魔弾の応酬
チャーリーが短く告げた。
「振り落とされるなよ」
明らかにチャーリーの意図したものとは別の振動に翻弄され、少女たちは必死にしがみついた。
「この魔法、風系統ね」
「ああ。奴らが風の使い手とは知らなかった。こんなもの、カール様がいれば簡単に跳ね返せるのだが……。いや、よそう」
問題なのは結界ごと揺らす遠隔攻撃魔法だけではない。周囲の空気が粘性を持ったとでも表現すべきか。結界の内側にいながらも、エマーユに備わるエルフとしての感覚はそれを捉えることができる。
まるで水中を進むかのようなこの状況も、当然ながら敵の魔法による影響だ。戦闘空域における高速機動を制限するための、いわゆる『足止め魔法』の一種なのだ。チャーリーたちモノケロスは止まることなく飛び続けているが、その速度は大きく鈍っている。
しかも、敵はこちらの行動制限の範囲外から波状攻撃を仕掛けてくる。グリフォンは十羽。目測で百アードの距離からでさえ、わずか一撃でモノケロスを結界ごと揺らす威力があるのだ。防戦一方では長くは保たないだろう。
「いっそのこと、本当の水中なら我々はまだ自由に動ける。水の流れを魔力で操作し、推進力に変えることができるからな」
しかし、いま現在チャーリーたちを取り巻く空気は、こちらの魔力による干渉を受け付けない。風系統、空気を操作する魔法なら、敵の方が一枚上手というわけだ。
これを振り払うには、それこそカールのような『風使い』の力が必要となるだろう。
こちらの足が鈍ったのを確認して余裕を得たとでも言うかのように、グリフォンたちも飛ぶ速度を緩めて散開した。取り囲むつもりなのだ。
「させるものか」
モノケロスたちの角が光った。エマーユの視界からは、左側やや後方に位置するキュムラスの角も確認できる。彼ら二頭は念話に頼ることなく連携をとっている。
エルフとしての感覚は、味方が放つ攻撃魔法も感じ取ることができる。彼らの角から遠方へと拡散してゆく魔力の流れを捉えていた。
おそらくそれは、触れると感電するトラップ系の魔法。二頭は互いの魔法の影響範囲をきっちりと分担し、敵にとって攻撃のベストポジションとなるであろう空域に罠を張ったのだ。
グリフォンたちもそれに気付いたようで、トラップに近付くことなく滞空している。
彼我の距離、現在およそ五十アード。互いに足を止めて睨み合う。
「余計なことは言うなよエマーユ。私とキュムラスは長年命のやりとりをしてきた腐れ縁。不本意ながらも相手の呼吸を心得ているだけだ」
「うん、わかってる」
今言うことかしら、とは言葉に出さず、彼女は素直に頷いた。
モノケロスたちのことは一旦意識の外に追いやり、スーチェに声をかける。
「剣を抜いておいて」
「ああ。……接近戦を仕掛けるのか」
黒髪少女は緊張とともに返事を寄越した。
「いいえ、敵の身体はモノケロスの倍。接近戦は悪手よ」
「なら——」
何故、剣なのか。遠隔攻撃の手段を持たぬ少女が当然の疑問を口にする。
「まずはバレグのパウダーを身体にふりかけて。もちろんスーチェだけでいいわ。……ストックはいくつある?」
「私一人なら四回分。一回につき二時間だ」
「凄いわね。あのパウダー、作るのにかなり手間がかかると聞いたわよ」
「あいつは暇人だからな」
「あ、剣にはふりかけないようにね」
「ん? ……わかった」
訝りつつも、聞き返している場合ではないと判断したようだ。スーチェは素直に従った。
次の瞬間、エマーユの髪と瞳がオレンジに染まる。フレイムエルフとなったのだ。
「準備はできた? なら、剣を掲げて」
その言葉を受け、黒髪少女は左手で得物を掲げて見せる。同時に、空になったパウダーの小瓶を投げ捨てた。
「————くっ」
空いている右手でチャーリーにしがみつく。敵の攻撃で揺らされたのだ。
その様子を眺めつつ、エマーユはあえて両手を左右に広げて見せる。
「大丈夫よ、スーチェ。チャーリーが魔法で支えてくれているわ。ほら」
「信頼してくれるのは嬉しいが、あまり依存されても困るぞエマーユ。敵の攻撃はこれから激しくなる。自分の身は自分で守るつもりでいてもらわねば」
「うふっ、わかってるわよチャーリー。さて」
会話する間も断続的に揺れ続けている。
改めて掲げられた剣を目の前にしたエマーユは、その美しさに息を飲んだ。
波打つ刀身が特徴的なフランベルジェ。陽光を反射して輝く武器は、ワルキュリア号での戦いの際に湖底に沈んだスーチェの愛剣と同じ種類のものだ。
「遠隔攻撃のできる炎属性を魔術付与するわ」
エマーユが手をかざすと、フランベルジェが赤く染まる。その波打つ刀身と相俟って、刹那の輝きはまさしく炎の揺らめきを連想させる。すぐにもとの鋼色に戻ったそれをスーチェが振ると、風に抗って燃え盛る松明の音がした。
エマーユは嬉しそうに手を叩くと、弾んだ声を上げる。
「いいわ、とても安定している。やっぱりスーチェって、炎魔法との相性が抜群なのね」
「そ、そうなのか」
刀身に見入る少女たちに、チャーリーが注意を促した。
「来た。ここから先、私の結界は正面だけだと知れ。こちらのトラップを避けて回り込んでくる鳥頭どもへの迎撃は任せたぞ」
結界の守りが大幅に減り、少女たちのポニーテールが風に踊る。風の音と共にグリフォンたちの雄叫びが届いた。
正面のグリフォンが二羽、腹をこちらに向け翼を大きく広げた状態で滞空した。
それらを回り込むようにして迫る後続のグリフォンたち。トラップをも回り込むため一旦は大きく距離を開けた。だが急旋回すると再び距離を詰めてくる。その動きを、少女たちの視線がしっかりと追いかける。
モノケロスの角から雷撃が放射された。目を射る強烈なスパークは二条。片方はキュムラスによる攻撃である。狙いは正面で滞空する二羽。
——命中。
「くそ。雷耐性持ちかっ」
「そうなの!?」
チャーリーの悔しげな声に対し、エマーユが反応した。魔物であれそれ以外であれ、生物の範疇にありながら雷に耐えられるものがいるという事実に驚いたのだ。
正面の空域には、雷撃をまともに受けたはずのグリフォンが二羽、ともに平然と滞空したままだ。それを睨み付けながら、チャーリーが苦い声で告げた。
「グリフォン全てが、ってわけではあるまい。あれらが特別な個体なんだろうよ。——こいつならどうだっ」
モノケロスたちの角から純粋な魔力の塊が連射される。
これに対し、正面の二羽はその場に滞空したまま大きく羽ばたいた。その羽根が白く輝き、魔力を伴う風が巻き起こる。
モノケロスたちの魔力弾は、グリフォンの身体に届く直前に相殺されてしまった。
「ふん、思った通りだ。バレグのパウダーとは違って、攻撃魔法ならなんでも無効化できるってわけではないらしい」
「はあっ!」
スーチェの気合い。振り抜かれたフランベルジェから赤い魔力弾が飛ぶ。
「やあっ!」
エマーユも伸ばした両手から魔力弾を飛ばす。左手からはエルフとしての緑の魔力弾、右手からはフレイムエルフとしての赤い魔力弾。
すぐ真横、およそ十アードまで迫っていた一羽のグリフォンは、悔しげに雄叫びを上げると再び距離をとった。遠距離からあれだけモノケロスの結界を揺らし続けた攻撃を、少女たちの魔力弾はこの至近距離で防いでみせたのだ。
黒髪少女とハイタッチするや、少女たちはそれぞれ別の方向へと魔力弾を飛ばした。
いまのところ敵の身体への直撃は得られないが、敵の連携を散らし、距離を取らせることには成功する。
相変わらず正面の敵を抑え込むモノケロスたちの攻撃は轟音を伴い、遠く、時には間近で響くグリフォンの雄叫びも重なって、戦闘空域は俄かに騒々しくなった。
敵を追うエマーユの視線が、ほんの一瞬キュムラスの背を通過する。
彼の背の上で、キースはエマーユと同じように素手で魔力弾を連射し、狼男の姿をしたグレッグはスーチェと同じように剣を振ることで魔力弾を飛ばしていた。
戦闘空域に飛び交う大量の魔弾の群れ。片や無色の魔力弾。片や赤と緑の魔力弾。不規則なリズムでの応酬が繰り返される。
断続的に訪れる睨み合いの均衡。
それを崩す事態が唐突に起きた。
火花が飛び散り、空気が爆ぜる。
エマーユの鼻に焦げた臭いが届く前に、一羽のグリフォンが湖面へと墜ちてゆく。
「トラップにかかったな」
どこか嬉しそうに、そしてやや相手を見下すように呟く間も、チャーリーは正面の敵に集中したままだ。
彼女の魔力弾は有効射程五十アードというところだ。敵が射程距離を掠めたら撃ちまくるつもりで周囲を警戒する。
そんな彼女に予想外の事態が襲いかかった。
「来い、エマーユ。力を貸せ」
「はい……へっ?」
それは、彼女にとっては抗い難い声。しかし続けて訪れた浮遊感。思わず声が裏返る。
「な、ええっ!? 落ちっ? きっ、きゃあああああ!!」
オレンジのポニーテールは真上に引っ張られるかのように立ち上がり、眼下の湖面は急速に迫ってくる。
敵による行動制限の魔力範囲などとうに抜け、強烈な風が服の裾をはためかせる。
いまこの瞬間、彼女の頭をよぎるものは——
服が脱げてしまわないのは不思議だな、という現実逃避ぎみの感想だった。




