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(眠れない……)


 それはカーテンを買い忘れた所為ではないし、ニセモノ扱いされて牢屋に閉じ込められた事で憤っているからでもない。


 更に与えられた部屋が単なる書斎で、隅に追いやられているからでも、明日からの新生活を憂いているからでもない。


(一体何が起きてるのかしら……)


 純粋なる好奇心から、だった。


 割と寝心地よく整えたベッドで寝返りを打ちながら、彼女は瞑った目蓋の裏に今日起きた出来事を描いていた。


 ニセモノ。

 監視。

 機密情報漏えいと、閑古鳥の鳴く食堂。

 唐突に青ざめたイケメン。


 特に一番最後が謎だった。


(ガーランドはあれから一言も話さないし……)


 シェフ・ロマンの料理をあらかた口にしたガーランドは、それからありとあらゆる調味料を持って来させて味を確かめていた。


 そのどれもが無味だと気付いた彼は、無言でロゼの腕を掴んで部屋へと足早に戻ったのだ。


 それから彼は自室にこもり、ロゼは与えられた部屋で彼の態度の変化の理由をしばらく考えていたのだが、考えることに疲れて寝ることにしたのだ。


 だが……寝られない。


(味が判らなくなった原因に、アイツは心当たりがあるようだったケド……)


 時折悪態を吐きながら、見るからに辛くて火を噴きそうな唐辛子を齧っていたガーランドの様子を思い出す。

 そこまでしていながら、彼はその『心当たり』をロゼには話してくれなかった。


(ま……信用されてないみたいだから当然だケドさ)


 だがこのもやもや感はいただけない。


 元来お人よしで、人からは好かれるタイプだと勝手に思っているロゼは、あからさまに冷たい眼差しやバカにするような態度に免疫がない。

 そういった態度をこの一日でしつこいくらいに取られた結果、彼女は新たな自分を発見した。


 ガーランドに馬鹿にされる度に、一々腹が立つのだ。


 信用されていない、不信の目で見られるたびに怒りが首を擡げて来る。

 どうにかして平謝りさせてやりたい、という黒い欲求が膨れ上がって来るのだ。


(負けず嫌いだとは思ってたけどさぁ……よもやここまでだったとは……)


 誰に似たんだろうか、とロゼはゆっくりと弛緩していく意識の海の中でつらつらと考えた。


 両親。祖父。叔母。従姉。兄…………。

 順繰りに思い描く家族の顔。

 それを振り払うように、ロゼは手を振った。


(いかんいかん……感傷的になるな……)


 再びくるりと寝返りを打ち、気持ちを切り替えるように深く深呼吸をする。


「ごそごそうるせぇよ」


 途端、頭上で声がしてロゼはぱちりと目を開けた。


 衝立で申し訳程度に仕切ったロゼのパーソナルスペースにガーランドが居た。

 しゃがみ込んで平然とロゼの顔を見下ろしている。


「何してんですか!?」


 がばりと起き上がり、わなわなと唇を震わせる。


「色気ゼロだな、お前」


 ガーランドの視線が、首まできっちりボタンで留められた、保温重視のナイトドレスの上を滑る。ロゼはぎりぎりと歯ぎしりした。


「ご心配なく。誘惑したくなったときはそれなりの恰好をしますケド、絶対に貴方にはしませんから」

「その若さで一生独身宣言か。可哀想なことで」


 ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、ロゼは「大人になるんだ」と自分に言い聞かせた。あとほんの数ミリで堪忍袋の緒が切れそうなのを自覚しながら、彼女はびしりと梯子を指さした。


「今何時だと思ってますの? とっとと帰ってください」

「俺は自分が理解できない事をそのままにしておけない性質なんだ」


 ロゼの憤りを平然と無視し、ガーランドは足を組んでその場に座り込むと持っていたものをコトリと床に置いた。


 それは、丸いブリキの缶だった。缶切りで開けるタイプではない、回して開閉できる丸い蓋が付いている。


「…………なんなの? これ」


 胴体に張られたラベルは真っ赤で、ロマンと似た長いコック帽をかぶり口髭を生やしたシェフが描かれている。斜めに流れるような字体で『シェフ・へリングの魔法の料理をご堪能あれ』と記載されていた。


「中を見てみろ」


 命令すんなよ、と胸の内でののしりながらロゼは缶を手に取りぱかりと口を開けた。

 中には数枚、星の形をしたクッキーが入っていた。


「お菓子?」

「少し違う」


 彼はじっとロゼを見詰めている。缶の中身とガーランドを交互に見遣り、彼女は彼がクッキーを口にするのを待っているのだと悟った。


「絶対嫌」

 考えるより先に言葉が出た。だん、と缶を床に置いてそそくさと後退る。


「そう言わずに」

「いやいやいやいや、無理。絶対無理ッ」

「ただの普通のクッキーだぞ? 俺だって毎日食べてるんだから、な?」

 気味悪い猫なで声にロゼの背筋に鳥肌が立った。頭の奥で警鐘がガンガン鳴り響く。

 絶対……絶対普通じゃない!

「謹んで辞退します」

「そう言わずに。美味いぞ?」

「遠慮します」

「まあまあ……取り敢えず一枚」

「死んでもごめんですわ」

「ふむ」


 謎の呟きの一瞬後。


「ぎゃあああああああ」

 

指を鉤爪状に曲げたガーランドが突如ロゼに襲い掛かった。


「い、い、か、ら、喰えッ!」

 押し倒し、右手が彼女の肩をがっちりと抑え、身体がマットに沈む。

「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁッッッ!」

 激しく首を振り、脚をばたつかせるが苛立ったガーランドの太ももに挟まれて身動きが取れなくなった。

「喰えッ!」

 ぐいっと開いている手がロゼの頬を掴んで正面を向かせる。

「死んでも食わないッ!」

「死ぬより恐ろしい目に遭っても言えるか? そう言うセリフが」


 凶暴な銀色の炎が宿った瞳は、冬の氷のように冷たく輝いている。頬を抑える腕に力が籠り、左腕全体でロゼの上体を抑え込んだ彼は、肩から離した右手でクッキーを取った。


「いやぁぁぁぁぁ! 変態ッ!」

「安心しろ、それだけは無いから」

「何だと、コノヤロウッ!」


 頬を抑えるだけだった指先が、するっと顎のラインに沿って彼女の肌を撫でる。途端、背筋をぞくぞくしたモノが走り抜けた。喉が弛緩し、声が漏れる。

 そのまま彼の指先は、顎の下あたりを軽いタッチで撫でた。

 知らぬくすぐったさにロゼの全身が震えた。


「や……」


 か細い声が漏れた瞬間、ガーランドは問答無用で彼女の口にクッキーを押し込んだ。


 色気もへったくれもない声が漏れる。


 唸るようなそれを繰り返し、怒りの滲んだ眼差しで自分を睨み付けるロゼを、ロスは平然と見下ろした。


「よーく噛んで味わえ」


 口元に冷笑を称えて告げると、彼女は殺気立った視線で彼を睨み付けた。彼女の手が未だに押さえつけたままのロスの腕をばしばし叩く。だが彼は一歩も引かず、彼女から退く気もさらさらなかった。

 彼が気にしているのは、ただ一点。


「どんな味がする?」


 びくともしないガーランドに攻撃を加える無意味さを痛感し、ようやく大人しくなったロゼはその質問にもぐもぐと口を動かした。


「どうなんだ? ミス・ニセ魔女?」

 もぐもぐもぐもぐ……。


「おい、ロゼット・コールリッジ」

 もぐもぐもぐもぐ……。


「質問に答え――――」

「不味い」

「………。」


 すぱん、と言われたその言葉にガーランドが凍り付いた。その不意打ちに緩んだ腕を押しのけ、ロゼは素早く起き上がると転がっている缶を不審そうに見詰めた。


 確かに味はする。


 どちらかといえば美味しい……果物のような味だ。

 だがそれは、ロゼがクッキーのような形をした「ソレ」に抱いていた味のイメージと百八十度違うモノだった。


 これは、クッキーに、あらず。


 よって。


「なんなのこれ。なんか……甘酸っぱい……オレンジみたいな味がするケド見た目は全然オレンジじゃないし。クッキーかと思ってたら凄い勢いで裏切られたし。気味悪い」

 怪訝そうな眼差しでクッキー缶を見詰めるロゼに、ガーランドは目を丸くしている。その後、考え込むように顎に手を当てじっと細めた目で彼女を見た。

「確かに見た目と味は違う。だが……そうだな、これはこの学院で爆発的に売れてる代物だ」

 ロゼが胡散臭そうにガーランドを見た。

「なんで?」

「もう一枚食べれば分かる」

「結構……って、ちょっと!? 人の話を最後ま――――」


 座り込むマットの上のシーツを蹴って、なるべく後退しようとするロゼ。だが彼はそんな彼女の首の後ろを掴んでがっちりと押さえつけ、喚くロゼの口に再びクッキーを突っ込んだ。

 聞き取れない、くぐもった声で罵倒するロゼを他所に、ロスはじっと彼女の反応を待った。

 さくさくとクッキーを咀嚼する音に続いて、しかめっ面の彼女が目を見開いた。


「あにこれ…………ひちゅーのあじがふる……」

「シチューな」


 変なものを喰わされている、と胸の辺りをぎゅっと握りながらロゼは必死にそれを呑み込んだ。その際にぶるりと身体を震わせ、半分涙目の彼女が眦を決してガーランドを睨み付けた。

 窓から差し込む夜灯りに、彼女の白い頬が赤く染まっているのが見えた。


「気持ち悪い! なんなのよ、絶対身体によろしくないわ!」

「だが見た目は同じなのに、味が違うだろ? しかもシチュー味だ」

 静かな彼の言葉に、ロゼの眉間の皺が更に深まった。

「だから気持ち悪いんじゃない」


 外見と全く違うものを食わされて、気味悪がらないとしたらよほど危機管理がなってない証拠だ。

 だが、ガーランドはそうは思わないらしい。考え込むような眼差しで見るともなくクッキー缶を見詰めている。


「確かにそれは一理ある。……だが、ミス・ニセ魔女、これがこの商品の一番のウリなんだ」

「ウリ?」

 彼の水色の瞳がきらりと光り、ロゼを映した。

「このクッキー一枚で様々な味が楽しめる。しかも調理は不要。缶を開けてクッキーを頬張るだけでその日の食事が賄える、というわけだ」


 閑古鳥の鳴く、美味しい食堂。

 カウンターに肘を付き、苦笑していたロマン。

 ―――ナルホド、そう言う事か。


「つまり……これが普及したから、食堂に通う人が激減したと」

 ますます薄気味悪い。


 何故、小麦粉とバターの塊のこれが、こんなに色々な味がするのだろうか。


(って、考えるまでも無いわ。これ、絶対キャンディが絡んでるでしょ)


 古代魔法使いの一員であるロゼとしては、キャンディに良い感情などあるわけがない。保存魔法など胡散臭いと断じる、コールリッジの長老達と考え方は同じだ。

(ま……中にはお兄さまのような変わり者も居るけど、でもね……)


 水晶雨の結晶。魅力を持たない、魔力のみの物質。

 お手軽簡単な新たな力。


「人間、楽なモノ、新しいモノがあればそちらに流れるのが普通だ」

 ロゼの心を見透かすようなガーランドの発言に、彼女はどきりとした。非難するような眼差しで見られているのかと恐る恐る顔を上げる。


 だがそこには飄々とした、冷めた眼差しがあるだけだった。


「でも……」

「だがコレは明らかに不自然だ」

 缶に視線を落としたまま呟くガーランドに、ロゼはクッキーの事だろうかと首を捻った。


「確かにどうやってるのかは知りませんケド、このクッキーを作成する際に何か保存魔法を掛ければこういった現象が」

「そうじゃない」


 ロゼの説明を苛々と遮り、ガーランドは鼻で笑う。


「そんなもの、君に説明されなくても分かる」


「へーへー、そうでしょうね」

 かちんと来て皮肉めいた口調で応酬するも、彼は綺麗に無視した。

「問題は食堂に通う人間が皆無だという事だ」

 眉間に皺を寄せて考え込むガーランドに、ロゼは首を傾げた。

「単純明快なのでは? 先ほどおっしゃったようにこれはすごく簡単お手軽に自分の好物が」

「馬鹿は黙ってろ」


 ばっさり切り捨てるその一言に、ロゼの怒りが瞬時に沸点を迎えた。


「その馬鹿を叩き起こしてクッキー食わせる野蛮人はどこのどなたでしょうかね!? ていうかさっさとあっち行って下さい! ここは、私の、寝室ですよッ!」


 目を吊り上げて怒るロゼの台詞に、ロスの瞳が愉快そうに煌めいた。


「この俺が寝室に居るんだぞ? ていうか、お前、男が寝室に来るなんて金輪際無いんだろうから泣いて喜べ」

「サラマンダーッ!」


 刹那、ぶわり、とその場の空気がプレッシャーに押され、熱風が辺りを包み込んだ。


 ロゼの怒りと屈辱に燃える赤い瞳を見ながら、危機を感じたロスがひらりと手摺を乗り越えて一階へと飛び降りる。


「呼んだか、ロゼ」


 嬉しそうににこにこ笑うサラマンダーを他所に、手すりに駆け寄ったロゼが下を見た。


 不敵に笑うガーランドがひらりと手を振る。


「ひとまず、クッキーを喰ったお前の反応が判っただけ収穫だったよ」

「死ねッ!」

「なんだなんだ、やっていいのか?」


 きらきらと赤い瞳を輝かせる精霊王にじゃれつかれながら、ロゼはぎりぎりと歯ぎしりした。


 殺人罪は重い。


 しかも……遺体は丸焦げになる筈だから、誰がやったか丸わかりだし。


(いや、骨も残らぬほど高温で……って、落ち着け……)

 深呼吸をしながら、ロゼは呼ばれて心底嬉しそうな美青年に視線を戻した。


「―――取り敢えず、あんたに訊きたい事があるから、それで我慢して」




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