魔獣の助太刀
奥歯が鳴る。鋭く尖った先端から目が離せない。
身体を一切動かせぬ状態で猛々しい魔獣の角を見つめ続ける恐怖に、全身の血が粟立つ。
モノケロスは普通の馬とほぼ同じサイズとは言え、人間の成人と同じサイズのカールと比べたらその体格差は圧倒的だ。
「くそ……くそっ」
——何とかしなければ。
気持ちは空回りするばかり。モノケロスの角に刺し貫かれるのが先か、飛行能力が回復する前に山頂の岩肌に激突するのが先か。絶望的な状況に精神を苛まれる。
視界を覆い尽くすほどに接近したモノケロス。その角の先端が、吸い込まれるようにカールの身体の中心——無防備な腹部へと迫る。最早どう足掻いても避けられない。
「うおおおおっ」
叫んでどうなるものでもない。それでも叫ばずにはいられない。
歯を食いしばり、きつく目を閉じた。
——次の瞬間。
甲高い音が谺する。
鋼と鋼がぶつかる音に酷似した、硬質な音だ。
目を開けたカールは、ほぼ同時に口をも大きく広げた。
上から迫ってきていたモノケロスとの間に、何者かが割って入っている。別のモノケロスだ。
甲高い音の正体は、二頭のモノケロスが互いの角をぶつけたことによるものであろう。いまこちらに背を向けている一頭が、カールを守ってくれたとでも言うのだろうか。
それはまもなく証明された。
カールの目の前にいるモノケロスが首だけで振り向くと、視線をわずかに上下させて会釈と思しき仕草をした。同時に、頭の中で声が響く。
(戦士様! 力を貸します)
「『念話』か。こいつ、アシュバ様と同じ能力を使えるのか」
(はい)
それだけではない。いまこの瞬間、カールの身体は空中に静止しているのだ。
「これもお前の力だな。同時に念動まで使えるとは」
驚いてばかりいるわけにはいかない。
先に襲いかかってきた方のモノケロスは大きく後退して距離をとっていたが、隙あらば攻撃せんとばかりにこちらを睨みつけている。
「おかげで痺れが治まった、ありがとな。もう自力で飛べるぜ。もっとゆっくりお礼を言いたいところだが、あっちは待つつもりがなさそうだな」
(とんだ分からず屋です。そしてしつこい。手加減なしで叩きのめします)
カールは思わず二頭のモノケロスを交互に見た。
アシュバによる導きがあったとは言え、さきほど複数のモノケロスによる集中砲火を躱して見せたカールには判る。この二頭、好戦的なモノケロスの中においても相当な手練れだ。いずれ劣らぬ強力な個体なのであろう。そして、なにやら浅からぬ因縁があるように感じられる。
念のために聞いておく。
「いいのか? 仲間じゃないのか」
(私たちモノケロスにもいくつかの勢力があり、互いに敵対しています。少なくとも、奴と私は仲間ではありません)
カールがそんな『声』を聞いている間に、二頭のモノケロスの角は目映く輝き始めた。物騒なスパークが飛び散って、その余波はカールのそばにも降りかかる。
(ここは私にお任せを。何の対策もないままでは、戦士様は再び痺れてしまいます)
——強力なモノケロス同士の戦いにおいて、今の自分では足手まといだ。
苦い自覚を胸に、カールはわずかに後退した。
ワイバーンと比べたら、モノケロスによる一撃ずつの破壊力について、カールとしてはそれほど脅威を感じない。しかし、さきほどのように麻痺させられた状態では、あの角を突き刺されただけであっけなく絶命してしまうだろう。
「多少の遠隔攻撃なら心得がある。援護はさせてもらうぜ」
相手のモノケロスが先に動いた。
速い。瞬きする間もなく、互いの角が届く距離で対峙する。
体重を乗せた角と角が再び打ち合った時、大きな火花が弾けて空気を焦がした。
そのまま、剣客同士の戦いにおける鍔迫り合いさながらの力比べが始まる。
しばらく拮抗していたものの、どうやら単純な力においては相手の方が一枚上手であるようだ。
味方のモノケロスは徐々に押され気味となり、スパークを帯びた角同士の接触面から耳障りな音が響き出した。
人間ほど豊かな表情をしているわけではないが、敵のモノケロスの顔面からは余裕が窺えるのに対し、味方のモノケロスは歯を剥き出しにしており鼻息も荒い。
「悪いな。お前に恨みはないが、助けてくれた奴を見捨てるわけにはいかないんだ」
カールの手から、グライド族の攻撃魔法『エアスラッシュ』が繰り出される。
敵のモノケロスはこれを難なく避け、両者の間合いが開いた。
カールの瞳が光り、胸の前に青く輝く魔方陣が顕現した。
「ここから先は、本気で相手をするぞ。……去れ。二対一では、お前に勝ち目はあるまい」
睨み合うことしばし。
敵はひとつ嘶くと、背を向けるが早いかあっという間に飛び去ってしまった。
「ふう。初めてハッタリかましたけど、うまくいって良かった……」
額の汗を拭うカールのそばに、モノケロスがすり寄ってきた。
(ご謙遜を。かなりの威圧感でした。そんなことより、助太刀するつもりが逆に助けていただく格好になってしまい、面目次第もございません)
「何言ってるんだ。お前がいなきゃ、俺はあいつに刺されていたぜ」
カールはモノケロスの首筋を撫でた。
「ところで、その『戦士様』ってむず痒いぜ。俺はカールだ。名前で呼んでくれ。お前の名前は?」
(はじめまして、カール様。私はチャーリーです。以後お見知りおきを)
チャーリーは身の上話を始めた。
所属する群れの中で孤立していたチャーリーは、縄張りの外での生活を望んでいた。しかし、麓に下りるにはエルフが張った結界を超える必要がある。
おいそれと破れる結界ではないし、首尾良く破ったところで、人間や魔族に恐れられているモノケロスは討伐の対象となってしまう。
モノケロスの中でも強力な個体であるチャーリーは、人間や魔族の攻撃を受けたところでそう簡単に討伐されることはないだろう。それでも、チャーリーとしては討伐隊との光線は望まざる事態なのだ。
種族の本能とでもいうべきか、モノケロスは非常に好戦的な性格をしている。そんな彼らの中にあって、チャーリーは強力と言われる個体なのだ。攻撃を受けようものなら反射的に全力で応戦してしまう。人間や魔族を相手にした場合、それは往々にして相手の生命を奪う形での決着という、チャーリーにとっては望まない結末となることは避けがたい。
(そこで私は、人間か魔族の従者として麓に下りることを夢見ておりました)
そこに現れたのがカールである。チャーリーには、大精霊アシュバとカールとの会話が聞こえていたと言う。
(アシュバ様のご加護を得ておられるお方ならば、わが主として十分な風格を備えておいでだと思った次第です)
「いやいやいや。今回の戦い、俺いいとこなしだったよね」
(私の背にお乗り下さい。地上へとお連れいたします)
聞いていない。どうやらアシュバと会話していたという、ただその一点において、チャーリーの目にはフィルターがかかってしまっているようだ。
「自分で飛べるよ」
(だめです。人か魔族を背に乗せていないと、野生のモノケロスだと思われてしまうではないですか)
躊躇するカールにすり寄るようにして、チャーリーはなかば強引に彼を自らの背に乗せた。そして勇壮に嘶くや、地上目がけて飛び始めるのだった。
ユージュ山を降り始めてほどなく、モノケロスはいったん飛ぶのをやめ、山に降りた。まだ山頂からいくらも離れていない。
(ここにエルフが張った結界があります)
「ん? 俺に結界をこじ開けろってのか。でも、俺にはどこにどう結界が張ってあるのか全く見えないぞ。それに、俺が登るときは何の障害もなかった」
(それはあなたがエルフにとって敵対や障害となる存在として認識されていないからです)
チャーリーの背に跨がったまま、カールは唸る。
「そうか。俺が通れても、お前には通れないということか。それにしても、エルフが張った結界は、エルフにしか開けられないんじゃないのか」
(そうではありません。結界を開ける必要はないのです。あなたが私を従者とお認めくだされば、それだけで)
「ええと……。言っていることがよくわからないんだけど」
認めるだけで何が変わるというのか。首を傾げるカールに、チャーリーは丁寧に説明した。
(あなたがお認めくだされば、私もエルフにとって排除すべき対象ではなくなり、ここを通ることができます。そうでなければ通れません。もし、どうしてもお認めいただけないのであれば、仕方がありません。おとなしく山頂へ帰ります)
カールは困ったように腕組みし、チャーリーに告げる。
「俺はお前に助けてもらったことで、お前のことを仲間だと思っている。従者だなんて言われてもな。俺、そんな大層な者じゃないし」
(仲間、ですか)
チャーリーの鼻息が荒くなった。どうやら、照れているらしい。
(恐れ多いことです。ですが、同時にとても光栄なことでもあります。それではカール様の仲間として、ここを通れるものかどうか、一つ試してみましょうか)
チャーリーはカールを背に乗せたまま、一歩を踏み出した。
いともあっさりと通った。
「はは。本当に結界なんてあったのかな」
「カール様! とても嬉しいです!」
チャーリーは念話でなく、肉声で話した。
心の底から嬉しそうなその様子に触れ、カールはそれ以上野暮なことを言わず、笑顔で山を下りて行った。
* * * * * * * * * *
同じ頃。サワムー湖の南側、アーカンドル王国側の湖岸には若者たちの姿があった。
サワムー湖には魔物やら人間に敵対する魔族やらが住んではいるものの、アーカンドル王国側においてもサルトー・カン王国側においても、湖岸付近は人間にとって安全区域だと言える。
そこで、毎年この季節になると学生達がよく泳ぎに来るのだ。
今年も何人かの学生たちが来ている。その中に、王立リンベール学園の生徒である二人の姿があった。
「キースもエマーユも来れば良かったのに」
呟くように言ったのは、バレグ・ストンハグだ。少し癖のある赤毛と大きなブラウンの瞳を持つ少年である。夏生まれの彼は同級生たちより先に十八歳になった。アーカンドル王国においては十八の誕生日を境に成人と認められるのだが、その外見にはまだ好奇心旺盛な少年というイメージが色濃く残っている。
身に着けているのは膝上までの丈のパンツのみ。アーカンドル城すぐそばにあるドワーフの工房で縫製された、耐水性に優れた素材の水着である。しかし、これによって露わになったバレグの上半身は、筋肉の少ない少年っぽい外見をより強く印象づける結果となっている。
「仕方ないさ。ヘンリー殿下、おっと、今は領主閣下か。閣下の結婚式だからな。……それにしてもバレグ、うっすい胸板だなお前」
傍らに立つ少女、スーチェ・サンダースがバレグの呟きに応じた。彼女は理知的な黒い瞳が印象的な十七歳の少女だ。艶やかな黒髪をポニーテールにしている。
彼女もやはりドワーフ製の水着を身に着けている。胸と腰のみを覆うセパレートタイプの布地は面積が小さく、均整の取れた肉体を惜しげもなく晒している。
「うっ。セクハラだあ……、ま、その通りなんだけどね」
バレグは去年、あまり学業の成績が芳しくなかった。だが、冬の終わりに巻き込まれた事件がきっかけとなり、今ではかなり向上している。特にマジックアイテムの知識を中心にして、他の学業成績も急速に伸びたのだ。
一方のスーチェは、常日頃鍛え続けている剣豪である。質のいい筋肉を持っているためか見た目は他の華奢な女子生徒たちと大差ない。全体的には細く引き締まっているのだが、出るところはバランスよく出ているプロポーションのため、バレグはどうやら正視できずにいるようだ。傍目にそれとわかるほど視線が泳いでいる。
そんな同級生に対し、スーチェは歯を剥き出しにして笑って見せた。
「わっかりやすい奴。ほら泳ぐぞ、バレグ」
「まままままって僕カナヅチ……」
「聞こえねえなあ、来いやオラァ」
完全に体育会系のノリである。
その後、バレグが溺れる直前までスーチェに鍛えられていると、北の空の限られた範囲に黒い雲が集まり出した。通り雨でも降るのだろうか。
「あー。キースたちかわいそー。今頃帰り道の途中のはずだけど、船で移動中に雨に降られたらきっついよねー」
スーチェは気の毒そうに呟いた。彼女は船に乗った経験がない。キースたちが船室を備えた船に乗っていることは知る由もなかった。船の上では雨宿りができないだろうとの想像に基づく発言なのだ。
——帰りは、兄様と一緒に船に乗ることにしたの。
王族であればいつ誰に狙われるかわからないので、普通であればそのような情報は伏せられる。しかし、他言無用という約束のもと、彼女は予めファリヤからそのように聞いていたのだ。
今にも泡を噴きそうな表情で目を回しているバレグには、天気など気にしている余裕はない。
「んあー。星が飛んでるようー。他にもなんかいろんなもんが飛んでるようー。馬も飛んでるようー」
「はいはい。休んでる暇はないぞ、今日中にもう少しくらいは泳ぎを叩き込んでやるからな」
「あうー」
「今日は特別に私が手作り弁当を用意してやったのだ」
スーチェは父ひとり子ひとりの家庭で育っている。父は王室警護隊の隊長なので、家事のほとんどはスーチェがこなしてきた。そのせいかどうか、彼女の手料理はかなりの腕前なのだ。
「お?」
バレグの瞳に生気が戻る。
「だからもう少しがんばれ。……あとほんの一時間だ」
「ふにゃー……」
彼の瞳に生気が戻ったのはほんの束の間のことだった。
それからさらに小一時間が経過した。結局まだバレグは昼飯にありついていない。
ふと、バレグは背筋を伸ばして空を指さす。
「んあ? マジで馬が飛んでるよっ」
「昼前から寝ぼけんな。いくら私のしごきに飽きたからって」
全く信用してはいないが、指さす方向に視線を向けてみた。
その途端、彼女は目を見開く。
バレグを放り出して岸へと駆け出した。
「わっぷ」
勢いで俯せに転んでしまったバレグは、慌てて立ち上がろうとするものの足をもつれさせてしまい、何度も同じような姿勢で水の中に転んでしまう。
スーチェは自分の荷物の中から剣だけを持って岸へと戻ると、バレグに声を掛けた。
「のろま! いつまでもそんなとこで寝てるんじゃないっ。あれは馬じゃなくてモノケロスだ」
「なんだって」
バレグは目を懲らして空を見上げ、やっと気付いた。たしかに、馬の額から一本の細い角が伸びている。
次いで、モノケロスの雷撃能力に思い至る。たとえ雷撃が直撃しなくても、水中で感電したら人間などひとたまりもないだろう。彼は遊泳中の他の学生たちに向かって大声を張り上げた。
「モノケロスだ! みんな、湖から出るんだっ!」
バレグが叫ぶと、湖で遊んでいた学生たちは蜘蛛の子を散らすように岸へと逃げ始めた。
「スーチェ、僕らも逃げよう」
「奴は空にいるんだ。逃げるにしても、地上のどこに降りるか見極めてからじゃないと危険だ」
バレグはため息をひとつつき、「待ってろ」と言い残して自分の荷物のところへ走っていった。すぐに戻ってきたバレグは、薬草入れのような瓶の形をした容器を手に持っていた。
「スーチェ、剣を抜け。絶縁パウダーだ。剣と体にふりかけておけば、たとえ体が濡れていても二、三時間くらいならモノケロスの雷撃にも耐えられるはず」
「よくそんなの持ってたな」
「僕は研究中のマジックアイテムは常に持ち歩いているからね」
言いながら、バレグはスーチェの剣と彼女の体にパウダーを振りかける。その手をいっこうに止める気配がない。
「お、おい、瓶が空になるぞ。お前はどうするんだ」
「ここに居る学生たちのうち誰かひとりでも逃げ切れない時は、剣で戦うつもりなんだろ?」
バレグの口調は質問というよりは確認だった。スーチェは『地上のどこに降りるか見極める』と言ったのだ。それはつまり、ここにいる学生たちの安全を見届けるということに他ならない。
「だったら戦士が優先さ。体につけたパウダーの量が少ないと、持続時間だけじゃなくて効果も薄くなる。雷撃を受けた時に、たとえ命を落とさなくても痺れて剣を振れなくなったら元も子もない。でもそれ以上に、戦うことよりも、ぼくら自身もぎりぎりまで逃げることを考えるのが優先っ」
話しつづけながらバレグは、とうとう瓶の中身をすべてスーチェのために使い切ってしまった。
スーチェは一瞬バレグにやわらかい微笑を向け、すぐにまた空中のモノケロスを睨み付けた。モノケロスは着実にこちらに近付いてくる。
やがて細部まではっきり見える距離まで降りてきた。スーチェの方が若干目がいいようだ。彼女が先に奇妙な点に気づき、バレグに話しかけた。
「おい……、あのモノケロスの背。なんか、人が乗ってないか?」
「まさか! でも、本当だ、本当に人が乗ってる」
遅れて視認したバレグは、目を丸くした。
* * * * * * * * * *
「あー、チャーリー。やっぱりおどかしちゃったようだ。かわいそうに、学生たちだな。せっかく湖で遊んでいたのを邪魔しちゃったよ」
カールの言葉に、チャーリーは沈んだ声を漏らした。
「申し訳ないことです」
「いやまあ、そこまで恐縮しなくても。ところで、そのブルーサーペントの弱点って知ってる?」
チャーリーを上空に待機させ、アーカンドル城に行ってローラ担当の医師に薬草を届けたカールは、ローラに会うことなくサワムー湖上空に来たのである。
「私はずっと山頂暮らしですからね。ブルーサーペントがどんな容姿をしているのか、そして今でもこの湖に住んでいるのか知りません。それに山頂が縄張りの我々と、湖から出ないブルーサーペントでは戦う機会がありませんから。弱点については興味がありませんでした。でも、人間たちならあるいは」
「じゃ、チャーリーはちょっとここで待っててくれ」
カールはチャーリーの背から降り、岸へ――、バレグたちの目の前へと降り立った。
「カールさん!」
スーチェはカールと面識があった。
彼女の父シグフェズル・サンダースはアーカンドル王室警護隊の隊長を務めている。シグフェズルから、サーマツ王国においてひとりでワイバーンを斃した英雄の話を聞かされたスーチェは、カールに強い興味を抱いたのだ。
カールたちが王城に滞在することを聞いた彼女は、シグフェズルに頼み込んでカールに会わせてもらった。
カールはそこそこ長身なので、大男のシグフェズルと並んでもさほど見劣りしない。しかしカールのスリムさはバレグ並みであり、スーチェの目にはひ弱そうな青年に映った。そのためスーチェのカールに対する第一印象としてはかなり低めの点数となってしまった。
しかもタイミングが悪かった。カールは、病気が治らないローラのことを気にしてグリズのところへ相談に行く直前だったのだ。
スーチェのインタビューに対してカールは生返事を繰り返し、「逃げるつもりだったけど成り行きで戦うはめになった」とか「運が良かっただけ」とか、彼女の期待した答えとは真逆の返事ばかりが目立った。そのため、今ではスーチェはカールへの興味をほとんど無くしてしまっている。
そのカールがいつどこに行こうと、スーチェとしては知ったことではない。だが、今の事態には憤慨していた。
——よりによってモノケロスに乗って湖に来るなんて、何を考えているのだろう。学生を驚かすことが楽しいのだろうか。
たったいま湖岸、しかも彼女の目の前に降り立ったカールに対し、スーチェはまず質問をぶつけた。
「どうしてモノケロスなんかに乗ってるんですか」
彼女の口調には、はっきりそれとわかる棘が含まれている。
「あいつは友達なんだ。他のモノケロスにやられそうになった俺を助けてくれた」
「それはすごい!」
バレグは素直に感心して目を輝かせているが、スーチェは半目になった。
「なぜモノケロスにやられそうになるんですか。山頂にでも行ってたんですか」
「正解。話せば長く――ならないかな」
カールは、空中に待機させたチャーリーへの警戒をなかなか解いてくれないスーチェの様子に観念し、ローラのことを説明した。
もう既にチャーリーのことを微塵も疑っていないバレグは、助け船を出そうとする。
「ねえスーチェ、チャーリーはカールさんの友達なんだから、あんまり疑ったらかわいそうだよ」
「五月蠅い。世間知らずは黙ってろ」
「あんまりだ。その通りだけど」
とりつく島もないスーチェと、それに対するバレグの反応がおかしくて、カールは堪えきれずについ噴き出した。
「いいコンビだ、きみたちは」
スーチェはむっとしつつ、カールに詰め寄った。
「せっかく薬草を届けてあげたのに、ローラさんのそばにいないで湖に来たのは何故ですか」
カールはスーチェの様子に気圧され、つい笑ったことを詫びてから答えた。
「思い出したんだよ。キース……殿下とファリヤ殿下の会話を。たぶん二人とも、今頃は船の上だ。あの雲は少々やばい」
「それがどうしたんですか。雨が降ったくらいじゃ船は沈みませんよ」
スーチェはいらいらしている。バレグははらはらしていた。
「雲が低すぎるんだよ。それに、自然現象にしては範囲が狭すぎる。あれは、魔法で作り出された雲だ」
「なんだって!」
バレグとスーチェは同時に湖を振り返って叫んだ。
「あの雲。多分、それなりに歳古りた魔物の仕業だ」
「ブルーサーペント?」
スーチェの反応を見て、カールは緊張した。
「やはり知っていたか。そいつ、この湖に棲んでいるんだな」
「いいえ、噂です。この湖で魔物と言えば、ブルーサーペントの噂が昔から言い伝えられています」
「どんな姿をしているんだ」
「首が三つある大蛇で、胴体の長さは四馬身とか言われてます」
「弱点は? それを聞きたかったんだ」
スーチェは首を横に振った。
「そっか。じゃ、仕方ないな」
カールは頭上を見上げた。
「チャーリー! 仲間のギムレイを連れて、黒雲に向かうぞ」
スーチェは再びカールに詰め寄った。
「仲間? 一旦戻るんですか? それよりも、このまま私を連れてってください。剣の腕には自信があります!」
スーチェの発言に驚いたカールが、口を開けてまじまじと彼女を見た。次いで、横のバレグに救いを求めるような視線を向けた。
しかし、バレグは首を横に振った。
「言い出したら聞かないんです。彼女の剣の腕は、ぼくも保証しますよ。カールさんさえ良ければ、スーチェを連れて行って。ぼくからもお願いします。彼女には絶縁パウダーを振りかけておいたから、物理攻撃以外の魔法攻撃なら、今から最低でも二時間は無効にできます」
バレグの目を覗き込むように見たカールは、その視線をスーチェに移した。
「本気なんだな」
うなずくスーチェ。
カールは腕を真上に掲げた。
頭上に白銀の光が現れる。光は形を為してゆき、やがて鎧が具現化する。
それは以前、カールがエルフの長老グリズから賜ったドラゴンの鎧だ。
「水着だけじゃ危険だ。着替えてる時間が惜しいから、このドラゴンの鎧を着ていけ。それが嫌なら連れていかない」
「はい。でもあなたは鎧なしでいいんですか?」
「いま鎧が必要なのは俺よりも君の方だ」
カールが言い終えた瞬間、具現化した鎧はスーチェに近づいていく。
カールより背が低く華奢な体型のスーチェに近付くと、鎧はやや小ぶりな形に変化し、五つのパーツに分かれた。
それぞれ兜、胸あて、腰巻き、ブーツとなって、スーチェの頭部、胸部、腰、そして膝から爪先までを覆う防具となった。
「チャーリー! 頼みがある」
カールの言葉を受け、チャーリーが降りてきた。
「カール様。このような小娘を私の背に乗せていけと?」
「すまん。いまこの瞬間、彼女の親友がサワムー湖を船で移動しているんだ。そしてそれは、俺の親友でもある。彼らがブルーサーペントに襲われているのなら、なんとしても助けたい」
「……承知いたしました」
湖岸に降りたチャーリーは、渋々スーチェを背に乗せた。
スーチェはチャーリーに話しかける。
「すまない。私はどうしても親友を助けたいんだ。よろしく頼む」
「いいだろう。一度だけ力を貸してやる」
先ほどまでのカールとの会話を聞いていて、もしかしたらチャーリーは自分とは口もきいてくれないのではないかと思っていた。たとえ憎まれ口でも、口をきいてくれるのなら随分マシだ。スーチェは礼を言った。
「ありがとう、一度で充分さ」
「カールさん、チャーリーさん! スーチェのこと、よろしくお願いします」
丁寧な口調で声をかけるバレグに対し、チャーリーは鼻を鳴らしつつも応じた。
「ふん。足手まといになるようなら湖に叩き落としてやる。その時は貴様が泳いで助けに来い」
見送るバレグをその場に残し、二人と一頭は低く垂れ込める黒雲を目指して飛んで行った。カールは自分の力で、スーチェはチャーリーにまたがって。
「スーチェ、無理はするなよ! ぼくはここで待ってる」
スーチェは振り向かず、無言で片手を上げてバレグに応えた。見る間に飛び去っていく。
ひとり取り残されたバレグはつぶやいた。
「スーチェ、なんだか『ワルキュリア』みたい……」
面積の小さな鎧を身に纏い、素肌を晒した伝説の戦姫。モノケロスに跨がる少女の様子からは、神々しささえ感じられる。
「たしか、戦場で戦死した勇士を天上の宮殿に連れて行くんだっけ。そんで、世の終わりまで戦い続ける戦士として、来るべき戦いの日までもてなす、と。武闘派の妖精って感じの神話だったっけ」
一瞬、スーチェのイメージに合っているなどと考えてしまい、慌てて首を振るバレグであった。