化身
「ここら辺か」
レストは目的の村からある程度、離れた林道を見回していた。ガイゼンから数日離れた場所で、村へ向かうにはこの林道を通らなければ、かなりの遠回りになってしまう。ガルフリアはまずここを通るだろう。ただし、ダルタニアンの情報が正しければ、だが。ダルタニアンは嘘を吐けないが、彼の得た情報が偽物だった場合はどうしようもない。どちらにしても手掛かりはないので一先ずは信じるしかないのだが。
「ここで野営するの?」
隣に立って、レストと同じように周囲を見回していたルスカが言う。レストの荷物はもう担いでいない。ルスカの荷もそれなりの重量になっているので、さすがに両方持つのは重すぎるからだ。そして安物だが、彼女には剣を与えている。
「ああ。しかし、おまえはここから離れた場所で野営だ」
「え? どうして?」
「狩りの邪魔だからだ。私とリオンはここで獲物を待つ。おまえは離れた場所で待機だ。獲物の進行方向と私達の位置を繋いだ射線上ではなく、あちらだ。反対方向で野営しろ」
「……あっちで野営する意味はあるの?」
「奴が警戒するかもしれない。焚火の煙が上がって目立つからな。私とリオンは乾物を食べるから、焚火はしない。おまえは念のため別の、通り道になる可能性がある場所で待機だ。監視のためにな。まさか、野営をしているだけで奴も攻撃してはこないだろう」
「わ、わかった。どのくらいの期間いればいいの?」
「一先ずは三日。それ以上かかる場合は、一旦、奴の目的地である村へ行った方がいいだろう。言っておくが、無駄に目立つような真似はするなよ。一人だが、大丈夫だな?」
「だ、大丈夫、多分」
若干、不安になりそうな返答だった。だが、だからといって作戦を変えるつもりは、レストにはなかった。
「……まあいいだろう。もしも、何かあれば、ガイゼンへ戻れ。私のところへは来るな。いくらかの金は鞄に入れてある、それでどうにかしろ。いいな?」
「うん……じゃ、じゃあ」
ルスカは不安そうにしながらも、レスト達から離れて、移動していった。この二週間程度、最低限の知識は教えている。一人で野営くらいはできるし、なにかあっても自衛くらいはできるはずだ。英雄様の通り道だ、わざわざ賊の類は出没しないだろう。
レストは林道付近にある、高台へと移動した。見晴らしが良く、樹林も林道もほとんど視界に入る。ここならば獲物がどこから現れても射ることは可能だ。
レストは周囲の草木をナイフで刈って足元に重ねる。毛羽立った毛布を乗せると枯葉が表面に纏わりついた。毛布をかぶりながら、弓を構えて確認。問題なさそうなので、樹木や草木に身を隠しながら周囲を警戒し続けた。リオンは足元で伏せたままだ。
弓の弦を張り直して、矢の調子を確認しつつ、目標の到着をひたすらに待った。物音を鳴らさず、じっと林道を眺める。小腹が空けば燻製肉をかじり、乾燥して妙に硬いチーズを何度も噛む。水で喉を潤して食事を終えた。肉と水はリオンにも与える。食料は一週間分はある。それ以上は必要ない。
昼、夕方、夜。一日が過ぎ、朝になる。一睡もせず、レストはじっと身をひそめ続ける。睡魔がやってくるが、慣れたもので痛みや強固な意思で、意識を覚醒させる。
そして、二日目の昼。
その時は訪れた。
人間の集中力は長続きしない。だが訓練でできるだけ長くはできる。レストの集中力の維持時間は三日が限度。しかも、睡眠なしの話だ。だが、それ以上は危険だ。体力的にも限界で、寝なければ失神するし、下手をすればそのままあの世逝きだ。
少しずつ集中が薄れていく中、レストは視界に変化を感じた。林道の真ん中、そこには通行人がいたのだ。レストはぐっと目をこらした。
赤髪、中肉中背、剣を腰に差し、盾を携えて、白馬に乗っている。精悍な顔つき、鎧は地味ではあるが、非常に高価な素材を使っていることは一見してわかる。前情報で聞いた通りだ。彼で間違いがない。間違いはないが、レストは異様な程に動揺していた。
あれは、なんだ?
狩人の本能が警鐘を鳴らしていた。人間とは違う、人間の気配とは違う。遠くでもわかるほどに、あの生き物は周囲の景観から浮いている。皮膚が引っ張られる、刺すような痛みと全身を何かに抑えつけられるような威圧感を覚えた。
遥か遠く。矢で射ることができる限界の距離。小麦程度の小ささに見える。それほど、離れているのに、これほどの圧力だ。目の前で見ればより顕著だろう。
レストは動悸が激しくなっていることに気づいた。自覚なく、英雄の存在感や醸し出す空気に呑まれていたらしい。呼吸を整え、心拍数を抑えて、レストはゆっくりと弓を構えた。だが、思う。
本当に殺せるのか?
不安が一気に膨張した。こんな普通の生物を殺すような武器で、あんなモノを殺せるのか。魔女から貰った召喚石、魔具を召喚すべきか。いや、そんな得体のしれないものに、頼るべきではない。少なくとも現段階では。
レストは矢を手製の猛毒につけた。そして弦につがえて、ガルフリアを真っ直ぐに見つめる。奴は気づいていない。どうやら長距離の相手を見つけるような、能力はないようだ。
だが、本当は気づいているのではないか?
奴は、自身の存在に気づき、罠にかかる時を待っているのでは。
矢を射れば場所がわかる。そのために、気づいていない振りをしているのでは。
覚悟はしていたはずだ。だが、レストには、英雄が異形に見えた。魔王と同列の存在。化生。そんな生物とも判別できない存在を殺せるのか。
失敗は許されない。ここで失敗すれば、奴はレストの存在に気づくのだ。そうすれば、狩りの確率は一気に低くなるだろう。腕には自信がある。だがこの圧力に、腕は震えた。
逃げるな。立ち向かえ。殺せる。奴は確かに化け物じみている。だが、生物だ。生き物なんだ。それは間違いない。考え過ぎている。生きているに違いないのだ。
レストは深く呼吸をし、視線の先、英雄を見据えた。馬に乗り、優雅に歩く青年を視界の中央に捕らえ、息を止め、そして。
矢を穿つ。
ピュッと風音を鳴らし、矢は真っ直ぐ、ガルフリアへと向かった。彼の視界外からの射撃だ。当たる。当たるに決まっている。
会心の一矢だった。
風さえ読み、矢は英雄へ吸い込まれる。
一瞬の静寂の後、木々から鳥が飛び立った。
そして。
ガルフリアが、馬上から地面に倒れた姿が見えた。
レストはそれでも動かない。じっと息を殺して、しばらく静観する。白馬は主人が動かなくなると、さっさと林道を進んでいった。愛馬だったと聞いているが、なんと薄情なのか。
林道に落ちた英雄は動かない。地面に血だまりを生み出している。直撃は間違いない。だが、生きている可能性はある。レストは執拗に動かなかった。じっと英雄の姿を監視する。数十分から一時間に達した時、ようやく重い腰を上げた。
リオンと共に、高台を降りて、英雄の下へ向かった。警戒を解かず、ゆっくりと近づく。周囲に他の敵の気配はない。やはり単独、仲間はいないようだった。
草木を分けて、林道に出る。ナイフを手にしたまま、レストはガルフリアに近づいた。
伏臥位の英雄はピクリとも動かず、周囲に鮮血を漏らしている。背中には矢が真っ直ぐ突き刺さっていた。心臓を貫いている。鎧は部分的なもので、急所を覆ってはいるが、背中までは防護していない。毒が回る前に即死したようだ。これで生きているとは思えない。いくら英雄でも人体であり構造は人間と同じ、はずだ。恐らく、だが。ならばやはり死んでいるのか。
レストはガルフリアの首筋に手を当てた。脈はない。足で身体を返し、仰臥位にさせる。英雄は無表情のまま、口腔から血を垂らしている。瞳孔は開き、すでに意識はないことがわかる。全身のどこも動かない。痙攣もしていない。呼吸もしていない。
完全に、死んでいる。
荷物は馬に取り付けられていた鞄の中のようだ。強奪する気はなかったので構いはしないが。槍は落ちていないようだ。そういえば馬にも備えつけられていなかったが。どこかに預けでもしたのだろうか。ガルフリアは槍の名手のはず。槍がないのは違和感があった。
ふと、首飾りを見てみたが、変化はなかった。これで魂が入ったのだろうか。ただの石のようにしか見えなかったので、光ったりするのかと思ったのだが。
違和感はそれだけではなかった。伝説的な英雄がこんなに簡単に死ぬものなのだろうか。しかし、目の前に転がっている死体は、どう見ても英雄ガルフリアそのものだ。街ぐるみで嘘を吐いているか、勘違いしているかしなければ、あり得ないだろう。それは現実的ではない。
ならばやはり、英雄なのだろうか。魔王を倒したエステアの四英雄なのか。信じられない。もしそれが真実ならば英雄達は、実はさほど強くなく、能力のようなものなんて持ち合わせていなかったが、英雄として祭り上げられたということなのか。
初見の時、感じたあの威圧感と総毛立った感覚は一体なんだったのか。ただの勘違いだったのか。英雄を前に、自分で思っていた以上に緊張していた? 空気に呑まれていた、だけなのだろうか。
たった一撃で殺せたのだ、ならば自身の直感は外れていたのだろう。
レストは戸惑いながらも、ガルフリアの死体を再び調べ、やはり絶命していると確信し、その場を去ることにした。何か引っかかるが、死んでいることは間違いないのだ。ならばここで待機していても時間の無駄だった。
だが、このまま魔女の家に戻る気にはならなかった。もしかしたら別人かもしれない。影武者のような存在か、或いはガルフリアに似ていた人間か兄弟である可能性も、なくはない。もう少し調べ、死体がガルフリアであると確信できた時、魔女の家に戻ればいいだろう。
レストはリオンを伴い、ルスカの下へ帰ろうとした。
「ウウウゥゥゥッ」
リオンは唸りながら、ガルフリアの遺体を睨んでいる。だが、その理由がわからず、レストはリオンに命令し、その場を去ることにした。




