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変態の線引き

 ふてくされているルスカをよそに、レストは目的地を視界に入れた。


「着いたぞ」


 ぷくっ、と頬を膨らませているルスカにレストは嘆息した。


「そんなに怒ることなのか? 毒草を乾燥させていただけだ」

「食べるとこだったじゃん!」

「だから命令しただろう、食べるなと」

「そ、そうだけど、もう少し遅かったらちょっと舐めてたよ!?」

「知らん。おまえが勝手にしようとしたんだろう」

「そ、そうだけど」


 やれやれ、とレストは再び嘆息する。奴隷と主人の関係性が築けているのか疑問だ。だが、別に偉そうにする気もない。特に問題はないし、諌める気はない。足を引っ張るようなことがあれば叱咤するだろうが、いまのところはそのつもりはなかった。


 ルスカは拗ねているようで、レストの後ろを歩きながら、ちらちらとガイゼンを見ていた。普段はどういう生活だったのかは知らないが、少なくとも、現在のようにある程度の自由が許されていたわけではないだろう。もしかしたら、街中を散策できると期待しているのかもしれない。それくらいは許してやるつもりだった。


 ガイゼンに到着した。人口たった三百の街。だがそれでもラシャ村に比べると大規模であることは間違いない。門戸は丸太で作られている。石材できた都市の防壁に比べると簡易的ではあるが、多少の攻撃ならばびくともしないくらいには堅固だ。


 十人程度の交易商人、旅人が正門前で並び、門衛の監査を受けている。荷物の確認、手配書にない顔かどうかの照合、後に問題がなければ中へと入る。商人であれば入場料が必要になるので、多少の銭払いは必要だ。レストには関係のない話だが。


 ルスカは無言でレストの後ろに立っている。リオンは欠伸をしてつまらない時間を過ごしていた。レスト達の時間になると、門衛が対応を始める。比較的若く、爽やかな青年だった。


「職業と目的は?」

「狩人。目的は旅の途中の滞在だ」

「狩人、旅、と。猟犬と、奴隷か。珍しい組み合わせだな。奴隷はどこで手に入れたんだ?」

「友人との賭けでね。奴隷商会で本登録をする予定だ」


 スッと指輪を掲げると、門衛は羨ましそうに嘆息した。


「こんなに美人の奴隷をあぶく銭の代わりに手に入れるなんざ、運のいい奴だな」

「日頃の行いがいいんでね」

「俺も、狩人に転職するか」

「やめておけ、魔獣狩りをしなければ今の給料の半分以下の収入になるぞ」

「そりゃ命がけだ。世知辛いな……いいぞ、入れ」

「手数をかけたな」


 軽快なやり取りを終えると、ルスカとリオンを伴い、門を通った。通りは四人が並んで通れるくらいの広さしかない。馬車がすれ違うと隙間がほとんどないため、頻繁に通行人が足を止めなければならない。だが人通りはそれなりのようで、露店も繁盛している様子だ。寂れてはいないが、都会でもない。木造の家屋に石造の家屋が混じっており、発展途上、といった感じだった。活気はあり、人々の表情は明るい。商人の姿を散見する。


 露店には肉や魚といった一般的な食事に加えて菓子類も豊富だった。ラシャ村から一番近い小都市だが、別の街からも訪れる人間は多いらしい。確か、地理的には雪の王都からそう離れてはいない。レストは昔、王都に行ったことがある。ノアが生まれる前の話だ。


「ねぇ、さっきの、何?」


 ルスカが隣に並び、眉根を寄せて訪ねてきた。さっきまで拗ねていたはずだが、その名残はない。荷物を背負っている姿も最近では見慣れている。奴隷なので諌められたりはしないが、小柄の少女に荷物を背負せているという構図はやや違和感があった。


「さっきの?」

「ほら、門衛と普通に話してたじゃん? 知り合い?」

「いや、初対面だが」

「その割に、親しげだったじゃない? あなたそんなに人との会話が得意なの?」

「苦手だな。だが、必要ならば円滑な会話もする。技術的なものだからな。普段は必要がないからしない」

「あなた、ただの狩人よね? 元は貴族、とかじゃないよね? 色々知っているし、剣も扱えるし、学もあるって、普通の狩人じゃないと思うんだけど」

「昔……妻から教授して貰っただけだ。必要なことだと言われてな。その前は、文字もほとんど読めなかった」


 レストは淡々と答えたが、ルスカは僅かに顔をしかめた。彼女はレストの妻がすでにこの世を去っていることを知っている。


「あ、そう、なんだ、あ、と」

「十年近く前の話だ。気にするな」

「う、うん……その……その奥さんはどういう人だった、とか聞いて良い?」

「別に構わん。妻は貴族の生まれでな。性に合わないという理由で家を飛び出したような我の強い女だった。聡明で負けん気が強く、私とはよく意見がぶつかった。だが反面、寛容で母性に溢れた女だった。元々、身体を動かすことが好きで、幼い頃から剣や馬術の練習ばかりしていたらしい。他の女子は社交性や女性らしさを学んでいたらしいがな。勉強はしなかったが、頭は良かった。だから家族の中でも浮いていたらしい」


 レストは珍しく饒舌に話していた。そんな自分に気づき、我に返る。妻の話など誰かにすることはほとんどなかった。誰もが気を遣い、聞いてこなかったからだ。ノアに昔話をすることはあったが、頻繁にではなかった。多分、娘も気を遣っていたのだ。


 だからか、自分でも驚くほどに舌が動いた。そんな自分を蔑み、レストは口を閉じる。


「彼女から学んだことは多くある。それをおまえに教えているだけにすぎない。独学が主だからな。正規の知識や技術ではない」

「それでもあたしは嬉しいけど。こんな風に色々と知れたり、学べたりしたことないし」

「重い荷物を持たされているがな」

「……これはちょっと気に入らないけど」


 ルスカは辟易した様子で肩を落とした。しかし、すぐに立ち直って辺りを見回した。


「それにしても、こんなに人がいるんだね」

「小都市だ。世界中を見れば、かなり少ない方だが。王都まで行けば、もっと広いし、人も多いぞ」

「へぇ……いつも、馬車の中とかだったから知らなかった」

「街中を歩いたことは?」

「ないよ。一度も。どこかに閉じ込められてばかりだったし」


 レストは同情も何もなく、日常会話のように相槌を打った。


「そうか。ならば存分に見ておけ、一般常識の勉強だ」

「そうだね。そうするよ」


 興味深げに露店や行き交う人達を眺めるルスカだったが、服はボロボロなため、奴隷とはいえ目立っていた。ルスカが近づくと、不快そうに顔を顰める人間が多かった。


 このままだとさすがにまずいか、とレストは周囲を見回した。近場に店があったので、ルスカに声をかけた。


「そこに入るぞ。リオンは外にいろ」

「へ? あ、うん」

「ウォン」


 リオンは小さく吠えて、店の軒先で横になった。


 近場の服屋に入る。中は狭く、商品も少ない。だが、値段は手頃ではあった。簡素な見目の衣服が多く、やや華美さにかけるが、そんなものは必要ない。鞄の類もあるらしい。


「いらっしゃ……い、ませぇ」


 高らかに挨拶をした女性店員だったが、言葉尻は小声だった。レスト達を見て、残念そうにしている。それもそうだろう。汚らしい格好の奴隷は大荷物を背負い、男の姿はどう見てもただの狩人。金を持っているようには見えないはずだ。


「あ、あのさ、あたしいてもいいのかな……?」

「構わん。おまえを外に出しておく理由がない」


 奴隷の入店禁止、とでも張り紙がしていれば配慮するが、そんなものはなかった。ならば気にする必要はない。レストは明らかに嫌悪感をむき出しにした店員の視線を無視し、店内を見回った。ルスカは初めての店に目を輝かせながらも、居心地が悪そうに入り口付近に立ったままだった。


「何をしてる。おまえの服を探している。こっちへ来い」

「え? あ、あたしの?」

「当たり前だ。ずっと、その服のままでいるつもりか?」


 ルスカは自分の服を見下ろした。ボロ布だ。ところどころ破けて肌が露出している。完全に奴隷だとわかる格好だった。足元のブーツも長らく使われて穴が開いている。しかし、彼女の持ち物はそれだけ。彼女自身以外の財産はこの衣服だけだった。


「か、買ってくれるの?」

「そうだ。さっさと選べ。下着は三枚以上、上着と下衣は二枚以上。外套は一枚。靴は頑丈なものを一足。肌着も何枚か買え。値段は気にするな。ただし買う前に私が確認する。旅に有用かどうかの判断は必要だからな。それと大きめの鞄も買え。私の鞄よりも小さくていいが、自分の荷物は持つように。わかったか?」

「う、うん、わかった!」

「よし、ならば買え。いいか、早く選べよ、早くだ。時間をかけるなよ?」

「そ、そんなに言わなくてもわかったよ」


 女という生き物は買い物が長いのだ。ノアも妻もそうだった。しかし、今はそんな悠長にしている時間はないし、無駄だ。レストはルスカに顔を寄せて釘を刺すと、手を叩いた。


「じゃあ。選べ」


 合図を皮切りに、ルスカは急いで店内を見回した。スタスタと目的のものを見つけ、まじまじと眺めて、何枚かを手にとった。


「あ、あのお客様、奴隷に商品を持たせるのは……」


 女性店員がおずおずとレストに話しかける。不快な感情と、憶病な感情が入り交ざっているようだった。レストは体格がいい。恐れるのも無理はないだろう。


「何か問題が?」

「い、いえ、その清潔にしなければなりませんので」

「ルスカには毎日沐浴させている。服は汚れているように見えるが、毎日手洗いさせている。臭くはないだろう。清潔だということだ」

「で、ですがね、やっぱり」

「私の奴隷だ。文句があるようだが、店に不利益を与えるようなことはしていない。購入も必ずするつもりだ。問題があるか? 服一式に鞄、靴も買うつもりだが?」


 店員は困ったように言葉を濁らせていた。レスト達以外には客がいないし、入店時の反応からして客数は少ないのだろう。売れるのであれば、でも奴隷には……と葛藤しているに違いない。そんな中、ルスカは気まずそうに服を持って来た。


「あ、あの、選んだ、けど」

「大きさは合っているか?」

「た、多分」

「多分じゃだめだ。貸せ」


 服を一枚一枚と手にとり、広げてルスカの身体に合わせる。まるで世話好きの父親が娘に服を選んでやっているような光景だった。微妙に年齢は近いが。


「これは大きい。別の服を探せ。こっちは問題ない。下着は履けないが、大丈夫なんだろうな?」

「だ、大丈夫だって! そんな広げて見ないでよ!」


 レストは真剣な顔で下着を見つめていた。安い買い物ではない。無駄なものに払う金はないのだ。真剣だ。買い物に時間をかけるわけではないが、きちんとしたものは買わなければ。面倒臭がってしまうこともあるが、今のレストは真剣だった。下着は大事だ。大きさが合わないと気持ちが悪い、動きも悪くなるのだ。


「靴も履け」

「え? で、でも」

「お、お客様、靴はさすがに」

「衣服よりも靴が一番重要だ。旅の必需品だ。靴ずれでも起こしてみろ、歩けなくなる。問題だらけだ。履いて少しでも歩かなければわからない」

「で、ですがねぇ」


 レストは苛立ちを隠しもせず、店員を睨んだ。ビクッとした店員は後ずさりしたが、さすがにダメです、と引こうとしない。業を煮やしたレストは床に膝をつけ、ルスカのボロブーツを強引に脱がした。


「きゃっ!? ななな、な、なにしてんの!?」

「見ろ、この足を。綺麗なものだ! 臭くもない、むしろ良い匂いだ! わかるか!? 金持ちで見た目は小奇麗にしていても体臭が酷い人間もいる。だがルスカはどうだ、良い匂いだ! 良い匂いがするんだ! 何なら嗅げばいい、そうすればわかる!」

「ば、ばばば、馬鹿じゃないの!? な、何言って、ちょ、は、離して」

「さあ、嗅げ!」

「お、お客様、落ちついて!」

「これが落ち着けるか! 私の奴隷を汚物扱いされたんだぞ!」

「そ、そこまで言われてないって! や、やめてってば!」

「わ、わかりました。わかりましたから! もう履いて結構! ですから落ちついて!」


 女性店員は涙目で叫んだ。レストはルスカの足を抱えたままだったが、やがて冷静になり、手を離すと立ち上がった。身なりを整え、無表情で言った。


「わかればいい。最初からそう言えば、私は何も言わなかった」

「な、な、何してんのよ、もう! へ、変態じゃないの!?」

「私のどこが変態なんだ。事実を教えただけに過ぎない」


 レストは至極真面目に答えた。心外だ。ただ、嫌疑を晴らそうとしただけなのに。


「……あなた、娘さんにもそんなことしてるんじゃないでしょうね」

「娘の足を掴み、他人に嗅げと言ったことなどないぞ」

「そ、そうよね、さすがに異常すぎるもんね」

「ただ、髪を匂うことは多々あった」

「変態じゃないの!?」


 レストは首を傾げた。何が問題なのかまったくわからない。


「娘の髪を匂うことがダメなことなのか? 芳香洗剤は良い匂いがするぞ。それに娘の髪も独特のいい香りがするんだ。癖になるぞ」

「あの、娘さんって……おいくつで?」

「今年で十歳になる」

「どう思う?」

「変態ですね」


 なぜかルスカと店員が頷き合っていた。おかしい。さっきまで店員は奴隷、汚いなどと言っていたし、ルスカは居心地が悪そうにしていたのに。この短時間に何があったというのだ。レストは前後不覚になり、恐ろしくなった。女の同調性は知っている。いつの間にか仲良くなったり、仲が悪くなったりするのだ。その一端を垣間見て、レストは思った。


 私は変態じゃない、と。


「あ、えと、じゃあ、履いて良いかな?」

「ええ、大丈夫です。そこの変態さんに、嗅がれる前に履いちゃいましょう」

「あ、ありがと……あ、ピッタリかも。履き心地もいいね」

「それ、結構いい皮を使っていまして、衝撃も吸収するような底になっているんです」

「いいね。あ、これ、でも結構高い……」

「安くしますよ。ほら、こんな変態さんと一緒に居るとなると大変でしょうし。足は保護しないと。足だけは危険ですからね、色んな意味で。あと髪も。ルスカさんは綺麗な髪してますから、狙われてますよ、きっと。帽子も買いましょうね。必需品ですよ。夜とか、実は嗅がれているんじゃないですかね」

「そ、そうかな……そうなのかな。その、そういう卑猥なことはされていないと思うけど」

「いいえ、そうに決まってます。表面上まともな人の方が変態です。だから気を付けてくださいね。気を許した瞬間、くんくん嗅がれますよ。間違いないです」

「あ、ありがとう、が、頑張るよ」

「ええ、頑張ってくださいっ。では、あと鞄でしたっけ。それでしたらオススメが」


 などとルスカと店員が話しているのである。レストはいつの間にか蚊帳の外だった。どうしたことか、何があったのか、レストには理解不能だった。


「じゃあ、これで」

「いやはや、ありがとうございます。すみません、色々と失礼なことを」

「いいんだ、奴隷なのは間違いないし」

「いえ、偏見でした。あなたのように素敵な人もいるんですね」

「ありがとう……あ、ご主人様、会計お願いね」


 なんなのだこれは。こんなに納得がいかないことはない。なぜこんな取ってつけたような言われ方をしなければならないのだ。そう思うのに、二人の圧力に、何も言えなくなってしまった。入店時とは関係性が著しく変わってしまった。足を嗅げと言った時からだ。何がいけなかったのか、そんなに嗅がせるという行為はしてはならないことだったのか。


 娘のノアは嬉しそうに、くすぐったいよお父さんとか言っていたのに。あれも、もしかして、気持ち悪い、とか思われていたんだろうか。


 父であるレストは無表情で汗を垂れ流した。もし、ノアにうざいなどと思われていたなら、死ぬ。冗談ではなく、精神的に死ぬ。彼の頭の中はノアのことで満たされた。しかし妄想は悪い方向に進み、ノアが不快そうな顔をしてレストを罵倒する場面になった。なんてことだ。あんなに愛らしい顔を歪ませて、キモイ、とか言い出したではないか。


 レストの自我は崩壊した。そのまま無心で金を払い、衣服を買った。


「着て行かれますよね?」

「うん、ありがとう」

「いえいえ、試着室へどうぞ」


 きゃっきゃと楽しく談笑している二人をよそに、レストは固まったままだった。


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