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潜入の密告者

 すっかり日が落ちた。真夏とは言え、サワムー湖畔は日没を境に気温が下がる。湖面から吹き寄せる風はひんやりとして、昼間に汗をかいた人間の体温を奪い去ってゆく。

 ウメダダ領主館へと戻ってきたキース一行は、手短かに湯浴みを済ませると円卓を囲んだ。

 ここは領主館の会議室。ヘンリーや魔法戦士たちも同席している。

 エルフは寒暖差――とりわけ寒さ――に強い種族だ。真冬の雪山の中、水着だけで生活しても風邪ひとつひかないだろう。だが、アーカンドルの王城に頻繁に出入りするようになったエマーユとしては、水着で館内をうろつくことが不作法であることは理解している。そこで、エマーユも皆に倣って湯浴みした後、普段着に着替えていた。

「そうか。こちらで確認していたロレイン族の出現場所には手掛かりがなかったか」

「ああ、兄貴。悔しいが、バネッサの奴も追っ手を避ける程度の対策はしていたようだ」

 腕組みをしていたヘンリーは、傍らの侍従と言葉を交わす。ややあって、キースたちに向けて告げた。

「明日の早朝まで待ってもらうことになるが、最大限の協力をしよう。いや、させてくれ。なにしろ、リサにはいつも世話になっていたからな」

 ヘンリーが話している間、侍従はそわそわと落ち着きのない様子を見せている。他の者たちは特に侍従に注意を払っていないようで、彼に注目する視線はない。ただ一つ、エマーユのそれを除いて。

「こちらで用意できる船は全て出そう。それぞれに魔法戦士と、探索系マジックアイテムを搭載してサワムー湖をくまなく探す」

 ――だから、そうじゃないのよ。そんなところ探していたら一生見つからないわよ。

 女言葉だ。

 呟いたのはヘンリーのすぐ隣に立つ侍従。ヘンリーにも聞き取れないほどの小さな独り言を、エルフの耳はしっかりと捉えた。

 エマーユは微かに眉を顰めた。アーカンドルには男言葉を使う女性はたくさんいるが、女言葉を使う男性には会ったことがないのだ。

「もしかして……。噂に聞くオカマさんかしら」

 隣に座るキースだけが彼女の独り言に気付き、怪訝な顔を向けた。それに対し、曖昧な笑顔で誤魔化す。

「あの、一つよろしいでしょうか」

 エマーユが向ける疑惑の視線に気付く様子もなく、侍従は遠慮がちに声を上げた。今度は部屋の全員の耳に届く声量だ。

 キースが頷くのを見て、ヘンリーが許可を出す。

「バネッサがサワムー湖にいないかも知れない可能性については、検討なさったのですか」

 侍従の質問はキースに向けてのものだ。金髪王子は大きく首を縦に振り、答える。

「その点は抜かりない。量と精度はいまいちだが、アーカンドルにも探索系マジックアイテムがある。そいつで大まかな逃走経路だけは確認してきたからな」

「しかし、相手はロレイン族。水中の移動は自由自在です。サワムー湖は、ケット川やフリマ川につながっているのですよ。それらは、アーカンドル王国からだと対岸にあたります。そちらに潜んでいる、とは考えられませんか」

 ヘンリーは腕組みをすると、別の侍従に命じた。

「侍従長を呼べ」

「ここにおります」

 秘密の会議というわけではない。開け放たれた会議室の扉から、すぐに初老の男性が入ってきた。侍従長自ら茶の用意をしていたらしく、一緒に押してきたワゴンには人数分のカップが乗せられている。

 別の侍従が円卓を囲む面々に茶を配る間、ヘンリーは侍従長に質問した。

「アルマンゾ、教えてくれ。ここに来て以来、私は一度としてロレイン族が川で目撃されたという報告を聞いたことがないのだが、奴らは川も活動範囲なのか」

「そうですな」

 アルマンゾ侍従長は考え込むそぶりさえ見せずに即答した。

「川には別の水棲魔族の縄張りが多いですから、ロレイン族が入りこむことは滅多にありません。彼奴等の魔力は、湖から離れれば離れるほど弱まるとの研究結果を発表した学者もおります」

 ヘンリーは大きく頷くと、エマーユが密かにオカマ疑惑をかけた侍従に視線を向けた。

「……だそうだぞ。やはり、捜索範囲は湖に絞るべきだろう」

「ふう。仕方がないわね」

 侍従は天を仰ぐと、軽く息を吐いた。

「おい――」

 大きな音を立て、椅子を倒しかねない勢いでキースが立ち上がる。

「キース?」

 一拍遅れて静かに立ったエマーユは、彼に対しおろおろと手を伸ばす。

 グリズからの受け売りではあるが、彼女には知識があった。この世界には肉体の性別と心のそれが一致しない者が稀にいる。しかし寿命が短く繁殖に貪欲な人間は、長命かつ出産率の低い魔族と比べると、心と身体における性別の不一致を過剰に忌避する傾向にあると言う。

 キースに限って、偏見によって侍従をなじったりしないだろうとは思いつつ、うっかり独り言を聞かせてしまったことを後悔した。

「あんた、女だな」

「は……え?」

 キースに向かって手を伸ばしかけた姿勢のまま、エマーユは固まってしまった。

 彼の発言の真意が掴めず、まるで笑ってでもいるかのような形で口許を引きつらせる。

「あら、ばれてたのね」

 しかし、侍従は冷静だった。それまでより幾分高くなった声でそう告げたのだ。

 その瞳は朱色に変わり、髪は急速に伸びて銀色に染まる。バネッサと同じ身体的特徴は、ロレイン族のものだ。

「貴様あっ!」

 スーチェとグレッグ、魔法戦士たちが椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がった。

 エマーユも口許を引き締めた。瞬時に戦闘モードに切り換え、ロレイン族による魔法攻撃を封じるべく、自身の魔力を練り上げる。

「ま、待って待って。戦う気なんて微塵もないわよ。降参よ、降参」

 しかしロレイン族の女は両手を頭の後ろで組むと、慌てて無抵抗をアピールするのだった。


 女はルーナと名乗った。彼女の変装のモデルとなった侍従は、館内にある書庫の奥に設置された物置から見つかった。怪我はなく、彼女の歌声によって眠らされていたのだ。

 ロレイン族の歌声には精神操作の魔力が宿っている。そのため、発見された侍従は隔離され、魔法戦士による入念な精神鑑定が行われている。

 ルーナは現在、キースの〈蜘蛛糸〉で後ろ手に縛られていた。〈蜘蛛糸〉にはエマーユによって魔力を封じる効果が魔術付与(エンチャント)されている。それでも万一のことを考え、彼女を尋問するにあたってキースは人払いをした。

 今、部屋にいるのはルーナとキース、そしてエマーユの三人だけだ。

「ロレイン族は一枚岩ではないわ。むしろ、バネッサに従っている連中の方が少ないの。しかも、そのほとんどが理性を失った奴らばかり」

 エマーユの脳裏に、ワルキュリア号の甲板での戦いが蘇る。半魚人の容姿に嫌悪感はないが、彼らの様子からは理性のかけらさえ感じられず、野生の獣よりも獰猛だった。

「ねえ。ロレイン族って、なんていうか……。あんな風に、自我を失うほどの攻撃衝動に精神を支配される時期があるの?」

 その質問に対し、ルーナは静かに首を横に振る。

「あんな風にはならないわよ……。普通は、ね」

「ふん。バネッサか」

 そう呟くキースに視線を向け、エマーユはどういうことか尋ねるべく小首を傾げる。答えたのはルーナだった。

「そうよ。あの女、セイクリッドファイブだかなんだか知らないけれど、その力で増幅した魔力で取り巻きを作ったの」

「え。でもそれって」

 エマーユは目を見開き、訝る気持ちを声に乗せた。

「そうよ。いくら上位魔法でも、同系統の魔法を得意とする私たちには耐性があるわ。何人も、いえ、何十人も同時にあいつの操り人形になるなんて、普通ならあり得ない」

 キースは眉根を寄せた。

「ふむ。バネッサの奴がロレイン族の中に手駒を増やしたのは、精神操作魔法だけによるものではないということか」

「ええ、そうよ。あいつ、私たちの食事に妙なクスリを混ぜていたの。早い段階で気付いた仲間は早々にあいつから離れた。クスリの効果には個人差があるけれど、気付いた連中はみんなバネッサを恐れてて。我が身可愛さに誰にも教えず逃げ出したわ。そして、気付かなかった仲間は——」

 一旦目を伏せ、ゆっくりと開く。朱色の瞳がギラリと輝いた。

「ずっと飢えた半魚人のままよ。物を考える力も、魔族としての寿命もほとんど失って。その中には私の妹も」

 噛んだ唇の端から血が垂れる。エマーユが治癒魔法をかけるが、目を合わせようとはしない。

「絶対に許さない」

「その恨み、バネッサに対するものか。それとも俺たち——、俺に対するものか」

 その言葉を聞くと、ルーナはキースに視線を合わせた。

「ああ、いえ。妹はたしかにワルキュリア号襲撃メンバーだったわ。でも、直接の死因が誰の攻撃によるものだったかなんて、私はそれほど興味ない。餓魚になった時点で、妹は気に入っていた人間の容姿に戻る術を無くし、寿命も残りわずかだったのだから」

「ふむ。お前はクスリにやられていないのか」

「危ないところだったのよ。ある日たまたま別の魔族との揉め事があってね。戦いには勝ったけど、食べた物を吐いてしまって。それでクスリに気付くことができたのよ」

「ほう」

 目を細め、ほとんど睨みつけるような視線を突き刺すキース。それを真正面から受けるルーナも、視線を逸らそうとはしない。

 エマーユは数歩引いた位置で、両者を交互に見比べていた。

「…………」

 沈黙。しかしそれは、わずか数秒のことだった。

「いいだろう、ルーナ。お前を信用する」

「キース」

 いいの、と目で問うエマーユに、彼は軽く頷いてみせた。

「バネッサのところへ案内しろ」

「なんで私が——」

「わざわざ館に忍び込んでみせたのは、そういうことなんだろ。アジトへの手引き程度なら役に立つ、と。だから妹の仇をとらせろ、と」

 ルーナは目を伏せ、溜息をついた。

「……ええ、そうよ。でも最後のは違うわ。私の戦闘能力なんてあの女に比べたらないに等しいもの。クスリに気付くきっかけになった、魔族との戦闘だって、そのクスリでハイな精神状態になってなければ絶対に逃げてたもの」

「そうか。だが、俺たちの目的はあくまでもリサの救出だ。バネッサを斃すのは二の次。万が一取り逃がしても、深追いする気は無いぞ」

「別にいいわよ。仇討ちの依頼に来たわけじゃないんだから」

 どこか不満そうだったが、ルーナは渋々ながらも了承した。

「アジトを襲うのは早朝がいいわ。あの女、夜中はなんだかんだで起きているから。未明から午前中あたりが普段の睡眠時間なのよ」

 かくして、救出チームの出発予定は早朝となった。

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