独裁者の道楽 1
湖上で予定外の足止めを食らったキース一行ではあるが、その後はペースを上げて飛び続けた。お陰で当初の予定通り、正午にはウメダダ領主館に到着することができる見込みだ。
チャーリーとキュムラスは、それぞれ背に一人ずつ、スーチェとグレッグを乗せている。出発前はキースが乗らないのなら誰も乗せないなどと息巻いていたキュムラスではあるが、グリフォンとの戦闘を通じてグレッグと気が合ったらしい。
「大したもんじゃねえか。ええ、グレッグ」
「俺がですか。別に大したことは……」
「束になったエルフたちにまとめて大怪我をさせるようないかれたバケモノが相手だってのに、てめえの女を取り返すためならたとえ独りでも立ち向かおうってんだからな。おいキースよ、やっぱ男はこうでなきゃなあ!」
「無駄話を大声で喚くな、彼女いない歴と年齢が一致してる木偶の坊め。おいキース、ただ飛ぶだけなら声が結界を透過する魔法なんていらないだろう。私はこいつの声を聞くだけでも不快だ」
「すまんなチャーリー、少しの辛抱だ」
「ああん? キースてめえ、チャーリーの味方かあ? ……けっ」
気分を害した風を装いつつも、どこか冗談めかしたキュムラスの言葉に、エマーユの朗らかな笑い声が重なった。
「スーチェもグレッグも、炎を魔術付与した武器を完璧に使いこなしてたわね。一度の斬撃で複数の魔力弾を飛ばすのって難しいのよ。二人とも見事だったわ」
そう話す彼女はキースの背にぴたりと寄り添っている。二人は今グリフォンの背に跨っていた。普段の緑色に戻ったエマーユのポニーテールが真下に垂れているのは、グリフォンの結界に護られている証拠だ。
猛禽たちのうち、怪我をしていた一羽をエマーユが治療したのだが、それによって彼女に懐いたのだ。湖上での戦闘終了後、上空へと帰ってゆく仲間たちを見送る形でキースたちの下に残ったのである。
「キースとは話が通じるのよね。あたしともお話できたらいいのに」
「こいつも同じ気持ちだそうだぞ」
「そうなの。ねえ、この子、名前は?」
「風魔法を使えるだけにかなり知能は高いが、モノケロスとは比べものにならないほど野生に近いからな。個体名なんて概念はないようだ」
「……ったりめーだ、一緒にすんなキース」
「悪かった」
彼らの会話に割り込むキュムラスに、キースは律儀に謝罪した。
「名前がないと不便よね。野生のグリフォンとは区別したいし。……そうね、リムスとか、どうかしら」
エマーユが話し終えたタイミングでグリフォンが吠えた。戦闘時のような刺々しさは影を潜め、猛々しくも柔らかな遠吠え——、そう聞こえるのはエマーユの主観に過ぎないのかも知れないが。
「ちなみにオスなんだが……。まあ、当のグリフォンが気に入ったようだから、こいつの名前はリムスでいいか」
その名は大陸東部の国々において、どちらかというと女性に多く見られる名前である。
「うふっ。よろしくね、リムス」
それからほどなくして、一行はウメダダ領主館上空に到着した。
「ねえ、キース。やっぱりすっごく警戒させちゃったみたいよ」
彼女が指摘する通り、ウメダダ領主館では衛兵たちが忙しなく走り回っている。館の最上階の窓という窓からは弓兵が身を乗り出すようにして武器を構えていた。一方、低い階の窓から漏れる光は、魔法戦士たちによる結界魔法の輝きであろう。
グリフォンが仲間に加わったのは突然のことであり、それを事前に連絡していない。超高価な移動魔法系のマジックアイテムは、アーカンドルの一個旅団をサーマツへ移動させるためにほぼ使い切ってしまっており、キースたちの手許には残らなかった。現状、速度において彼ら自身に勝る移動手段など持っていないのだ。
味方であるウメダダ領主館の人達を、これ以上刺激するのはまずい。キース一行は十分な距離をあけて滞空した。
「うん?」
目を凝らしたキースは、何かに気付いたらしい。背後から身を乗り出すエマーユに顔を向けると、説明してくれた。
「ヘンリー兄貴、戦力強化のために冒険者ギルドに募集をかけたようだ」
言われて領主館に目を凝らすと、エマーユも納得した。同じデザインの地味な甲冑に身を包む衛兵たちの中に、派手な色遣いの防具や武器を装備した者がちらほらと混じっていて周囲から浮いている。武勇を是とし、目立つことを好む冒険者ならではの格好だ。
しかし、いかに命知らずな冒険者といえど、ワイバーンとの戦闘経験を持つ者などまずいないだろう。この大陸において、ワイバーンが封印されてから百年もの歳月が流れている。長命種の魔族の中で冒険者登録している者はごくわずかなのだ。
「怖さを知らない分、勇敢に立ち向かえるかもしれないな」
「は。勇敢さだけでなんとかなるもんじゃねーだろ、あれは」
キースの呟きにキュムラスがすかさず横槍を入れる。すると、それに対して意外そうな響きのこもった声がかけられた。
「それしか取り柄のないお前が言うのだな」
「うるせえよチャーリー。お前は一言多いんだ、いつもいつも」
「あは。仲、いいんだ」
エマーユの呟きが割り込むと、俄かに沈黙が訪れた。
一拍の後——
「はあ? 誰が——」
「——誰とだよっ!?」
息、ぴったりだよね。声に出さず口の中でつぶやくエマーユに対し、金髪王子はいたずらっぽい笑顔を向けて振り向くと、片目を閉じながら真っ直ぐに伸ばした人差し指を口の前で立てて見せるのだった。
「全くお前と言う奴は。驚かされるのはセイクリッドファイブの一件でおしまいだと思っていたが、私の考えが甘かったようだな」
ウメダダ領主館の当主、ヘンリー・アーカンドル・ファシリス公爵は、大きな声でそう言いつつも笑顔で弟を出迎えた。
兄弟としての軽いハグを交わしながら、キースが告げる。
「グリフォンに乗ってきたことは謝るよ。おっと、まずはグリズのじいちゃんからの伝言だ。結界と索敵に長けたエルフを何人か応援に寄越すって。ワイバーンの早期警戒と迎撃のためにはエルフの永続結界が最適だ。——他の国も、親父の親書を信用してくれたら、こうしてエルフを派遣できるのにな」
「有難い。それ、お前がグリズ様に頼んでくれたのか。——いや、いい。長旅疲れただろう。まずは午餐だ」
館内を身振りで示すヘンリーに対し、キースは首を横に振った。
「悪いがゆっくりしていられない。リサ救出のために親父から与えられた期限は二日。残り一日半だ。手間をかけて悪いが、携帯用戦闘食を提供してくれないか」
「すぐにご用意いたしますわ。その間、お茶はいかが? その程度の時間ならあるのでしょう」
ヘンリーの妻、ドロテアが笑顔で告げた。
「ドロテア様、ご機嫌麗しゅう」
「いらっしゃい、エマーユ様。さあどうぞ、中へ」
服装こそ見慣れた普段着ではあるが、すっかり貴族然とした幼馴染の物腰に気後れしたのか、スーチェは固まってしまっていた。そんな彼女の手を引き、エマーユは堂々と館内に足を踏み入れてゆく。
「あ、そうですわドロテア様」
「なにかしら」
「私に合う水着はありませんこと?」
背中越しに会話を聞いていたヘンリーの目が点になる。
「俺たちはいつだってマイペースなのさ」
そんな兄の肩に手を置くと、キースは普段通りの笑顔でそう告げるのだった。
「そうですわね、ちょうど今アーカンドルで人気の——、そちらのお嬢様がお召しのものと同じデザインのものがありますわ。ご入用でしたらすぐにでも提供しますけれど……。まさか、水着で戦いに赴かれるのですか」
「戦う場所が場所ですから。動きやすさが一番ですわ」
人間の姿に戻っているグレッグはただ一人、キュムラスのそはに立つとサワムー湖へと目を向けていた。
「待っていろ、リサ。必ず助ける」
「おおい、グレッグ。館の中で作戦会議だ。残り一日半でリサを助けるには、ロレイン族に関する知識が必要だ。ヘンリー兄貴にレクチャーしてもらうぞ」
「はい、殿下。ただいま参ります」
物思いに耽っていたグレッグは、咄嗟にスカランジア式の敬礼をしそうになり、慌ててアーカンドル式のそれに切り替えた。
* * * * * * * * * *
武器の持つイメージを具現化した究極の形のひとつ。相手を殺傷することにのみ目的を絞った、妥協のないフォルム。
懐に入れて携行できるサイズにもかかわらず、威力が大きい。技量さえ磨けば、使用者の筋力如何にかかわらず常に同じ破壊力を発揮する。しかもその破壊力は、同じくらいのサイズで比較するなら、大陸中に存在する他のどの武器をも上回る。
欠点はある。
威力が大きいことにより、使用するたびに大きな反動を使用者に強いるのだ。この反動を抑え込まないと、敵に一撃加えるごとに隙ができるし、反動それ自体で肩を脱臼するなどの怪我を負う可能性もある。先に、筋力にかかわらず同じ威力を発揮すると述べたが、筋力の多寡により要求される技量が左右されることは避けられない。
欠点は他にもある。
使用時に大音響を発するため、隠密行動には不向きなこと。また、消耗品が多く、連続使用に限界があること。よって、この武器ひとつによる単独での長時間戦闘には向かない。
また、使用者はかなり頻繁に整備する必要がある。そのこと自体は剣などの武器と同様だが、調整の巧拙により精度に天地ほどの差が生じる。
しかしそれらの欠点と上手く付き合えば、使用者の手に馴染む道具として育っていくのだ。それにより、使用者は玩具のような執着や愛着を感じることもあり得る。単なる道具としての武器でしかないはずなのに――。
「見事なものだ」
ここはスカランジア王城内の軍師専用執務室。
フィムブチュール・ドレン卿は感嘆し、ようやく手に入れた武器を飽きもせず長いこと眺めていた。
「これが拳銃というものか」
六発の弾丸を装填できるリボルバー。その凶悪かつ美しい造形物が、今ドレン卿の机の上に置かれている。
ドワーフ族の中には遠い過去の技術を今に伝えている者たちがいる。この大陸の先史文明において、絶滅した人類が持っていた技術を。
本来、門外不出のはずの武器。しかしどこにでもはぐれ者はいるものだ。アーカシサン王国の砂漠の片隅に、人間に武器を売りつけるドワーフ族がひとりで住んでいた。
それは噂にもならない不確実な情報。しかし、ドレン卿はそれを突き止め、今から何年も前に接触に成功した。最初のうちはなかなか信用してもらえなかったが、ようやく売ってもらえそうな雰囲気にまで漕ぎ着けた。ところが、購入のための交渉は複雑怪奇を極め、時には浮浪者にパンを与えたり酒を与えたりといった、意味があるのかどうかさえわからないようなドワーフ族の要求を全て呑む必要があった。
極めつけは価格だ。拳銃一挺といくつかのスペア部品、整備用の工具および弾丸百二十発。それは、都市ひとつの年間予算に匹敵する金額だった。
ドレン卿は、スカランジア王国内のある地域の税金を倍増させたり、ある貴族を濡れ衣で没落させて家財を没収したり、その他様々な裏工作を行って金額を工面した。
それらの超高価な武器は、大陸中に数挺出回っているらしい。アーカシサン王国が門外不出としているこの武器は、かの王国内に一体どれほどの数を所蔵していることか。
「ふん……」
片眼鏡の奥で、アイスブルーの瞳が光を放つ。
武器に詳しいドレン卿と言えども、拳銃を一挺手に入れたところで、それを真似て量産することはできない。ドレン卿が今回購入した拳銃の量産は、金属や得体の知れない材料を加工する立体成型技術と、機械化された大規模な工場があって初めて実現する。技術を知るドワーフ族でさえ、量産できるわけではないのだ。
「しかし、弾丸だけならこのスカランジアの技術者に作らせることができる。鉛も、銀も調達できる」
だからと言っても、たった一挺の拳銃など戦場では何ほどの戦力にもならない。
「アーカシサン王国の、薹が立った食道楽王女でもあるまいし……。私もとんだ道楽者かも知れないな」
自嘲気味に呟くドレン卿の執務机の上には、古文書が広げられている。
栞のつもりなのか、開いたページにドレン卿のメモが置かれているが、そこに書かれた文字はこう読めた。
――銀の弾丸と封印魔法による効果。討伐対象魔族、人狼……




