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異形の軍団

1 異形の軍団


 快晴だ。強烈な陽光がラージアン大陸全域を灼き、朝からじわじわと気温が上昇していく。

 ここサワムー湖は、アーカンドル王国とサルトー・カン王国との間に広がる広大な湖だ。湖面に映える照り返しの強烈さが盛夏の到来を告げている。

 サワムー湖の南の湖岸はアーカンドルの国境に接し、北の湖岸は二箇所が川となってサルトー・カン王国に流れ込んでいる。両王国間を往来するためには船でこの湖を渡るか、さもなくば陸路で湖を迂回する必要があった。その所要時間は水路であれば一日で済むが、陸上の迂回路は遠すぎる上に悪路であり、馬を使っても丸三日はかかる。

 ただし、サワムー湖の中心付近は『ブルーサーペント』と呼ばれる水棲の魔物の縄張りなのだ。ブルーサーペントに襲われた人間は生きては帰れないと言われている。

 ところで、サワムー湖を拠点としているのは魔物だけではない。人間に近い外見をもつ魔族である『水の民』も、いくつかの種族が生活している。その『水の民』の一種族であるセレナ族は、人間に友好的な性格であることが知られている。

 そこで、人間が水路を利用するにはセレナ族の協力のもと、慎重に航路を選ぶのが通例となっていた。しかし、それでも万全ではない。

 『水の民』の中には人間に対して攻撃的な種族もいて、船を見れば襲いかかってくるのは『ブルーサーペント』に限ったことではないのだ。

 温厚なセレナ族は水先案内人としては頼りになるものの、戦力としてはいささか力不足なのだ。従って、水路での移動には陸路とは比較にならないほどの危険がつきまとう。




 その日、湖岸を移動する馬車の一団があった。

 幌を飾る紋章は、ペガサラスの羽を象った意匠である。

 伝説の聖獣、ペガサラス。羽をもつ巨大な馬であり、この世の創世に関わったとされる存在だ。その羽を象った紋章は、アーカンドル王家のものである。

 それなりに屈強な騎士たちに前後を守られた一団は、山賊風情では狙うのを憚るほどの威圧感を示しつつ移動していた。

 馬車に鎮座する人物はヴァルファズル・アーカンドル王その人である。王は誰に聞かせるでもなく独りごちた。

「余が王国を留守にする期間は、一日でも短い方が良いのだがな」

「安全が第一でございます。爺としては陛下のお気持ちを痛いほど理解しておりますが、ここは臣下の大半を占める意見を立てていただきとうございます」

 馬車に同乗する侍従長、ペーター・ハカザン卿が宥めるように言葉をかけた。

「わかっておる」

 王は水路での移動を主張したのだが、今回は側近たちの説得を受け入れ、陸路を選択したのだ。

 彼らは第二王子ヘンリー・アーカンドルの結婚式に参列していた。今は復路であり、アーカンドル王国への帰路の途中なのである。

 第二王子と言っても、ヘンリーは既にアーカンドル王国の王位継承権を放棄している。

 サルトー・カン王国の大貴族、ファシリス公爵がアーカンドル王国を表敬訪問した際、ファシリスのひとり娘のドロテアがヘンリーに一目惚れをした。以後、ヘンリーがファシリスの後継者としてサルトー・カン王国の地方都市ウメダダ領主として婿入りする方向で縁談が進んだのだ。

 披露宴は一週間に及び、サルトー・カン王国のミック・ザーラント王も臨席してヴァルファズルと親交を深めた。もともと良好な関係にあったアーカンドルとサルトー・カンの両王国であるが、これによりさらに緊密な関係となった。


 それは、大陸全土にとっては些細な出来事にすぎない。

 少なくとも、北の大国スカランジア帝国にとっては取るに足らないことである。

 それでも、スカランジアの宰相たるフィムブチュール・ドレン卿にとって、あまり歓迎したくない事態であることもまた事実であった。


 * * * * * * * * * *


 異様な光景だった。

 異形の魔竜たちがおとなしく整列し、地上で羽を休めている。その数は十三頭。

 真夏の日差しの下で魔竜たちと対面し、ひとり声を張り上げる人間の若者がいる。正確には、魔竜たちを背に整列している若者たちと対面しているようだ。声を張り上げる若者を含めると、その場にいる若者たちの数は魔竜たちと同数だ。

 魔竜とはいえ、ドラゴンではない。神とも呼ばれた聖獣ドラゴンが最後に人の眼に触れたのは、もう百と数十年も前のことになる。

 魔竜の正体はワイバーン。その体長はドラゴンのおよそ半分とは言え三馬身もの巨体を誇り、鋭い嘴と爪で敵を攻撃する。長い尻尾の先も針のように鋭く尖っており、個体によっては猛毒を持つ。身体の色は灰色のものもいれば赤色のものもいる。赤いものは特にレッドワイバーンと呼ばれ、炎を吐くことが知られている。

 ワイバーンたちは百年前、このラージアン大陸を荒らし回り、多数の人間の町や魔族の集落に壊滅的な被害を与えた。

 そこで、地上の種族たちは一致協力し、共通の敵ワイバーンと戦った。全てを斃すのは難しく、強力な個体は卵に封印しユージュの大木に括り付け、故意に起こさない限り眠り続けるように魔法をかけたのであった。

 しかし、それらの魔竜は今ここにいる。ラージアン大陸北部に広大な土地を持つ大国、スカランジア帝国に。




「貴様達は勇気ある戦士だ。自信を持て!」

 兜に指揮官の飾りをつけた男が大音声(だいおんじょう)を張り上げた。

「ワイバーンは力なり! 力は正義なり! 強き力を持つ者が力無き者を従えるは自然の理なり!」

 まだ二十代半ばの指揮官は、この暑い中、拳を振り上げて訓辞を垂れている。

「力無き者、勇無き者は徒に恐れるのみ。恐れる者は世界を乱す。だが我等は恐れない。我等こそが世界を正す!」

 直立不動の姿勢で話を聞いているのは、二十歳前後の男たちだった。十二人が二列に整列している。

「百年前、ワイバーンは圧倒的な力を誇った。しかし、我々はそのワイバーンを従えることに成功した。ワイバーンを超えたのだ! ワイバーンの力を我が国のため、正義のために役立てようではないか!」

「おーっ!」

 若者達が唱和する。

「グオオオオー!」

 すると、ワイバーンたちもそれに呼応するかのように吼えた。

 離れた場所の木々の枝で羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び立ち、遠くへと逃げ去っていく。当然だ。本来、この地上では無敵を誇る魔竜の咆吼なのだから。


 日陰から、この様子を眺めている男達がいる。

「バイラス、なかなか教育が行き届いているね」

 そう言いつつ、自分の後ろに立つ男を振り返ったのは銀色の髪を総髪にした紳士だ。彼は椅子を用意して腰かけ、黒っぽいスーツを着ている。左目は濃い色の片眼鏡に隠されていて、見えている右目はブラウンだった。スカランジア王国の三十一歳の軍師、フィムブチュール・ドレン卿だ。

 ドレン卿に呼びかけられたのは、彼の椅子の斜め後ろに立っている男だ。こちらは白い髪と青い目の男で、白いタキシードを着ている。見ようによっては二十歳そこそこにも、四十過ぎにも見える。男の名はバイラス・ダイラーと言い、表向きはドレン卿の執事ということになっている。つまるところ、皇帝ユック・ダクはドレン卿の傀儡に過ぎず、公務をこなすだけのお飾り。実質的な皇帝であるドレン卿の軍師を務めるのは、他ならぬこのバイラスなのだ。

「お褒めにあずかり光栄です、ドレン卿。彼らは厳しい競争を勝ち抜いて選ばれた、我が軍のエリートたちです。彼らならば見事にワイバーンを乗りこなせるはずです」

 バイラスは兵士たちをワイバーンに騎乗させようとしているのだ。彼はしかし、ここで声のトーンを落とし、やや自嘲ぎみに言葉を続けた。

「先日の件では私の準備不足で失態を晒し、面目次第もございません。最も力のあった一頭を失ってしまいました」

「構わぬ。扱いにくい力というものは諸刃の剣に似ておる。下手をするとこちらも怪我をしてしまうからな」

 ドレン卿は穏やかな口調で話しているが、片眼鏡を貫いてアイスブルーの瞳が冷たい光を放つ。彼はその片眼鏡を、位置を直すかのように指で少しだけずらして見せた。

 スカランジア王室の関係者でドレン卿の『凶眼』を知らぬ者はいない。彼のその片眼鏡をさわる仕草を見た者は、誰もが震え上がってしまうのだ。ただひとりの例外バイラス・ダイラーを除いては。

「恐縮です。そう言っていただけると気が楽です」

 今の遣り取りにおいても口調だけはかしこまって答えつつ、バイラスは平然としている。

「ふ……」

 見ようによっては不遜ともとれる態度だが、ドレン卿はそれを咎めようとはしない。苦笑とも微笑ともとれる息を漏らすと、若者達へと視線を戻した。


 指揮官による訓辞はいよいよ熱がこもってきた。

「よいか! 百年前、人々はワイバーンの命を奪うことなく封印した。勇気ある過去の人々は、ワイバーンがいずれ正義のための道具となることを予見していたのだ。だが先日、一頭のワイバーンが死んだ。サーマツ王国で慣熟飛行を行っている時に……宣戦布告さえ行わないうちに彼の地で殺されたのだっ!」

 バイラスはサーマツ王国での一件について、情報を意図的にゆがめて伝えている。従って指揮官でさえ真実を知らない。直立不動の姿勢で整列していた若者たちが、ほんのひとときざわめいた。

「時に、我々人間は野獣よりも獰猛な存在となり得るのだ。無知蒙昧な愚民どもほど危険な存在はない。幸いにして、我々は無知ではない。勇気ある者の下僕となることにより正義の力を発揮することもできる、それがワイバーンだ! ワイバーンの力を国のために役立てるのが我らの使命だ! 我ら――ワイバーンライダーズのっ!」

 若者達が「おう」と唱和し、指揮官の檄に応える。

「しかも! 他国の軍隊は、魔族の力を借りてまで我々に楯突こうとしている。魔獣を従えるのとはわけが違うっ。智恵を持つ魔族に力を借りたならば、いずれその魔力により主導権を奪われ、我々人間の方が奴らに支配されてしまうのは自明だ。そんなことにも気付かない愚かな者どもは、たとえ同じ人間といえども排除に値する! 大陸を我々人間の手に!」

「おう!」

「魔族を排除せよ!」

「おう!」


 アルカイックスマイルを浮かべるバイラスを横目で見た後、ドレン卿は立ち上がって日なたへと歩み出た。訓辞を終えた指揮官に近寄って声を掛ける。

「見事な訓辞であった」

「もったいないお言葉です!」

 日頃から訓練に慣れている指揮官といえども、強い日差しの中で鎧を着た上での訓辞である。さすがに頬を上気させ、汗を流していた。

「御苦労。汗を拭うがよかろう、ローエン」

「ありがたきお言葉。では失礼して」

 兜を脱ぎ、タオルで額の汗を拭った指揮官は、短く刈ったブラウンの髪とブラウンの瞳を持つ若者で、名をローエン・バダムと言う。二十六歳の指揮官だ。

「きみたちは我が軍のエリートだ。戦果を期待しているぞ、ワイバーンライダーズ」

「は! 我等十三騎の手で、必ずや大陸の統一を早めてご覧に入れます!」

「準備が整い次第、彼の地――サーマツ王国に宣戦布告する。それまで存分に訓練し、来たる戦いに備えよ」

「ははーっ!」

 満足そうにローエンの返事を聞き、再び日陰へと戻ったドレン卿は楽しげに呟いた。

「先にサーマツを手に入れ、南北から挟撃してくれる。覚悟しておれ、アーカンドルの妾腹の王子殿」

 ドレン卿は、なにかを思い出したようにバイラスに聞いた。

「ところで、あれは準備できておるのか?」

「は。新たな『ウールヴヘジン』でございますな。ご命令を待つばかりです。いつなりと」

 バイラスの返事を聞き、ドレン卿は口元だけで薄く笑った。

「ヴァルファズルの次男坊がサルトー・カン王国の地方都市に婿入りしたそうだが」

「そのように聞いております」

 ドレン卿は少し間をおいてからこう言った。

「次男坊が婿入りしたのはウメダダだったか。そこを実験の場所にしようではないか」

「は。仰せの通りに」

 バイラスは無表情にうなずいた。

「すぐに用意できるウールヴヘジンは四つ。明日までお待ちいただければさらに四つ」

「実験に過ぎん。四つもあればよい。……今夜十二時に実行せよ」

「承知いたしました」

 返事を聞くや、ドレン卿は魔竜の群れに背を向けた。

「今夜十二時、ウールヴヘジンを用いてウメダダに奇襲をかけます」

 立ち去る主の背に言葉をかけると、バイラスは再びアルカイックスマイルを浮かべるのだった。

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