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五本の水柱

 急降下を開始するのと同じタイミングで、ルーナからの念話が届いた。

(殿下、水を差すようで悪いけど、三分で斃すなんて不可能よ。あの大蛇、なんか変)

「気をつけてキース。今、彼女のそばにマミナはいない」

 騙される可能性を警戒し、エマーユは短い言葉で呼びかけた。

「わかってる」

 大蛇による迎撃の水の矢を避けると、再び射程圏外まで上昇。リムスにその高度での旋回を命じると、キースは念話に応じる。

(どう変なんだ)

(身体の大部分が川の水なのよ。下手したら今のあいつ、川の水そのものと融合(・・)している状態かも)

 キースは目を見開くと、振り向いてエマーユと視線を合わせた。

 ルーナが寄越した情報の真偽に対する評価を求めているのだ。しかし、彼女にも判断がつかず、首を左右に振ることしかできない。

(そんなことが可能なのか、ルーナ)

(わからない。ただ、ケット川の水位が不自然に下がってるのよ)

 キースは眉間に皺を寄せ、エマーユは目を皿のようにして川面を見下ろす。しかし百アードを超える幅の中、ゆったりとした流れを形作る川にはこれといった異状が見られない。普段の水位を知らない彼らには判断のつかない情報だ。

(あの大蛇、首と胴体が離れ離れになって復活困難な状態で湖底に沈んでたのよね。あの女(バネッサ)、そのことを凄く悔しがってたから……。でも、相当数のロレイン族を生贄にすれば、川と融合させる程度の改造はできると思う。見張りが極端に少ないのはきっとそのせいね。……あいつならやりかねないわ)

 念話と共に包み隠さぬ憎悪の感情が流れてくる。そういった思念波をも演技で偽装する術を、少なくともエマーユは知らない。

 この件に関しては、ルーナを信用しても良いのではないだろうか。半ば以上そちらに気持ちが傾きかけたエマーユだったが、小さく首を左右に振る。

 彼女が知らないだけで、ルーナには念話に乗せる感情の偽装手段がないとは限らない。

 ふと、顔を強張らせた。

 念話に込められた感情にばかり意識を集中していたせいか、今になって後半の内容を理解したのだ。

 生贄——。ロレイン族に薬物を与えて従えるだけでなく、あっさりと使い潰すというのか。

 川と融合——。そんな途方もないことを「程度」という言葉で言い捨てる彼女たちロレイン族に、そしてそれを率いるバネッサに、薄ら寒いものを覚える。

 軽く身震いしたエマーユはしがみつく両手の力を少しだけ強くした。エルフの耳でさえ聞こえるかどうかという小声で「お……」と声を漏らす金髪王子の耳が朱に染まったが、気づかないふりをする。

「…………」

 気を取り直したのか、先刻と同じ表情をして視線を合わせてくるキースに対し、エマーユは今度は首を縦に振った。意図的に隠している情報は、他にもまだあるかもしれない。しかし告げている内容自体には嘘はない。それは論理的な判断などではなく直感に過ぎないが、彼女はそれを信じることにしたのだ。

 彼女の瞳を覗き込むようにして小さく頷くと、キースはルーナに応答した。

(で、それは大蛇が強化されてるってことなのか)

(いえ、むしろ攻撃力は弱くなってると思う。ただ――)

 川の水ある限り不死身。

 ルーナははっきりと、そう告げた。

(殿下、悪いことは言わないわ。バネッサのことは憎いけど、あの大蛇は少人数で斃せる魔物じゃないから。筋肉さんには悪いけど、勝手に飛び出して行ったのだから、殿下には何の責任もない。彼のことは見捨てて逃げるべきよ)

(ルーナ、案内ご苦労。実はお前のことを疑っていたが、こうして大蛇が出た以上はもう案内不要だ。急いでここから逃げろ)

(殿下! あなた以外の誰がバネッサを斃せるというの。大蛇に生贄を与えていたなんて想定外なのよ。もっと人数と装備を揃えてから挑むべきよ)

 焦燥、苛立ち。ルーナがぶつけてくる感情は、演技などではない。今や、エマーユはそう確信していた。

(仕切り直す時間はない。仲間たちはすでに仕掛けている)

(だめ……っ! 川の水は、広範囲にわたって大蛇の身体なのよ——)


 巨大な水柱が噴き上がる。同時に五つだ。


 爆発的な轟音が押し寄せる中、エマーユたちは口を開けて見下ろした。

 飛び散る飛沫を日の出の光が照らすと、七色の虹がかかる。

 大蛇を囲むように立ち上がった五本の水柱、そのいずれも川面から十アードほどの高さ。大蛇と同じくらいだ。絶え間なく噴き上がり続けてでもいるのか、しばらく時間が経過したというのに高さを維持したままだ。

 やがて飛沫がおさまると、それぞれの水柱上端に見知った者たちの姿が現れた。

(おのれ! 私としたことが)

(くそったれ! 油断したぜ)

 ばらばらに引き離され、それぞれの水柱の上で縄状の水に巻きつかれているのは見紛うことなき仲間たち。みな一様に身動ぎをしているが、ままならぬようだ。

 スーチェとグレッグの剣に魔術付与(エンチャント)した炎の輝きは消え去っており、モノケロスたちの角は光らせるそばからかき消されてしまう。

「無駄よ無駄。あんたたちみたいのを何て言うか知ってる? 飛んで火に入る夏の虫というのよ。水柱は大蛇の物理的な身体だからね。どういうわけか魔法を無効化しやがる鎧の小娘だって動けやしないよ」

 特に大声というわけでもないのに辺り一帯に響き渡る。その声の主は五本目の水柱上端にいた。長い銀髪を生き物のように揺らめかせている。

 エマーユは息を呑み、キースは奥歯を噛み締めた。

「バネッサ……」

 その名を持つ女は、ぐったりとした少女を横抱きにして愉しげに笑っているのだ。抱きかかえられているのは長い金髪の少女、リサである。

「あたしはね。いい方法を思いついたのさ。だから、このセレナ族の小娘の身体は傷めつけないように大切に可愛がってあげたんだ」

 いやらしく舌舐めずりをしてから言葉を続ける。

「身体の隅々まで念入りに調べたのよ。こう、優しくね」

「…………っ」

 意味を理解したエマーユは怒りのあまり身体を震わせた。

「どこにも特殊なアイテムを隠し持っていなかったからね。未知の呪文を使いこなした秘密は小娘の身体そのものにあると見た」

 口の両端を吊り上げて昏い笑みを宿す。バネッサの顔面を縁取る陰影は、闇の民もかくやという邪悪な化粧を施したかのようだ。

「あたしはこの身体を捨てるのさ。それで、小娘の身体を貰う」

 グレッグが一際激しく暴れ出す。しかし、いくらかの水飛沫を飛ばすだけの結果に終わった。

 苛立つ衝動は狼の遠吠えとなり、早朝のケット川に響き渡ってゆく。

「だからねえ、王子。無事に小娘の身体を貰い受けてから相手してやるわ。それまで手を出すんじゃないよ。水で薄まったとは言え、大蛇の力を甘く見ない方がいいからね」

「ぐ……、あぐっ」

 物理的な面で最も脆いスーチェの口から苦鳴が漏れる。

「やめろおっ!」

 キースはたまらず叫ぶ。

「いいよ、待ってやる。ただし、手出ししなければね」

 そう言いながら、バネッサの身体が光り出した。

 一体どんな魔法なのか見当もつかないが、あの光がおさまった時、リサの身体はバネッサのものとなってしまうのだろうか。

「よ、よせ! くそっ」

(な、何する気、この筋肉——)

 キースの声とほぼ同時、マミナからの念話がエマーユの頭に届く。

 見下ろすと、大蛇に接近中のリザードマンの背の上に光が生じていた。

 次の瞬間、それは一条の光となってバネッサの水柱へと伸びてゆく。

 気付いたバネッサは、光を遮るべく手を伸ばす。その手の先に円形の魔法陣が展開した。

「させないわ!」

 リザードマンの——筋肉冒険者の光を妨害させるわけにはいかない。

 直感に従い、エマーユも手を伸ばす。

 迸る光がバネッサへと降り注ぐ。

「うおおっ!」

 一拍遅れ、キースも掌から光線を繰り出した。

 早朝のケット川に光の渦が入り乱れ——、爆発音が谺した。

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