後から暢気な欠伸が聞こえてきた。
功成だった。左手には何かが入ったビニール袋を引っ提げていた。
「ふぁ……あ、おいっす」
「おう」
挨拶ともない挨拶を交わし、二人は並び立つ。
昨日の出来事。バケツを被った青年らしき幽霊と全てが血色で塗り込められた不気味な異世界、そして<鉄の巨人>。一度に多くの情報が頭に入り込んできて考える暇がなかったが、今では新たな疑問が沸々と湧いてくる。それらについてもっと詳しいことを聞くために、志賀は人気の少ない朝の公園を選んだのだった。ちょうど午前中の授業が空いていた功成も呼んでいた。
「で、例の幽霊は来るって言ってたのか?」
功成が訊ねたとほぼ同時に、学生用のブレザーを着込み頭にブリキのバケツを被ったちぐはぐな姿の人間が、時間の隙間に入り込むかのようにパッと二人の間に現れた。全くの超常現象である。
昨日の経験から一応慣れた志賀は驚かなかったが、功成はそうはいかなかった。
「うわぁっ!?」
驚愕の表情で突然後ずさりした功成を、志賀が訝しげに見つめる。
「どうした、急に?」
「……見えた」
その一言で、志賀は全て諒解した。バケツの男もなんとなく溜め息を吐いた気がする。
「……お前も、こいつが見えるようになったのか」
功成は深呼吸しながらずり落ちた眼鏡を元に戻して、答える。
「すっげぇ……やっぱり、本当にいたんだな」
「なぁ、触っても良いか?」
さっきの焦りようはどこへやら、この変人は急に態度を変えてバケツににじり寄った。
「待て、待て。見えるようになったのなら、君にも改めて話しておこう」
バケツは功成を押しとどめ、昨日志賀に伝えた事の詳細をもう一度語った。
「フーン……。<鉄の巨人>、それに剣、ねぇ……」
功成は腕を組んで唸りながら考え込む。
「……剣を作るには”力”が要る、て言ったな。力と言っても、どんな?」
「剣の元、即ち金属を掘り当てる”土”、それを溶かす”火”、形を整える”風”、冷やす”水”の四つだ」
バケツは自ら確認するように言葉を紡いだ。
「魔法みたいだな……」
志賀の呟きに、耳ざといバケツは頷く。
「そう、これは魔法だ」
今度はそれを聞いた功成が興奮した様子で口を開いた。
「本当にそんなモンがあるのか!?」
「認識の違い、という奴だ。手段が違うだけで、君たちの世界の科学とやらと遜色はないよ」
バケツの冷めた意見に少々落胆するも、なお功成は食らいつく。
「志賀にあるんだったら、俺にもあるだろ?その、魔法を使う力が」
一瞬、沈黙が流れる。
「君は……残念ながら、剣を作ることは出来ない」
子どものような大学生は今度こそがっくり肩を落とした。志賀が慰めのようにその肩を叩く。
一先ず落ち着いたところで、次は志賀が質問をする番になった。
「なぁ。何でその、異世界にいる<鉄の巨人>が、俺たちの世界に危害を及ぼすんだ?」
「まず、こちらとあちらは空間的に非常に近いんだ。そうだな……、表と裏ではなく、表の中の薄い皮一枚に存在しているような」
「とにかく近いんだな」
「ああ。だから、異世界での行動が多少なりともこの現実世界に反動を与えてしまう」
そこで、志賀は漸くバケツの言いたいことが分かった。
「それじゃあ、あんなデカブツが町なんかにやってきたら……」
「ヤツの進む先あらゆるものが倒壊する」
重い空気が漂う。空想と笑えばそれまでだが、バケツの言葉がどうにも嘘には思えなかった。そもそも、バケツ自身が現実に干渉して幽霊として現れていることが何よりの証拠ではないか。
更に追い打ちを掛けるように功成が不吉な事を口にした。
「そういえばここ最近、地響きが多いような……?」
「地震じゃなくてか?」
「うん。もっとこう重くて低い何かの唸り声みてーな……」
いよいよ重大な問題であることが二人に認識された。しかし、剣を作る”力”を持つ者はまだ志賀一人しか判明していない。
「……さっさとその、”力”を持っている人を探さなきゃな」
そう締め括り二人も頷いたところで、公園の入り口から遠くおい、というしゃがれたしかし大きな声が耳に入った。
振り向くと、警官の制服を着た男がこちらに向かって来ていた。
日焼けで黒ずんだ顔に厳めしい目付き。髭の伸びや皺の具合から見て、中年といったところか。
「お前ら、ここで何をしとるんだ?こんな朝っぱらから」
功成は慌てて持っていたビニール袋から二つ分のミットと一つの野球ボールを取り出した。
「いやー、ちょっとキャッチボールでもして体を動かそうかなと」
「ふむ……?」
男はまだ訝しげな表情をしていたが、突然落ち着かない様子になる。功成を無視して今度は志賀に問うた。
「……さっき、ここに3人いなかったか……?」
志賀と功成は思わず目を合わせた。バケツも驚きを隠せぬ声を漏らす。
「なぁおっさん、ここに幽霊がいるんだ。それが、あんたの見たもう一人だ」
「フン、何を言っとる。馬鹿にしとるのか」
志賀の言葉を男は鼻で笑ったが、まだ緊張は抜けていない。
「高校生とかが着るようなブレザー姿をして、頭にバケツを被った奴だよ」
功成の言葉も否定しようとしたとき、男は瞬きをした。その一瞬だった。
「いい加減おちょくってると……って、なんじゃあこりゃぁ!?」
唐突に視界に現れたバケツの存在に男は抜かしそうになったが、慌てて志賀がその体を支えた。
胸を手に当てて呼吸を整え、ようやっと落ち着く。
「本当に幽霊がいるって、どうなってやがる…。俺の頭もおかしくなっちまったのか?」
「失礼なおっちゃんだな」
功成の愚痴を横に、バケツは男の前に歩み出た。
「どうか、力を貸して欲しい」
喋った……と呟きながら、バケツの礼儀正しい態度に一応緊張を解く。
「力……?」
「えっと、オッサン。驚かないで聞いてくれよ」
志賀は男に伝えた。異世界があること、<鉄の巨人>のこと、そして剣を作るための”力”が必要であること。
話を聞き終えると、男は未だ理解しがたいといった様子でこめかみを揉んでいたが、やがて口を開いた。
「まぁ、俄かには信じられないが……そこのバケツがいるから一概に嘘とも言えんのがな……」
そして、何かを決意したように頷く。
「おい、幽霊さんよ。後で……その、異世界とやらを俺にも見せてみろ」
バケツは即座に首肯する。
「あぁ。それで信用してもらえるなら」
「俺が、その、剣の作成とやらに関わるかはそれから決める」
「どうやって教えてくれるんだ?」
男はしばし考えて、答えた。
「今日と同じように、明日の朝、ここへ来い」
それだけ残すと、俺は仕事に戻ると言って男は踵を返す。入口まで歩いて、何か思い出してか振り向いた。
「あとな、俺の名前はおっちゃんでもオッサンでもなくて、六堂銀次だ。覚えとけ」
今度こそ、すたすたと歩いて町の中へ、巡回の仕事に戻っていった。
「……刑事みたいな名前のオッサンだったな」
「そうだな」
「……キャッチボール、やらね?」
「お前、本当にそのために持ってきたのか……。って、いつの間にかあいつも消えてるし」
志賀はさっきまで幽霊のいた空間を苦々しげに見つめて、功成の誘いに乗ることにした。
〇
輪郭だけを残した全てが赤に染まった世界。バケツはつい先ほどまでいた公園の土の上に立っていた。
「思いがけぬ幸運だ……どうにかして彼の助けを得なければ……それに」
「最後の切り札も」
そう独りごちて、遠い山の上に聳え立つ<鉄の巨人>を見上げる。心なしか、巨人は昨日の位置から町の方へずれているように見えた。
「もう少し……」