女子会の四人
王城の廊下に光が舞う。アーカンドル王国においては珍しい、フェアリーの飛行光である。
すでにその光は、王城で働く人々にとって見慣れた物となりつつある。飛行光の主であるマミナは、つい先日まで『プリンス奇術団』というサーカス一座の興業に出演していた人気者なのだ。
この王城においてマミナが有名な理由はそれだけではない。彼女はサーマツ王国の騎士カールの友人である上、アーカンドル第四王子キースの正妻をも自称しており、彼が王城にいる時はよくまとわりついている。
この王室においてエマーユの存在はキースの婚約者という位置づけで、ほぼ公式に認められている。そのため、フェアリーが本妻候補だなどとはもちろん誰も本気にしていない。それについて当のキース本人がマミナのことを全く咎めないため、周囲からは生温かく見守られている。
そんな事情のせいか、今ではマミナが一人で王城のどこを飛んでいようと誰にも止められることはない。
ただ、彼女が第四王子にじゃれつく時、王子は時折寒気を覚えるようになったという。特殊な種類の視線が絡みつくようだ、とは王子の弁。
彼がそのことを侍従長に相談すると、
「殿下が周囲の視線を気になさるのは何年ぶりでしょうな」
という妙に嬉しそうな返事とともに、
「ご安心めされ、然程害意のある視線ではございますまい。え、害意がないから気になる? ふむ。実は王城の中にも『プリンス奇術団』を何度も観覧した者がいるのですよ。お察しください」
との回答があった。奇術団と視線との関連がどうにも判らず、王子は首を捻るばかりである。
ところでここ最近、キースの周囲には亜人や獣人どころか野獣や魔物まで集まるようになった。具体的にはウォーガとモノケロスであり、彼らはたびたび王城近辺にも姿を見せる。
そもそも人語を解さないか、知能はあっても人と語り合う気などないはずの魔獣たちが、なぜか流暢に人語を操る。そんな彼らと談笑するキースを遠巻きに、かつ薄気味悪そうに眺める人々は少なくなかった。
その二頭はどちらもカールの仲間である。しかし、一部の王室関係者にとってはそこはあまり重要ではなく、『キースの関係者』という括りとなってしまうのだ。
アーカンドル王国は人間以外の種族への偏見が比較的少ない。エルフやドワーフとの交流も積極的である。そうは言っても、王城内外の貴族や臣下まで含めるならば、アーカンドル王国の中核をなす者たちは決して一枚岩とは言えない。無自覚に人間とそれ以外とを差別的に区別してしまう者たちも一定数存在する。
その中には、王族であるキースがいわゆる人外を無警戒に王城へ近付けることに対し、危機感や嫌悪感を抱く者もいた。
臣下に対して情が篤いアーカンドルではあるが、一応は不敬罪の縛りが存在する。そのためか、そういった者たちが国王やキースに直接意見することはないが、第三王子や侍従長を通じて匿名かつ遠回しに苦言を呈する者も何人かはいるのだ。これに対し、国王や皇太子が全く取り合うことなくキースの好きにさせていたところ、次第に沈静化していった。
先日のファリヤ救出作戦における功績により、国王も皇太子もキースを認めている。彼がこれまで以上に王城で自由気ままに振る舞えるよう、最大限の便宜を図っている。しかし公式記録において、あの事件は侍従の娘ニディアを救出したのに過ぎない。
たしかに、王族が臣下を気にかけているという構図は美談として成立する。だがあの作戦の評価については賛否が分かれている。
余計な被害を出さぬためには最善の選択だった。しかし、公式記録のみを客観的に見るならば、お世辞にも良策とは言えないのだ。王室関係者としては好意的に捉えるのが難しい内容である。主に、王室警護隊に一名の殉職者を出したという一点において。
酒の席などで「暇な王子が蛮勇を奮い、無謀な救出作戦を行った」との噂が流れることまでは防ぐことができなかった。無論、要約すればそれは事実そのものである。しかしながら噂には尾ひれが付き、話し手や聞き手がキース寄りかそうでないかによって著しく好悪の印象が分かれてしまうのだ。
どこの王室にも似たような話があるものだが、王に子供が複数いる時、そのうちの誰かは冷遇されがちだ。特に妾腹の第四王子となれば尚更である。
キースの幼少時代の場合、第二王子ヘンリーや第三王子ピートと喧嘩した後、キースに味方する者が極端に少ないということがあった。皇太子マークは中立で、侍従長は事後に慰めるという立場をとっていたので、キースとしてはぎりぎりでぐれることなく育つことができたと言えよう。
王室周辺にはキースのことをあまり良く思わない一派が昔からいるのだが、あまりあからさまな嫌がらせはなかった。せいぜい陰口を叩く程度なので無視していれば実害はない。ここ最近はなりを潜めていたのだが、あの救出作戦をきっかけに、またぞろ「王室の余り物」という蔑称をささやく者が散見されるようになった。
もうすっかり「余り物」の立場に慣れ切っているキースは、たとえ誰に面と向かってそう言われようと露ほども気にしない。隣を歩くエマーユが彼の代わりに拳を握りしめるのだが、それを宥める余裕さえある。
そんな妾腹の王子は、今日は王城を留守にしている。
それでもマミナには、この王城内で頻繁に訪れる客室があった。
「ローラ! 調子どう?」
肩までの長さの深紅の髪をなびかせ、フェアリーは客室の一つに飛び込んだ。
部屋の中には人間の少女が立っている。
ローラ・ララバン。十六歳の彼女は明るく大きめのブラウンの瞳を持ち、少し癖のある赤毛をショートに切りそろえている。
「マミナ、久し振りね。私は今までにないくらい元気よ」
ローラはサーマツ王国からアーカンドル王国までの旅を終えた後、しばらく病床に伏せっていた。
サーマツ王国騎士の肩書きを持つカールを厚遇するヴァルファズル王は、その同行者たるローラをも厚遇し、彼女のために無償・無期限に王城の客室一つを用意した上、主治医までつけたのだ。
そんな折、ユグドールの葉をカールが届けてくれた。それを煎じたという薬湯を飲んだところ、すっかり健康な体となったのだ。
「こんにちは、マミナ。お邪魔してるわよ」
部屋には他にも二人の少女がいた。片方は金髪のお下げ髪、眼鏡をかけたエプロンドレス姿の十五歳の少女だ。この王城で働く侍従の娘であるニディア・シャーレイ。
「こんにちは、ニディア。いつも思うんだけど、あなた眼鏡外して髪をほどいたらファリヤ殿下そっくりよね」
マミナの言葉を受けて上品に微笑むニディアの横で、エルフの少女が口に手を当てて笑っている。翡翠色の大きな瞳を細め、笑っているために目尻が下がっている。明るい黄緑色のショートヘアが小刻みに揺れていた。
「こ、こんにちは、マミナ。あははっ」
「なに笑ってんのよ、パーミラは」
「ごめん、なんでもないの。あたしってばスプーンが転がっても可笑しい年頃なのよ」
食事していたようには見えないけれど、などと呟きながら、マミナはローラの肩に腰を落ち着けた。
今日のマミナは袖なしのトップスとショートパンツを身につけている。いずれもローラが彼女のために作った衣服だ。
「ローラって器用よね。やっぱりこれからの女性は手に職があった方がいいわよね」
「そんな大したものじゃありませんよ」
「いいえ、大したものよ。この丁寧さ、ドワーフと比べても遜色ないもの」
ローラと会話しつつ、マミナの足下に両手を差し出すニディア。
「ファ……じゃなかった、ニディアには必要ないでしょう? 手に職なんて」
「あらパーミラ。人間なんてマジックアイテムがないと魔法も使えないし、いつ何があるか分からないもの。誰かや何かの助けを借りずに自分で出来ることは、一つでも多い方がいいのよ。ねえ、ローラ?」
「え? ……ええ、そうですね」
「あたしの方が一つ年下なのよ。敬語はいらないわ、ローラ」
「うんわかった、ニディア」
「やあね、お二人とも。エルフは仲間はずれなのかしら」
「そんなことあるわけないっ」
「うふ。ローラかわいい」
パーミラはいとおしそうにローラの髪を撫でてきた。
「あれ? なんで私、子ども扱いされてるの?」
マミナはニディアの掌の上に降りると横座りした。
「わあ。お人形さんだあ。マミナかわいいっ」
「どっち見てんのよニディア。ローラが作った服を見てるんじゃないの?」
「どっちもよ。だってこの国にはフェアリーいないもの。……いえ、もしかしたらいるかも知れないけれど、人里には降りてこないもの」
そう言って微笑むニディアの瞳を、マミナは真正面から覗き込んだ。
「ん? どうしたの」
「……おかえしの品定め。王女様そっくりってこともあるけど、あなたも相当な美人よね。アーカンドルって美人が多いのかしら。あほカールの奴、実は結構惚れっぽいのよね」
マミナの発言に、他の少女たちは三者三様の反応を示す。
ニディアは蒼い瞳に微かな希望の光をたたえ、パーミラは胸に手を当てて不安そうに瞳を揺らす。
「だからローラ。しっかりつかまえておかないと!」
そしてローラは勢いよく首を左右に振る。
「な、何を言うのマミナ。カールにはここまでしてもらって」
拳を握り、肘を軽く曲げて体の横に掲げ、元気になったことをアピールする。
「お返しできるものもないのに。これ以上カールに何かを望んだら、私ばちが当たるわ」
苦笑する彼女は切なげに瞳を細めるのだった。
そっと腕を下ろし、沈んだ表情を見せる赤毛の少女の肩を、エルフの少女が抱いた。
「そんなことないよ」
「パーミラ?」
「彼、あの薬草をユージュの山頂まで行って取ってきたんだよ。あそこ、モノケロスの縄張りなのに」
絶句するローラに向けて、パーミラは微笑んで見せる。
「その薬草で、ローラは元気になったんだよ? それに、カールって見返り欲しさにがんばるような人じゃないでしょ。だからそんな沈んだ顔、彼には見せないようにしないとね」
「うん……」
パーミラは満面に素敵な笑顔の花を咲かせた。ローラの正面に回って両手を広げると勢い良く抱きつく。
「でも、あたしも負けないよ。ただでさえ、カールってば競争率高いし。なんだか、ファリヤ殿下も狙ってるみたいなのよね」
そのままの笑顔でちらりと金髪少女に視線を向ける。
視線を受けたニディアはぶんぶんと首を振る。
「えっ、ファリヤ……殿下がっ? ななななないないないわよそんなこと」
「うふ。何を慌ててるのかしら、ニディアは」
「えーっ。ニディアも彼のこと気になってるみたいだし、その上ファリヤ殿下まで?」
「なんて正直なの、ローラは」
溜息を吐くローラを見て、パーミラは堪えきれずに吹き出した。
「うーん。恋は盲目って言うけれど、わからないわねあたしには。カールねえ。あんなヘタレのどこがいいのかしら」
「あら。あたしに言わせれば、キース兄……、殿下だっていいところばかりじゃないと思うのだけれど」
考え込むマミナに対してすかさず反論するニディア。仮にも自国の王子に対し、実の兄弟ででもあるかのような距離感のない言葉に面食らい、マミナとローラの目はまん丸になった。
そんな彼女らの様子をよそに、パーミラ一人だけが何かの笑いの壺にはまってしまったらしく、しきりに涙を拭いている。
「サーマツ王国へ?」
落ち着いた話題に転換した部屋の中、少女たちはニディアの放った単語をおうむ返しに聞き返した。
「そうよ。ピート兄……殿下が大使として、サーマツ王国と正式な同盟を結ぶために出発したの。マジックアイテムたくさん用意してたようだし、三日くらいで着くんじゃないかしら」
「王室のことなのによく知ってるわね」
「……お、お父様が侍従をしていらっしゃるから。うち父子家庭だし、お仕事のことをよくお聞きするのよ」
マミナの言葉に対し、ニディアはなぜか慌てた様子で応えた。
「同盟ね。王国同士となると、結びつきを強めるための政略結婚とかもありがちよね」
ローラの言葉に、ニディアは思案顔になった。
「そうね。でも、ジーク陛下——サーマツの王様には王子殿下お一人しかいらっしゃらないわよね。ずいぶんお小さいはずだから、ファリヤ……殿下とは年齢的に合わないものね」
「詳しいのね、ニディア。あたし、アーカンドル王室の家族構成、こちらに来るまで知らなかったのに。やっぱり、お父様が侍従をしていらっしゃると他の国の事情にも詳しくなるものなの?」
「そ、そうねうふふふ」
今回アーカンドル王国とサーマツ王国が結ぶのは軍事同盟だ。ローラが言う通り、政略結婚の可能性はゼロではない。
サーマツの王子デュークはたしか今年十歳になったばかり。王族の適齢期から言ってもまだまだ幼いが、ファリヤとは五歳差に過ぎないのだ。
将来のより強固な結びつきのために、婚約者という形でファリヤに白羽の矢が立つ可能性がないとは言い切れない。
恋愛への憧れが捨てきれない。でもそれは、自分の年齢の——この時期特有の——一過性のものなのだろうか。
後で交代する時、彼女はどう思っているのか聞いてみよう。
金髪少女はその後も会話に参加しながらも、こっそりと物思いに耽る。そして、二ディアの扮装をしたファリヤは無自覚に嘆息した。
自分は王女としての自覚がまだぜんぜん足りていないな、と。
* * * * * * * * * *
少女たちが概ね平和に語り合っている王城を遥か下に見下ろし、二人と一頭は上空へと翔け上がってゆく。
「チャーリー、結界を解除してくれ」
「寝言は寝て言え、キース。ただの人間の貴様が結界の護りなしで私の背に跨っていられるわけがなかろう」
上昇中の彼らの姿勢は、後ろ足で立ち上がることによって地面と垂直になった馬の背に騎手がしがみついているようなもの。結界がなければ、騎手はいつ重力に引かれて落馬してもおかしくないのだ。
「いや、なんとなくだが大丈夫な気がする。それより、結界があると魔力を感じられないんだ」
「おかしなことを言う。ただの人間のお前が、魔力の波動を感じるとでもいうのか」
「それは俺も不思議に思ってたんだけどな。ユージュの森で、兄貴と同時にでっかくて禍々しい魔力を感じたのは確かなんだ」
少し考え込んだチャーリーだったが、あまり時間をかけることなく返事をした。
「……いいだろう。結界を解除してやる。落ちるなよ」
キースの金髪が風に踊る。
その体はチャーリーの背から離れることはなく、あまつさえ危なげなく片手を離してみせる。その手を額にかざし、遠くを見る仕草をした。
まだ、はっきりとは見えない。だが確実に近づいてくる。とても大きく、禍々しいものたちが。
(兄貴、チャーリー。〈バニシングタブレット〉を使う。苦い飲み薬のマジックアイテムだ。これでこちらの姿を隠すぞ)
(キースお前! 『念話』なんて使えるのか)
(全く、常識外れな人間だ。というか、山から滅多に下りなかった私の常識こそ、古くなってしまったのだろうか)
手渡した錠剤型の〈バニシングタブレット〉を仲間たちが飲んだのを確認すると、キースは呪文を唱えた。
「森の守護神エメリーフに請う。我は木。我を覆う森よ、御身に我を抱き給え」
風にかき消され、その声が仲間たちにとどくことはない。それでもマジックアイテムは効果を発揮し、やがて彼らの姿は大空の中に溶け込んでいった。