大精霊の鎧
モノケロスの敗走は無理もない、というのがカールの正直な感想だ。
彼自身、頭の中で戦闘をシミュレートしてみたものの、勝利に至る道筋が見つからない。
守りが堅い上、騎手による攻撃は結界の内側から飛んでくる。あまつさえ、複数のワイバーンが連携しているのだ。
隙がない。
「バイラス」
会ったこともない魔族の名を呟くだけで、胃が焼失するかのようなむかつきと背筋を凍らせる怖気が同時に襲ってくる。
脳裏に浮かぶのはサーマツ王国での事件だ。
ワイバーンに果敢に挑み、力及ばず墜ちていった仲間。
全身が火傷と裂傷だらけとなり、無力感とともに空中で意識を失った自分。
少量のスケルトンの瘴気を吸い込み、瀕死になったローラ。
魔力封じの枷をつけられ、全身を駆け巡る痺れに苦しみながら魔法を使ったパーミラ。
それらすべての元凶となった者、バイラス。その存在こそが——
「敵、だな」
意識していないとかちかちと音を立ててしまう奥歯を、ぐっと噛みしめる。
エルフ族の長グリズから聞いた話によると、バイラスはスカランジア帝国に手を貸しているらしい。その名はグライド族の長からも聞いている上、グレッグから聞いた上官の名前とも一致する。同一人物と見て間違いない。
その者は百年前のワイバーンクライシスの黒幕と目される『闇の民』だという。ワイバーンを使役するなど凡そ考えつくようなことではないが、それをやってのける狂気の竜騎士。
これから対決することになるであろう相手の不気味さばかりが、頭の中で膨らんでゆく。
いま目の前でモノケロスを圧倒してみせた三頭の翼竜と騎手は、今日のところは偵察に来ただけであろう。まずはこれらの騎乗用ワイバーンについてヴァルファズル王に報告し、でき得る限りの対策をとらねばならない。
しかし、翼竜の鞍上に跨る連中の所属について、確たる証拠は得られなかった。
わずかな手掛かりとして、グライド族の優秀な視力により騎手が構えるボウガンを捉えた。さらには台座に施された意匠に至るまで。
その意匠を絵に描いてキースに見せれば、相手の所属を特定できるだろう。武器の形は大陸中どこに行っても大きく変わるものではないが、細かな意匠は国ごとに違いがあるはずだ。もちろん、盗品や軍からの横流し品、コレクターが蒐集したものが武器として再利用されたものなど、あえて意匠をそのまま残してある武器もあるにはある。また、使用者が己の所属を欺瞞するために他国の意匠を描き入れる可能性もないとは言えない。
だが、今回に限ってそれはないだろう。
正体を隠すよりもむしろ、アーカンドル王国の関係者に目撃させたがっているように感じるのだ。
ユージュの山頂がモノケロスの縄張りであることは有名だ。
国境への飛来から捕捉までの時間を計ることでアーカンドルにおける対空警戒の程度を知り、あえて目撃させた上でモノケロスを圧倒してみせる。そういった、示威行動を兼ねた偵察任務なのではなかろうか。
もしこの推測が合っているなら、彼らの目論見ははからずも達成されたことになる。
悔しいことに、こちらが得られたものは少ない。敵の戦闘能力が圧倒的だということだけはわかった。攻略法の糸口さえ得られず終いだ。
まもなくキースが告げた一分が経過し、〈バニシングタブレット〉の効果が切れる。ひとまず撤退だ。
ほとんど戦闘が終熄した空域に背を向けたカールは、彼我の位置関係を把握するため首だけで振り向いた。
直近のワイバーンとこちらとの距離、およそ三百五十アード。モノケロスは今や二手に分かれていた。徹底抗戦を選択して突撃していく一頭と、撤退を選択して高速で飛び去る二頭とに。
もはや結果は見るまでもない。
逃げるなら今だ。自分たちが選択した撤退ルートは巨岩が多く不毛な山肌を見せる場所。翼竜も騎手も、モノケロス最後の一頭による死に物狂いの反撃を警戒し、こちらへ注意を払う者はいない。
(キース。撤退するぞ)
(おう、兄貴。チャーリーと一緒に、じいちゃんに報告頼む。あと、親父にも伝えておいてくれ)
(キース、お前なにを――)
チャーリーと一緒に、とはどういうことか。意味がわからず戸惑うカールの視界の端で、空中に揺らぎが発生した。
半透明のモノケロス、そしてその背の上に立つ人間。カール自身も含め、二人と一頭の姿が空中に少しずつ像を結びつつあった。
それはグライド族の視力があり、かつそこにキースたちが存在することをあらかじめ知っているからこそ見えるのであって、人間の目で確認するにはまだ難しい段階である。
だが、敵に見られてからでは遅い。
仮に敵の主目的が示威行動だったとしても、目撃者が空中に身を潜めていたとなれば話は別だろう。
一刻も早く巨岩の影に身を隠しながら下山しなければ。
そう思いつつキースたちのそばへと飛んでいくと、微かに金髪少年の声が聞こえてきた。
「蜘蛛糸よ! 我が意を汲みて大空を渡る架け橋となれ!」
半透明の糸が戦闘空域へと伸びてゆく。それは土蜘蛛忍法におけるマジックアイテムの一つ、〈蜘蛛糸〉だ。粘つく強靱な糸であり、敵を捕らえたり足場のない高所を移動したりするのに使う。
しかし、ここは標高四千アードの山頂、しかも空中である。巨木や建造物など〈蜘蛛糸〉を固定する土台となるものが何もないのだ。こんな場所での移動を想定したアイテムではない。
「届いた!」
快哉を叫ぶキースの視線を辿り、戦闘空域を振り仰ぐ。
視線の先には、どう見ても三百アードはあろうかという距離で翼竜の結界に挑むモノケロスの姿があった。
まさか、あんな遠くの魔獣に届いたというのか。
あんぐりと口を開けたカールは、次なるキースの行動に仰天し、ついに怒鳴り声を張り上げた。
「莫迦! 死ぬ気かてめえ!」
相手が王子様だということを完全に失念している。
それどころではない。今やキースの両足はチャーリーの背から完全に離れてしまっているのだ。
あわてて彼の身体に飛びかかろうとしたが、一歩及ばず。
すれ違うように通り過ぎながらも、カールは己が目を疑った。
早い。キースの身体が矢のように飛んでいく。どうやら〈蜘蛛糸〉には自動的に巻き取る機能もあるようだ。
半透明の少年が空を駆ける様子は幻想的ではあった。だが彼はグライド族ではない。その体重を支えるのは現在戦闘中の魔獣である。しかも味方ではないのだ。最悪、キースは翼竜と魔獣の双方から攻撃を受けてしまうかもしれない。
(追うぞ、チャーリー)
カールにはキースを置いていく気など微塵もない。
(はい、カール様)
チャーリーにはカールの命に逆らう気など微塵もない。
彼らは迷いなく戦闘空域へと飛び込んでいく。
しかし、先程はキースが落ちるものと思って加速したカールは、ユージュの山肌近くまで降下していた。一方、チャーリーは今の今まで離脱すべく、戦闘空域に完全に背を向けていた。
追いかける彼らの視線の先で、キースはすでに翼竜と戦闘中のモノケロスへと肉薄していたのだ。
それまで蛮勇を奮い灰色ワイバーンに突進していたモノケロスだったが、まるで意図していない方向からの『攻撃』に対し驚愕と憤怒の嘶きを上げる。
ほぼ半回転して翼竜に背を向ける格好となった一角獣。その動きが幸いして、ボウガンの矢はその身体をかすることなく飛び去ってゆく。
今、モノケロスの視線は空中に身を躍らせる少年の姿をはっきりと捉えている。〈バニシングタブレット〉の効果が切れかかったキースである。半透明となった今、人間の目では視認しづらくてもモノケロスの目は誤魔化せないのだ。
(手を貸せ。その背に乗せろ)
(失せろ人間)
人間が念話を使ったことに驚いたのも一瞬、動揺を隠してにべもなく拒絶する。同時に、光らせた角で〈蜘蛛糸〉を切り払った。
魔獣の視力をもってすれば、半透明の糸もはっきりと見えるようだ。
「渦なす劫火よ、鎧となりて我が身を纏え」
〈蜘蛛糸〉の支えを失ったキースだが、ここまで飛んで来た慣性そのままにモノケロスの背の上へと身を躍らせる。
この時点でキースの全身は薄くオレンジ色に光り始めているが、人間の視力ではまだほとんど見えないらしく、翼竜の騎手たちは特に反応していない。
(その呪文。大精霊フレーミィのものだぞ。何故だ。貴様、何故それを知っている)
(自分でもよくわからない。勝手に頭から出てきた)
その気になれば金髪少年の落下地点から離れるのは簡単だ。だが、モノケロスはそうしなかった。その背で彼の身体を受け止めるべく待ち構える。
器用に受け止めてもらいながら、少年は言葉を続けた。
(そんなことより、これ以上奴らに勝手をさせるわけにはいかない。そうだろ? ここは俺たちの空なんだからな)
(…………俺たちの空、か。気に入った。いいだろう、大精霊の呪文を操る者よ。一時休戦だ、手を貸そう)
(おう、よろしくな。俺はキース)
(キュムラスだ。変な奴だな、お前。俺の仲間は腰抜けどもだったが、まさか人間の身で飛んで来る奴がいるとは)
その背に跨がったキースは、目の前の翼竜を睨み付けた。
(キュムラス、奴の結界をこじ開けてくれ)
(早速か。遠慮のない奴め)
一角獣の角が敵の結界とぶつかり、激しくスパークを散らす。
そこへ、翼竜の騎手からの矢が飛来した。矢はキュムラスの顔面へと正確な射線を辿る。
「させない」
キースの放った〈蜘蛛糸〉が敵の矢を絡め取る。
同時に透明化の効果が終了し、オレンジ色の光が弾けて散った。
先ほどの呪文はまだ効果が継続しているのか、キースの全身は淡くオレンジ色に発光したままだ。ここに至り、目の前の翼竜の騎手はようやく金髪少年の姿を視認したらしく、面食らった顔をして直上——おそらく敵の中衛たる灰色種の騎手——を振り仰いだ。
結界の種類にもよるが、彼らの結界は人間の肉声を通さないのだろう。空中での騎手同士の意思疎通はハンドサインで行っているようだ。
視線を受けた中衛も似たような表情をすると、最も高い空域で待機する赤色種の騎手を仰ぐ。迷っているのか、赤色種の騎手はやや考え込む様子を見せている。
キースは、相手がどんな出方をしても対応できるように身構えた。その気合いがオレンジ色の光となって一際強く輝く。横溢する魔力が漏れたものであり、彼の意図しないものだった。
(ほう、その魔力。貴様、ただの人間ではないな。ハーフか何かか?)
(ん? ただの余り物さ)
緊張感のない遣り取りをする新コンビに対し、前衛の騎手は余裕のない表情で口を大きく開いていた。
音が漏れてはこないが、どうやら恐慌まじりの雄叫びをあげているらしい。キースの光を攻撃の意志とでも受け取ったのだろう。ボウガンに矢を番え、狙いもそこそこに撃ってきた。
(おいおい。この坊や、赤色種からの命令を待ってたんじゃないのかよ)
ボウガンの矢はキュムラスではなく、キースへと向かってくる。
(キース! 避けろっ)
青髪の少年の『声』が戦闘空域に届く。
(なるほど。俺だけでなく兄貴たちの姿も突然現れたんで、騎手から見れば敵の援軍が来たようなものだな。実際その通りなんだが)
(本当に変な奴だなお前。ここまで妙な糸一本で飛んでくるほどの蛮勇を奮うかと思えば、冷静に分析する余裕もあるとは)
(それはお互い様だ)
わずか五十アードの距離、ボウガンの矢が到達するまで二秒かかるかどうか。特に時間が引き伸ばされたわけではないが、圧縮された思念による念話によりキースとキュムラスはこれだけの会話をこなした。
(大丈夫だ兄貴、今はまだ手を出すな)
カールの心配をよそに、金髪少年は蚊か蠅でも払うかのように無造作に手を振う。その手に払われた矢は、二つに折れて弾け飛んだ。
キュムラスはやや鼻息を多めに吐きながら感心するのみだったが、カールからは興奮した様子の念話が届いた。
(素手で矢を!? そんな身体強化魔法、見たことないぜ)
(苦手なホウレン草を食べられるようになったからな)
背にまたがる少年の軽口を聞き流しつつ、キュムラスには想像がついていた。それは身体強化魔法などではなく、今この瞬間も少年の身体を薄く纏うオレンジ色の光——大精霊フレーミィの魔法鎧——による効果なのだと。
「常識の通用しない奴だ」などと肉声で呟きつつ、カールが念話を飛ばす。
(チャーリー、お前は真ん中の奴を抑えろ。俺はレッドを——)
(兄貴、チャーリー)
カールの念話に被せるようにしてキースが割り込んだ。
(灰色の奴ら、飛び道具は騎手のボウガンだけだ。俺たちにとってはどうということはない。翼竜の尻尾にだけ気を付けて、全員で赤い奴のところにいくぞ)
モノケロスが嘶いた。キュムラスだ。
(まて! チャーリーだと!?)
念話の『声』が尖っている。敵意をむき出しにした魔獣が振り向くと、視線の先にもう一頭の一角獣がいた。チャーリーだ。
(そういえば仲悪いんだったな。すまん、今日のところはこらえてくれ。ワイバーンが共通の敵だ)
(……そういうことだ、キュムラス。貴様と私がやり合うとしたら、それは明日以降だ)
チャーリーからも『声』が届くが、それには念話で返事することなく、再び嘶く。不満そうではあるが、一応は了承したようだ。その首筋をキースが軽く叩いた。
(悪いなキュムラス、こっちの都合を押しつけちまって)
(……こらキース。俺は馬じゃねえよ)
ますます緊張感がなくなってゆく新コンビたちとは対照的に、前衛の騎手は明らかに動揺していた。番えようとした矢を取り落とし、ワイバーンに何事か命令しようとしてはそっぽを向かれている。
翼竜に命令を聞かせるには、騎手は平常心でいなければならないのかもしれない。
(目の前のこいつは、ひとまず放置してもよさそうだ)
キースは前衛の灰色種を大きく迂回するようにしてモノケロスを上昇させた。騎手は慌てて振り向くが、翼竜は動こうとしない。
それを後目に矢のような速度で上昇するキュムラス。カールとチャーリーも同じ速度でついてゆく。
進路を塞ぐべく、中衛の灰色種が移動してきた。しかし、キースたちはすかさず三方向に分かれてすれ違う。中衛が方向転換する間に、彼らは赤色種の正面まで移動を完了していた。
「我が名はキース・アーカンドル! アーカンドル王国第四王子なり。異国の騎士よ、名乗りを上げられい。敵対の意図ありや、なしや」
「こ、声が聞こえるだと? 結界を張っているのに」
赤色種の鞍上に立つ短い黒髪の青年は目を見開いていた。モノケロスにまたがり己の正面へと進み出た金髪少年を見据えて呟く。
驚くのも無理はない。結界の多くは、音をある程度遮断するものなのだ。
「マジックアイテム〈木霊の坩堝〉を使った。双方の声は結界を透過する」
(よく言うぜ。お前が唱えた呪文は大精霊フレーミィのものだけだろうが。ただの人間がマジックアイテムなしで魔法が使えるなんて誰も思わないもんな。おおかた説明が難しいんだろうぜ)
〈木霊の坩堝〉などというのはキースの即興である。少なくとも彼は、そのようなアイテムなど見たことも聞いたこともない。だが、澄まし顔でキュムラスの『声』を黙殺すると、騎手に対して言葉を続ける。
「ちなみに、貴官のたった今の呟きも聞こえているぞ」
慌てて居住まいを正すと、黒髪の男は軍隊式の敬礼をした。正体を隠すつもりはないらしく、その敬礼はスカランジア帝国のものである。
「し、失礼いたしました。小官はスカランジア水軍ワイバーンライダーズ所属、メンサム・クロイツ曹長です。ご覧の通り、ワイバーン三騎の小隊長を拝命し、目下慣熟飛行を行っておりました。本日は訓練であり、ワイバーンの速さゆえに貴王国の国境にまでうっかり足を踏み入れてしまいました。平にご容赦を」
「ほう」
(そうきたか。ひとまず、所属については正直に答えたようだが)
肉声では黒髪の青年に頷き、念話では仲間たちに内心を伝えたキースは、続きがありそうな様子のメンサムを身振りで促す。
(なんだよ、人間同士の喧嘩に巻き込まれたのかぁ、俺たち)
(お前たちの方から仕掛けておいてよく言う)
(うるせえよチャーリー)
モノケロスたちの言い合いには聞こえないふりでやり過ごす。
「知らぬこととは言え、先ほど殿下に対して矢を射かけたのはこちらの落ち度。本来であれば部下の身柄をお引き渡しすべきところなれど、厚かましい申し出であることを承知でお願いいたします。殿下におかれましてはお怪我がなかったということで、今回だけはお目こぼしを」
「許すと思うか?」
一言で返すなり、キースの纏うオレンジの光が一段階明るく輝く。
対するメンサムの目尻が吊り上がった。
剣呑な空気があたりに満ちてゆく。
「……道理の通らないお願いであることは重々承知しております。ですが、そこを曲げてなんとか」
「ワイバーンを使役している。本来、この事実だけでも見逃しがたいことなんだがな。まあ、こちらとしても今この場で貴官を乗せた翼竜とやり合えば、
ただで済むとは思えない。この場は互いに回れ右といきたいところだ」
キースは不敵な笑みを浮かべて見せ、一言付け加えた。
「それとも、我が王国へ宣戦布告に参られたか?」
「滅相もない。寛大なるお言葉、衷心より感謝を」
言うが早いか、メンサムはハンドサインを送る。
キースの左右を固めるカールとチャーリーが警戒するが、それはどうやら撤退の合図だったようだ。
灰色種が二頭、メンサムと同じ高度まで上がってはきたものの、こちらに充分距離をあけて背を向けている。
「よく訓練されているな。どこから見ても強力な兵器にしか見えない」
「取り繕っても仕方がありませんね。仰る通り、これらは我が帝国が誇る新兵器です」
口調は丁寧なまま、黒髪の騎手は不敵な笑みを頬に貼り付けた。
そこでふと、彼はカールに目を向ける。
「ところで、そちらのお方は?」
「俺か? カールだ。ああ、一応階級みたいなのがあったな。こほん。サーマツ王国外遊騎士、カール・セイブだ」
メンサムは瞳を細め、青髪の少年に対して刃のごとき視線を突き刺した。
「きさ……、あなたがカール卿でしたか。そのお顔、しかと覚えました。この次は、ぜひ戦場でお会いしたいものです」
「なんだと」
たかが一兵卒による挑発と言えばそれまでだが、ほとんど決闘の申し込みであるかのような物言いである。これには温厚なカールといえど気色ばんだ。
そのとき、唐突に黒雲が広がった。
高度四千アードだというのに、彼らの頭上に、である。
(途轍もない魔力の流れだ。カール様、キース。この場の全員で結界を!)
チャーリーが念話で思念を飛ばすのとほぼ同時に、キースは自分の身を覆っていたオレンジ色の光を解除した。
一つ深呼吸すると、チャーリーとキュムラスの魔力と己のそれを同調させ、結界を強化する。
カールの様子を探る。彼は魔力同調ができない、否、やったことがないらしく、同調には参加していない。
今度教えようと思った途端、金髪少年は目を見開く。
自分には何故こんなことができるのか。
いや、今はそれどころではない。
考えるのを後回しにし、キースは周囲を警戒した。
「…………っ」
天空の黒雲から黒い稲妻が迸った。
稲妻は三騎のワイバーンに突き刺さるや、刹那の間も置かずそれらの姿を消し去ってしまう。
その様子を目撃しつつも、キースは勘違いなどはしない。この稲妻はワイバーンたちを攻撃したのではない。キースの知る瞬間移動用のマジックアイテム〈白竜の門扉〉の魔法効果を上回る、大規模な移動魔法に違いないのだ。
キースとカールは互いの背を寄せ合うほどに接近し、黒雲を睨みつけて身構えるのだった。