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妄執の魔女

 それは、バネッサにはにわかに信じられない事態だった。

 半魚人の姿となって湖底を移動し、胴体と首三つ、合計四つの塊となって沈むブルーサーペントに呼びかける。

「大蛇。いったいいつまで寝ているつもりだ」

 ブルーサーペントは不死身と言って差し支えないほどの再生能力を持つ魔物である。事実、バネッサには今でもこの魔物が放つ魔力の波動が感じられる。問題なのは、長い寿命が尽きかけた魔族のそれに酷似した、非常に弱々しい波動でしかない点だ。

「おのれ」

 少し離れた場所に朽ちかけた難破船が沈んでいる。それをめがけ、八つ当たり気味に拳を繰り出す。

 すると、腕を中心に水流が発生した。鋭く渦を巻いて突き進む水流は、難破船の船腹を穿つとそのまま反対側まで突き抜けて木片を撒き散らした。

 彼女の脳裏に、あの長身痩躯の少年の顔が浮かぶ。

「あたしは負けてなんかいない。あの青髪野郎に計算を狂わされたんだ。空中に立ってあたしのことを見下しやがって、鬱陶しい野郎だ」

 大蛇の首の切断面に貼り付いていた魔法陣を思い出す。緑と青の光を放つ魔法陣は、切断された時点においては明らかに首と胴体が元通りに融合するのを阻害していた。しかし、あれから数日が経過し、すでに魔法陣は消滅している。魔法陣さえ消滅すれば、大蛇復活まで長くても数十分程度だろうと踏んでいた。

 しかし、それがどうだ。

 弱々しい波動。深すぎる眠り。燃え尽きた蝋燭のように暗く濁った瞳孔。

 この様子では、次の復活まで数十年から百年くらいかかるかもしれない。

「くそが。何が翔烈の竜騎士だ。爆発的な魔力の波動も感じさせないような、あんなチャラノッポが。セイクリッドファイブだぁ? はっ、ふざけんな。どうせまぐれだろう」

 赤い瞳に(くら)い光を灯す。半魚人の口から呪詛そのもののような声が吐き出される。

「必ず復讐してやる。あいつもだ。リサといったか、あの女。このあたしを押し流しておいて、ただで済むとは思うなよ」

 仮にもセイクリッドファイブが、そうでない者に後れを取るなどあってはならないことだ。だが、今の自分では必ず勝てるとは限らない。

 まだ、弱い。

 そう自覚したバネッサは、狂おしいまでの渇望にその身を滾らせる。

 そこで、リサが見せたあの力に意識が向く。

「あの女……。どうやったかは知らないが、あたしのアークルードの力を利用したのに違いない。わけのわからない呪文を唱えやがって、あの盗っ人め!」

 すでに想像と現実の区別がつかなくなっている彼女は、自分の中でそのように結論づけた。あの力は自分のもの。しかし残念ながら、一度聞いただけのリサの呪文を思い出せない。

「もっと力が欲しい。リサの魔力を根こそぎ奪う。捕まえて考えつく限りの拷問の末にあの呪文を聞き出してやる。あたし以外の存在はみんな家畜だ」

 家畜の分際で神に等しい存在である自分に歯向かった。大蛇を行動不能にし、(じぶん)の力を逆に利用してこの身に痛撃を加えようとまでした。

 許される行為ではない。許さない。

「セイクリッドファイブはあたしだけだ。このあたしこそがが限界を突破するんだ」

 大きく口を広げたその顔面にはひびでも入ったかのようなしわが寄っている。収縮した赤い虹彩の周囲はびっしりと血走り、眼窩からわずかに眼球が押し出されている。もはやどこを見ているのかわからない状態で、けたたましく笑い出した。

「リサは今どこだ。そうだ、アーカンドルだな。あそこの国境警備はザルだ。あたしでなくても堂々と侵入できる」

 力の渇望。復讐への執念。

 かつて、それなりに形の整った組織を利用した上で世界の頂点に立つことを望んだ女は、今や孤独で純粋な破壊の邪神と化しつつある。

 純粋であるがゆえに、限界を限界と感じなくなりつつある。

 しかし、邪神にアイデンティティはない。この指向性を持った時点から、精神は音を立てて壊れていくのだ。

 盲執という名の狂気に取り憑かれた魔女に、その自覚はない。


 * * * * * * * * * *


 その大木は言葉を話す。枝を揺らし、幹に集う者たちに穏やかな声をかける。

「ふぉふぉふぉ。わしは『森の民』エルフ族の族長。グリズじゃ。人間の王ではないからの、かしこまる必要はないぞ」

「……は」

 そう言われても、グレッグは幹の手前で片膝をついたままだ。

 今この場には、グレッグの横で同じように片膝をつくリサの他、二人の男たちがいる。その中の一人、キースが聞いた。

「で、じいちゃん。グレッグは元の体に戻るのか」

「戻らぬ」

 あまりの即答に、顔を上げたグレッグは唇を噛む。が、落ち着いて一つ頷くと、元の通りに顔を伏せた。

「いや、えーと。……即答だな、じいちゃん」

「グレッグの上官だったというスカランジアの武人の名前、スコールとランディだそうじゃな」

「はい」

「わしの知っとるワーウルフどもにも同じ名前の奴らがおっての。……ああ、知っとると言うてもそんなに詳しくはない。その二匹と、以前キースが斃したハーディ。そいつらは三つ子じゃ」

 その言葉に、グレッグはぴくりと反応した。

「たしかに、スコールとランディは瓜二つの兄弟でした」

「そいつら、大物なのか?」

 ここにいないワーウルフどもの力量を値踏みするかのように、腕組みをしたキースが問う。

「知っとる範囲で言えば、じゃが。大物と呼ぶにはいささか器が小さい。とは言うても、魔族の平均寿命を超えてなお活力に満ちた、強力な『闇の民』であることに違いはない」

 グリズが言うには、歳古りた魔物により注入された『呪い』は、被害者が人間であれば、その短い生涯の間に消え去ることはないというのだ。

「もっとも、一度噛まれたら数時間後に干からびてしまうのが『ウールヴヘジン』。グレッグが今なお生きながらえているのは、その身にリサの血が入っておるからじゃ。これは断言できる」

「凄いな。リサって何者なんだ。聞いたことのない呪文を唱えてバネッサを押し流した魔法といい、ただ者じゃないとしか思えないんだが」

 キースの発言に勢いよく顔を上げたリサは、顔の前で手をぱたぱたと振りながら否定する。

「いえ、あの呪文は突然頭に浮かびまして、そのまま咄嗟に唱えてしまったんです。でも何かの偶然でしょう。私なんて何の取り柄もないただのセレナ族ですから」

「んー? 凄く気になる」

 そう言ってリサを見つめるキースだったが、ふとグリズに視線を戻した。

「じゃ、さ。王室警護隊のリュウは? 彼もセレナ族の血を飲んだとでも言うのか?」

「なんじゃと」

 ざわり、とグリズの枝が揺れた。

「その言い方じゃと、リュウも『ウールヴヘジン』であるかのように聞こえるぞ」

「あれ、言わなかったっけ。彼、前にバネッサと戦った時、多分ハーディ——で合ってたっけ?——に噛まれて人狼に変身できるようになってるんだ。でもなぜだか、あの日以来どんなピンチになっても変身するところを見たことがないんだが」

「今日とは言わぬが、近いうちに必ずここに連れてきなさい。彼に話がある」

 その真剣な声に姿勢を正すと、キースは神妙に返事をした。

「わかったよ、じいちゃん」

 もう一度枝を揺らすと、グリズはリサに声をかける。

「リサよ。お主、もしかしたらセイクリッドファイブとなり得る素質を持っておるのかもしれんな。北の莫迦者などよりよほどふさわしい資格があると、わしはそう思うのじゃが」

「グリズ様! それって——」

「なんだって!? じゃ、リサが五人目——」

 カールとキースの声が重なった。

「いいや。わしの記憶が確かならば、今代セイクリッドファイブは北の莫迦者——おっほん——スカランジア帝国の宰相であるドレン卿と、奴に手を貸しているのであろうバイラス。そしてあのバネッサじゃな。残る二人がお前たちじゃ」

「グリズ様、話の腰を折るようで申し訳ないのですが、しばしお待ちを。キース、ちょっと先に質問させてくれ。その、セイクリッドファイブってそもそも何なんだ」

 カールの質問に応じるようにして体の向きを変え、彼と真正面に向き合ったキースだったが、答えたのはグリズだった。

「世界を思い通りにできる力を持つ五人の竜騎士じゃ」

「……思い通り、ですか」

 おうむ返しに聞くカールも、その遣り取りを見つめるグレッグとリサも、そしてキースも。居並ぶ者たちはみな怪訝な表情をしている。

「然様。世界の頂点に立つも、まるごと破壊して作り替えるも、ただ単に荒廃させるも、およそどんなことでも思いのままじゃ。ああ、わしはセイクリッドファイブではないからのう、実際にどこまでできるのかは断言できぬがな」

「いや……え? 俺も初めて聞いた」

 キースが戸惑った声を漏らす。

「ワイバーンやブルーサーペントみたいなでっかい魔物を退治するための力だと思ってた。と言っても、俺は今回役に立たなかったんだが」

「言うたじゃろ。およそどんなことでも思いのままじゃと。キースにとってはその力、そういう使い方をするためのものということじゃろう」

 違いない、と呟いて微かに笑う。

「ただし、セイクリッドファイブ本来の『究極の力』が得られるのは五人の中でただ一人。この世に竜騎士が複数存在する限り、そこそこ強い戦闘能力が得られるのみじゃ。かなりの強さじゃから勘違いしがちなのじゃが、必ずしも世界最強とは限らぬ。ゆえに、竜騎士として目覚めた歴代の者たちは、ただ一つの枠を求めて互いに争ってきたのじゃ」

「え。それじゃ、俺の母上も……?」

「もうお主も十七じゃからな。教えてやりたいところじゃが、ヴァルの奴が自分から話すというのでな。すまんが、お主の母親の話は割愛させてもらおう」

 キースは無言で頷き、あっさり引き下がった。

「これだけは教えておこう。これまでの歴史の中、現れた竜騎士たちはいつの世も引き分けに終わってきた。大いなる力が開放された例は、未だない」

「ふーん。……なあ、兄貴」

 気の抜けたような声を漏らすと、キースはカールの目を正面から覗き込んだ。

「なんだよ」

「兄貴はこの力、何に使いたい?」

「俺が本当にセイクリッドファイブ? そうだとしても興味ないな。俺は好きな時に空を飛んでいられるならそれで十分なんだ」

「兄貴ならそう言うと思ったぜ」

 キースは嬉しそうに笑うとグリズに告げる。

「俺たちは二人とも、世界がどうとか興味ない。ただ、身の周りの大切な連中と笑って過ごしたいだけだ。それを脅かす奴がいるなら全力で排除する」

 その場に居合わせる全員のことを見回す。

「こんな力、やたら大規模で、無駄な争いを生むだけだ。俺に望みがあるとするなら、この世にセイクリッドファイブが現れるのは今代で——俺たちで最後にしたい」

「うむ、よい決意じゃな。わしも微力ながら全面的に協力するぞ」

 グリズが言い終える直前、キースとカールは同時に空を見上げた。共に険しい表情で探る視線を彷徨わせる。

「ど、どうしたんですか?」

 グレッグとリサが訊ねるが、二人の少年は空を睨む視線をそのままに答えを寄越す。

「嫌な気配がする」

「凶暴な気配だ。あの時と似てる。まるでワイバーンみたいだ。それも複数」

 カールはすでにその身を空に浮かせている。

「兄貴、一人で行くな。——チャーリー、力を貸してくれ!」

 キースの大声に応じるかのように、離れた場所からモノケロスの嘶きが届いた。

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