戦士の休日
——大国の宰相、『闇の民』と手を組んでいる疑いあり。
『闇の民』と言えば人間の天敵である。そんな内容のものを確たる証拠もなく公式な文書として公開しようものなら、きわめて悪質な誹謗中傷として件の大国から重大な抗議を受けるだろう。
ヴァルファズル王はこれを非公式の親書として、かの大国以外の大陸中の国王に向けて送った。キースからの報告を受け、早速行動に移したのである。
『闇の民』についての真偽は別としても、その大国ではここ最近きな臭い噂が絶えない。どうやら、戦争の準備をしているらしい。
皇帝の勅命による帝国全土における領民への増税。エリート部隊の新設、軍備の拡張、兵員の増強。
かつて急速に領土を広げた国である。大陸内各国はほぼ例外なく密偵を放っており、大国の動きを監視しているのだ。そういった情報はどの国ももれなく掴んでいた。
ほんの二十年前は小さな王国だったかの国は、今はスカランジア帝国と名乗っている。大陸北端の広大な国土を支配する強国となったのだ。
最近は軍事的な動きは静かになっていたのだが、ここに来て急速な軍備増強。その動きに呼応し、大陸中部の国々は可能な範囲で軍備を増強し始めている。そのように危機感を抱く国々であっても、ヴァルファズル王の親書には懐疑的であった。
また、そもそも南部の国々は国境から遠く離れていることもあって、どちらかというと無関心である。
結局のところ、どの国もスカランジア帝国には危機感を持っているものの、他国と連携を取ることまでは考えていない段階なのだ。
そんな情勢の中、南部には例外があった。
サーマツ王国。つい最近キースが訪れたその国は、ワイバーンによる襲撃を受けたばかりなのだ。公式な記録としては臣下による内乱という形になっている。その内乱は、グライド族の協力を得てサーマツ王が鎮圧した。
グライド族の族長によると、ワイバーンを使役した臣下の背後に大物の『闇の民』がいるとのことだ。かの者の祖先は世界の創世に立ち会ったと言われる神獣フェンリル、純白の体毛に身を包む体長三馬身の巨大狼である。ペガサラスと並び称される聖なる神獣の末裔が、いまなぜ『闇の民』なのか。その経緯は誰も知らない。
その『闇の民』の名はバイラス。百年前のワイバーン・クライシスでは騒動の影で暗躍していたと噂されており、騒動鎮圧の中心人物たちの間では共通の敵という認識で一致している。もっとも、その中心人物のうち存命の人物はエルフ族の族長はじめ数えるほどしかいないのだが。
後日、ヴァルファズル王への返書という形でサーマツ王からの親書が届いた。
曰く、ウメダダ領主館を襲った『闇の民』との関連は不明だが、フェンリルならばワーウルフよりも格上である、と。
フェンリルと言えば、その最後の生き残りはバイラスただ一人。サーマツ王は、暗に彼の関与を仄めかして警戒を呼びかけた上、相互に最大限の協力を約束する旨の内容を書いて寄越したのであった。
* * * * * * * * * *
アーカンドル王城にほど近い広場に、サーカスのテントが設営されていた。
大陸中に数あるサーカス団の中でも随一の人気を誇る一座であり、そのテントはかなりの大きさである。観客を同時に百人は収容できるテントは、いくつものパーツに分けて持ち運びのできる組み立て式構造にもかかわらず十分な強度を持つ。
どうやらテントにはマジックアイテムによる補強が施されているらしい。高価なマジックアイテムを惜しげもなく運用できる潤沢な資金力の源は興行成績によるものだ。そして、この観客収容力はトップの人気を維持するのに有利に働く重要な要因となっている。
この一座、団員による奇術や体術が洗練されているだけでなく、猛獣の他に魔物のオークもショウに参加することなど、他のサーカス団とは一線を画す特徴がいくつかある。
中でも、ここ最近客引きの目玉となっているのは『フェアリー・ショウ』だ。
マジックアイテムによる照明を落とした暗いテント内を、身長三十セードのフェアリーの少女が飛び回るのだ。フェアリーは飛ぶ時にだけ半透明の羽を四枚背中に生やし、飛んだ軌跡に光の筋を引く。特にこの少女の場合、意図的に虹色の飛行光を出すことができ、幻想的な空間を作り出す。一通り観客の目を楽しませた後、マジックアイテムにより少女の姿を大映しにした映像がテント中央に投影される。
熟れたいちごのように鮮やかな赤色の髪と瞳を持つ、人形のように整った容姿のフェアリーだ。ショウの衣装は、最近ドワーフがデザインしたという女性用の水着に酷似している。胸と腰だけを面積の小さな布で隠すものだ。余談だが、このショウを観覧したドワーフが水着のデザインとして流用したらしい。
彼女はその格好で愛想良く飛び回り、時折観客の目の前に現れて挨拶をすることもある。貴族の中には彼女目当てに興行期間中毎日通い詰める者もいるらしい。
一座の名は『プリンス奇術団』。興業先への旅の道中、お忍び旅をしていたとある国の王子と出会ったことが名前の由来だという。
千秋楽の今日、興業は午前の部だけだ。自分の出番を終えたフェアリーは着替えることもせず、一座の仲間への挨拶もそこそこにテントから飛び出した。
少女の名はマミナ。彼女には目的地があるらしく、脇目も振らず一目散に飛んでいく。
「なあ、ギムレイ。俺って、ひどく偏った考え方してるのかな」
金髪の少年は、巨大な体躯を誇る魔物の背に己の背を預けて呟いた。魔物はウォーガ、人間の成人男性の一・五倍はあろうかという二百五十セードを超える身長だ。もっとも、今はどちらも地面に座っている。
ここはユージュの森。強烈な陽光は木々の枝葉が適度に遮り、吹き抜ける風は穏やかで、昼寝をするには最適の環境である。
「キース殿下。そのご質問、おいらではお答えできませんー」
「だよな。じゃ、もう少し具体的に聞こうか」
他人の気分をある程度感知する能力を持つギムレイであるが、そんな彼にもキースが何かに悩んでいることしかわからず、黙って言葉の続きを待った。
「もしもここにウォーガが襲いかかってきたとして、さ。そいつはギムレイの知らない奴だったとして。それを俺が殺してしまったら、お前はどう思う?」
なるほど、そういうことか。ギムレイは納得し、穏やかな声で告げる。
「何もー。おいらにウォーガの家族はいませんが、もしそれが親兄弟だったとしても、おいらは殿下を守るために戦いますー」
「そ、そうなのか」
「はいー。ウォーガは群れを作りませんー。親は一年間だけ子育てをしますー。その後は餌を奪い合うライバルでー、お互い別の縄張りを作りますー」
興味深そうにうなずく王子に対し、さらに告げる。
「そしておいらたちは——、いえ、ウォーガは、縄張りを侵せば相手がたとえ肉親でも殺し合うのですー」
ぴくりと肩を動かしたものの、キースは彼が言い直した通りに、ギムレイをウォーガとは切り離して考えることにした。
「お前には、肉親以外で家族と呼べる者はいないのか?」
変わり種のウォーガであるギムレイは群れを作った。ただし、それぞれの種族の中ではぐれ者だったり浮いていたりした、別の種族の連中と。
「カールとマミナの二人ですー。彼らはおいらにとって、キース殿下にとってのエマーユさんであり、ファリヤ殿下にあたりますー」
「その二人なら俺にとっても家族みたいなもんだな。じゃ、お前も俺の家族だ」
「お、畏れ多いことですー」
微妙に話題が逸れた気がするギムレイではあるが、逸れたままの方がいいのかもしれないと思い、追及しないことにした。だが、当のキースが話題を戻した。
「おっと、それを聞きたかったんじゃない。俺はな。この間、船での帰り道で因縁の相手と出くわしたんだ。そいつと戦うことになったんだが、どうにも覚悟が足りなくてな」
「手加減、したんですねー」
「わからない。あの時は全力のつもりだった。だが、最初に大技を使おうとした時、もしかしたら無意識に威力を抑えてしまったかもしれない」
彼は遠くを見る目をして空を見上げる。
「少し前、ワーウルフを斃した時は全くためらわなかった。そして今回、半魚人に姿を変えたロレイン族を斬った時もだ。そいつらにだって家族がいるだろうに、俺は一切ためらわずに生命を奪ったんだ」
そこで言葉を切ると、何度か言葉を探すようにして言い淀む。
「えっと、な。それで、だ。俺は、相手の容姿が人間に近いかそうでないかによって態度を変えてしまっていたんじゃないか、と。普段、人間も魔族も魔物も同じだと考えていたつもりのこの俺が。……最低だよな」
しばらく、場を沈黙が支配した。しかし、それまでと変わらぬ穏やかな声でギムレイが告げる。ただし、語尾を伸ばすことなく。
「お優しすぎます。殿下のお命はおひとりのものではありません。殿下の敵は殺さなければ必ず大切な方々を傷つけます。ためらう必要はありません。いえ、ためらってはいけません」
一つ咳払いをし、ギムレイは続けた。
「でも、ある種族が自分と同じ種族を殺すのは、本来は飢えた時の共食いだけですー。それ以外ではためらって当然なのですー。その箍を闘争本能で外したのがおいらたちウォーガ、理性で外したのが人間だ、とおいらは考えてますー。ですので、ためらう殿下はお優しい。矛盾を承知で申しあげますが、そのお気持ちは、できればなくさずにいて欲しいとも思うのですー」
「…………ギムレイ」
肩越しに振り向くキースに、ギムレイも同じようにして微笑んで見せた。人間から見れば表情の変化がわかりにくいウォーガではあるが、それでも緩めた表情であることがわかる。
「ありがとな。すっきりしたよ」
「キースー!!」
そこへ、遠くから割り込んでくる高い声。
「わっぷ」
振り向いたキースの唇に何かがぶつかった。
「……おでこ。またしても目測を誤ったわ」
少年の唇に自らのおでこを押し付けて呟くのはマミナだ。彼女は再度の挑戦をする。
「こら」
「むぷっ。手かー」
身長三十セードの少女による接吻を指で受け止め、キースは笑顔で窘める。
「マミナ、そういうのはきちんと段階を踏んでから、時と場所を選んでしような。前にもそう言ったろ」
「だってあたし、正妻よ? もうエマーユとはしたんでしょ?」
「……エマーユが言ったのか?」
キースの返事に、マミナは半目で睨んでくる。
「やっぱり。あたしともしようよー」
「いつでもどこでもするもんじゃないんだよ。そのうちな、そのうち」
「ぶー」
キースの背が揺れた。ギムレイが笑っているのだ。
「マミナ。キース殿下は王子様なんだからなー。はしたないのは嫌われるぞー」
「なによー、ギムレイ。じゃ、あたしよりエマーユの方がお淑やかだとでも言うの?」
「当然でしょ」
「げっ。出たわね二号」
「失礼ね、人を『闇の民』みたいに。ここはユージュの森、エルフの縄張りよ」
いつの間にか彼らのそばに来ていたエマーユが、キースの隣に座ると彼の腕にしなだれかかる。
「あのさ、エマーユ。その言動のどこにお淑やかさが……」
笑顔で腕をつねられ、黙る。
「あっ、こらー。だいたい、二号の癖にキースと船旅だなんて許せないわ! しかもあたしがサーカスで働いてる間にっ」
これに対しマシンガントークで反論しようとでも考えたのか、息を吸い込むエマーユ。一足早くキースが告げた。
「言ったよな、マミナ。今回の旅の主目的は兄貴の結婚式への参列だ。人間の作法による結婚式だったんだぜ?」
「そしたらマミナ、あなた言ったわよね。あたし堅苦しいのきらーい。それよりサーカスでアルバイトしてるー、って」
うっかり言葉を切ったキースの隙をつき、エマーユが言葉を割り込ませた。身振りはともかく声真似はなかなかのものだ。
「きーっ! たしかにそういったけど、あたしそんな言い方してないもん!」
もはや止められない。キースは目を閉じ、傍観ならぬ傍聴を決め込んだ。
「正妻になるには人間の作法に慣れる必要があるわね。あと身体のサイズもね」
「い、言ったわね! 作法はともかく、サイズなら! 身体のサイズを人間と同じにするマジックアイテムがあるはずよ! 知らないけどあったらいいなって願望よ! いつか絶対見つけるんだからね!」
場の全員が爆笑する中、マミナは目を白黒させて仲間たちを見回した。
「なによ。あたし、何か変なこと言った?」
努めて真面目くさった顔をしたキースは、黙って首を横に振るのだった。
穏やかな午後から一変、陽気な賑やかさに包まれるユージュの森の片隅。しかしその上空には、普段とは異なる不穏な風が吹き始めていた。