人質の交替
「ふう。何かと思えば人間の冒険者風情が生意気にも不意打ち? ちょっと驚いちゃったわよん、あたしとしたことが」
言葉とは裏腹に、余裕綽々な態度でバネッサが告げた。キースたちが乗るリムスから視線を逸らし、腕に抱いたリサにねっとりとした視線を絡ませる。
「うーん。同じ女として劣等感を感じちゃうわねぇん。男好きのしそうなお顔とプロポーション。あたしぃ、土蜘蛛の修行で嫌ってほど鍛えてきたじゃない? それで体型に影響するくらい筋肉つけたってのにさ。それなのにこの娘ってば——」
ほう、とわざとさしく溜息を吐く。
「こんなほっそりしてるのに、魔法による強化なしでの素の筋力の凄さと言ったらもう。縛り上げるのに苦労したわよぉ。多分、あたしなんかよりずっと力持ちさんだわぁ。ま、あたしはハーフだから半分は人間なんだけどねぇ」
細めた眼が妖しい光を宿した。
「もう、嫉妬で狂っちゃう。いますぐこの身体もらわないと。理性が飛んじゃいそうで我ながら怖いのぉ」
芝居じみた切なげな声で告げた後、喉を鳴らすような小さな笑いを漏らす。程なく、その笑い声は堰を切ったような哄笑へとエスカレートした。
一頻り笑い続けると、上空に視線を向けて声を張り上げる。
「どうしたのよ王子ぃ。ほらぁ、あたしったらリサちゃん抱いたまんまで両手塞がってて、隙だらけよぉ」
あからさまな誘いに乗ることなく、グリフォンは旋回を続けている。
「いったい何? さっきの気の抜けた攻撃はぁ。あんなのじゃ、火傷一つつかないじゃないのよぉ」
わざとらしく頬を膨らませて見せたのも一瞬、口の両端を吊り上げて三日月状の笑みを浮かべる。
「……ま、無理もないわねん。もし魔法が直撃してたら、リサちゃんもただでは済まなかったと思うし」
わずかに間をあけ、虚空を見上げてから、いかにもたった今気付いた風を装って言葉を続けた。
「あ、そっか。あたしたちロレイン族と違って、リサちゃんたちセレナ族には雷に耐性があったのよね、たしか。てことは、さっきの冒険者の魔法ならあたしからリサちゃんを奪い返せる可能性があったってことからしぁ。ざーんねんだったわねぇん」
饒舌なバネッサに対し、見下ろすキースは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
「キース」
「……………………」
背後のエマーユが気遣わしげに声をかけるが、応えない。バネッサを睨みつけてはいるものの、攻めあぐねている。
「あたしがこの身体貰ったらぁ、晴れてその弱点を克服できるってことよね。うふふぅ、よかったわぁ。さっさと『お着替え』しちゃいましょ」
リサという人格を一顧だにせず、その身体を服であるかのように扱う蜘蛛女。その発言に激昂する者がいた。
「があぁっ!」
グレッグだ。
その叫び声を聞くや、バネッサの眉間に縦皺が寄る。しかし、口許の笑みは維持したまま「少ぉし黙っててねん」と吐き捨てるように告げた。無造作に指を鳴らす。
「ああっ! う……、ぐ……うっ」
響き渡るのは少女の苦鳴。グレッグの声ではない。
「スーチェ!?」
苦痛に歪む少女を見つめ、キースはリムスの背から腰を浮かした。
「くそ、やめろバネッサ!」
彼の怒声は半ば裏返っており、微塵の余裕も感じられない。
水蛇による締め付けがまた一段階きつくなったのだ。グレッグやモノケロスたちも歯を食い縛っており、スーチェを気遣う余裕もない様子である。
そしてスーチェは……。
きつく目を閉じ、今にも手放しそうな意識を必死に繋ぎとめている。しかし絶え間無く漏らす苦鳴は、次第に途切れがちになっていく。
「あはぁん、楽しくなってきたわぁ。んー。やっぱいたぶるなら若くて見目麗しい乙女よねぇん。ね、あんたたちもそう思うでしょ」
そう言いながら、視線は腕の中のリサに固定する。舐めるように全身を見回して笑みを深めた。
「正直、あたしってばセイクリッドファイブの中では一番華奢だもの。全力の攻撃を王子にぶつけても、ろくに効く気がしないのよねぇ。だから、まともに相手するのが億劫だったのよぉ。でもぉ、この子たち……というか、特に鎧の女の子。王子ったら、あの娘を可愛がってあげたらとっても素敵な顔しちゃうんだもの。あたし濡れちゃうわぁ。うっふふぅ」
スーチェの首に水蛇が巻きついた。
「あぐ! く……あっ……」
声が出ているということは手加減されているのに違いない。だが、きつく寄せられていた眉の間隔は次第に開きつつあり、彼女が意識を手放すまでそう長くは保たないだろう。
「この外道が! てめえは許さねえ! 絶対——、ぐふっ」
叫んだグレッグの腹に、水の触手が突き刺さっていた。
否。刺さってはいない。
水の触手が人間の掌を模して握り拳を形成し、それで殴りつけたのだ。物理的な打撃だが、グレッグを一時的に黙らせるには十分なダメージを与えたようである。
苦しむ狼男にはさして関心がないらしく、バネッサはそちらに視線を向けようともしない。
「黙ってろって言ったのよ、あたしは。今は鎧娘ちゃんの時間なの。犬っころには発言を認めないわぁん」
それにしても、と冷たい声に切り替えて笑顔を消す。川面を見下ろすと筋肉冒険者を睨んだ。
「あの人間、あたしの好みに小指の先ほどもかすらないのよねぇ。またさっきの魔法で邪魔されるのも鬱陶しいから、リサちゃんの麗しいボディをいただく前にさくっと殺しちゃいましょ」
「やめて!」
「うふぅん、大人しくしてたほうがいいと思うわよぉ、エルフちゃん。ほら、あたしぃ、あんたのこと嫌いでしょ? だからその声聞くとぉ、思わず手元が狂っちゃうかもしれないじゃない」
バネッサの足下から水蛇が鎌首を擡げた。頭部にあたる部分が鋭く尖り、囚われの仲間たちへと迫ってゆく。
それぞれ一本ずつ、囚われの戦士たちの首筋で寸止めされ——
「ぐわあぁ!」
狼男の右肩を貫通した。
「————っ、グレッグ!!」
「ほぉら、狂った。うふ」
「ぐお、うがあ! く、があぁ!!」
水蛇は数十秒にわたって傷口を抉ってからようやく抜けた。
傷口から噴き出す血潮がケット川に降り注ぐ。水蛇による拘束にはある程度魔法を阻害する効果があるらしく、グレッグの治癒能力が発揮される兆しはない。
「うーん。やっぱり色気が足りないわよぉ、犬っころちゃん」
水面を叩く音が響いた。
それと同時に——
「が」
水音に比べれば小さな声。しかし、成人男性の苦鳴だとはっきりわかる音が拡散してゆく。筋肉冒険者の声だ。
次いで訪れる静寂の中、リムスの羽ばたきだけがあたりに響く。
「……っ。何をした、バネッサぁ!」
「あはん。なあにぃ、王子ぃ。見てなかったのぉ? 非力な人間の冒険者風情がこのあたしに牙を剝いたのよ。無事に帰すつもりなんてないでしょっ。あたしそんなに優しくないしぃ」
いったん口を閉ざし、片眉を上げて訝る表情を作ると、わざとらしく小首を傾げて金髪王子を見上げた。
「まーさーか、あーんな離れたところで孤立してる人間を、王子なら守れるとでも思ってたわけぇ? このあたしを相手にして」
バネッサの赤い瞳が妖しく輝いた。口許に半月状の笑みを浮かべると、それまでよりずっと低く冷たい声で吐き捨てる。
「ろくな覚悟もねえくせに甘いんだよ、ガキ王子が」
川面では、ケット川の流れに沿って赤い液体が流れてゆく。
それまでそこにいたはずの、筋肉冒険者とリザードマンの姿がなくなっていた。沈んでしまったのだろうか。
「——おっさん! おい、おっさん!」
「あっけないわねぇん。喧嘩売っておいてなっさけないわぁ」
哄笑するバネッサの足下で水音が響いた。新たに出現した多数の水蛇が四方八方へと伸びてゆく。
それらは先程と同様に先端を鋭く尖らせると、囚われの戦士たちへと肉薄した。
「よせ、何のつもりだっ」
「まあ怖い。あたしぃ、臆病だからぁ。そーんなに怖ぁい声、出さないでぇん。王子にはねぇ、あたしがリサちゃんの身体をもらうまでぇ、大人しくしててほしいのぉ。……うふぅ。多分お察しの通り、お着替えの魔法にはそれなりに準備が要るからぁ。邪魔されたら、あたし困っちゃうぅん」
にやにやと笑いつつ、赤い瞳が鋭い輝きを宿した。
「それ以上近付いたらぁ、この蛇ちゃんたち、うっかりみんなの身体を串刺しにしちゃうかもよぉん。そうねぇ、お顔とか心臓とか。洒落になんないところをねぇん!」
「くそったれ! やるなら俺をやれ! その代わり皆を解放しろっ!」
「キース! だめっ!」
絶叫に近い少年の叫び声を聞き、バネッサは口をぽかんと開けた。
刹那の間を置いて、引きつった甲高い笑い声を放つ。
「おっかしい! あーっははは。まったくもう」
しばらくして落ち着いたのか、冷たい声で告げる。
「王子の順番は後回しよ。あぁ、でもぉ……」
小首を傾げ、考えるそぶりを見せる。
「そうねえ。こちらにブルーサーペントがいても心許なくて、こうして人質とってないとあんたとまともに戦えそうになくて。それもこれも、あたしのこの中途半端な人魔ハーフの身体に限界があったってことなのよねぇん」
「…………」
独り言のようなバネッサの言葉に対し、返事をする者はいない。
「だからぁ、リサちゃんの身体さえ貰えれば、あたしってば次のステージへ進めるのよねぇ。そしたらいろいろと準備してぇ、クソッタレの〈天雷〉と〈凍獄〉をぶっ殺しにいくのぉ。そのかわり、弱点満載のあんたたちは今回だけ特別に見逃してあげてもいいわぁん。大人の女の余裕ってやつね、感謝しなさいよねぇ」
上空を旋回するリムスの背の上で、オレンジ色のオーラが白に近い輝きを宿す。
「ふざ——」
「ふざけるなぁ! リサを放せえっ!」
キースの叫びに被せるように、グレッグが絶叫した。
「んもう、うるさいわねぇ」
「ぐおあ!」
左肩に水槍を突き込まれ、狼男は目を見開いた。
「せっかく見逃すって言って上げてるのにぃ。うっかり殺したくなっちゃうじゃなぁい。王子からも言ってあげたらぁ?」
虹色の輝きが迸る。
狼男と金髪王子の間て視線を往復させるバネッサの死角における、一瞬の輝きだった。
それは筋肉冒険者のいた川面から飛び上がった光だ。水柱に沿って上昇を続けると、バネッサの背後から襲いかかった。
「やああああっ!」
虹色の光の中から飛び出た三十セードの人型。見事な飛び蹴りの姿勢をとったそれは、バネッサの肩甲骨や後頭部を的にして連続で打撃を加え続ける。
「マミナっ!?」
人型の正体に気付いたエマーユが叫び、キースとリムスを促して急降下させた。
一方、バネッサとしてはそれどころではない。
「なにこいつ——、いだ、あだだっ!」
かすかに魔法を使った攻撃も織り交ぜているようで、防御に意識を割いた結果、たまらずリサの身体をケット川へと落としてしまう。
「きゃあああっ! は、放せえっ!」
「何かと思えばフェアリーかよ。ふざけんじゃないわよ、引き千切ってやるわ。もう頭きた。皆殺しよっ!」
マミナは捕まってしまった。彼女の両腕を右手に、両脚を左手に掴んだバネッサは、歯を剥き出しにして上下に引っ張る。まるで雑巾を絞るように、それぞれ逆方向に捻りながら。
「ああああっ、痛い痛い放せばかぁ!」
「黙れ。クソ王子もそれ以上近付くな! というか、もう遅い。全員串刺し、決定っ」
大量の水蛇たちが戦士たちに殺到する。同時に殺到するそれらが戦士の身体にいままさに触れようとしている。
それを見下ろすリムスはまだ数十アードは離れている。
「いやああぁ! みんなあぁ!」
エマーユの叫び声は、ほとんど悲鳴と化していた。




