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餓魚の牙

 ワルキュリア号の甲板外周には落下防止柵が設置されているが、生き残った乗組員たちはお互いに距離を開けつつも、それぞれなんとか手すりに掴まっている。

 備え付けの救命ボートはこれまでの『激震』や攻撃に耐えきれなかったらしく、破損して湖の藻屑となっていた。

 手すりには救命用の浮き輪もいくつか括り付けられているが——

「だめよー、うふふ」

 呪文の詠唱を中断したバネッサが、光弾を発射して浮き輪を破裂させてしまった。

 ちょうどその浮き輪に伸ばしかけていた手を、ファリヤはあわてて引っ込める。呑み込んだ息が喉の奥で音を立てた。

「大丈夫です、ファリヤ殿下。もし船を壊されても、私が背に乗せて岸までお連れしますから」

 リサがすり寄り、安心させるように囁いた。

 それはリサの誤解である。乗船前に船の構造を把握しておいたファリヤは、武器庫の位置を知っている。そこには剣や弓の他、マジックアイテムもいくつか保管されている。ファリヤたち三人は先ほど船室から甲板へ移動するにあたり、武器庫に立ち寄っていたのだ。しかし激しく揺さぶられ続けた影響か、船室側からの扉が開かなくなっていた。

 エマーユの魔法により力づくでこじ開けるという選択肢もあったが、ファリヤとて武器庫内の詳細までは把握していない。たとえば扉付近に火薬、または毒を発生させるような特殊なアイテムがあったとして、エマーユの魔法によって起爆したり毒が蔓延したりするリスクを考えれば、無理に開けるのはためらわれた。仕方なく、彼らは武器の補充を諦めて甲板に出たのだ。

 ところで、ワルキュリア号においては、こういう事態を想定して武器庫の窓は外側から開けられるように設計されていた。それを思い出したファリヤは、窓から武器庫に入って手頃な武器やアイテムを回収し、仲間たちに渡そうと思っていたのだ。浮き輪はそのための手段だったのだが、バネッサによってロープまで千切られてしまった。

 目論見が外れた今、リサの勘違いを指摘したところで意味はない。ファリヤはリサに曖昧に頷くと、彼女のそばに座り込んだ。


 大人しくなった彼女らのことは一先ず放置し、バネッサは別の方向へ首を向けた。

「あら、思い出した。そう言えばそっちの鎧のお嬢ちゃん、どっかで見たと思ったわ」

 バネッサの視線の先にいるのはスーチェだ。目を細めて見据え、薄く笑う。

「あの時もガキ王子にくっついて来てたわよねえ。その前にはそこのガキ王女をあたしのアジトから助け出そうとしたし。まあ、あの時あたしは王女だとは知らなくて、ベルちゃんの娘だと思ってたんだけどね」

 そう言って一呼吸置くと、口の両端が耳まで裂けるかと思えるほどに吊り上がった。

「まーったく、アーカンドルの連中ったらそろいもそろって。家畜の分際であたしに逆らうなんてあり得なーい。うっふん。あーんなことやこーんなことしてから殺してあ・げ・る」

 バネッサは胸の前でわざとらしく両手を打ち鳴らした。

「あっ、そうそう! 今日はねえ、あたしってば何人かロレイン族を連れて来てたのよお」

 船長と操舵手は彼女の言葉を聞くと表情を強張らせ、湖面を見下ろした。

「おわっ」

 同時に、彼らの口から驚嘆の呻きが漏れる。

「ギガラニア……」

 それは大陸南方に分布する非常に獰猛な肉食魚の名前だ。体長は人の掌ほどに過ぎないが、鋭い歯を持ち大群で敵を攻撃する。ギガラニアの縄張りにうっかり入ったら最後、たとえウォーガのような大型の魔物でさえ骨しか残らないと言われている。

 そんなギガラニアを等身大にまで巨大化した化け物の群れがワルキュリア号を取り囲んでいる。湖面からは巨大ギガラニアの顔面と()が見えており、水面下にはおそらく魚の形をした胴体と、そこから生えた両脚があるのだろう。

 一般に、『水の民』は陸上用と水中用に姿を変化させることができる。この半魚人のような姿こそ、ロレイン族のもう一つの姿なのだ。

 半魚人たちは鋭い牙をこれ見よがしに打ち鳴らし、手すりに掴まるワルキュリア号のクルーに向けて餌を見るかのような視線を突き刺してくる。

「ちなみにあいつらはねえ。群れの中でもちょーっと問題のある奴らなのよん。まあ、餌を食うことしか考えてないっていうかあ、そんな感じぃ? 仲間内でも爪弾きされてて、常に飢えてるのよん。だから、あたしの命令でさえたまに聞かなかったりするし……ほいっと」

 気の抜けるような掛け声とともに、バネッサは魔法を発動したらしい。掛け声と同じタイミングで船が揺れた。

「うふうふ。誰から落とそうかしら。それとも餓魚(がぎょ)どもを一匹ずつ甲板に引っ張り上げようかしら」

 落ちないように手すりをしっかり掴み直す人々の中、そうできない者が一人いた。先ほどスーチェによって気絶させられた魔法戦士だ。

「魔法戦士さんっ!」

 愛剣フランベルジェから手を離し、スーチェは両手で彼の腕を掴んだ。船の舳先からぶら下がる魔法戦士を、少女の細腕が支えている。

 いくら鍛えていても、スーチェの体格は華奢だ。加えて、気絶して弛緩した人間を支えるにはより大きな力が必要となる。

「ぐ……くっ……」

 スーチェのスタミナはどんどん削られ、次第に握力がなくなっていく。

 湖面では半魚人どもが騒いでいる。魔法戦士の真下に集まり、餌が落ちて来るのを今か今かと待っている。

 ——魔法戦士を昏倒させたのは自分だ。

「落として……なるものか……っ」

 責任を感じている分、驚異的な膂力を発揮している彼女ではあるが、いよいよ腕の感覚がなくなってきた。

「あらあら楽しそう。お姉さん、ちょっかいかけたくなっちゃうぅ。あぁそうそう、ロレイン族の出来損ないちゃんたちぃ。まだまだお預けだからね。簡単に食べちゃったら、後で八つ裂きよん。お姉さん、いますんごく楽しんでるんだから、今回言うこと聞かなかったら本気でブチ切れるからねぇん」

 バネッサは歌でも歌うような調子でそう言った。

「ねえねえ。船長に操舵手ちゃん、ちょっとおいで」

 声をかけられた途端、目が虚ろになった二人の男は、言われた通りふらふらと歩いていく。

「くそ、催眠術か。いつまでも好き勝手なこと、させるかっ!」

 キースとエマーユが同時に立ち上がった。駆け出そうとするエマーユを、キースが止めた。

「エマーユはリサと一緒にファリヤを守っててくれ」

 わずかに数歩。

 キースがそれだけの距離を移動したその時、突然湖面から水飛沫が上がった。空高くまで弾け飛んだ飛沫は、急角度の放物線を描いて甲板を濡らす。

 ただの飛沫にしてはやけに重い音を響かせて船体を揺らした。それもそのはず、飛び散る飛沫を割るようにして半魚人が姿を現したのだ。魚の胴体から生えている二本の脚で甲板上に仁王立ちし、キースの真正面に立ちはだかる。

「あら、出来損ないのくせに気が利くじゃない。三十秒でいいわ、ガキ王子を足止めしててねん」

「どけ!」

 叫ぶキースは、いつの間にか赤く輝く剣を顕現させていた。躊躇なく振り抜く。

 甲高い音が響き、水蒸気が上がる。

 しかし、キースの魔法剣は半魚人の手指から伸びた鋭い爪と拮抗し、動きを止められていた。


 湖面で水の音がした。

 船長が、スーチェの剣を捨てたのだ。

 バネッサが何かを告げると、船長と操舵手が歩き出す。彼らの足は、スーチェのいる場所へと向かっていた。

「何をする気だ! スーチェに手を出すな!」

 複数の水飛沫。甲板が揺れた。

 キースの右と真後ろに新たな半魚人。

 エマーユたち三人の女性の所にも何匹か降り立ったようだ。

「あはははは! セイクリッドファイブなのに大技使えなくなるほど船酔いするなんて笑えるわぁ! はーはははは!」

 キースを取り囲む半魚人たちが包囲網を狭めてきた。

 雨脚が強まり、稲光が甲板を照らす。

 稲光を反射して、餓魚の牙が不気味に輝いた。


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