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乱戦の予兆

 サルトー・カン王国の北に隣接するサルトー・リラ王国は、実質的にスカランジア帝国の属国である。その王城にはドレン卿専用の執務室が用意されていた。

「ただいま参りました、ドレン卿」

 穏やかな笑顔を見せて入室した人物は、白タキシードに包まれた身を深々と折り曲げてお辞儀をした。

「バイラス。ここに人目はない。フェンリルの貴様が私ごときただの人間に敬意を表する必要はあるまい」

「こういうことは普段から演じていないと公式の場でぼろが出るものです。それに、私はあなた様を尊敬しておりますよ。現皇帝を傀儡とし、帝国を牛耳る。その才覚はドレン卿が『フリズルーン』の左目をお持ちかそうでないかに依らず、持って生まれたものです。ただの人間にできることではありません」

 ドレン卿は無表情のまま、ブラウンの右目と手振りで着席を促した。

「ふん。貴様の世辞ほど信用できぬものはないわ。本題に入ろう」

 今回ワイバーンライダーズに与えた斥候任務は、アーカンドル王国における対空警戒のレベルを知ることである。

 そしてここ、サルトー・リラ王国が前線基地となっているのだ。これまでの人間の王国同士による陸上・水上戦における基地と前線との距離を考えると常識外の遠さだ。歴史上最長と思しきものと比較しても十倍、いやもっと離れているだろう。

 空中戦力の運用がどこまで可能性を広げ得るか、この斥候任務はその試験も兼ねている。

 試験の舞台としてアーカンドル王国はお誂え向きだ。サーマツ王国での一件を知るカールが合流したことで、かの国は他の国と違ってワイバーンを現実の脅威として捉えている。加えて、王室はエルフと懇意にしている。

 エルフの結界魔法は非常に優秀で、強い気を放つ魔物が結界に近付けば敏感に察知する能力もある。

「今回、我々の斥候部隊は十中八九アーカンドルの連中に捕捉されるでしょう。知りたいのは現地到着から捕捉されるまでの時間。また、この距離で前線基地として機能し得るかどうか。そして、ほとんどないとは思いますが消耗や損耗の程度による、宣戦布告延期の是非」

 それらのデータはそのまま、サーマツ王国との開戦に活かされることとなる。

「ふむ。撃墜される可能性はないのかね」

「こちらから仕掛けない限りは。まあ、戦場は生き物ですからな。ユージュの山頂と言えばモノケロスの縄張り。人間が何もせずともモノケロスどもが仕掛けてくれば、ワイバーンは大いに興奮するでしょう」

「興奮のままにエルフやアーカンドルに攻め入ることもあるやもしれぬ。今の段階でこちらから仕掛けてしまっては予定が狂うぞ」

 バイラスは落ち着いた笑顔のままで首を横に振る。

「その点はご心配なく。ローエンが選んだ小隊長は使える男です。今回も、十三頭の中で最も力のある赤色種に騎乗させております。その男ならば、余計な交戦なく帰還することでしょう」

 ドレン卿は机上に肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せた姿勢で報告を聞いていたが、やや興味を引かれたように口を挟む。

「小隊長か。ローエンが選んだのはたしか、メンサム・クロイツだったな。使えるのか」

「は。私が見たところ、ローエン以上にワイバーンとの親和性が高い男です。ライダーズ最強の騎士となる日は近いでしょう。サーマツとの緒戦において、彼を先鋒として彼の地を蹂躙させるべきかと」

 それを聞いた途端、ドレン卿の口許が緩む。

「そこまで言うからにはこの斥候任務、万一の事態に対する備えもあるのだろうな」

「は。抜かりなく」

「よかろう」

「ときに」

 バイラスは笑顔を消して真顔となり、話題を変える。細めた目に冷たい光を宿し、声を潜めた。

「この先のことを考えれば、灰色種の二、三頭はあえて敵に撃墜させてやってもよいのでは?」

「バイラスよ」

 対照的に、さきほど口許を緩めたドレン卿は、頬の皺を深くした。

「サーマツまでの遠征となると、兵站の確保は略奪の比重が極めて高い。効率的な略奪には翼竜どもの力が不可欠だ。となれば、食い扶持を減らすためなどという理由で翼竜を消耗するのは得策とは言えんな」

「ふむ。そうなると、増税ですか。まあ、ある程度は民の不満を抑え込む用意がございますが」

「翼竜どもの餌代なら気にせずともよい」

 片眼鏡の奥で、アイスブルーの瞳が冷たく光る。

「幸い、我が帝国においては囚人の数が多い。貴様がいつも言う通り、人間は全て家畜だからな」

「は。あなた様以外の人間は、でございますな」

 ドレン卿とバイラス。笑い合う二人の瞳は、等しく極寒の冷たさを孕んで暗く光っていた。


 後日、死刑囚への刑の執行を迅速にするための改正法案が皇帝ユック・ダクに提出された。そして、これまで定期的に公開刑を行ってきたが、全て非公開刑にする法案も盛り込まれた。なお、これは文書に記録されることはないが、『投餌刑』なる項目が非公式に追加されることになるのだ。

 皇帝は書類にろくに目を通すこともせず、承認印を押すことになる。彼の仕事内容として『承認印を押さない』という選択肢はない。なぜなら事前にドレン卿が選別し、承認が必要なもののみ皇帝に提出されるのだから。

 帝国の最高権力者でありながら、自分で考えて決定することなど一つもない。自分がそんな立場であることに対し、疑問を感じることもない。最初はドレン卿の計略により、そして今では魔法的な処置により、皇帝は字義通りの操り人形と化していた。


 * * * * * * * * * *


 二十歳のメンサム・クロイツは短く刈った黒髪と、鋭い眼光を宿す切れ長の黒目の男だ。彼はワイバーン・ライダーズの中でも特に優秀な隊員であり、今回の斥候チームの小隊長を任されていた。

 現在、ユージュ山山頂付近に静止しているレッドワイバーンの上に乗っているのが彼だ。彼の身長は隊員の中では一番低いが、鍛え上げられ盛り上がった見事な筋肉は身長の低さを充分にカバーしている。

 メンサムは眼下に広がるユージュの森に油断なく視線を走らせつつ、任務に当たる直前の上官の指示を反芻していた。


 既に書面による命令書は受け取っていた。それはブリーフィングというより、任務内容の再確認である。ほぼ一方的に、ローエン・バダム指揮官から話を聞くものだったのだ。

「今回の貴様たちの任務は偵察だ。サーマツ王国においてワイバーンを殺した男がアーカンドル王国に入ったとの情報がある。魔族だ。青い髪をした『風の民』グライド族で、名をカール・セイブという。あろうことか、サーマツ王はそやつを騎士に叙勲した。ワイバーン殺害犯をだ」

 指揮官は、握り拳を振り下ろすことで感情をリセットしたようだ。落ち着いた声で指示を出す。

「奴を通じ、アーカンドル王国がワイバーンに対抗するための何らかの防空体制を整えていないとも限らぬ。そのような気配があれば、その戦力規模を探って来い」

「はっ!」

「よいか。今回はこちらから手出ししてはならぬぞ。仮にカール・セイブとの遭遇があったとしてもだ」

 ワイバーン・ライダーズ全隊の訓練が終わり次第、スカランジア王国はサーマツ王国に対して宣戦布告をする。しかし、今回の偵察任務の目的地はサーマツ王国ではなくアーカンドル王国であった。

 メンサムは任務の内容に疑義を差し挟むようなことはしない。むしろ、ワイバーン・ライダーズの中でもいち早く訓練が仕上がりつつある三人について、隊の中でも真っ先に実戦さながらの慣熟飛行訓練の機会が与えられたようなものだ、と内心で喜んでいたのだ。


 そして今、ユージュ山頂付近の空域において、メンサムの視界にはモノケロスが墜落してゆくのが見えている。

 襲ってきた六頭のモノケロスのうち、三頭を斃した。二頭は逃げ去って行く。

 残った一頭は蛮勇を奮って突撃してくるが、結果は火を見るよりも明らかだ。

 訓練したワイバーンの前に、あの角も雷撃能力も敵ではない。

 この分ならば、カールとやらも敵ではないかもしれない。

 首を振って己の楽観を戒めたメンサムではあるが、もう一つの懸念については杞憂ではなかろうかと思い始めていた。割と派手に戦闘行為を行ったという自覚があるのだが、モノケロス以外の存在に察知された気配を感じないのだ。

「顔を見せて見ろ、カール・セイブ卿」

 現在の己の乗竜を上回る、最強の一頭となるはずだったワイバーン。それを単独で斃した男。

 今回は偵察任務だが、会うことのかなわなかったワイバーンへの弔い合戦として、かのグライド族の首級を挙げたい。

 まだ見ぬカールに心の中で話しかける。

「本当に貴様が最強のワイバーンを斃したのであれば、俺たちとも戦うがいい。そして思い知れ。訓練を経て強くなった俺たちの力を」

 無自覚ながらも潜在的な欲望として、武勲を挙げることに対する憧れがある。もちろん、ブリーフィングにおける指揮官の言葉を忘れたわけではない。

 ただ、やはり部下とモノケロスとの戦闘を眺めて気持ちが昂ぶる程度には、メンサムは若い男なのである。


 仲間に見捨てられたモノケロスは、火事場の莫迦力とでもいうべきか、少しばかり予測の難しい動きを見せた。それまで突進一辺倒だったのだが、急に後ろへ退いたのだ。狙いを外した部下の矢は敵をかすることなく落ちてゆく。

 中衛の灰色種の鞍上で、騎手が援護の構えを見せている。万に一つもあるまいが、仕留め損なった場合を想定してメンサムも己の乗竜に攻撃準備を命じた。

 前衛の騎手がハンドサインを送ってきた。連射の難しいボウガンだが、すでに次の矢をつがえている。その意を汲み、モノケロスにとどめを刺す役割を任せる。

 モノケロスの光る角は前衛の灰色種が張った結界と拮抗し、激しいスパークを散らしつつも両者の動きが止まっていた。

 そして、ボウガンが発射された。その矢は正確無比にモノケロスの顔面へと飛んでゆく。

 遮るものなどない。

 あるはずがない。

 ワイバーンの結界は外側からの攻撃を防ぎ、内側からの攻撃を通すのだから。

 しかし、命中しなかった。

 矢はモノケロスの顔面すぐ手前で大きく向きを変え、そのまま空中に留まったのだ。

 激しく揺れる矢の様子は、さながら蝶が蜘蛛の巣に捕まったかのようだ。

 モノケロスの背の上でオレンジ色の光が弾ける。

 光は人の形となり、輝きがおさまると同時に金髪少年が姿を現した。

 困惑の表情でこちらを見上げる中衛の騎手。

「なん……だと」

 メンサムとて驚きが呟きとなって口から漏れてしまった。こちらがワイバーンを調教したように、相手はモノケロスを調教したというのだろうか。

 これまで姿が見えなかったことについては、マジックアイテムでも使ったのであろう。未知のアイテムなどいくらでもある。アーカンドル王国の者が姿を隠すアイテムの一つや二つ持っていても何の不思議もないのだ。

 最速で頭を働かせ、状況の把握に努める。

 ——金髪の男はアーカンドル王国の人間ということで間違いなかろう。こちらの存在は、この空域への到着前から察知されていた可能性も考えられる。課題として報告せねば。

 ここは誰何の一択。

 少なくとも相手はグライド族ではない。この場は敵対の意図がないことを告げた上で名乗りを上げ、空を騒がせたことを詫びて引き返すのだ。

 そう判断して小隊のメンバーにハンドサインを送ろうとした。

 その時、モノケロスの背で弾けるオレンジの光。

 相手からの敵対の意思表示か。

 いや。

 ぎりぎりで踏みとどまり攻撃のハンドサインを出さない。

 だが、前衛はサインを見ていなかった。

 あろうことか、モノケロスの背に跨る人物めがけ、ボウガンを発射してしまったのだ。


 * * * * * * * * * *


 頂上での異変はギムレイの心を騒がせる。

 山頂からユージュの森のグリズがいる位置までは結構な距離だ。だが、その距離をものともせず、ギムレイの落ち着きを奪う。

 束の間山頂を見上げじっとしていたギムレイだが、やがて走り出した。

「どうした、ギムレイ。どこへ行くんだ」

「おいら、頂上が気になる。お前はリサを守ってここにいろ、グレッグ」

 ぐんぐんと加速していくギムレイ。素早いというレベルを超越し、ほとんど飛ぶような勢いで山頂を目指す。

 待て、と声をかけるグレッグに対し、少女が言葉をかけた。

「グレッグ。今あたしたちが出来ることは、キース殿下と共に戦うこと。ヴァルファズル陛下からはこの国で暮らすためのお家まで賜ったのよ」

 リサ自身は強力な攻撃手段を持たない。湖の上で使った魔法について、この国に到着してから何度か試したものの再現できずじまいだった。一方、カールと共に水中戦を経験しているグレッグであれば、何らかの形でギムレイをサポートできるはずだ。

「行ってきて。あたしなら大丈夫」

 危機が迫っているのはユージュの山頂付近であって、ここではない。リサの言葉に、グレッグは頷いた。

「やれやれ。どうやらワイバーンが複数というのは間違いなさそうじゃ。久しぶりにこの年寄りも様子を見に行くか。ほれ」

 グリズが枝を揺する。すると、グレッグの掌に小さな白い玉が落ちてきた。

「マジックアイテム〈白竜の門扉〉じゃ。長距離を瞬間移動できる。レプリカではなくオリジナルじゃぞ。現存する他の〈門扉〉と比べると少々小さめなだけに効果も大したものではないが、一度に二人、ここから山頂までなら余裕で移動できる」

「二人ですか。リサにはここで待っていてもらうつもりですが」

「わしが行くのじゃ」

 目映い光が大木を包む。

 次の瞬間、白髪と白髯に顔面を覆われた老人の姿がそこにあった。

 老人は杖を掲げ、呪文を詠唱する。

「門扉の番人よ、白き竜に従え。我が意を汲み、解錠せよ」

 グレッグの掌の上で白い玉が発光すると、虚空に光を放つ扉が出現した。すぐに扉が開き、向こうの景色が透けて見える。ユージュの山頂だ。

「では、行ってくる。リサよ、エルフの村落がすぐそこじゃ。合流し、留守番を頼む」

 返事をするリサに老人が頷く。その横で、グレッグは獣人現象を起こしていた。

「戦おうと思ったら、この姿に……」

「よいことじゃ。お主、人狼の力を自分のものとして制御できておる」

 老人は高笑いの余韻を残しつつ、その場に少女を残して扉へと吸い込まれて行った。


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