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濁流からの脱出

 オレンジ色に輝く炎が上空へと立ち昇る。

 発生源はキースの身体だ。

 一方、大蛇はケット川の中心から大量に触手を伸ばしてきた。濁流の渦から抜け出せずにいる戦士たちの身体を刺し貫くべく、鋭く尖った先端をぴたりと向けて狙いを定めている。

 リサを支えるために身体を伸ばし切ったスーチェ。スーチェを背に乗せたチャーリー。彼女らを救援するために向かったグレッグ。

 吹き飛ばされてしまったマミナはもちろん、キースの視界の中にいる仲間たちはほとんど――

(悪いな、キース。俺だってグレッグのためだったら何とかしてやりてえんだけどよ。魔力切れかけた上に脚が折れちまってんだ)

 ――否。キュムラスも満身創痍。仲間たちは全員、無防備な者ばかりだ。

 未だ姿の見えぬリムスは健在なのか。そして、その背にしっかりエマーユを乗せてくれているのだろうか。

「『炎の民』が何だ。精霊フレーミィが何だ。セイクリッドファイブが何だと言うんだ。ふざけんな。どんな大層な力だろうと、目の前の仲間を救えないものならいらねえんだよ!」

 空さえ飛べれば、マミナを手離さずに済んだのに。

 あれだけ助けてくれた少女を……。小さな身体に大きな勇気を宿すフェアリーを。為す術もないまま見殺しにしてしまうなんて。

 敵の頭上約十アードほどまで立ち昇った炎は、稲妻さながらの勢いで大蛇の周囲に降り注ぐ。

 触手の群れは次々に焼き切られては水没してゆく。

 しかし、キースの表情は曇ったままだ。

「意味ないぜ、こんなこと。マミナを助けられなければ。俺も、兄貴のように空さえ飛べたなら――」

 はっとして目を見開く。

 そうだ、自分がこの世に生を享ける要素となったひとつ――インキュバス。たしか、かの魔族は翼を持っていたはずだ。

 そう気付いた途端、キースの背から黒いオーラが立ち昇る。

(な、なんだこの禍々しい魔力は!? どうしたキース。てめえ、無事かっ)

 キュムラスが寄越す念話に応えることなく、己の身体を見下ろすキース。何かに納得したように一つ頷くと、大蛇を睨み付ける。

 唐突に飛び上がった少年の背には、蝙蝠のそれに似た羽根が生えていた。

 髪の色は漆黒に変わり、瞳に至っては劇的に変化している。黒目――眼球全体が黒くなり、しかし虹彩は白に染まるという反転現象を引き起こしているのだ。

「ハハハ、無事に決まってんだろ。今からあのデカブツをコナゴナにしてやるからよぉ、無力なてめえらはそこで指咥えて見物してな」

(なんだってんだキース、その邪悪なオーラはよ。てめ、キャラ変わってんぞ!)

 一つ羽ばたくと、少年は突風をものともせずに空へとかけ上がってゆく。

 大蛇の頭部を目掛けて迷いなく。

 その視線に、マミナの姿は映っていないようだ。


(だめ……よ。その力は、だめ。キー……)


 マミナが寄越す念話の『声』は途切れてしまった。

 最後の力を振り絞ったかのような彼女による渾身の警告にも無頓着に、少年の背は遠ざかってゆく。

 再び大量に出現し、すぐさま伸びてきた触手の群れは、その全てが少年の進路を遮るように動いた。人間に喩えるならば、敵の攻撃から顔面をガードするために慌てて腕を交差させるのに似た動きだ。

「ハハハハハーッ! それでガードしてるつもりなのかよおォ」

 少年は腕を振った。なんと、その指先には鋭く伸びた鉤爪が光っている。

 切り払われた触手は体液を撒き散らして飛び散った。

 遮るものが消滅し、キースと大蛇は直接対峙する。だが、大蛇は待ち構えていたかのように大口を開いていた。

 その口の周囲に光の粒子が集まりつつある。

(お、おいやべえぞキース)

(キース何してる! その翼でもっと高くへ逃げろ! その場に留まるのは自殺行為だぞ)

(その通りだ。……おい聞いてんのかてめえ! なに高揚してやがんのか知らねえが、その攻撃は避けやが――)

 今まさに発射されようとしている攻撃魔法、その尋常でない魔法の波動を感じ取り、仲間たちが警告の念話を飛ばしてくる。

 それは水でもなければ溶解液でもない、対象を無に帰すことに特化した、純粋な破壊を目的とした魔法だ。

 真っ白で、太い光の束。

 真正面からキースに襲いかかり――呑み込んだ。

 光の束は勢いそのまま、ケット川へと突き刺さる。


「目を覚ましなさい、キース! あなたは、あたしたちの――あたしの太陽なのよ!」


 それは念話か肉声か。白い闇の中、凛とした『声』が響き渡った。

 低い位置で、オレンジ色の輝きが炸裂する。

 それは高い位置に留まる黒いオーラを目指して上がってゆく。

 やがて衝突すると、合体して一つの塊となった。その後、見る間に黒いオーラはその面積を縮めてゆく。

 次の瞬間、それは移動を開始した。

 オレンジ色が移動した後、その場に脱ぎ捨てたかのように黒いオーラが留まっていた。ほどなく、黒いオーラは溶けるようにして消え失せる。

 やがてオレンジ色は、大蛇の口へと飛び込んだ。

 変化はすぐに現れた。

 大蛇の巨体に亀裂が走ったのだ。

 そこから光が迸り、三つの首が苦しげな咆哮を轟かせる。


 喩えるならば、それは至近距離での落雷。それも複数の。

 圧倒的な爆音と閃光が荒れ狂い、白い闇ごと何もかも吹き飛ばす。




 やがて周辺に降り注ぐ土砂や破片の群れ。土砂や小石に混じり、鱗や皮、生物の内臓の一部と思しき有機物も降り注ぐ。

 それらのうち何割かは、水と同化しきっていなかったブルーサーペントの身体なのであった。




「ふむ。予想はしていたのだがな。どうやら妾腹の王子殿が持つ力の評価、上方修正せねばならぬようだ」

「……。それで、バイラス様。ブルーサーペントの破片は、キメラの素材としてご利用できそうでしょうか」

 空中に立つのは白タキシードの紳士、バイラスだ。彼に抱きかかえられて質問したのはルーナである。

「なに、問題ない。我が国が確保しているのはその道の専門家だ。優秀な人材だよ」

「我が国、でございますか」

 皮肉げなルーナの声に対し、バイラスは片眉を上げて見せた。

「何もおかしくはあるまい。私はドレン卿の片腕として、大陸統一を果たすために尽力しているのだからね。それに――」

 そこで言葉を切り、ごく短い間を置く。目を細め、歯を剥き出して笑って見せてから続けた。

「魔族には未来がないのでね」

「はい。仰る通りでございます」

 その返事に頷いた彼は、表情を消して告げる。

「ところで、彼らはバネッサを逃してしまったな。私との契約はこれで切れるわけだが。この後はどうするね」

「はい。ドレン様にお仕えし、バネッサへの復讐の機会を窺います」

「……ふむ。あくまで初志を貫くか。ならば折を見て、貴様に『処置』を施してやろう。単独でバネッサを狩れるだけの力を得るための『処置』をな。無論、隙を突くことさえできればという条件はつくのだが」

「ありがたき幸せ」

「よい。こうして王子の力の一端を探ることができた上に、キメラの素材も無事に手に入ったのだ。当然の報酬だよ」

 穏やかに笑うバイラスの目は、白黒反転しているのだった。


* * * * * * * * * *


 気怠いが、気持ちは悪くない。いや、むしろ快適だ。

「ん。ふかふかであったかい。なにこれ天国?」

 人間の一部には、死後の世界を信じ、あまつさえそのような素敵な名前で表現する者たちがいる。

 もしそれが実在するのなら、そこでの心地は今自分が感じているこの感覚に近いものになるのではないか、などと漠然と思った。

「ぼよんぼよんして気持ちいい――あれ? なんだろ、この感じ。あたしの身体によく馴染む、とってもけしからん感触……。もみもみ」

「んぅ……。んもう、仕方ないわね。でもあたしの代わりにキースのこと守ってくれたんだから、今日一日くらい好きにさせてあげるわ」

「当然でしょ。あんたの代わりじゃなくて、あたしが正妻――え? エマーユっ!?」

「おはよ、マミナ。今日は朝の挨拶、これで二度目よ」

 自分が誰と会話しているのかをようやく自覚したらしく、マミナは皿のように見開いた目で相手を見据えた。

「あなたが彼を――キースをこちら側に引き止めてくれたのよ。感謝するわ」

「……感謝しなさい、エマーユ」

 ほぼ反射的にそう返しながらも、マミナは気付いていた。気付いてしまった。

 違うのだ。あのとき――

 理由はわからないが、突然闇の力に溺れかけた彼を、こちら側に引き止めたのはあの『声』だ。

 彼のことを太陽に喩えたその声の主は、彼女の目の前にいる。

「今はそれでいいわ。いつか、あたしの太陽にもなってもらうんだから」

「え?」

 小首をかしげるエマーユに微笑みかけてやりながら、心の中で拳を握る。

 負けないわよ、と。

「でも嬉しいなあ」

 マミナがライバル意識を滾らせる一方、彼女を豊かな双丘の谷間で休ませたまま、エルフは目を細めてほんわかと告げる。

「ようやくあたしのことを名前で呼んでくれるようになって」

 その言葉に目を見開くと、フェアリーは目を閉じてそっぽを向いた。その耳は赤い髪と見分けがつかないほどに色付いている。

「ふ、ふん。そんなことより、みんなはどうなのよ。……無事なの?」

 片目を開け、周囲を見回す。

 仲間たちはすぐに視界に収まった。

 ここは草原。小麦粒ほどの大きさとはいえ、ウメダダ領主館が視認できる場所だ。モノケロスなら一時間もかかるまい。

 そのモノケロスたちは、互いに離れた位置で草を食んでいる。視線を上げてみると、高い木の枝に止まっているグリフォンの姿もあった。木の実か虫かはわからないが、何かを啄ばんでいるようだ。

 地上に戻した視線を巡らすと、座り込んでおしゃべりしている少女たちがいる。

 草の上で隣り合わせに座っているのは金髪少女と黒髪少女、リサとスーチェだ。リサの膝の上には黒髪少年の頭が乗っている。

 それはいい。しかし。

「ちょ。なにあれ! なんで鎧女が抜け駆けしてんのよ!」

 キースの頭は、スーチェの膝の上に乗っていたのだ。

「まあ落ち着いて。スーチェはリサを助けた後、キースのことも助けてくれたんだから」

 仲間たちの大半が魔力や体力を尽き果てさせた状態で川面を漂う中、気絶して川面に落ちてきたキースを助けたのはスーチェだったのだ。

「え。スーチェ一人で、みんなを岸まで引っ張ったっていうの!?」

「んなわきゃねえだろ」

「あん」

 野太い声が聞こえてきた。居心地の良い谷間からもぞもぞと這い出したマミナは、彼女の肩越しに声の主を探す。そこに居たのは――

「筋肉冒険者」

 ――と、リザードマンのコンビだった。

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