報い
翌々日。
宿で朝食を終えたレストとルスカは街中に出ていた。リオンは留守番だが、かなり不服そうにしていた。数日も部屋に閉じ込めている。不満も溜まるだろう。それももう少しだけ。我慢してくれとレストが言うと、仕方なさそうに喉を鳴らし、リオンは横になった。
街を歩くことにも慣れたのか、ルスカは初日のような臆病な姿勢はなくなっている。楽しげに街行く人々を見て、観察しているようだ。まるで観光だな、とレストは思ったが、諌めはしなかった。言葉で言っても、ただ抑えつけるだけだ。決してルスカは理解しない。ならば無駄な労力をかける必要もないとレストは考えていた。
奴隷であるルスカへ命令をすれば言うことを聞くが、邪魔になったり、問題になるような場合以外は、レストはルスカに何も言わなかった。すでに最初に言っているからだ。この旅がどのようなもので、これからどうなるのか。理解しているかどうかは別問題だ。言ったということが肝要だ。
ルスカはその意味を真に理解はしていない。それでもしつこく説明することはなかった。いずれわかる。身をもって知る。それでいい。その時、初めてルスカは実感するに違いない。もし、その時、奴隷としての契約を忘れたような行動をとれば、レストは容赦なく殺すだろう。そんな考えをおくびにも出さず、レストは隣に並ぶルスカを一瞥すると、正面に向き直った。
ガイゼンの入口、巨大な門戸の横に、門衛が二人立っていた。片方の人間がレストとルスカに気づくと、手を上げた。
「よう、旦那とルスカちゃん」
「ああ、精が出るな」
「おはよう、ゼノさんっ」
門衛のゼノが、爽やかな笑みを浮かべていた。彼はガイゼンを訪れた際に、レスト達に対応した門衛だ。門衛にしてはかなり若いが、ガイゼンの衛兵は平均的に年齢層が低いらしい。魔王侵略のあおりを受け、大人達が戦死したからだ。そこから成長した子供が、中心となって街を運営している、ということだ。もちろん、若者だけではなく、それなりの年齢に達した人間もいる。あくまで全体の傾向の話だ。
「いや、今日はあんまり人がいなくて暇だ。交易商人の姿もほとんどねぇしな。昼からは忙しくなると思うんだけど」
「そうか。では」
「いや、あんたの探し人はきてたぜ」
「本当か?」
「ああ、中央交易所に向かったから行ってみな」
「助かる」
「いいって。一応、手数料も貰ってるしよ」
ニッと笑うゼノに手を振り、レストとルスカは正門から離れて、街中央へと向かった。
まだ朝方のせいか、人通りはそれほど多くない。人口数が少ないので、外部の人間がいなければ閑散としている雰囲気ではある。昼前になるともっと人の姿が増えるのだが。
「ルスカちゃーん」
「シャールだっ!」
遠くで手を振る女性を見つけ、ルスカは嬉しそうに手を振りかえした。そのまま、女性が駆け寄ってきた。
彼女は、以前、レスト達が入った服屋の女性店員だった。最初は奴隷であるルスカを毛嫌いしていたのに、後半になってレストを変態扱いした女だ。あれ以降、なぜかルスカと意気投合し、食事に行ったりするようになったようだった。奴隷ということも気にしなくなっているらしい。思い込みが激しい性格のようで、状況によって良くも悪くも印象が変わる思考の持ち主のようだった。レストは苦手としている。
「あ、変態さん」
レストを見て、シャールはこれ見よがしに距離をとった。別に気にはならないが、こうまであからさまな態度をとられると苛立ちはする。言葉にはしないが。
「さっき、ゼノさんに会ってきたよ」
「お兄ちゃんに? あの、おとぼけ兄、ちゃんと仕事してました?」
「まだ暇だーって言ってたよ」
「サボらなければいいけど……あーあ、頼りない兄を持つと妹は大変なのですよ」
「大変だねぇ」
「あ、そだ、あとで店に来てください。新作ができたのです」
「う、うーん、でもあたしお金ないし」
「いいんですよ。私が着せたいのです、ルスカちゃんに着てもらいたいのです」
何か怪しい光が瞳から発せられた。レストは見ないふりをした。
「じゃ、じゃあ、自由時間の時に行くよ」
「ええ、ええ、そうしてください。待ってますから! では!」
慌ただしく去って行くシャールの後ろ姿を眺めながらルスカは呟く。
「ゼノさんと、シャールって似てないよね」
「ああ、見た目も性格も違うな」
「兄妹ってそういうものなのかな」
「……さてな。羨ましいのか?」
「ううん、別に。そういう風に思うことはもうないよ」
過去はあったのだろうか。レストはふとそう思ったが、すぐに忘れた。
ルスカとシャールは仲が良くなっている。ゼノとも親近感を持っているようだ。レストも話はするが、それだけだ。顔見知り、知り合いの範疇。だがルスカはどうだろうか。
「中央交易所に行くぞ」
「うん、行こ」
ルスカは、自分が奴隷であることを自覚している。軽い態度も、姿勢も奴隷であることを理解した上のものではないだろうか。もしも、敬語を話せ、主人を敬えと言えば、そうするかもしれない。だが、レストはしない。己の意思の強さ。己が選んだ道。その二つの条件によって成し遂げられるものはきっとある。だが、他人に強要されたり、流されるままに何かを成そうとすればきっと、志半ばで倒れてしまう。強じんな精神は、同時に強固な意思が必要だ。彼女にそれがあるのか、レストは試し続けている。
時が来れば、きっとわかることなのだ。
考え事をしていたらしい。気づけば、目の前に中央交易所と書かれた大きめの建物があった。商人が行き交い、入口付近や内部で職員と交渉したり話していたりしている。レストは周囲を見渡しながら目的の人物を探した。
いた。
屋内、奥の方で職員と話しながら大げさに身振り手振りをしている。傍から見れば、胡散臭いように思えた。
レストはルスカを伴い交易所の外に出ると、脇道に入って交易所入り口を監視し始める。
「いたの?」
「ああ」
端的に答えると、ルスカは状況を察し、口を閉ざした。
しばらく待つと、見知った人間が外に出てきた。馬車を率いて移動している。荷台には何も入っていない。すべて卸したらしい。目立たないように後を追うと、相手は細道に入った。そのままレスト達も足を踏み入れる。奴はまだこちらに気づいていない。人目がないことを確認すると、レストは流れるようにナイフを抜き、馬車の荷台に乗った。ルスカも同時に荷台に乗り、姿勢を低くする。
レストはそのまま、男の首下に刃を添えて、低い声を発する。
「声を出すな。叫べば殺す。命令に背けば殺す。許可なく動くな。いいな?」
男はゆっくりと頷いた。言葉をしっかりと理解しているらしい。さすが詐欺師だ。男は目だけでレストを見る。驚愕に満ちた顔だったが、何も言わない。
「ダルタニアン。このまま路地裏を通れ、私の言う通りに進むんだ。まずは真っ直ぐ」
ダルタニアンは言われるままに、馬車を進ませる。レストは人とすれ違いことを考え、傍からは見えないように、腰付近にナイフを隠した。
馬車は裏路地の空き地に着く。周囲には壁があり、声も漏れにくい。ここならば周囲を警戒すれば話もできる。宿へ連れて行くのは危険なため、ここしかなかった。
「声を抑えろ。目立つようなことをすれば殺す。いいな? わかったら話していい」
ダルタニアンは怯えた様子でレストに視線を移す。瞳は揺らぎ、明らかに動揺していた。
「ど、どうして、ここに? な、なぜこんなことを」
「理由はわかるだろう? 詐欺師のダルタニアン」
ダルタニアンはただの交易商人のはずだ。だが、実際にレストを騙そうとはしていた。カマをかけたのだ。言及はしなかった。だがナイフをちらつかされては平静を保てなかったのか、ダルタニアンは震えながら首を振った。
「ち、違うんだ、あ、あれは、ほ、本当に効果があると、い、言われて」
「私はまだ何のことか言っていないぞ」
ダルタニアンは、はっとした顔をして、目を泳がせる。
「そうか、やはり治癒薬に効果がないことはおまえは知っていたんだな? その上で、私に売ろうとした。楽しかったか? 笑いが止まらなかっただろう? 馬鹿な父親は娘のために、効果のない薬品に、安物に大金を払おうとしていたんだからな。しかもそれを希望にして生きていたんだ。そしてこんなことまでするようになった。どうだ? 笑えるか? どうなんだ?」
ナイフを首筋に沿わせると、ダルタニアンは小さく悲鳴を上げた。
「私は嘘が嫌いだ。そして私はおまえが思っている以上に情報を握っている。いいな? 嘘を吐くな。誤魔化すな」
「わ、わかった、ほ、本当のことを言う! た、確かにあの治癒薬はまがい物だ! も、申し訳ない、わ、悪かった、魔が差したん、ひがっ!」
ダルタニアンは助かりたい一心で声量を大きくし始める。レストは反射的にダルタニアンの顔を殴った。ダルタニアンは背をのけ反り、鼻血を出し、ついでに涙も流した。
「うるさい」
「す、すみません……ううっ」
「ラシャ村がどうなったか聞いているか?」
「い、いえ、な、何か、あ、あったんですか」
「盗賊に襲われてな、半数以上の村人は死んだ。だが、安心しろ。私が盗賊を皆殺しにした。娘に手を出そうとしたのでな。で、だ。おまえは娘をダシにして私を騙したんだったな? 殺されても仕方がない。そうは思わないか?」
「ゆ、許して! 許してください、許して、ぎゃが!」
再び顔面を殴打すると、今度は口から口の端から血を流した。
「うるさいと言っている」
「す、ずびません」
「狩人は気が長い。だが、それは何にでも耐えるということではない。必要であれば耐えるということだ。そして狩人は殺す際にためらわない。今、私は耐える必要がない。殺すべき理由もある、が。助かりたいか?」
「は、はい、た、助かりたいです……何でもします、だから、こ、ここ、殺さないで」
ダルタニアンはいつものような余裕のある態度ではなかった。所詮は小物の交易商人。窮地に立たされれば化けの皮がはがれる。
「いいだろう。私の命令はたった一つだ。それで助かるんだ、安い物だろう。しかも、おまえに不利益はない。金も払ってやろう」
ダルタニアンの瞳の奥が僅かに光る。この男、ここに来ても、まだ金が欲しいのか。
「ほ、本当に」
「ああ」
「そ、その条件とは」
レストは間髪入れずに言った。
「私の奴隷になれ」
一瞬にしてダルタニアンの瞳から光が失われた。彼は荷台に乗っているルスカを見た。
ルスカは皮手袋を外して、ダルタニアンに見えるように掲げた。
彼の視線はルスカの右手に移り、そしてすべてを理解したようだった。
「……ならなければ」
「殺す。今、この場でな」
無情だった。死ぬか奴隷か。そんな選択を与えただけだ。どちらも真っ当な人間には死を意味する。社会的な、か、肉体的な、かの違いしかない。ダルタニアンは涙を流し、鼻水を垂らし始めた。
「ううっ……十五で一から商売を始めて、よ、よう、ようやく稼げるようになって、もう少しで店が建てられると思ったのに……こ、こんな、こんな」
「おまえが真っ当な方法で商いをしていればこうはならなかった。おまえがしていたのは商いじゃない。ただの詐欺だ。私以外にも同じようなことをして稼いだのだろう? 泣き落としを使う相手を間違えたな」
ぐふっ、えふっ、と嗚咽を漏らすダルタニアンを前に、レストは顔を近づけて威圧する。
「もしも、この場だけをどうにかして、逃げようとしても世界の果てまで追って貴様を殺す。商売などできないようにしてやる。希望も全て刈り取る。すべて、だ。貴様がしたように、貴様の希望を奪う。誰に言おうとも、官憲に言おうとも関係ない。貴様だけは何があっても殺す。執拗に、永遠に貴様を獲物と定めて生きてやる。それがイヤならば、奴隷になれ」
「うあああ、や、やだ! あう……ど、奴隷は、やだ、やです、やなんですぅっ……奴隷になれば、な、何をされるか。もう、商売もできない。奴隷の刻印つきの商人なんていない。もう店も持てない……ふ、普通の人間じゃなくなるぅ、いやだぁ!」
「安心しろ。焼き印はない」
顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしていたダルタニアンだったが、レストの言葉を受けて、少しだけ平静を取り戻した。
「……へ? で、でも奴隷って」
「簡易契約上の奴隷だ。刻印がなくとも、双方の意思があれば、指輪は作れる。そうだな、ルスカ」
「うん、間違いないよ。奴隷の刻印は、つまり奴隷としてしか生きられないようにするためのものだからね。命令遵守の契約とは違うわけだし。指輪と相互契約があれば命令は聞かせられる。お金はかかるけど、裏で命令遵守の契約を商売をしている人間はごまんといるよ。そういう趣味の人間は結構いるから」
さらっと腐ったことを言い並べるルスカ。この世界がどれだけ異常なのか、レストは理解し利用しようとしていた。
「だ、そうだ。表向きは普通に商売ができる。そうでなくては私も困るのでな。私の目的が達成できたら解放してやろう。安心しろ、そう長い期間ではない」
「じゃ、じゃあ、その、な、なんで私を奴隷に」
「裏切らない人間が必要だからだ。奴隷を買うには金が足らん。その上、奴隷商会で登録がされている分、動きが制限されている。おまえならば商人として各所に移動するし、都合がいい部分もある」
「……な、何をしようとしているんです? あなたは一体、誰なんだ……本当にレストさんなのですか? あの温和だった、父親の」
「そんな過去は忘れた。話を戻せ。今、すぐに決断しろ」
レストがナイフを再び構えると、ダルタニアンは生唾を飲み込んだ。恐怖からか額から汗を垂らしている。そして。
「わ、わかりました……簡易契約ならば、結びましょう。た、ただし、人殺しとかはできませんからね。そ、それに犯罪まがいのことは」
「詐欺師が言えた言葉か?」
「あ、あれは犯罪すれすれの……いえ、も、もうしません。真っ当に商売しますので……」
「いいだろう。ならばすぐに契約だ。裏通りの契約屋に向かう。そこで、おまえにはいくつかの命令をする。その後、話を聞き、行動をしてもらう。犯罪まがいのことは……しない。恐らく」
「ううっ……不安だ。へ、変なことはさせないでくださいよ、ほんと……」
レストはダルタニアンを強引に引き連れて、契約屋へ向かった。
――しばらくして。
レストとルスカは背中を丸めて去って行くダルタニアンを見つめていた、先程とは違い、明らかに生気が失われていた。彼の姿が見えなくなると、ルスカは力なく言葉を漏らした。
「交易商人は旅をするから、各地の情報を知っている、か」
「おかげで色々と知れた」
ルスカは複雑そうな顔をしていた。ダルタニアンと簡易契約を結んだことが不服なのだろうか。それともダルタニアンに命じた内容が気に食わないのか。
あるいは、その方法に不満があったのだろうか。だが、ルスカの本心を聞く気は、レストにはなかった。
とにかく収穫はあった。大きな収穫が。
「鏡の英雄は、近くの村を訪れる。数日の内に、か」
偶々なのだろうか。これほどに時期が重なったのは。しかし、好機であることは間違いない。これを逃せば、次に機会が訪れるまでどれくらいかかるかわからないのだから。ダルタニアンが嘘を吐いている可能性はない。ルスカ同様に基本的な命令はしている。つまり、レストの話した内容を他人に話さない。レストの邪魔をしない。レストに嘘を吐かないという内容だ。
「宿に戻る。準備が終えたら、リオンを連れてすぐに出立だ」
「え? あ、うん……そか。もうこの街とはお別れか」
「そういう生活をするとわかっていたはずだ」
「あ、あのさ」
「何だ?」
何か言いたげなルスカを前に、レストは突き放すように冷たく問い返した。その反応に、ルスカは言い淀み、そしてやがて首を振った。
「なんでも、ない」
「そうか」
レストはルスカが何を言おうとしたのかわかっていた。せめてシャールやゼノに別れの言葉だけでも、そう言いたかったに違いない。それだけで彼女がどういう心境なのかわかった。もし言われれば許可しただろう。だが、同時に失望もしただろう。
ルスカが言外を読み取ったのかどうかはレストにはわからなかった。
無言で宿に帰る。目的に近づいているはずなのに、空気は重かった。