表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/39

戦士の希望

 グレッグ・ルビノは思わぬチャンスの到来に燃えていた。

 グレッグは黒目黒髪の十六歳の少年だが、憧れのワイバーンライダーズ入隊のための最終選考まで残りながら最後の最後で選に漏れ、昨日まで落ち込んでいたのだ。

「喜べ! 貴様にはもう一度チャンスが与えられる! 作戦によっては一頭のワイバーンにふたり同時に騎乗することもあるし、メインクルーの交替要員として飛んでもらうことも有り得るので、あと十三人がワイバーンライダーズに入れることになったのだ!」

 彼の元の所属先はスカランジア水軍の小隊のひとつ――大陸の外洋に出ることはないが、河川を船で移動する盗賊との戦闘などを主任務とする小隊――である。そこでの通常任務に戻った矢先、上官にそう告げられたのだった。

 ちなみに、ワイバーンライダーズは独立した新設の作戦部隊だが、形式的にはスカランジア水軍の上位組織と位置付けられているため、メンバーのことをクルーと呼ぶ習慣が踏襲された。

「むろん、最終選考に落ちた者全員が集まってくるだろう。だが、私は信じているぞ。優秀な貴様なら、次こそ必ず入隊できると!」

 作戦の遂行中は鬼のように恐い禿頭の上官は、今日に限っては笑顔を見せながらグレッグの肩をぽんぽんと叩いた。

「では、自分はもう一度試験を受けに行ってもよろしいのですか?」

 グレッグは顔を輝かせた。

「当たり前だ! 貴様はそのためにがんばってきたのだからな。暇な我が小隊にいつまでいても、上に行く機会は少ないからな。我が小隊からワイバーンライダーズに選ばれる者が出れば、私としても誇りに思うぞ」

「ありがとうございます、小隊長殿! 今度こそ、ワイバーンライダーズに入隊して見せます!」




 グレッグと同じようにして、全軍から再受験者が集められた。前回の試験時の成績が考慮されたので人数が絞られたのだが、それでも再受験者たちは千五百人を超えた。いずれも、前回の試験で受かっていてもおかしくない者たちばかり。その中から選ばれるのはわずか十三人、狭き門だ。

「この国に生まれた以上、十五歳から始まる軍役には、健康な俺は最低でも四年間従事しなければならない。まだ三年も残っている。しかし、軍功を上げれば話は別だ」

 手っ取り早く退役するには大きな戦果が必要なのである。そして、大きな作戦に従事するためにはエリート部隊か、それに近いところに潜り込んだ方がより多くの機会が得られる。そこで首尾良く戦果を上げれば、早ければ今年中にでも退役できる、というのがグレッグの計算だ。

 グレッグは試験を待つ間、ずっとそんなことを考え続けていた。

 貴族なら、他国の異性に一目惚れし、越境して結婚するのも珍しいことではない。つい先日もアーカンドル王国の王子様がサルトー・カン王国の貴族の女性と結婚したばかりだ。王子が自国の王位継承権を放棄してまで婿入りしたということで、割と大きな話題となった。

 しかし、スカランジア帝国の平民の場合は人身売買されたり夜逃げでもしない限り異国に移り住むのは困難だった。前者は奴隷もしくは娼館などで一生働かされることを意味していたし、後者は役人の目の届かないところに隠れて住み着くしかなく、その生活は極めて貧しく不便なものとなる。

「軍功さえ上げれば!」

 十代後半の健康な男子は貴重な戦力なので、亡命や国外脱出をされないよう、当局からの監視が特に厳しい。一方、大きな軍功を上げて退役した軍人は、その後の生活に関してはかなり自由が利くようになり、当局からの監視も相当緩くなる。

 グレッグは、サルトー・リラ王国に住むことを望んでいた。サルトー・リラ王国は、北側の国境をスカランジア帝国と接する小さな国だが、王国として独立した時点から帝国の属国となっている。

 ところで、急速に国土を拡大してきたスカランジア帝国に対し、アーカンドル王国や西の砂漠国家アーカシサン王国に限らず、大陸内各国の反発が強まりつつあるのだ。そのため、当初は吸収しようと画策した帝国だったが、形の上では独立した国家としてサルトー・リラ王国を残すこととなった。

 サルトー・リラ王国の成立はクーデターによる。もとはひとつの国だったサルトー王国でクーデターが起き、国が南北に分かれたのだ。もとサルトー王国の王が統治する南のサルトー・カンと、親スカランジア勢力のリーダーが王となった北のサルトー・リラは不仲であり、両者の国交は断絶している。

 南のサルトー・カン王国から、ふたつの川がサルトー・リラ王国へと流れ込んでいる。ひとつはケット川、もうひとつはフリマ川である。グレッグはそのいずれかの川沿いに住み、漁師をして暮らしたいと思っていたのだ。

「どちらの川でもいい。独り暮らしで漁師なんてしていたら、傍目には世捨て人のような生活に映るかも知れない。しかし、それこそが狙いだ」

 グレッグには好きな女性がいた。しかし、その女性は人間ではなく水の民だったのだ。この国では、人間がそれ以外の種族と結婚することなど認められていない。それどころか結婚相手が人間でないことがわかると、よくて国外追放、下手をすると当人と魔族の両方とも殺されてしまう。

「川沿いに住み、機会をうかがって……」

 それ以上は心の中でさえ、明確な言葉として呟くことはしなかった。しかし、グレッグの計画は明白だ。

 溺れたふりをして川を遡り、サルトー・カン王国に不法入国して、人里離れた場所で意中の水の民の女性と暮らす。

 まだワイバーンライダーズへの入隊さえ決まらないうちから、彼はそこまで考えていたのだった。




 情熱では他の受験者に勝るとも劣らないグレッグは、なんとか補充要員の末席に潜り込むことに成功した。試験では同点だった者が複数いたらしく、今回の再試験においては定員を超える兵士の採用が決定したのだが、グレッグは最後に名前が呼ばれたのであった。

 ——順位など関係ない。実戦で活躍すれば良いのだ。

 グレッグの瞳は燃えていた。


 * * * * * * * * * *


 あれは二年前、グレッグが十四歳の夏の日のことだった。

 ずっと川沿いで育ってきたこともあるのだが、軍役が始まる前のグレッグは川で泳いだり釣りをしたりして、一日の大半を川の中で過ごしていた。

 しかしある日、大雨の翌日に川に近付いた彼は、増水していた川の濁流に呑み込まれ、溺れかけたのだ。

 もう助からない。諦めると同時に意識を手放してしまったものの、天は彼を見放さなかった。

「う……あ……。どこだここは?」

 次に気付いたとき、グレッグはベッドの上に寝かされていたのだ。

 グレッグは半身を起こしてあたりを見回し、違和感を覚えた。ほとんど間を置かず、違和感の正体に気付いた。

「何だ、この壁? 岩か。岩でできた小屋?」

「よかった。気がついたのね」

 間近で女性の声がした。驚いて振り向くと、彼と同じくらいの年格好の、長い金髪の少女がこちらを覗き込んでいた。美しい少女だった。

「うっ」

 思わず見とれかけたグレッグだったが、突然視界が霞み、頭痛がした。思わずこめかみを押さえて俯いたグレッグに、女性は気遣わしげに声を掛けた。

「まだ横になってた方がいいわ。あなた二日間寝ていたのよ」

 言われるままに再び体を横たえたグレッグに、彼女はやさしく毛布をかけてくれた。

「ありがと……え?」

 少女はグレッグの額に手を当てた。父ひとり子ひとりの家庭で育ち、昔から身体だけは丈夫だったグレッグは、女性の行為の意味がすぐには理解できず、戸惑った。

「うーん。熱はだいぶ下がったようだけど……また顔が赤くなってる。無理に起きたからぶり返したのかも」

 少女のつぶやきを聞いて、ようやく行為の意味を理解したグレッグは、顔を赤らめたまま礼を言った。

「た……助けてくれてありがとう。俺はグレッグ。グレッグ・ルビノ。きみは?」

「リサよ。お腹空いてるでしょ。二日間寝ていたから、スープを作ったの。今、持ってくるわね」

 スープのいいにおいがして、グレッグの腹が鳴った。

 物も言わずに完食したグレッグは、リサに聞いた。

「ごちそうさま。こんな上手いスープは初めてだ。何のスープ?」

「うふふ。元気になったら教えてあげるわ」

 なぜはぐらかされたのかわからなかったが、うまかったので気にしないことにした。

 食器を下げたリサが質問した。

「ね、グレッグは歳いくつ? あたしは十四」

「同じだ。俺も十四。リサ……何?」

「ただのリサよ。『水の民』セレナ族なの」

 グレッグは一瞬言葉を失い、リサの整った顔をまじまじと見た。服装は人間と変わらないし、金髪も特に珍しいわけではない。しかし、彼女の目は朱色――明らかに、人間のものではない。

「水の民は嫌い?」

 表情を曇らせ、リサが小さな声で聞く。

 グレッグは少しだけ間をおき、小さく首を振ってはっきりと答えた。

「俺の国では、学校でも軍隊でも人間以外の種族を敵視している。でも俺は知っている。人間の方から嫌ったりしなければ、他種族とも仲良くできることを」

 嬉しそうに微笑むリサの表情がまぶしくて、グレッグは視線を外して頬を掻いた。




 彼女の『家』は人間が容易に踏み込めない、岩場の洞穴だった。川を通らなければこの場所に来ることができない。

 水の中に入ると、リサの足はひとつになり、イルカのような尾ひれを持つ形に変化した。

「あんまり……見ないで」

 顔を赤らめてリサが言う。

「あ、いや、ごめん」

「背中に乗って」

「え?」

 グレッグが戸惑っていると、彼女は上半身も変化させ、流線型に――イルカに変身した。

 二日前に濁流に呑み込まれた場所まで送ってもらうと、グレッグは言った。

「スカランジアに住んでいる以上、俺はしばらくきみと会えない。でも、必ずもう一度会いたい。軍役を終えて、また会いに来る。……その時、きみは俺に会ってくれるか?」

「ええ……もちろんよ!」

 上半身を人間の姿に戻したリサが答えた。その瞳が潤み、頬に朱が差していたように見えたのは、グレッグの錯覚だったのだろうか。

 その時はもちろん、グレッグは結婚まで考えていたわけではない。しかし、それから約二年経ち、今度会う時には求婚しようとまで考えていた。

「十六歳か。今さら会っても、もう旦那さんか恋人がいるかも知れないな」

 その時はその時。待っていもらうような約束などしていないのだ。

 少なくとも、一刻も早く川沿いでの生活に戻ることがグレッグの当面の目標だった。そこにリサがいてくれたら嬉しいと思いつつ。

 リサと二人での新生活。そんな妄想に緩んだ頬を叩き、グレッグは回想を打ち切った。


 * * * * * * * * * *


「グレッグ・ルビノ!」

「はい!」

 名を呼ばれ、別室に通されたのはグレッグを含めて二十人だった。

 成績上位十三人は、ワイバーンライダーズの正式な補充要員として既に決定していた。この二十人は補欠扱いでの採用とのことである。

 その部屋で待っていたのは、白いタキシードを着た男だ。白髪で青い目をした貴族然としたたたずまいである。ドレン卿の執事バイラス・ダイラーであった。

「きみたちは、特殊部隊『ウールヴヘジン』への配属が決まった。ワイバーンライダーズと同時に作戦をこなす陸戦のエリート部隊だ。活躍の機会はワイバーンライダーズとほぼ同じだと思ってくれ。心して任務に当たれ」

「は。全力を尽くします!」

 呼ばれた二十人の声が揃った。グレッグは軽く失望したものの、活躍の機会がワイバーンライダーズと同じなら、今まで通り水軍の一小隊にいるよりはずっといい。

「ここにいる二人がきみたちの上官だ。彼らの命令に従ってくれ」

 いずれもおそろしく長身で筋骨逞しい巨漢だった。一般兵には許されない長髪は、ドレン卿のような銀色。目の色は青で、彫りの深い顔立ちの双子と思しき上官だった。その表情からは全く感情というものが読み取れない。

「こっちがスコール。こっちがランディだ」

 おそらく何度説明されてもどっちがどっちか見分けがつかない、とグレッグは思った。

 グレッグは知る由もないが、その上官はもともと三つ子であり、うち一人は戦死していた。

「きみたちを二班に分け、明日からそれぞれの訓練に立ち会う。我々のことは『隊長』と呼んでくれればよい」

 片方が言い、もう一方が言葉を継ぐ。

「配属早々ご苦労だが、今から名を呼ぶ四名は本日より早速訓練だ。訓練の内容は、川を船で移動した上での揚陸戦を想定したものだ。それ以外の者は寮で待機」

 グレッグは早速名を呼ばれ、緊張ぎみに返事をした。

「は!」

「訓練の概要とスケジュールはこの書類を読んでおけ。以上、解散」

 書類を手渡され、敬礼して退室した。

 なんとも慌ただしいが、ここに呼ばれた二十人はいずれも一年以上の軍役を経験している者ばかりだ。きびきびとした動作に迷いはなかった。

「よし。揚陸戦なら、水軍出身の自分にとっては得意分野だ。作戦本番のつもりで訓練を受けてやる」

 グレッグは決意を新たに、軽く拳を握りしめながら寮へと向かっていった。

 二十人の兵士たちはまだ知らない。ウールヴヘジンが何なのかを。

 グレッグを含む四名の新隊員たちはまだ知らない。今夜の訓練が、訓練とは名ばかりの、片道切符の作戦行動であることを。

 二十人の退室後、バイラスの青かった目が色を変え、黒くなった。同時に双子の隊長たちの青い目が光り、鋼のような無表情が凄惨な笑みに変わるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ