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「なにやってんだ、お前」
四方を石壁に囲まれたその部屋が何と呼ばれているかくらい、世間知らずのロゼだって知っている。自分が住んでいる、ホルダード城の地下にもあったし。
「見れば分かるでしょ? 投獄されてるの」
四メートル四方のその部屋には、粗末な鉄製のベッドとわら布団、薄っぺらな毛布しかない。床と壁の石は冷たく空気はかび臭かった。
彼女が持っていた巾着と箒はここに放り込まれる際、使用人と思しきがっしりした大男二人に取り上げられていた。
彼等に連絡したあの青年は、逃げないようロゼを捕まえておくという任務を終えた後、さっさとどこかに行ってしまった。
蔑むような……虫けらでも見るような彼の氷の色味の瞳を思い出し、ロゼの腸が煮えくり返った。
「全く、トンデモナイ男だわ」
「お前が望むなら骨も残らぬほど燃やしてやるぞ?」
「そこまでしなくていいわよ」
「なんでだ? 不当に投獄されてるんだろう? それとも何か罪を犯したのか?」
軋んだ音を立ててベッドが揺れる。ロゼは落としていた視線を上げ、隣に座る男を見た。
赤い髪に赤い瞳、日に焼けた肌に赤い爪の美男子がにやりと笑いながらこちらを見ていた。
「だとしたら、俺がロゼを裁くことになるな」
「冗談じゃないわよ、アンタの炉に突っ込まれるいわれは無いんだから」
頬を膨らませて睨むロゼを、濃い赤のコートに黒のズボン、胸元にはさらしという出で立ちの青年がうっとりと見詰めた。赤い髪に適当に巻いたターバンの宝飾品がきらりと光る。
「俺がお前に突っ込みたいのは炉じゃないんだけどな」
「消えなさい、好色魔人」
「その称号、俺にぴったりだよなぁ」
くすくす笑いながら、炎の精霊王サラマンダーは彼女の頬に手を伸ばした。
無言でそれを払いのけ、悪びれもせずにこにこ笑う彼に嘆息する。
「他の精霊と同様、呼ばれたときに出てきなさいよ」
「呼ばれたと思ったんだけどな、俺は」
「呼んでません」
きっぱりと断言してから、ロゼは改めて室内を見渡した。
「っても……なんか肌寒いのよね、ここ」
学院の塔の最上階で拘束された彼女は、そのまま塔の地下深くに連れて来られていた。窓が無く、灯りは小さなランプしかないそこに満ちている空気は、ぞくりとするほど冷たい。
「凍死はしないまでも……風邪は引きそうだわ」
ドレスの裾から忍び寄る冷気に、肌を摩りながらロゼはちらりと隣に座る男を見た。
腕を組んで座る彼は、赤い瞳をきらきらさせにこにこ笑っている。
明らかにロゼからの命令を待っているという感じだ。
だが、ロゼとしては彼にほいほい物を頼むのは気が進まなかった。
「どうした? 今ここに、全ての炎を操れる王が居るんだぞ? ここを暖めるくらい簡単だ」
「…………なにと引き換えに?」
じろりと睨みながら訊けば、彼はうっとりとしながらロゼの両手を取って握り締めた。
「もちろん、一番は君の純潔だ」
「却下」
ぱしりと手を振り払い、ロゼは嘆くよう頭を抱えた。
「ていうか、何時になったらアンタは私を諦めるわけ?」
「お前が初めて俺を召喚し、その綺麗な赤い瞳で見上げた時に……俺はお前と生涯を共にすると決心したんだ」
「せんでいい」
間髪入れずに突っ込む。だが、サラマンダーは一切取り合わなかった。
「あの時の君は……どの精霊にも負けず劣らず美しく可憐で、その赤い瞳は俺のとそっくりで」
「とにかく、アンタには頼まないから消えて頂戴」
「相変わらずきっぱりとしたその拒絶……堪らない」
ドMなのかといっそ乾いた眼差しで見詰めていると、不意に鉄製の扉の向こうで空気が揺れるのを感じた。
風の精霊の気配ではない。
彼女達にした「イケメンとのキス」という報酬を与えていないので、彼女達はロゼが命の危機にでも合わない限り助けてはくれないだろう。
やがてコツコツと石畳を踏む靴音がロゼの耳に届き、彼女は己の澄んだ感覚が誰かがここに来ようとしているのをキャッチしたのだと悟った。
「―――誰か来る」
「……相変わらずの千里眼っぷりだな」
扉に目を向けて、サラマンダーが感心したように頷いた。
「俺ですら今、やっと気配を捉えたのに。訪問者はまだ二階上を歩いてるぜ?」
「唯一の特技だもの」
さらりとそう返しながら、ロゼは意識を集中した。赤い瞳が徐々に色を失い、真っ白なかき氷に滲む苺シロップのような淡いグラデーションを描き始める。
美しくもはかなげな色味を持つその瞳が、彼女にしか見えない映像を捉え始めた。
(螺旋階段を降りて来る人物は、三名。一人は黒い髪の男性で年の頃は四十くらい。後の二人はこの学院の学生っぽくて、十代後半から二十代前半……)
近づくにつれ、学生の一人の髪が等間隔に並んだランプの灯りを跳ね返して金色に輝くのが判った。それから白いコートに黒い上下。
端正な顔立ちまではっきりと見て取り、ロゼは呻いた。
「あの男だ」
首を絞められたような、苦々しい彼女の声にサラマンダーがすっくと立ち上がった。
「どうやら、俺のロゼをこんな所に放り込んだ理由を説明させる機会が巡って来たようだな」
ばきばきと両手の関節を鳴らし、精霊王はにやにや笑う。やれやれというように彼女は首を振った。
「何もしなくていいから」
「お前の命令はきかん」
「どうしてアンタはそうなのよ! 力を借りたいときはちゃんと言うから」
「俺は力を貸したいわけじゃない。ただ単にあのすかした野郎を火だるまにしたいだけだ」
「アンタがやったら死んじゃうでしょう!?」
「当然だ」
精霊たちに善悪は無い。あるのは自分の『好き嫌い』だけ。
嫌いと判断すれば、相手の事情や状況など全く顧みることなく破滅させることもいとわない。
彼等を使役するという事は、いかに彼等の気まぐれを抑え、魅了する事が出来るかに掛かっていると言っても過言ではないのだ。
「お願いだから、今は私を尊重してくれないかしら」
低い声でそう頼み、じろりと睨む。
「そのキリっとした目と厳しい口調が堪らない……」
再びうっとりしたような眼差しで見詰められて、ロゼは喜んでいいのか気持ち悪がるべきなのかと遠い目をした。まあ……それでロゼの言う事を聞いてくれるのなら……我慢するべしということか。
「ま、殺す云々は置いておいて……万が一、お前に危害を加えようとするようなら、俺も容赦はしないからな」
そっとロゼの手を取り、手の甲に口付ける。
「それくらいは譲歩しろ?」
上目遣いで見詰められる。乙女ならころりと行きそうなその仕草だが、ロゼはきちんとこの男の性質をわきまえている。
「下心が見え見え」
「えー」
「何が、えー、だ。そんなセリフで私が落ちると思ったら大間違――――」
不意に、鉄製の扉から金属音が響いて来る。
かちり、という鍵の回る音。続いて外から引き開けられる際の蝶番の軋んだ音が、冷たい石壁に反響する。
煌々と輝く熱水晶の白い灯りが目を射り、ロゼは手を目の前に翳して目を細めた。
「……君がコールリッジの名を騙るニセモノか?」
低く、威厳に満ちた渋い声が、何もぼかす事無く真っ直ぐに尋ねて来る。
サラマンダーが軽く口笛を吹いてにやにや笑うのを目の端に捉え、ロゼは気合を入れ直した。
「確かに私はコールリッジの名を名乗りましたが、騙ってはいません」
「では君こそが―――」
眩しい光の向こうで影になった存在が、見下すように鼻を鳴らす。
「我が学院が望んだ人物であると?」
微かに冷笑を含んだ物言い。
「随分とお若く見えるが」
ロゼの背筋がピンと伸びた。白光が容赦なく彼女の顔を照らすが、彼女は一切目をそらさず、光の中に埋もれているであろう三人組を睨み付けた。
「歳を取っているからといって偉いとは限りませんわ、サー」
にっこりと唇の両端を吊り上げて見せる。
「老いては子に従えと申しますし」
誰かが息を呑むのが分かる。
張り詰めた一瞬が漂い、ロゼは相手がどんな手段に出て来るかと身構えた。
ゆっくりと熱水晶のランプが降ろされ、フィルターが掛けられる。強烈な白光が成りを潜め、数度瞬きしたロゼはようやく、その三人組の『実態』を見た。
千里眼で見えた人物像と大体同じだ。ただ表情が違う。
ポーカーフェイスでこちらを眺めている、四十代くらいの男性。濃いブラウンの髪を後ろに撫でつけ、口ひげと鷹のような眼差しと眉間の皺が特徴的だ。
その一歩後ろに居るのが、白のコートと黒のドレスという学院の制服を着た女性。黒髪と神秘的な紫の瞳が特徴的な美少女。
そして……。
「先ほどはどうも」
どうしても何か言ってやりたくて、不敵に微笑んだままロゼは冷ややかに告げた。視線が捉える青年は端正な顔の片眉を上げただけだった。後ろに手を組んだ姿勢のまま、微動だにしない。
「……どう思うかね? ガーランド、コナー?」
師と思しき男性に尋ねられた学生二人が、目を細める。自分の資質を確かめられているのだと悟り、ロゼはしかめっ面をした。
「失礼ながら、アルマ教授……私には彼女はただの一般人にしか見えません」
美少女がきっぱりと告げた。紫の瞳が冷やかにロゼの全身をスキャンしていく。
「魔力がある古代魔法使いにはとてもじゃないですが見えません」
「どういうのが古代魔法使いなわけ?」
思わずロゼの口から言葉が零れていた。
「とんがり帽子と黒猫?」
おどけて言えば、きっと睨まれる。
「魔力があるモノは長じて魅力的な人物と私は考えます」
「帽子と黒猫があれば私も魅力的なのよ?」
茶化す発言に、美女は顔を真っ赤にした。今にも噴火しそうだ。その様子にロゼはこっそり笑った。
直情型でプライドが高そう。
それがロゼが彼女をスキャンした結果だ。
「そちらのお兄さんはどうかしら?」
視線を転じると、彼は無表情でこちらを見て居た。だが、薄い水色の瞳には挑むような炎が燃えている。
「私は魔女の名を騙る一般人?」
「――彼女が……古代魔法使いの名を騙ったニセモノだと断言するのは早急かと」
意外な返答に、ロゼは微かに眉を上げた。
「ニセモノだー、って捕まえたのはあなたでしょ?」
「コールリッジ家の者はすでに着任し、このマールディア・コナーが助手を務めているからだ」
穏やかなのに、どこか物騒な……柔らかな枕に包まれた短剣のような、実体の判らない優しさと危険さをはらませた声音で、彼は続ける。
「すでに幾つも講義を行い、学院での評判はコールリッジに相応しい物となっている。だが君は……」
腰まであるぼさぼさのピンクゴールドの髪。微かにそばかすの浮いた白い頬はリンゴ色。紅色の瞳は丸く大きく、小柄な体型はどう見ても十代の少女だ。
「人にモノを教える雰囲気が無い。先ほども……今も」
むっとしたロゼが言い返す。
「そんな理由でニセモノ扱い?」
「尊敬できない人間から何かを教わろうと思うか? 自分よりも劣っている人間から?」
「劣ってるかどうかは見てみないと―――」
「彼女から何かを教わりたいと願う学生は皆無だと思います、アルマ教授」
憤慨する彼女を無視し、青年はきっぱりと教授に告げた。
「ですが、彼女がホンモノだった場合……厄介な事に巻き込まれるのは目に見えてます。現に、どちらかがニセモノで、ニセモノが学院に入り込んでいるんですから。まあ、九十九パーセントこの小娘が偽物だと思いますけど」
そんな彼の辛辣な発言にアルマと呼ばれた男性が、苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「確かにその通りだ、ガーランド」
だがどうしたものか……。
そんな呟きが聞こえ、ロゼはうんざりしたように溜息を吐いた。
「私から言わせてもらえば、先に到着したというその教師はニセモノで間違いない。何故なら私がコールリッジの血を引く者なのだから」
当然でしょ、と胸を張る。だが青年は冷笑を返すのみだ。
「……だとしたらニセモノの方がまだましだ」
「聞き捨てならねぇなぁ」
今まで黙って聞いていたサラマンダーが声を発する。不貞腐れたようにベッドに座っていた彼がゆっくりと立ち上がり、小柄な体を精一杯緊張させて立つロゼの横に立った。
アルマ教授の肩が強張り、コナーが眉間に皺を寄せた。
「何なの……今の声」
きょろきょろと辺りを見渡すコナーとは対照的に、教授はサラマンダーが居る辺りを凝視している。
「ぼんやりとした赤い光……これは……精霊?」
教授の途切れがちな掠れ声に、ロゼは眉を上げた。
ナルホド。現代の魔法使いが精霊を見ることが出来ないという話は本当らしい。
「俺をはっきり認識できもしねぇ奴が、ロゼを批判するとはな」
サラマンダーはロゼの肩に腕を回し、冷たい眼差しで三人をねめつける。
「教授……」
不安そうな表情がコナーの上を漂い始め、教授の額に俄かに汗が噴き出る。弱い者いじめは嫌いだが、ロゼは溜飲が下がる思いだった。
「やらかさないでね、サラマンダー。彼等を丸焦げにはしないって言ったでしょ?」
これみよがしに言ってやる。ひっと息を呑む音がし、彼女は悠然と微笑んだ。
ガーランドがどんな顔をしているのかとちらりと視線を遣る。
彼は驚いたようにサラマンダーを見詰めていた。その視線はぼんやりとした影を追うような物ではなく……はっきりとそれを認識しているかのようだった。
(……あら?)
もしかして彼は……見えるのだろうか?
だがそれをロゼが確認する前に彼は目を逸らし、「いずれにしても」と早口で教授に告げた。
「彼女をここに閉じ込めておくのは得策ではありません」
「そうだな」
ちらちらと赤い光を気にしながら教授は同意し、その眼をロゼに向けた。
「君はこの学院に招待されたホンモノは自分だという。だが我々が欲しいのは……信頼に足る教師だ」
自分の年齢がネックになるのは判っていた。叔母のクロエもそう言っていたし。
だがロゼは後に引くつもりは無かった。何のためにここまで箒を飛ばしてきたのか。
「先に来ていたフィン・コールリッジはその点ではすでに合格している。彼女は優秀な講師として魔導の歴史や基礎を教え、学生の人気も高い」
じろりとこちらを見る教授に、ロゼは顎を上げた。対抗するよう胸を張る。
その女の化けの皮を剥いでやる……絶対。
「……君は我々を納得させることが出来るのか?」
「信頼に足る講師になれるかどうか、という事でしたら」
彼女の赤い瞳がふわりと揺れて、薄く紅色のグラデーションを描き出す。煌めく宝石のようなその変化に気付いたガーランドが微かに目を見張った。
「当然、とお答えしましょう。コールリッジが遣わしたのはこの私ですから」
ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らすコナーを無視し、ロゼは平然と教授の鋭い眼差しを見返した。
「でしたら、私が彼女の助手を務めます」
ガーランドの穏やかな物言いに、ロゼがぱっと振り返った。
何を言い出すのだ、この男は。
「必要ありません」
きっぱりはっきり告げる。だが、ずかずかと彼女に近づいたガーランドは腰に両手を当て、凍るような眼差しで彼女を見下ろすと居丈高に命じた。
「君はまだ己の潔白を証明していない」
「はあ!?」
ロゼが答えるより先に、サラマンダーが抗議の声を上げた。紅焔を上げる金色の瞳でじろりと彼を睨み付ける。だが意に介さず、ガーランドはひたりとロゼの赤い瞳を見詰めたまま、教授に言い切った。
「私が監視します」
腸が再度煮えくり返る。この男はどこまで無礼なんだ。
「確かに学院一優秀な君が彼女を見て居てくれるのなら……」
「結構です」
「却下。何かが起こってからでは遅い」
「何が起こるっていうの? 学院の乗っ取り? クーデター?」
「あるいは機密情報の漏えい」
え?
虚を突かれてきょとんとするロゼから視線を外し、ガーランドは固まる二人を見た。
「フィンにはマールディアが付いてます。つまりはどちらの人間も学院が監視していることになる」
「フィンはそんな人間ではないわ」
聞き捨てならないとコナーが声を荒げる。
「それは失礼」
肩を竦め、彼は容赦なくロゼの手首を掴み、そのままぐいっと引っ張った。
「では来て頂こうか? 君を部屋に案内する」
「てめぇ、ロゼに勝手に触れんな」
吠えるサラマンダーをガーランドはちらりと一瞥し、冷ややかに告げた。
「こんな凶暴な精霊を連れているあたり、俺には君が人畜無害で博愛主義の優秀な魔法使いには見えないんだがな」