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襲撃者の正体

 キースたちが到着した時、ユージュの森は重苦しい沈黙に包まれていた。

 エルフの里では男たちの内、立っている者は耳を澄ませて周囲を警戒している。一方で、少女たちのほとんどはそこかしこでかがみこんでいる。彼女らの足下には横たわる青年たちの姿があった。

 それらの者たちは、一様に酷い——治癒能力を持つ彼らが自力で回復できないほどの——怪我を負っていたのだ。ある者は関節が曲がるはずのない方向へと折れ曲がり、ある者は腹が大きく抉れている。中にはエルフのトレードマークである耳が千切れてしまっている者もいる。

 少女たちは必死の面持ちで彼らに治療を施しているのだ。その中にはエマーユの姿もあった。

 エルフの治癒魔法は魔族の中でも高い回復力を誇るが、万能ではない。骨折した場合は自然治癒に任せることになる。特に程度の酷い粉砕骨折の場合、治癒魔法では治せないこともしばしばあった。

 一方、人狼の姿をしたグレッグはブルーサーペントに溶かされた肉を再生してみせた。そのブルーサーペントも、舌を再生したり、潰された目を再生したり。果ては、斬り落とされた首を胴体にもとどおり繋げることさえできる。もっとも、今回はカールの魔法がそれを許さなかったのだが。

 実は、それは魔法とは別の力。『妖力』という言葉で表現されることもある。『闇の民』の中でも特に強力な種族が持つ身体能力の一種なのだ。

 治癒魔法では、千切れた耳を元通りにすることなど不可能なのである。

「気の毒なことだ」

 エルフにとって耳がどれほど大切であるかを知っているキースは、心の底から同情した。

「…………」

 黒髪の少年の雰囲気は特に暗い。その少年は変身を解いたグレッグなのだが、彼は放心した顔で座り込んでいる。

 里の様子を一通り見回して大体何があったかを察したものの、一応聞いてみる。

「じいちゃん、何があった」

「抜かったわ。リサが攫われてしまったようじゃ」

「くそっ、やっぱりそうか」

「ごめんなさい。あたしも里にいたのに、音にも気配にも全く気付かなかったの」

 エマーユが歩み寄り、そう告げた。どうやら彼女は耳の千切れた青年への治療を担当していたらしく、その処置を終えたようだ。

 無言で頷きつつ、リサの容姿や性格を思い浮かべてみた。どう考えても、あの少女には他者から恨みを買う要素があるとは思えない。

「っ————!」

 ふと、サワムー湖での一件を思い出して目を見開いた。

「バネッサか」

 叫んでから頭を振った。

 冷静に考えるまでもない。他にはあり得ないではないか。

 不完全とは言え土蜘蛛の技術を身に付けた魔族。彼女だからこそエルフの結界を潜り抜けてみせたのだろう。逆に言えば、彼女以外に同じことをできる者が大陸に何人いると言うのか。

「くそっ、〈ドレインサンダー〉おそるべし。魔力や体力だけでなく、知力まで吸い取るというのか」

 この発言をすぐそばで聞いていたカールは、口を苦笑の形に歪めながら顔の前で手を振った。

「いやいやキース。それはない」

 そんなことより、もっと大きな懸念がある。それを言葉にこそしなかったが、キースは無言のまま難しい顔で腕組みをした。

「さらっと無視したよこの王子様」

 苦笑をさらに深くする青髪の少年を放置し、キースは己の考えに浸る。

 逆恨みとはいえ、バネッサはリサを憎んでいる可能性があるのだ。

「あの誘拐常習犯め。俺の妹を攫うだけでは飽き足らず……」

 しかし今回に限っては、リサを人質として利用するつもりはあまりないのかもしれない。おそらく目的は、彼女が船の上で見せた呪文だ。それを聞き出したいのであろう。

 しかしリサによると、あれは無自覚に唱えたもの。たとえ素直に答えたくても答えられないはず。そうなると、果たして無事で済むだろうか。

 拷問の単語がキースの脳裏に浮かぶ。いてもたってもいられない。

「くそっ、急がないと」

「待つのじゃ、キース。セイクリッドファイブたるバネッサに対抗できる者はお前たちをおいてそうはおらん。しかしお前さんとカールには〈ドレインサンダー〉の影響が残っている。今すぐ追って、仮に追いついたとしても、返り討ちに遭うのが関の山。しばらく休むのじゃ」

「そうは言うが、じいちゃん。リサを放ってはおけない」

 そのとき、黒髪の少年が勢い良く立ち上がった。

「すみません、みなさん。俺のせいで巻き込んでしまって。リサのことは俺の問題です。ご迷惑をおかけして申し訳なく思っております」

「おい待てよ、グレッグ」

 キースの制止に首を振り、彼は言葉を続ける。

「これ以上みなさんに何かあれば、俺はもう耐えられない。ここからは俺一人で行きます。お世話になりました」

「勝手なこと抜かすな」

 キースの大声に、グレッグは目を白黒させて固まった。

「あの銀髪女と因縁があるのは俺だ。みんなを巻き込んだ責任は俺にある。リサは船の上でずっとファリヤを守ってくれた恩人だ。だから決してお前一人の問題なんかじゃねえ! わかったか」

 まくし立てるキースの隣に、緑髪の青年が並んだ。青年の右耳には包帯が巻かれている。ふらつく彼にエマーユが寄り添い、心配そうに支えようとした。彼女が治療を担当した青年である。

 青年はエマーユの介助をやんわりと断ると、少年たちに向かって話しかけてきた。

「あんまり誰のせいだとか責任だとか言ってくれるなよ、グレッグ。それに、キース殿下もですよ」

「…………」

 金髪王子の訝る視線を受け、青年は穏やかに微笑んだ。

「一応、今回の件では耳の千切れた俺が一番重症ってことになるんでしょうね。他のみんなは治癒魔法や自然治癒で治りますから。でも俺も、鼓膜は無事です。ただ片耳の長さが人間なみになったってだけのこと。それよりも」

 そこで彼は視線をグレッグへと向ける。

「結界を突破されたのも、襲撃されて後れをとったのも我々エルフの力量不足のせいだ。それ以外の何物でもない。今回の件では、リサを守り切れなかった我々こそがその責めを負うべきなのだ。本当にすまない」

 頭を下げられるとは思っていなかったようで、グレッグは口を半開きにしたものの一言も発することができずにいた。ただ黙って首を横に振る。

 そんな彼らの中へ割って入ったのはグリズだ。

 緑髪の青年とエマーユはごく自然な動作で傅く。遅れてグレッグも傅いて、その場で立っているのはグリズとキースの二人だけとなった。

「さて。責任云々は今は置こうではないか。リサ救出はわしら共通の目的、単独行動はなしじゃ。キースよ。お主はこの件、まずヴァルに報告するのじゃ」

「わかったよじいちゃん。急いで救出隊を結成する。けど、王室警護隊が七名と近衛騎兵十名を含む一個中隊がピート兄貴と一緒にサーマツへ向かったからな。ドレン卿の奴が何を考えているかもわからないから、まとまった人数を城に常駐させておく必要がある。となれば、今すぐ動かせる人員はごくわずかだ」

 白髪の老人は身体を揺らして笑う。

「なあにを言っとる。お主は以前、リュウとメリク、そしてエマーユの三人だけを供にサーマツ王国まで往復してきたではないか」

「違いない」

 キースは白い歯を見せて笑ったが、すぐに表情を引き締める。

「兄貴」

 その呼びかけに答えたカールを正面に見据え、彼は尋ねた。

「兄貴の視力で、森から去って行く奴が見えないか?」

「さすがに見えない。ここに来るまでの間だってほとんど木しか見えなかったし」

「そうだよな。しかしそうなると、どこを探せばいいんだ」

 グリズが咳払いをした。

「何故それをカールに聞いてわしに聞かぬのじゃ? ……まあよい、答えてやるわい。バネッサの拠点はどこであるかを考えよ。あやつの立場で考えてみるのじゃ」

 キースは首を傾げた。この段階ではまだぴんと来ないようだ。

「ファリヤを攫った時とは違い、人質交換のための交渉など考えておらぬ可能性が高い」

 金髪王子はようやく膝を打った。

「そっか、サワムー湖! 『水の民』がわざわざ陸に拠点を作る意味はないわけか」

「うむ。それとて範囲は広いが、手がかりはある。ロレイン族がよく出没するところが怪しい」

「……っしゃ! ヘンリー兄貴に協力を仰ぐ。サワムー湖のことなら兄貴の方が詳しいからな」

 そう言ってから、キースは顔をしかめた。

「だけど、もう船には乗りたくねえ。絶対酔うからな」

 そしてすがるような目をキュムラスへと向ける。視線の先にいるモノケロスは荒い鼻息を吐く。

「なぜこちらを見るのだ、キース。チャーリーがいるだろう」

 カールのそばに寄り添うモノケロスは、我関せずとでも言いたげに明後日の方向を向いていた。

「お。キュムラスも肉声で喋れるのか」

「聞いちゃいねえ」

 満面の笑みで話しかける少年に対し、キュムラスはどこか諦めたように溜息を吐いた。

「諦めるんだな、キュムラス」

「ああ? 何か言いやがったか、チャーリー」

 モノケロス同士の視線がぶつかった。

「お前、あの臆病な仲間のところへ戻りたいか。そうして、ワイバーンが来るたびに逃げ回りたいか。それよりもカール様やキースと共に行動することを私は望む。そちらの方がよほど我々の在り方に近い生き様ができるというものだからな」

 いつになく饒舌なチャーリーを、彼女を除く全員がまじまじと見つめていた。

 キース一人だけは先ほどと変わらぬ満面の笑みのまま、彼女に向けて親指を立ててみせた。目が合ったチャーリーは、再び明後日の方向を向いてしまう。

「ま、まあそういうことだ」

「ふん。お前との勝負はひとまず預けただけだ。いつか白黒つけてやる。だが今は、そうだな。俺としてもこいつらといる方が面白そうだ」

 ようやくライバルから視線を外すと、彼はキースを正面に見据えた。

「いいぜキース、乗せてやるよ」

「そう言ってくれると信じていたぜ、よろしくな!」

「馬じゃねえっつってんだろ、首筋撫でんじゃねえよ」

 こうして新コンビは周囲から緩い視線で見守られることとなった。


 * * * * * * * * * * *


「ところでキュムラス。お前、人を何人まで乗せられる?」

「うん? キースくらいの体重なら三人までは軽い。だが、どんな姿勢をとっても背にまたがっていられるのはお前くらいだろう。二人までにしておけ。そうでないとまともに飛べる自信がない」

 いったん考え込んだキースは、ユージュの山頂へと目を向けた。彼の考えに先回りするかのようにして声をかけてきたのはチャーリーだ。

「やめておけ。他のモノケロスの説得など時間の無駄だ。今は一刻も早くリサ救出に向かうことを考えるべきだ」

「ああ、わかったよチャーリー」

「あの銀髪女め。リサに少しでも苦痛を与えようものなら、必ず八つ裂きにしてやる。必ずだ」

 興奮するチャーリーをしばし呆然と眺めたキースだったが、少しだけ興奮がさめるのを待ってから質問した。

「どうしたんだチャーリー。セレナ族に何か特別な思い入れでもあるのか」

「あの長い金髪。キース、お前のそれとは違う繊細な髪質は、大精霊フレーミィ様が人の器に収まっておられたときのものとそっくりだ」

 チャーリーはろくに飛べるようになる前の幼い頃に仲間からはぐれ、冬山に落ちて飢えた経験を持つ。その時、雪上で燃えるものもないのに火が発生し、小動物を焼くことで飢えを凌いだという。

 はっきりと確認したわけではないが、その時に火を起こしてくれたのはフレーミィであるらしい。少なくともチャーリーはそう信じているのだ。

 もちろん、フレーミィの仕業とは限らない。もしかしたら、どこかで起きた魔法による戦闘の余波に過ぎないのかもしれない。それでも、彼女は恩返しする相手を探していたのである。

「あのフレーミィ様にも似た上品な外見と慈愛に満ちた雰囲気を持つ少女は、守るべき存在なのだ。わかったか」

「なるほど」

 リサにこだわるのは、チャーリーなりの恩返しの一環であるようだ。

 この時点ではフレーミィと自分との接点など知る由もない彼ではあるが、どことなくむず痒い感覚に襲われるのだった。


 いったん王城へと向かうためキュムラスにまたがったキースは、彼の背の上からグリズに話しかけた。

「そういえば、前にバネッサとやり合った時、奴は千切れた手首を再生してたぞ。でも、人間と『水の民』ロレイン族のハーフのはずだろ。それなのに、あいつ『妖力』も使えるというのか」

「キースよ、ロレイン族を『水の民』に分類したのは人間じゃぞ。たしかにロレイン族は『水の民』と共通する特徴を持ってはいるのだがな」

 グリズの言葉に、キースは首を傾げた。

「じゃ、ロレイン族は『水の民』じゃないってのか」

「あれらは、わしに言わせれば『闇の民』じゃ。普段『闇』の属性に目覚めておらぬ者が多いというだけのこと。ところが、ひとたびそれに目覚めたら『妖力』を使えるようになる。さらには——」

 いったん目を閉じ、再び開く。強い眼光でキースを見据えた。

「——人喰いとなるのじゃ」

 一瞬にして、周囲の視線がグリズへと集まるのだった。


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