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鏡の英雄 前編

 魔王を討伐した四英雄の一人、鏡の英雄ガルフリア。彼の半生を一言で表すならば騎士道である。


 生まれは貴族だった。騎士の家系で代々、騎士として死んでいった。彼もご多分に漏れず、騎士として生きた。しかし、時代は彼等を受け入れてはくれなかった。金に塗れ、権力に縋り、甘い汁を吸う貴族の中で、騎士道を突き進む彼等は次第に孤立していったのだ。やがて十三の時、彼は没落貴族となった。


 しかし、すでに騎士としてその道を歩み始めていたガルフリアの精神は決して折れることはなく、騎士道を貫き続けた。糊口をしのぎ、平民として生きながらも、その姿勢は崩れることはなかったのだ。


 父は騎士道、という言葉が口癖だった。ガルフリアは父の教えに従い、真面目に鍛練に取り組み、騎士道精神を受け継いだ。しかし、まだ若かったガルフリアにはその意味がわからなかった。そしてある時、父に尋ねた。


 ――騎士道とは一体、何なのか。


 父は言った。「騎士道とは、何なのか。それはおまえ自身が見つけるものだ」と。


 父は事実上、騎士ではなくなっていたが、それでも騎士道を貫き、最後には戦争に赴いて戦死した。騎士の汚名を晴らす、と意気込んだ矢先のことであった。


 残った母は病床に伏せっていた。


 死の間際、

「立派な騎士になるのです。どんな時でも、どんな環境でも、何があっても」


 そう言って命を引き取った。その時からガルフリアは天涯孤独となった。


 それからガルフリアは一人、騎士として生きていた。栄華など存在しない、傍から見れば騎士と形容しがたい生活だった。けれど、力に目覚めてからはすべては一変した。


 騎士道とは正義ではない。彼の思い描く、騎士としての規範に沿う生き方だ。それ以外の何物でもなく、崇高なものでもない。己のみが邁進する、孤高なものに他ならない。


 魔王を討伐した後、ガルフリアは一人で旅を続けた。彼の騎士道は、弱者を守り、悪者を砕く。正しき心を持ち、悪しき心を淘汰する。その裁量は彼に委ねられている。法も、他者の意見も考慮しない。そこにあるのは、彼の信念だけだった。


 そんな鏡の英雄、ガルフリアは雪の国内で今日も村々を回っている。彼の日課である。年間を通し、多くの村や町を訪れるのだ。あまりに山奥だったり閑散としている場所は、除外される。彼にとって、人口の多寡は優先順位に含まれる条件でもあったからだ。基本的に大都市経由で、周辺の村々を訪問する形式をとっている。


 ガルフリアは雪の王都から少し離れた場所にある、百人規模の村を訪れた。彼の愛馬、ランスに跨って移動していた。村に入るとランスから降りて手綱を引く。住民達がガルフリアを見つけ、喜びながら近づいてきた。


「ガルフリアさん! お久しぶりです!」

「あ! ガルフさんだ! 遊んで、遊んで!」

「あ、あの、ガ、ガルフリアさん、きょ、今日のお泊りは私の家に……」

「悪ぃな、やることがあるからよ、勘弁してくれ」


 多くの村人は彼を歓迎した。ガルフリアは不器用に笑いながら、対応した。邪険にもできず、やんわりと押しのけて、村長の家へと向かった。


 庭の柱に手綱を括り、ランスを撫でてから玄関を叩いた。すぐに出てきたのは特徴のない初老の男だった。村長にしては若い方だろうか。


「これはこれは、ガルフリア殿。お久しぶりですね」

「ああ、久しぶりだな、村長」


 ガルフリアは村長の顔をあまり覚えていない。雪の国内、多くの村や町を巡っている彼だったが、話した相手や長のことはおぼろげにしか記憶に残っていない。


「定期巡回だ。何か困ったことはねぇか?」

「いえ、今のところは特には。ガルフリア殿のおかげで、周辺に賊の類は出没しなくなりましたし、国内の犯罪も少なくなっているおかげですな」


 巡回の順路は決まっていない。多くの村を訪れるようにしているため、盗賊のような悪人はガルフリアの存在を恐れている。何かあれば彼がすべてを解決するために現れるという噂が裏界隈で流れているらしい。


 もちろん、ガルフリアの移動手段は馬や徒歩であり、国内といえど遠方に突如として現れるはずがない。だが実際、彼に討伐された賊が後を絶たなかった。そのため賊達の活動は、なりを潜め始める。追いやられた盗賊達は山奥のような辺鄙な村を襲うようになったようだった。だが、ガルフリアの行動は変わらない。彼の中の優先順位では、人口の少ない村は最下位だからだ。あくまで暫定的ではあるが。


 まだすべてを巡回することは難しい。


 ガルフリアは村長の話を聞き、この村には問題がなさそうだと判断した。だが、目に見えない問題を抱えている場合も考えられる。一先ずは村に泊まり、村内を見回るか、と思っていたら、村長が唸り声をあげる。


「うーむ、実はその、問題というかですな、村人の中で重病に罹った者がおりまして」

「病気か。どんな病だ?」

「結晶病、とか。治療法もない、奇病らしいのですが」


 ガルフリアは、英雄の一人で、過去に行動を共にしていた女の顔を思い浮かべた。あの奇人が確か話していた。


「知っているぜ。死に至る病だったな」

「ええ……かなり珍しいらしく、治る見込みもないのですが……その、家族は治そうと、他方で治療法を探しておりまして……ですね……」


 言い難そうに、言葉を濁らせていた村長に、苛立ちを隠しもせず、ガルフリアは言った。


「率直に言えよ」

「は、はい。その病気になったのは、ある家族の母親です。その家族は父親、母親、息子の三人家族でして。どうやら、父親は妻を治そうと、怪しげな治癒薬に手を伸ばそうとしているようで。必死で金策してはいるのですが。そのために、かなり貧困な生活をしておりまして」

「子供にも悪影響を及ぼしている、ってところか?」

「え、ええ、その通りでして……村の者も、私も含め、どうにかしてやりたいとは思うのですが、いかんせん父親が、かなり心を病んでおりまして。色々、声をかけてはいますが、まともに聞かず」


 ガルフリアは考え込む。村長の言葉通りならば、一つの家族が破綻しかけているということになる。その発端は、母親の結晶病によるもの、と。それを父は治そうとし、治癒薬を購入しようとしているが、高級で、しかも効能は詐欺である可能性が高い。


 あの女も、結晶病の治療方法はまだ提唱されてもおらず、未だにお手上げの状態だと話していた。腕だけは確かな奴だ。間違いないだろう。たった十年前の話だ。仮に結晶病の特効薬とやらが出来たとしたら、ガルフリアの耳にも届くはずだ。


 なぜなら、同じ英雄の功績なので、どこかで情報を得られるはずだからだ。ご丁寧に、どこの英雄は今どうしている、どんな状況だと誰彼かまわず教えてくるのだ。ガルフリア自身は興味はないし、長い間、交流はないのだが。


 とにかく、あの女が治療方法を開発した、などという話は聞いていない。それはつまり、この世の誰にもできていないということであると、ガルフリアは確信している。


 ならばやはり、詐欺ということになる。


「一度、俺が様子を見てこよう」

「え? よ、よろしいので? こんなことを英雄殿に任せるのは……」

「俺の使命は別に悪党を処刑することだけじゃないからな」

「は、はあ、そうですか」


 村長は、大丈夫だろうかと不安そうにしていた。彼にとってはガルフリアは騎士そのもの。荒事は得意だが、こういう繊細な問題に首を突っ込ませれば、余計に悪化しないだろうかと心配しているのだろう。だが、それは杞憂だ、とガルフリアは鼻を鳴らす。


 村長の案内により、ガルフリアは目的の家族の家までやってきた。扉を叩くと、やつれた顔の男が出てきた。彼が父親らしい。


「俺はガルフリアだってんだが。知っているか?」

「……確か英雄様の」

「そうだ。事情を小耳に挟んでな、入っても?」


 父親は逡巡していたが、やがてガルフリアを中へと促した。


「どうぞ」


 中に入ると、衣服や物が散乱していた。清掃なんて数ヶ月、もしかすると年単位でしていないかもしれない。足の踏み場もないが、ガルフリアは無視して、避けずに歩いた。屋内奥には部屋が一つ、二階には部屋が二つあるようだった。


「奥さんの見舞いをしたいんだけどよ」

「……妻には会わせたくありません」


 結晶病がどういうものかは多少は知っている。移るような病ではないはずだ。だが、父親は厳として拒絶した。恐らく、妻の姿を見せたくない、という感じだろうか。現状、彼の妻が異常な状況になっているのか、それとも単純な独占欲からなのか。


 ガルフリアは部屋の扉が開いていることに気づき、凝視した。扉の影からは子供が顔を出して、こちらを窺っている。視線が絡むと、慌てて中へと戻って行った。


 それだけでガルフリアは事情を察した。


「あ、あの! ちょっと!」


 父親の制止を無視して、二階へと向かう。


「あ、あなた! い、いくらなんでも不作法だ! ひ、人の家を勝手に歩き回るなんて! 英雄だったらなにをしてもいいのか!?」


 父親を無視して奥の部屋に入る。一室は他の部屋とは違い綺麗に片づけられ、まるで別世界のように清掃が行き届いている。簡素な家具の類もなく、色取り取りの小物が並んでいた。壺、大きな石、何かの装飾品。明らかに異常で、それは恐らく父親が集めたものであろうことはわかった。恐らく、彼女を治そうと思って、まがい物を掴まされたのだろうか。


 それよりも奇妙な光景が目に入った。淡い青に染まった髪の女が、じっとこちらを見ていたのだ。だが、双眸には理性の光はなく、まばたきもしない。意識がないのかと思ったが、僅かに瞳は動いていた。さすがのガルフリアも、想像だにしていなかった光景に僅かながらに動揺した。


「……これは?」


 ガルフリアが振り返り父親に尋ねる。父親は顔を伏せ、わなわなと震えた。


「つ、妻は……人と話すのが苦手で」


 苦手、という状況ではない。明らかに、彼女はまともな状態ではなかった。意識はあるのに、人間的な行動は薄い。感情の起伏はなく、無表情のままだった。生きているだけ。心臓が動いているだけ。彼女は人間ではない。ただの人形だ。


 ガルフリアは母親に近づいた。真横に立っているのに、母親は微塵も動こうとしない。


「や、やめろ! 妻に、近づくな!」


 優男である父親は力づくでガルフリアを部屋から追い出そうとした。だが、強じんな肉体を持つ彼を僅かにも動かすことはできない。ガルフリアは突き刺すような視線を父親に向けた。


 父親は身を竦め、ガルフリアから後ずさる。小刻みに身体を震わせ、床に視線を落とす。そして瞳を濡らし、やがて大粒の涙を流し始める。


「……あ、ああ、あ、あああ、な、なんで、こんな……つ、妻は良く笑う人だった、優しくておおらかで……誰にでも好かれるような、そんな人だったのに……い、今は、もう声も出さない、笑わない、怒りも、泣きもしない。びょ、病気が進行してしまって、こ、こんなことに……」


 身も世もないとばかりに、父親は泣き叫んだ。嗚咽を漏らし、泣きじゃくる姿を前に村長は憐憫を向けた。黙して、ガルフリアについてきた村長だったが、初めて彼等の実情を知ったらしかった。村長はガルフリアに視線を向け、どうするのかと問いかけてきた。


 どうするか? そんなことは決まっている。己の騎士道精神に則り、すべきことをするだけだ。


 ガルフリアは父親を見下ろした。そこには感情はない。彼にあるのは義侠心でも正義感でもないのだから。


「……で、でも、そ、そう、もうすぐ、もうすぐ助かるから……治癒薬が手に入れば、症状が緩和するって、言われた。高級だけど、大丈夫、なんとかするから……僕がなんとかするから、ね、だから、だからさ、お願いだ、もう一度、笑っておくれ、僕に向かって、笑って、怒ってくれ。お願いだ、お願いだから……お願い、お願い、お願い……お願いだ」


 父親は妻に縋り、懇願を続けた。哀しみのあまり、すでにガルフリア達の姿は目に入っていないらしい。村長とガルフリアは無言でその部屋を立ち去った。憐れな父親を背に、家を出ることしかできない。


 玄関の扉を閉じると、村長がやりきれない表情で歯噛みしていた。


「……事情はある程度、知ってはいましたが、まさかここまでとは思いませんでした」

「仕方のないことだ。あんたは村長だけどよ、赤の他人だ。できることは限られてるんだからよ」


 村長は顔を顰め、どうしていいかわからない様子だった。善人なのだ。だが、それは恐らく、自分が当事者ではないからだ。他人だからそんな風に同情できる。


 彼の心情はわかるが同調はしない。村長は父親だけを見て、彼に強い憐憫を抱いているようだったが、ガルフリアはそうは思っていなかった。


「子供、見たか?」

「え? いえ……母親がああなってから、家から出た姿は誰も見てないとか」

「虐待されていた。身体中痣だらけだったぜ」

「そ……そんな……あんなに元気な子だったのに。それは父親が?」

「他に誰がいる。決まってんだろ」


 村長は顔を何度も振り、そんな馬鹿な、なぜと呟いていた。

 妻が結晶病になる前まで、家族は上手くいっていたのだろう。しかし大病を患い、一家の中心だった母親が病床に伏せてから家庭は壊れた。父は妻のために時間や労力を割き、心を病み、やがて子供に当たり始める。


 子供の立場で考えれば、愛していた母親は死にかけ、優しかった父親は暴力的になり、人が変わってしまった。毎日虐待され、家も出られない。食事もまともにしているのかわからない。少なくとも、身体は痩せ細っていたし、小動物のように憶病になっていた。元々は元気な子供だったらしいのに、だ。


 結晶病に侵され、徐々にまともに動けなくなり、次第に死に至る母親。

 愛していた妻を治そうと、必死で金を貯め、様々な方法を試し、心を壊した父親。

 母は重病で死にかけ、父からは虐待されている子供。


「一体、誰が不幸なんだろうな」

「……儂にはわかりかねますな……それに、してやれることも思い浮かびません」


 それが当然。家族であろうとできることは限られている。仮に、子供を助けようとすれば、父親が何をするかわからない。無理矢理引き剥がせば、彼の精神は崩壊するかもしれない。完全な孤独は心を蝕むからだ。或いは、子供が離れることで、怒りを覚えるかもしれない。一方的で押し付けがましい決めつけによって。だが、子供のことを考えれば他に選択肢はないだろう。しかし、それが本当に正しい選択だろうか。


 母は必ず死ぬ。

 父の肉体も精神も限界だ。

 両親を見捨てて、子供は逃げるだろうか。


「戻る」

「え? は、はい」


 ガルフリアは村長の家に向かった。ランスを連れて、その後、宿に行くつもりだ。村に一つしかない安宿だ。


 ガルフリアは必ず寝床は一人で入る。女と共に時間を過ごすことはない。苦手なわけではない。必要ではないだけだ。騎士道の中に、女と秘め事を行うことは入っていない。


 ガルフリアの心は揺るがない。何があっても、何をしようとしても、何をしても。彼の信念は一つ。彼の中には一本の柱があるだけ。それ以外には存在せず、その柱は決して倒壊しない。騎士である彼は、騎士以外の何者でもない。何にも流されず、何にも影響されない。それは強い意思でもあり、弱い意思でもあった。


 ガルフリアはランスと共に宿へと泊まった。


 手厚い歓迎の後、静まり返った夜が訪れる時間をひたすらに待った。

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