想定外の援軍
アジト強襲作戦を伝えに来たキースに、ヘンリーは頷きつつも少し難しい顔を見せた。
「お前がルーナを信用すると言うのなら、私もそうするとしよう」
ルーナの拘束は既に解かれているが、彼女は神妙にしている。
「信用すると言ったのは確かだが、どちらかというと彼女の復讐心を疑っていないという感じかな」
兄弟が会話を交わす間、エマーユはルーナを観察していた。とくに感情を動かす様子もなく、目を伏せて静かにしている。
「ほう」
「同じ目だったんだ。上司が闇の民だったことを知った時のグレッグと」
「……わかった」
その会話を聞いたエマーユは、顎に指を添えて虚空を見上げた。
何かが記憶に引っかかる。グレッグ以外にも、彼女と似たような目をした人物に見覚えがあったのだ。
「あれはたしか——」
エマーユの脳裏に浮かぶのは、サーマツ王国との同盟締結の大使叙任式だ。
指を顎から離し、視線を正面に戻す。
思い出した。第三王子ピートだ。
——いえ、あの目はそういうのじゃないわね。他国と同盟を結ぶための大使という大役を担った決意の目だわ。
傍らで静かに立つロレイン族の女性の横顔を盗み見ながら、エマーユは密かに反省して首を振った。大役の重責を担いつつも決意に燃える目つきと、殺意を宿すほどの復讐に燃えるそれ。全く違うはずの両者に類似点を感じてしまうなんてどうかしている。
そんなエマーユの様子に気付くことなく、ヘンリーはルーナの真正面に立ち、彼女に向けてこう告げた。
「場所だけ教えてくれれば、後はキースたちが作戦を実行する。無理についていく必要はないのだぞ」
「いいえ。バネッサはケット川に、水棲魔族でなければ通ることの難しい抜け道を作っています。逃げるもよし、リサさんを人質に抵抗するもよし。そんなアジトに真正面から近付いても、攻める側にとっては常に不利な状況です」
「ふむ。そこで、バネッサの『身内』であるそなたが近付くことで油断を引き出す、と?」
「こうしている間にも、私の知らない抜け道やら、追っ手対策の仕掛けやらを少しずつ増やしているかも知れません。ですが、バネッサの性格も癖もそれなりに知悉する私を同行させていただければ、危険な仕掛けが発動する前に警告さしあげる程度のご助力はできるかと」
ルーナへの返事を保留し、領主は無言でキースを見る。どうする、と目で問う兄に対し、キースも無言で頷いた。
「よかろう。ならば、そなたには我々への協力に対し、報酬を出すこととしよう」
それまで目を伏せていたルーナは、弾かれたように顔を上げた。
「いいえ領主様。必要ありません。お怪我こそさせてはおりませんが、侍従をお一人眠らせてしまった上でお館に侵入したことは事実ですし」
「ふふ、考え方次第だ。人命にも金品にも被害がなかったのだからな。むしろ、そなたにはこちらの警備の問題点を指摘してもらったのに等しい。今後に役立つというものだ」
ウールヴヘジンによる襲撃事件以後、魔法戦士は交替で領主館の周囲に結界を張っている。だがマジックアイテムの物量の問題もあり、四六時中張り続けるわけにはいかない。警戒は主に夜間限定だ。そこへもってきて、単身かつ丸腰で乗り込んできた魔族が歌を聴かせる行為に対する警戒など、全く想定していなかったのだ。
「サワムー湖を臨む領主館はロレイン族の縄張りに近い。それなのに、『歌声』への対策を全くしていなかったのだ。これは我々の——いや、領主たる私の怠慢と言ってもいいだろう」
「いいえ、領主様の落ち度ではございません。他者の姿に化ける異能は私固有のものです。他のロレイン族で同様の力を持つ者など、少なくとも私は知りません。重ねて申し上げますが、報酬は要りません。私が見返りを求めるとしたら、それはバネッサの命」
キースは表情を引き締めた。
「リサ救出が最優先だ。その方針は変わらない」
固い声で告げた後、彼はルーナを真正面に見据えた。
「いつとは約束できない。だが、バネッサとはいずれ必ず決着をつける。奴を討ち果たした暁には、首を持ち帰ろう」
「人間の、それも武人であればそのような習慣もございましょうが、私は死者の首に興味がありません。……ご心配なく、明日とは言いません。いつか殿下がバネッサを斃してくださるのなら、それで満足です」
淀みなく語るルーナの横顔を見ながら、エマーユはどことなく引っかかりを感じていた。
それはルーナ自身に対するものなのか、それ以外の何かに対するものなのかさえ、彼女には判断がつかない。
小首を傾げる彼女がふと気付くと、キースが目で問いを投げて寄越した。
彼女自身、引っかかりの中身を説明することができない。キースに視線を合わせると曖昧に微笑み、首を横に振るのだった。
「未明まで時間がない。他の者たちは休ませておいた。お前たちも少し仮眠をとるべきだが、その前にその前に紹介したい男がいる。館の防衛に参加している冒険者の中に一人、お前たちへの同行を強く希望する者がいてな。ああ、身元と実力は保証するぞ。魔獣狩りで目覚ましい戦果を挙げ、大陸中で勇名を馳せている男だ」
「がーははは、よろしくな王子」
野太い笑い声が深夜の館に響き渡る。
「俺を連れてきゃ百人力だぜ。なにせ、ホブゴブリンやサンドワームを独りで狩ってきたんだ。たとえ相手がワイバーンでも狩ってみせるぜ」
今まで大人しく立ち聞きでもしていたのか、紹介もされないのに柱の陰から偉丈夫が姿を見せた。
鼻の頭から右頬にかけて大きな縫合痕が目立つ。身長は拳一つ分ほどキースを上回る程度だが、肩幅が広い。逆三角形の体つきは筋肉をバランスよく鍛え抜いた証拠だ。赤を基調として派手に着色された軽鎧の下は薄着で、両腕は肩から剥き出しだ。盛り上がった筋肉のあちこちに古傷の筋が見える。
年の頃は三十代半ばといったところか。
「魔獣殺しの——」
「不採用だ」
「——と言えば俺のこと、そう不採用……って、えええええ」
おそらく冒険者の名前は、キースの耳には届いていない。
「悪いが、今回の敵は大型の魔獣ではない。あんたのように腕っ節の強そうな戦士がロレイン族に操られたら面倒だ」
「ちょ、待てよ。俺の話を聞けって」
「兄貴、あとよろしくな。俺は寝る。じゃ、明日は頼むぞ、ルーナ」
「お任せください」
返事に頷くが早いか居並ぶ面々に背を向けるキース。
「行くぞエマーユ」
「はあい、あなたっ」
エマーユは嬉しそうに返事しつつ彼の腕に自らの腕を絡ませる。
「こら、まだ結婚前だ。同じベッドで——」
「いいじゃない、何もしないからっ」
「——しょうがないな」
しばしの静寂。
「ちっ、リア充が」
ルーナと冒険者の声がぴたりと重なった。
「あの若さだからな。多めに見てやれ。それと、私はお前がロレイン族に操られることがないのを知っている。弟はああ言っていたが、是非力を貸してやってくれ」
ヘンリーは苦笑して頬をかきながら、場に残された者たちに向けてそう告げるのであった。
背後で交わされる領主たちの遣り取りは、距離と己の靴音のせいで普通の人間には聞こえない。しかしエルフの耳はそれらを捉えている。
——あの筋肉さん、結局同行するのね。
その一言を、どこか疲れた様子の見てとれるキースに告げるのを躊躇った。
もっとも、ロレイン族の歌声が効かないというのなら、彼としても頑なに協力を拒むことはあるまい。そう結論づけ、絡ませた腕をしっかりと抱き直す。
「ん?」
微かに光ったような気がして、エマーユは彼の胸元を凝視した。
「ぶふぁ」
少女の声と共に、金髪王子のシャツのボタンが内側から外れた。そこから赤い何かが顔を出す。
「な! マミナっ!?」
「あら二号さん、こんばんは。抜け駆けはさせないわよ」
シャツを半ばまではだけ、全身を現したのは赤髪のフェアリー。彼女はまず、ふたりが絡ませ合っている腕に鋭い一瞥をくれてから、割り込むようにしてキースの肩に腰を下ろした。
金髪王子は溜息混じりに漏らす。
「……マミナ、身長三十セードだよな。どうして今まで気付かなかったんだ、俺」
「うふ。愛の力よ」
「あ」
目を見開いたエマーユは、視界を遮るフェアリーごしにキースに告げる。
「バレグから聞いたことがあるわ。身体の大きさを変えるマジックアイテムの話」
「なによ、あの縮れっ毛。赤毛仲間だと思ってたのに。まだ研究段階とか言いながら、みんなにしゃべってるのね」
「一定時間身体を小さくすることには成功したけど、元のサイズより大きくする方は無理そうだと言ってたわ」
「訂正しなさい。今のところ! ま・だ! 無理そうだ、って言う話だったわよ。あたし、絶対キースと同じサイズになるんだからっ」
少女たちの会話を聞きながら、キースはこめかみを指で揉んだ。
「明日は留守番しててくれよ、マミナ」
「何言ってるの。あたし全部聞いてたわよ。……連れていきなさい、必ず役に立つわ。バネッサとかいう奴、もし逃げずに迎え撃つタイプなら、絶対にリサを人質に使うわよ。そうなったらあんたたち、手を出せないでしょ」
それからしばらく、マミナが何か言うたびにキースの首は左右に振られていたのだが、やがて指を顎に当てて考える仕草をし始めた。
「だめよ、キース。眠気が襲ってきて判断力が落ちてるのよ。こら、マミナ。もう諦めて、キースを寝かせてあげなさいよっ」
「いや、エマーユ。連れて行こう。俺たちの作戦の穴を、彼女がうまく埋めてくれそうだ」
喜ぶマミナと対照的に、口を半開きにしたエマーユは、それ以上反論せずに渋々ながらも首を縦に振った。
そのまま同じベッドに向かった三人だが、横になった途端に寝息を立て始めた金髪少年の様子に、少女たちは互いに目を見合わせると苦笑を交わすのだった。
* * * * * * * * * *
巨大な洞窟の中、まるで剥製であるかのように大人しく鎮座するのは赤や灰色の体色をしたワイバーンたちだ。瞼を閉じて羽を休める彼らは、首を縮めているためか、見る者にさほど巨大な印象を与えないであろう。もっとも、周囲を忙しく駆け回る人間たちの頭は、首を縮めた翼竜たちの喉元にも届かない。
ここはワイバーンの厩舎である。主に休息や給餌のために用意された場所なのだ。
表向き魔族排除を標榜するスカランジア帝国であるが、ドワーフの技術でも借りたのか、洞窟の一部をくり抜いて居住空間が設えられていた。そこは総指揮官のための執務室。窓から洞窟内の翼竜を眺めていたのは白タキシードの男、バイラスだ。彼は、傍らで直立不動のまま控えている人物に話しかける。
「延期は却下だ。多少の調教不足はライダーの技術で制御して見せよ。できるのだろう?」
「はっ。全ライダーの技術は基準に達しております」
「うむ。信じているぞ、ローエン」
バイラスには予定を変更するつもりは毛頭なさそうだった。いつもと変わらぬ様子でローエンと打合せをし、開戦に向け着々と準備を進めている。
執務室には男がもう一人同席していた。スコールである。彼は明らかに苛立った様子だ。
「下がって良いぞ」
「はっ」
ローエンが退室するや否や、スコールは声を落として話し出した。
「ランディの殉職について申し上げたい儀がございます」
バイラスは青い瞳でスコールを見据える。
「奴はハーディのようなお調子者とは違います。相手はヴァルファズルでもあるまいし、人間ごときと差し違えて命を落とすような弟ではありません。差し出口を承知で進言させていただきますが、弟が敗れた原因を究明し、対策を立てるまでは開戦を延期すべきかと存じます」
――敗れた原因だと? 油断と力不足以外に何があると言うのだ。
バイラスは相手に聞こえない程度に嘆息をし、思っていることとは別のことを告げた。
「ランディに単独行動をさせたのは私のミスだ。だが、ランディは弱者ではない。彼が死んだ原因のほとんどは油断である。貴様は油断するな」
「はっ!」
開戦直前から直後までの作戦において、ワイバーンライダーズは戦闘班と物資輸送班に分かれる。ローテーションを組んだ上で、サーマツ王国には驚異的に短いインターバルしか与えることなく打撃を与え続けるのだ。必然的に、物資の手配から戦闘のタイムスケジュールに至るまでワイバーンライダーズが取りまとめることとなった。今は余計なことに時間をとられている場合ではない。
バイラスの様子から、これ以上の意見は無用であることを察したのか、スコールは渋々執務室を退出した。
「間抜けめ。あの状況でルーナを、そしてドレン卿を疑わぬ貴様など所詮〈バーサーカー〉を作るための駒に過ぎぬわ」
組織を掌握しているのはドレン卿である。
——人間とは言え大した男だ。
バイラスはドレン卿が持つ、そこらの闇の民にも勝るしたたかさ、狡猾さを高く評価した。
バイラスの両眼は普段は青い。しかし、時折黒く染まる。今がその時だ。瞳が放つ黒い闇が、部屋の空気を薄暗く塗りつぶしていく。
その両眼は、百数十年前の『神獣の黄昏』において、グリズに滅ぼされたヴァンパイヤ族の置き土産なのだ。
「闇の民こそ全ての頂点。限りない命を得て、永遠にこの世に君臨するのだ」
バイラスは、グリズとの死闘で受けた傷が原因で、一度視力を失っている。それが原因でしばらく催眠能力を失い、徐々に回復したとは言え百数十年を経た今でもその能力は最盛時の能力には遠く及ばない。
「ドラゴンは去り、私は残った。潮時を読み違えたのだろうな。もうこの世界には、闇の民の居場所がない」
それはバイラスの本音だ。だが、いま彼のそばには闇の民よりも濃い闇の心を持つ人間、ドレン卿がいる。
「長すぎる時間を生きてきて、いま初めて愉しいと感じる」
この新たな両眼――〈ダークエイサー〉が深い闇を映す限りは。
多くの闇の民に引導を渡した、〈ラージアンの英雄〉グリズが健在である限りは。
ワーウルフより上位の獣神たるフェンリルとしての誇りを持ち続ける限りは。
「いや、それらは全て、建前のようなものだ」
グリズへの恨みなど、すでに薄れている。
今、バイラスの脳裏に浮かぶのは、青い髪を持つ若者の顔である。
「〈タイゲイラ〉の使い手、カール・セイブくん。早くここまで上がって来い。きみと決着をつけたい」
——他の全ては、もうどうでも良いのだ。
黒い瞳が全ての光を呑み込んだかのように、部屋全体が暗闇に沈んでゆく。
宣戦布告まで、あと十二日に迫っていた。
この日は、ヴァルファズルがキース一行に与えた、リサ救出の期限に当たる日でもある。




