魔獣と魔竜の戦闘空域
ユージュの山頂付近の空域がざわめきだした。
山頂のすぐ真下にある、屋根のように反り立つ岩の影に身を潜める一団がいる。数頭のモノケロスたちだ。
一方、それを観察するキースたちはと言うと潜むべき物陰など全くない大空に留まったままだ。にもかかわらず二人と一頭の姿はどこにも見えない。
(チャーリー。あいつら、知り合いか?)
(ああ。会えば命のやり取りをする方向の、だがな。私と奴ら、いまだに両方とも生きているのが不思議だ)
今にも自慢の一本角を光らせそうなチャーリーの口調に、キースは思わず苦笑を漏らす。
(すまんが、今はこちらに接近中の、でかい気を放つ連中の様子を探る方が優先だ。因縁の連中と思い切り闘りたいことだろうが、ここはこらえてくれ)
(私に命令できるのはカール様だけだ。だが、立場はわきまえている。カール様が望む限りは、貴様の言葉にも従ってやる)
(ありがとう)
随分と目線の高い従者ではあるが、チャーリーにはその自信と気位に見合った戦闘能力がある。キースは心の底からの感謝を端的な言葉に込めて伝えた。
(それに、あいつらの関心も外の敵に向かっている。たとえ我々が姿を現していても、こちらから仕掛けさえしなければ戦闘にはなるまい)
(…………)
モノケロスは好戦的な種族だ。
気配の主が何者であれ、近付けば仕掛けるつもりで待ち構えているのだろう。
(何を考えている、キース)
キースの沈黙をどう受け止めたか、チャーリーは警告の思念を込めて念話を送りつけてきた。
(いやな。今あそこでじっとしているモノケロスたちも俺たちも、接近中の強大な気配の連中が外敵だと思ってるわけで、言わば共通の敵だよな)
(やめておけ。人間の王国同士の軍事同盟じゃあるまいし。我々モノケロスに馴れ合いの概念など存在しない)
(うーむ。まあ、それはわかっているんだが)
ふと、思いついたように質問を投げる。
(ところでチャーリー。お前、相手がワイバーンだったとして、闘りたいか?)
(立場をわきまえている、と言った。私はカール様の命令なく、勝手に戦ったりはしない)
(うんまあ、俺も戦えって言いたいわけじゃないんだけどな)
キースはなにやら考え込んでいる様子だ。
そこに、カールからの『声』が届く。
(見えた。やはりワイバーンだ。なんてこった、三頭もいやがる! 赤いのが一頭いるぜ)
(なに、もう見えるのか? そんな細かいところまで)
キースの目には米粒が三つとしか映らない。強烈な魔力の波動を感じる方向と一致しているため、その三つこそ監視対象であるということがかろうじて判る段階である。
(グライド族は目がいいからな)
百年前のワイバーン・クライシスにおいて、かの翼竜には少なくとも灰色種と赤色種がいることはわかっている。赤いものは特にレッドワイバーンと呼ばれ、気性の激しさと凶暴性は灰色種を上回る。火炎攻撃を得意とするため遠隔攻撃もできる。
一方、灰色種は尻尾の先端に猛毒があり、敵を突き刺して仕留める接近戦を得意とする。
グレッグから話を聞いていなければ、そんな強力な魔物が団体行動をするなどと、己が目で見てさえすぐには信じられなかったことだろう。実際、百年前は連携をとることなく、個別に暴れ回ったという話だ。
(キース。さっきの会話、聞いていたが……。あいつらがユージュの森やアーカンドル王国に攻撃を加えるのなら話は別だが、そうでないなら今回は下手に迎撃せず、専ら静観するに留めるべきだと俺は思うぞ)
(兄貴、誤解だぜ。俺だって何も今の段階で無理に戦いたいわけじゃない。ワイバーン三頭を相手にするのがどれほど無謀かわかっているつもりだ。ただ、あのモノケロスたちの動きが気になってな)
チャーリーが会話に割り込んできた。
(気にするな。私は気にしない。戦うべき時とそうでない時を選べるようにならなければ、モノケロスという種はいずれ滅ぶ。そんな連中に下手に手を差し伸べてみろ、キース。そうしたらお前も滅びに巻き込まれるぞ)
(ううむ。チャーリーを知ったことで、モノケロスそのものに親近感みたいなものを感じていたんだがなあ。モノケロス強いから、もし手を貸してくれたら心強い戦力になるし)
(それは人間が得意とする世辞か。一応、礼を言っておく。だがモノケロスに幻想を抱いても無駄だ。有り体に言って、奴らは莫迦だ)
キースの意見をばっさりと切り捨てた。さらに強い言葉を付け加える。
(モノケロスに加勢しようなどというのは愚かな考えだ。私は釘を刺しておいたからな)
そんな彼女の背に跨がったままこっそり溜息を吐くと、キースは気持ちを入れ替えた。
(今回の作戦行動の指針を確認するぞ。第一目標は敵の正体の把握。第二目標は敵の目的の調査。第三目標は敵の戦闘能力の分析)
いずれも察しがつくが、グレッグからの伝聞が主な情報源だ。
(万が一ユージュの森かアーカンドル王国が襲撃の被害に遭った場合は第四目標。敵の殲滅)
(了解)
僅かな逡巡もなく、カールから返事があった。
兄貴、偵察を強調していながら、ことと次第によっては独りで迎撃するつもりだったな——との思いを『念話』で伝えることはせず、次の指示を出す。
(〈バニシングタブレット〉の効果持続時間は短い。効果が切れる直前に合図する。作戦は合図した時点で進捗状況にかかわらず終了。奴らが攻撃行動に移らない限り、こちらは静観)
(了解)
(兄貴、注意点があれば教えておいてくれ)
カールはレッドワイバーンとの空中戦を経験している。彼の脳裏に満身創痍と呼ぶべき怪我の記憶が蘇る。
そういえば、不可解な点があった。
(絶対に避けきれると思ったタイミングなのに、俺は何度も攻撃を喰らったんだ。おそらく――)
おそらく、レッドワイバーンは自分の攻撃の射線を特殊な魔力で確保しているのだろう。確保できる距離がどの程度かはわからない。だが、その射線上の敵に対する狙撃の命中精度は極めて高いのだ。
モノケロスの嘶きが耳に届く。やはり、あのモノケロスたちは戦う気満々だ。
キースの目にもようやく翼竜の形がわかり、色の区別がつく程度にまで敵が接近していた。
(じゃ、撤退の途中で透明化が切れてしまっても、連中から姿を見られないようにしないとな。撤退ルートを選ぶ時に巨岩か何か、身を隠せる遮蔽物があることが条件だ。そうだな、ユージュ山の東南東ならでかい岩が多い。そこから麓に降りることにしよう)
敵三頭はどんどん近付いてくる。
きちんと編隊を組み、互いの間隔と速度を揃えて飛んでいることがわかる。
(一頭でもおっそろしく強いってのに、団体戦かよ。敵さん、ワイバーンにどんな調教を施しやがったんだ。こいつは厄介だぜ)
(おいキースよく見ろ! 奴らの背だ。人が騎乗しているぞ)
カールに遅れて、キースも騎手の姿を視認した。
(魔族じゃない。あれは間違いなく人間だ。三人とも)
敵はすでに魔竜への騎乗訓練を済ませていたのだ。キースの脳内は「戦争」という単語に占められ、カールの言葉にろくに返事もできない。
ユージュは四千アード級の高峰である。そしてここは山頂付近の空域だ。
この空気の薄い高度を長時間飛行するには人間の肉体は脆い。従って、事前にグレッグからワイバーンライダーズの話を聞いていてなお、この高度で飛んでくる敵の背に人が乗っているなどとは想像だにしなかった。おそらく結界を張っているのだろう。
ただでさえ翼竜の鱗は固く、生半可な攻撃は通らないので、翼竜自身は結界魔法など滅多に使わない。しかし今、三頭の敵はそれぞれ己の周囲を結界で護っている。
このことは、背に人を乗せることで、ワイバーンという『城』がさらに難攻不落になったことを意味している。
そのとき、頂上付近の岩場に潜んでいたモノケロスたちが行動を起こした。
大きく嘶き、高速で飛び出して行ったのである。
(あいつら、本当に仕掛けやがった!)
(愚かな……)
この動きに、ワイバーンたちは冷静な対応を見せた。
三頭のうち一頭だけがモノケロス目がけて降下してくる。
時間をおいて、さらに一頭が降下するが、モノケロスたちよりも上空に位置した状態で静止する。
最後の一頭はレッドワイバーン。最も高い空域に留まったままだ。
(敵は空中戦のセオリーを知っている。あれは、相当本格的に接敵機動の訓練をこなしているぞ)
敵にぎりぎりまで接近した最初の一体が攻撃を受け、万一苦戦することがあれば二体目が援護する。さらに、二体とも苦戦する状況になれば三体目は報告のため本隊へ引き返す。飛来したワイバーン三体は、そういうフォーメーションを組んでいるのだ。
(詳しいな、兄貴)
(一応、本の虫なんでな)
ワイバーンの戦闘能力に人の頭脳が加わった。それは、とてつもない脅威の幕開けである。
興奮した様子のモノケロスたちが、角を光らせて先頭のワイバーンへと迫っていく。
(モノケロスは六頭いるぞ。それをワイバーン一頭で相手するとか、さすがに舐めてねえか?)
モノケロスの角から雷撃が迸る。
(あ、先制を許しやがった。やはり、騎手が戦闘に慣れてないとこんなものか)
カールはあの雷撃を受け、行動不能に陥った。その経験を踏まえ、チャーリーのアドバイスの下、いくつかの対抗策を検討した。
しかし、カールが使えるグライド族の障壁魔法はチャーリーの雷撃にやすやすと貫通され、セイクリッドファイブとしての魔法陣シールドでさえ二回に一回は貫通される始末だったのだ。
その結果を受け、モノケロスと止むを得ず戦闘する場合、雷撃はひたすら避けるか、そもそも撃たせないかのいずれかだという結論に至っている。
そんなわけで、この遭遇戦において前衛たるワイバーンの敗戦は決定した、とカールたちは思っていた。
しかし、そうはならなかった。
雷撃はワイバーンに届くことなく、放射状に飛散したのだ。
六頭のモノケロスによる波状攻撃が翼竜を襲う。
全て同じ結果だ。
鉄壁の守りに焦れたのか、二頭のモノケロスが接近戦を挑む。
一本角を振りかざし、体当たりでもするかのような勢いで片や進行方向から、片や背後から迫ってゆく。
(後ろはダメだ。灰色の奴は尻尾に猛毒が——)
キースの危機感が戦闘中のモノケロスに届くことはなく。
翼竜の鋭利な尻尾が、いままさに背後から襲いかかろうとしていたモノケロスに突き刺さった。喉の付け根を深く抉られ、嘶く暇さえ与えられず赤い血潮が宙に舞う。
激しく痙攣する身体から尻尾が引き抜かれると、もはや動かなくなったモノケロスは真っ逆さまに墜ちてゆく。おそらく即効性の猛毒の影響だろう。
突然、甲高い嘶きが上がる。
敵の進行方向に回り込んでいたモノケロスだ。空中で苦悶する姿をよく観察すると、右肩と左目に矢が突き立っているのが見える。
ワイバーンの騎手だ。騎手はワイバーンの鞍上で立ち上がる姿勢をとり、両手でボウガンを構えている。
矢を突き立てられたモノケロスは、それでも果敢に突撃すべく角を真っ直ぐ相手に向ける。その背後から、別のモノケロスも突撃するつもりなのか急接近してきた。
前衛のワイバーンの鼻先を、斜め上空から飛来した数本の矢が通過する。
もう一頭の灰色ワイバーンの鞍上から、騎手がボウガンの矢を射かけたのだ。
加勢に向かっていたモノケロスは矢を避けるため、進路を急変更した。
進路変更したモノケロスは、最初に突撃をかけるつもりだった敵を放置し、たった今自分を攻撃した敵をターゲットに定めなおしたようだ。戦闘空域のやや上方に留まる灰色種へと向かってゆく。
そこへ、さらに上空から炎が襲いかかる。レッドワイバーンによる遠距離攻撃だ。
モノケロスの角が光る。
すると、炎は見えない壁に阻まれたかのように、モノケロスの直前で放射状に拡散した。
だが、それで終わりではなかった。
五秒、六秒……。炎による攻撃は途切れることなく続く。
八秒、九秒。拡散させられたはずの炎はモノケロスの背後に回り込むと、さながら巨大な掌で握りつぶすかのようにして一角獣を呑み込んでしまった。
ファイヤーブレスによる一度の攻撃時間、実に十秒。
レッドワイバーンが炎を吐き終えると同時、火だるまと化した哀れなモノケロスはなすすべなく墜落してゆくのだった。
モノケロスの断末魔。キースたちが目を離している隙に、先ほど目と肩を射抜かれた一頭が止めを刺されたらしく、モノケロスの命と言うべき一本角を折られた状態で墜ちてゆくところだった。
あっという間に半減。
戦闘種族たるモノケロスといえども、チャーリー以外にも知恵のある個体はいる。残りの連中は撤退を視野に入れたのか、距離をとり始めている。
否。
一頭だけ、怖気づく仲間たちに背を向け、自らを鼓舞する勇壮な嘶きを張り上げる奴がいた。
(おいキース。度肝を抜かれているのはわかる。私だって同じだ。だが、もうそろそろ〈バニシングタブレット〉の効果時間、限界じゃないのか?)
(あと一分。何か、何かあるはずだ。奴らを攻略できる手がかりが)
(一分経ったら、問答無用で撤退するからな。カール様!)
(おう)
カールが隣に並ぶ気配を感じながら、キースは魔獣と魔竜の戦闘空域に睨む視線を据えた。