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虹色の矢

 川岸に留まり戦況を見つめるルーナは、爆発のタイミングと共に耳に手を当てた。轟音に耳を塞いだ格好に見えなくもないが、その表情は冷静だ。

 彼女の周囲に降り注ぐ水飛沫は豪雨一歩手前の夕立ちもかくやという勢いだが、それを意に介さないのはさすが水の民というところか。

 轟音の余韻ががおさまった後も耳に手を当てた姿勢のままだ。その場に他者の姿が見えないにもかかわらず、唐突に喋り出す。

「現状、バネッサが優勢です。しかし王子には予定外の加勢がありますので、敗北の可能性はほぼ無いかと」

 小声ではあるが、独り言にしては不自然な声量だ。その場にいない誰かと対面でもしているかのような報告口調で告げると、爆発で巻き上げられた水飛沫の向こうへと目を凝らす。

 見えない相手から話しかけられてでもいるのか、ルーナは二度、三度と短く返事をしつつ相槌を打った。それを何度か繰り返した後、わずかに首を左右に振る。

「いえ、私についていた監視については問題ありません。監視者(フェアリー)冒険者(にんげん)と行動を共にしております」

 慎重なつもりのようだけどまだまだガキなのよ、とは声に出さずに呟く。その表情に変化は見られない。

 わずかに間をあけると、再び報告口調で淡々と喋り出した。

「このまま放置すれば、王子の仲間のうち少なくとも誰か一人は命を落とすことになるかと。そうなった時、王子はセイクリッドファイブの力を暴走させてしまうかもしれません」

 ここで初めてルーナの表情が動いた。眉間に皺を寄せて虚空を睨む。

「……よろしいのですか? 王子の力は未知数。彼が怒りに任せて力を振るえば、ブルーサーペントが粉々に破壊されてしまうかも知れないのですよ。あまり細かい破片となってしまったら、最悪の場合、回収してもキメラの素材としては役に立たない可能性があると伺っておりますが……」

 息を飲む音が小さく響いた。大きく目を見開いたルーナだったが、ほとんど間を開けずに話を続ける。その平坦な声音には、動揺した様子など微塵も含まれてはいなかった。

「は、いえ。余計な差し出口、何卒お許しください。かしこまりました。それでは私は手出しをせず、監視に専念いたします」

 その後も見えない相手と短い遣り取りを交わした後、姿勢を正して恭しく告げる。

「全てはドレン閣下の御心のままに」

 それが会話終了の合図とでも言わんばかりに、耳に当てていた手を下ろした。

「王子。あんたに足りないのは身を焦がすほどの復讐心。セイクリッドファイブであるあんたが仮にも人間の王族だというのなら、ヴァルファズル王をも超える魔族殺しとなって大陸に君臨しなさい。そのきっかけとして、仲間の一人や二人、今日ここで失うがいいわ」

 誰に聞かせるでもない低い呟きは、それまでの声とは違って明らかに独り言である。

「サーニィ。必ずあなたの復讐を果たす」


 ——忌み嫌っていた半魚人の姿のまま、短い一生を終えるなんて。


 口を動かすものの、かすれた声は途中からかすかな吐息と化した。

「妹にとって、あの姿は一族の呪いでしかなかった。人族としての容姿に磨きをかけ、私との血のつながりを疑いたくなるほど可愛く育っていたのに」

 眉間の皺を深く刻んだ彼女は、唇の端を音がするほど強烈に噛み締めた。顎に薄く血の筋を垂らすと、己が身を抱き締めて目を伏せる。


 すでに水飛沫がおさまっていたケット川の戦闘は、新たな局面を迎えようとしていた。


 * * * * * * * * * *


 激しい水飛沫の中、小さな赤い瞳が鋭い光を帯びる。

 マジックアイテムの効果により身長わずか三セードにまで縮んでいるマミナは今、筋肉冒険者の頭頂部に仁王立ちしているのだ。

 そうとは知らぬ冒険者は、はるか頭上のバネッサを睨みつけて悔しげに呻いた。

「ううむ、なんて奴。ロレイン族の弱点〈粛清の鉄槌〉で雷撃をお見舞いしてやったのに、なんで平然としてやがんだ」

「…………」

 足下から聞こえる呟きに関心を示すことなく、マミナは羽根を展開した。

 半透明の羽根はかすかに虹色の輝きを放つものの、彼女の身体が浮き上がる様子はない。


 ——あたしは羽の民。ちょっと身体が縮んだくらいで飛べなくなるなんて、そんなのありえない。


 たとえ一時的なものでもいい、キースたちと肩を並べられる身長が欲しい。その気持ちに変わりはないが、彼女が慣れ親しんだ身長は三十セード。キースやエマーユの肩に腰掛けて、なんとか彼らの頭頂部に手が届く程度。

 ローラやパーミラの掌に横座りし、少しかがんだ姿勢で微笑みかけてくれる友人たち。常に見上げる景色、飽くなき憧れと共に伸ばし続ける己の腕。

 しかし、それこそ彼女のアイデンティティ。

「あたしには羽根がある。わざわざかがんでもらわなくても、みんなと同じ目線で話だってできる」

 それなのに。

「あの女……」

 バネッサは何と言った。

 己の肉体を棄てる、と。

 リサの肉体を乗っ取る、と。

 脳裏によみがえるのはギムレイの眼。己の意思を凍結され、濁ってしまったウォーガの瞳。

 そして、人間と比べて桁違いな握力。

「や……め……て……ギ……ム……」

 彼に掴まれ、絞り出す声が言葉にならなかった。

 身体が小さくともフェアリーとて魔族の末席。たとえ握り潰すつもりで身体を掴まれようと、相手が人間の成人男性程度の握力ならば涼しい顔をしていられる。

 普段のギムレイは、マミナを肩や頭に乗せてくれることはあっても自ら触れて来ようとはしない。

 たとえるならばそれは、繊細な芸術品を愛でる姿勢に似ている。

「あたし頑丈なんだから。もっとこう、首根っこつまんで持ち上げたりとかしてくれてもいいのよ?」

 何度かスキンシップの『お誘い』をかけてみたものの、いずれの場合も彼は優しく微笑むだけだった。

 そんな彼が、あの時ばかりは手加減なく握り潰そうとしたのだ。

 もちろんあれは催眠術で操られたものであり、恒久的に肉体を奪われたわけではない。また、たとえそれが彼の意思によるものだったとしても、マミナは決して彼を恨むことはない。幼い頃から彼と共にいて、彼女にとって大型の獣にあたる山鼠(フォブロル)や野狐の類いから守ってもらったり、薬草に関する豊富な知識で怪我を治してもらったり。いつしか、顔も知らぬ実の父親に代わる存在として依存していたのかも知れない。

 それはそれとして、たとえ一時的なものとはいえ肉体が己のものでなくなる悲劇を、とりわけギムレイ自身が覚醒後に味わった苦悩を、彼女は決して忘れることはない。

「絶対に許さない。リサは、あたしが助けるんだ」

 虹色の輝きが強く弾ける。

「おわ! な、なんだっ」

 筋肉冒険者が戸惑った声をあげる。

 その頭上で輝く虹色の光の中から、身長三十セードの妖精が現れた。

「……フェアリー?」

 その問いに応える者はいない。リザードマンが気の抜けた唸り声を漏らすのみだ。

 妖精はゆっくりと空中に浮き上がったかと見るや、上空へと矢の速度で飛んでゆく。

 一つの水柱、その頂上。バネッサめがけて一直線に。

 その場に残された冒険者は、尾を引く虹色の矢を口を開けたまま見送るのだった。

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