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逃げられない

 肌がひりついた。後頭部に走る違和。それは虫の知らせに違いなかった。


 レストは無言のまま、ルスカを起こす。


「……んっ、な、んぐ」


 何かを言おうとしたルスカの口を、レストは手で押さえた。言葉を出すな、と目で訴えると、ルスカはコクコクと頷いた。


 周囲の様子がおかしい。いや、おかしくなった。肌に纏わりつくような湿気が不快だった。木々が視界を塞いでいる分、遠くが見えないが、何かがいることは間違いない。気配は不明瞭だが、何となくはわかる。


 レストは鞄を抱え、ルスカの手を握ったまま、気配とは反対方向に進み始める。リオンはとっくに起床し、レストの隣を歩いていた。


 まるでノアと散歩をする時のようだ。だが、今回は状況も相手も違う。暗がりで、枝葉が邪魔で月光も見えず、夜目もほとんど利かない。そんな中、逸れれば再び出会うことは難しい。


 物音をできる限り鳴らなさいように、慎重に、且つ迅速に移動する。気を抜けば大きな音を鳴らし、相手に気づかれる。気配の持ち主が英雄なのか、別の何かなのかはまだわからないが、危険であることは変わりがない。恐らくは奴に間違いはない、とレストは考えていた。


 移動を続けると、背後の気配との距離が僅かにとれた。だが、相手もこちらへ近づいているのか、それ以上は離せない。ここはあの村と、ガイゼンの中継地。特に目立った施設や道があるわけではないが、ガイゼンへと向かっていればガルフリアが通る可能性はあった。だが、多少は外れた道を経由していたのだ。ならばこの場所をガルフリアが通ってしまったのは、単純に運が悪かったということだろう。もしくは、レストが見たあのガルフリアとは別のガルフリアなのかもしれない。


 ――かなり距離は離したはずだが、もう追いついたのか?


 馬に乗っているのならば速度の差はある。だが、レスト達がいるのは生い茂った樹林内。馬が歩くのは難しいし、徒歩の方が早い位だ。ならば、徒歩でここまで来たのだろうか。いや、考えても意味はない。あのガルフリアである確証ないのだから。とにかく休憩は終わりだ。できるだけ早くガイゼンへ辿り着くことが急務。


 レストはルスカの手を引き、ひたすらに歩を進めた。


 だが、ふと気づく。


 ――気配が、増えた?


 物音、違和、森の中に走る微細な変化、色々な経験、それらから推測するものをレストは気配と言っている。自然に鳴る音は不規則に思えて、実は必然であり違和感はない。雨ならば雨露が不規則性を強調するが、それでも違和感は訪れない。生物も同じだ。二足歩行の生物は人間以外にはあまり存在しない。知性の高い生物である人間であるからこそ、野生動物や魔獣とは違う行動をとり、より強い違和感を与えるのだ。


 だからレストが感じている気配は、他の生物である可能性はさほど高くはない。もちろん、完全に、とは言えないが、それでも人間であると考えて差し支えないだろう。


 真夜中、空が白みもしない時間、深い森の中を歩く人間は、まともな動機を持って行動をしているとは思えない。危険すぎるからだ。よほどの理由がなければ深更は就寝中だ。移動せず、野営する方が得策である。


 レストから見て、後方に一つ、もう一つは左前方。前方の気配はゆっくりと移動している。こちらへ向かって。


 やはりガルフリア、なのか。奴は同時に二体存在していた。つまり、確実に奴は二人存在できるということ。二体は殺した。ならば今の二体が奴ならば、四人はいる、ということか。いや、どれがどのガルフリアなのかの確証がない。とにかく複数人存在していることは間違いない。


 レストは二つの気配から逃れるように右方へと移動を始める。遠回りにはなるが、問題ない。森の中には障害物が多いので、死角をとることも難しくはないだろう。


 方向転換後に移動し始めて、しばらくすると再び気配が増えた。三つ目、いや三人目の。

 今度は右後方。最初の気配よりやや右方側。これならば今の経路で問題はない。レストは僅かに戸惑いつつも、先を急いだ。


 増えた。四つ目の気配。今度も後方。

 増えた。五つ目の気配。今度は左方。レストは移動方向を僅かに右方へと変更した。

 増えた。六つ目の気配。今度は更に左方。レストは進行方向を維持して進んだ。


 進み続け、気配は増える。増え続ける。 


 ――どうなっているんだ?


 流石にレストは動揺を抑えきれなかった。ガルフリアが複数体存在する、ということは理解した。恐らくは分身のような能力なのだろう。個体差があるのかはわからないが、それぞれがガルフリアとそっくりな見た目をしていることは間違いなく、なんらかの意識の共有はできているはずだ。でなければ、同時に二体が連携をとるはずがないし、最初のガルフリアの死を理解するのがもっと遅れていたような気もする。


 とにかく敵の数は増えている

 今では十二体にまで。


 レストは自身の感覚を疑った。これはガルフリアではないのではないか。ただの魔獣か動物の気配を勘違いしているのではないか。怖気から、感覚が麻痺し、錯覚しているとは考えられないか。疑問は頭に浮かび続けたが、猜疑心よりも確信が強かった。この気配は間違いなく人間である、と。


 レストは背中に冷や汗を掻く。表情はそのままで、動揺は表に出さない、はずだった。


「…………っ」


 思わず手に力を込めていたらしく、ルスカが小さく呻いた。声を抑えていたので、レストにしか聞こえない程度の声量だったが、レストはその声で我に返った。


 落ち着け。動揺してはいけない。冷静さを欠けば、希望は失われる。本能は制限しろ。理性で本能を操れ。それこそが、生と死の狭間で生きることができる、唯一の方法なのだから。


 レストは手から伝わる体温で、平静を保った。一人ではないということは、時として勇気を与えてくれるものだ。その相手がルスカだったことに、レストは小さな不満を抱いたが、一瞬のことだった。


 幸いにも十二個の気配同士にはかなりの間隔がある。一定距離を保ってはいるが、一部、確実に通れそうな空間があった。その場所を通れば包囲網を突破できるだろう。そう思った瞬間、レストの脳裏に一つの情景が浮かんだ。


 高台でのできごと。この状況。自身の考え。

 すべてを加味した時、レストは強烈な違和感を抱いた。


 ――これではまるで誘導されているようだ。


 ガルフリアはレストの察知能力の上を行く。気配を消し、レストの真後ろに突如として現れたのだ。その力があるのならば、これほどわかりやすい気配を出すだろうか。しかも少しずつ、周りを取り囲み、一つの逃げ道だけを残すなど、まるで狩りだ。幾人かの狩人で狩りをする場合は取り囲み、逃げ道を一つに絞らせ、その先に罠を置いたりするもの。追い立て、つまりこの気配は勢子せこであるとは考えられないか?


 ならば、今すぐ動くべきではないが、他に手があるだろうか。少しずつ追い詰められ、選択肢を奪われている。まさに狩り。狩られる側になればその執拗で残虐な手法に、人間の業の深さを感じずにはいられない。だが、知っているからこそ対策もできる。


 レストは足を止めた。隣でルスカが不安そうにレストを見上げている。だが、レストはじっと正面を見据えているだけだった。徐々に気配が迫ってくる。一方の道だけを空け、ゆっくりと中央へ、レスト達へと迫っている。間違いない。もう、耳で聞こえるほどだ。ルスカもようやく異常さに気づいたのか、怯えた様子でレストの手をぎゅっと握った。


 だが動かない。


 レストはそのまま立ち尽くす。手から震えが伝わるがそれでも動かない。

 気配がもうすぐそこにいるのに、動かない。

 目を凝らせば見える位置にいるのに、動かない。


 月明りが木漏れ日となってレストと周辺を照らした。青白い、淡い幻想的な光が照らしたものは、異常な光景だった。同じ人間が複数、その場に存在していた。まるで鏡合わせのように、同じ顔、赤毛の青年が幾人も、十二人も佇んでいた。レストを見て、冷めた顔をしている。どこを見ても、四方八方十二方、そこにはガルフリアがいた。容姿は同じ、背格好も衣服も鎧も同じ。馬には乗っていない。装備だけが違っている。半分が槍、半分が剣。それぞれが全く違った形式の武器を持っていた。


 やはり、装備自体は造り出すことはできないようだ。ならばやはり肉体、ガルフリアだけを複製できるということか。そこまで考えると、何かの違和感が生まれた。だが、今は考えを巡らせる余裕はない。


 ルスカは何もできず、レストの手に縋ったが、ただ怯えるだけではなかった。震えているが、表情を必死で引き締め、勇気を振り絞っている。腰を抜かし、動けなくなるということはなさそうだった。心境の変化があった、ということだろうか。つまり、覚悟が決まった。今はそれだけで十分だ、そうレストは思った。


 怯えるルスカをよそに、レストは冷静に辺りを見回した。

 と。

 突然、レストは後方へ向けて、走り出した。


 その方向は、当初ガイゼンへ向かう時に進んでいた方向だった。


 予備動作のない行動に、目の前のガルフリアは瞬時したが、すぐに武器を構えた。剣だ。


 十二方からレストに向かって移動してきたガルフリア達だが、完全に包囲できているわけではない。十二人が囲むには余程、近づかなければ逃げ場がなくなることはない。


 むしろ、ある程度、近づかせた方が包囲網を抜けやすいし、抜けられれば追いつくことは困難だ。これは双方とも互いの位置がわかっているという前提の話。レストはガルフリアの気配をある程度の距離まで把握できたし、恐らくはガルフリアも同じだ。だから見えずとも、遠くから近くに移動できたのだから。


 仮に遠くの段階で一方へ移動すれば、その方向に集まっている三人か四人が、一斉にレストの行く手を阻むように移動する。そうすれば、対峙した時、もう逃げることは困難だ。だからこそ近づくまで待った。そしてそれは功を奏した。


 武器を構えたガルフリアの横を通り抜けるべく、レストはナイフを抜いた。ルスカの手は離し、もう片方の手で大型ナイフを抜き、二剣となる。


「ガイゼンに向けて走れ。リオン、頼んだぞ」


 ルスカにだけ聞こえる声量で言うと、レストはガルフリアへと迫った。後方から動揺したルスカの声が聞こえたが、それは一瞬の出来事だった。ルスカは理解したのだ。自分が足手まといであるという現実を受け止めたということだった。


「チッ!」

「シィッ!」


 剣を構えたばかりのガルフリアに二刀を振り降ろす。ガルフリアは見事に剣閃を受けたが、完全に受けに回ったせいで、ルスカとリオンの行く手を遮ることができない。


「クソが!」


 悪態を吐きつつ、ガルフリアは強引にレストの剣を弾いた。


 体重を乗せた一撃、しかもレストは巨躯であり、膂力も尋常ではない。その上での一撃をいとも簡単に跳ねのけたのだ。ガルフリアも体格はいい方だが、レストには劣るし、線もやや細い。なのに、簡単にレストの身体ごと弾いた。しかも片手で。


 あくまで不意を突いたからこそ、ガルフリアの対処が遅れただけに過ぎない。それは理解していたが、こうも簡単に対処されては驚きを隠せなかったが、ルスカのおかげで一度冷静になれたためか、動揺は抑えられた。


 レストは逃げるルスカの背中が闇夜に消えた瞬間を見届けると、ルスカとは違う方向、やや斜めの方向へと走り出した。


「逃がすかよ!」


 獣の咆哮は人の本能を呼び覚まさせる。恐怖。怖気を走らせる、その声音に、レストは歯噛みして耐えた。一戦交えたガルフリア以外のガルフリア達の気配は、レストに集まっている。どうやら『敵である』と認識されたらしい。獲物はレストであると、ガルフリア達は理解しているようだった。


 都合がいい。どうせ、ルスカがいても何もできないし、邪魔なだけだ。今は一人でいる方がいい。来い。おまえを殺すために私はここにいるのだから。


 レストは覚悟を決めた。この場、この時、この瞬間、ガルフリアを殺すしかない。もう逃げ場はない。ならば逃げても、それは殺すための一策に過ぎない。


 草木を縫った。獣と狩人の戦いは、すでに始まっていた。

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