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【アンネ・フラメルの悪夢:友と鐘の悲劇】 3回目


▲▽▲▽▲▽ ナイトメア・マンション:管理人室 ▲▽▲▽▲▽



 そして、私はある決定的な確信をもって再びこの管理人室へと戻ってきていた。


 今回もまた、追体験で得られた手がかりはほとんどないと言っていい。出来たことと言えば、わかりきった事実の確認と、ほんの少しの──『悪夢の大筋に影響のない出来事』の確認だけだ。


 ある意味では、三度目の体験なんて必要なかったと言えるだろう。今ならば、二回目の追体験で得られた事実だけで真実を導きだせたと確信を持って言える。あれまで露骨な言葉を、あれほどまでにわざとらしい言葉を私はみすみす忘れ去り、そして勘違いしていたのだから。


 そう、三度目の追体験においてはまさに、『悪夢の大筋に影響のない出来事』それこそが重要であったのだ。


『なーんか、いい感じの顔しているねー?』


 うれしそうに、だがしかしどこか不満そうに少女は笑う。私は乱暴に少女の対面に座り、自分で紅茶をいれてぐびりと飲み干した。


 なるほど、確かに今回は私自身に対する精神的な負荷は限りなく少ない。最初に彼女が言った通り、ミステリー色が強く、騎士の悪夢に比べれば易しめの悪夢であったと言えるだろう。実際、私自身は悲劇そのものを直接見たわけでもなく、肝心のアンネの悪夢の主たる悲劇は私がいない場所で起きている。


 だが、これはこのナイトメア・マンションに入居している悪夢なのだ。アンネにとって、まさに地獄の様な悪夢であったのだ。


『それじゃ、答え合わせ行っくよー!』


 残酷な人形が、残酷な質問を投げかけてきた。






『ルーシー・ウェンライトは本気でロルフ=ゲルバーを信用していた?』


『事件後もアンネ・フラメルとルーシー・ウェンライトはずっと一緒だった?』


『犯人はなぜアンネ・フラメルを監禁した?』


『アンネ・フラメルは自分を監禁した犯人のことをどう思っていた?』


『アンネ・フラメルを監禁したのは誰?』






 結論から言おう。アンネを殺したのは──ルーシー・ウェンライトだ。


 もちろん、例によって例のごとく、そこに至るまでの過程こそがこの悪夢を紐解くために重要な事である。なぜルーシーがアンネを殺すに至ったのか、あの仲の良い二人がどうしてそういう結末に至ったのか、それこそがこの悪夢を悪夢足らしめているものに他ならない。


 前回の少女がくれた最後のヒントを覚えているだろうか。悪夢の重要な手がかりとなると私が予想した通り、それには大いなる意味があった。



『最後の瞬間、アンネとルーシーが一緒に居たのはあってるよ! 正直こんなに早く見抜けるとは思わなかったよ!』


『ルーシーがいなければアンネが死ななかったってのもあってるよ! ちょっと惜しかったね!』


『ルーシーは監禁や奴隷の扱いについてよく知っていたよ!』


『大ヒント! 犯人はアンネに殺意はなかったよ!』




『大っ大っ大ヒントぉ! ルーシーはアンネが本当に大好きだったんだよ! アンネが死んで、ルーシーは本気で大泣きしたんだよ!』



 一つ目のヒントにより、アンネの最期の瞬間、ルーシーが傍にいたことがわかった。二つ目のヒントにより、ルーシーがアンネの死に関わっていることも分かった。すなわち、アンネの死は『ルーシーが傍で何かしらの接触をしていた』という事実を示している。


 三つ目のヒント。これは純然たる事実。五年もの間監禁されていたルーシーなのだ。否でもヴォルフの非道やロルフの行動が目に入り、監禁とは何なのか、監禁された被害者──奴隷はどう扱われるのかを学んでしまっている。


 四つ目のヒント……は飛ばして、最後の特大ヒント。ルーシーがその時もアンネが大好きであり、アンネの死に涙したことを示している。当たり前のように思えるが、これこそが大事な事実なのだ。


 それを踏まえたうえで、四つ目のヒントを考えてみよう。


 ──犯人はアンネに殺意がなかったのだ。なら、どうしてアンネは死んだのか。アンネに殺意を抱いたのは、あのアンネを殺したのはいったい誰なのか。


 もう、おわかりだろう。アンネの監禁事件において出てくるのは『アンネ』と『ルーシー』と『犯人』である。犯人に殺意がなかったのだとすれば、それができるのはもう一人しかいない。


 死の直後、まさにその隣にいたルーシーだ。ルーシーがアンネを殺したのだ。


 考えてもみよう。ルーシーの監禁事件の時は、アンネがルーシーを助けてくれた。狂気と絶望が渦巻くあの地下室をアンネが暴き、悪夢を見事に終わらせて見せた。その事実は、他でもないルーシーこそ一番よく理解している。


 だが、だ。


 アンネも一緒に監禁された今、いったい誰がこの悪夢を終わらせるのか?


 ルーシーは知っている。ヴォルフに、犯人に逆らった被害者たちがいったいどんな目にあったのかを。舌を傷つけられ、指も切り落とされ、毎日のように拷問にあっていたことを。


 そう、ルーシーは知ってしまっているのだ。この地獄の様な悪夢は、今度は終わりの希望がどこにもないことを。あのアンネはもう、助けに来てくれないことを。


 終わる希望の無いこの悪夢。目の前で囚われているルーシーの希望。おそらくルーシーは、このあとアンネがどんな目に合うのか簡単に想像できたのではないだろうか。なぜなら、ルーシーは囚われの五年間の間で、嫌と言うほど見てきたのだから。


 なら、どうすればアンネをこの地獄から救えるのか、どうすればアンネを起こるであろう苦痛から逃がすことが出来るのか。


 助かる見込みがないのなら、そんな方法は一つしかない。


 ──犯人に苦しめられる前に、ルーシー自身がアンネを殺して楽にしてやることだ。


 最期の瞬間まで、アンネとルーシーは一緒に居た。ルーシーがいなければ、アンネは死ななかった。ルーシーは奴隷の扱いをよく知っていた。犯人はアンネに殺意がなかった。──そして、ルーシーはアンネが大好きで、アンネの死後、本気で大泣きした。


 全てのつじつまが合う。何もかもの説明ができる。


 そして、新聞の被害者の中にルーシーの名前が無かったことから、おそらくルーシーがアンネを殺したすぐ後に犯人は捕まり、ルーシーは救出されたのだと推測される。


 そう、ほんの少しだけでもルーシーが躊躇っていれば、あともう少しだけでもルーシーが希望を信じていれば、二人そろって無事に生還できたのだ。


 ルーシーは大好きなアンネに苦しんでほしくないから、大好きだったからこそ胸が張り裂けそうな思いをしてアンネを殺した。だのに、ルーシーのその決死の、されど友を想った最高で最悪で最低な決断と行動は、まったくの無駄になったのだ。助かるはずだったアンネは、ほかならぬルーシーの手で死んだ。


 ルーシーのせいで無駄死にした。


 そう、アンネの悲劇とは、助け出した友人と共に監禁されたあげく、最期は親友に殺され──親友の手を汚させ、挙句の果てにそれが全くの無意味であったことなのだ。






『ざんね──』


『──とでも言うと思ったか?』






 少女が意気揚々とばってん印を作ろうとした瞬間、私は自分でもびっくりするくらい低い声を出し、拳で机を叩いていた。


 腹の奥底から怒りが湧き上がってくる。何もかもに腹が立つ。とりわけ、この事実に到達することにこれほどまでに時間をかけてしまった自分に、まんまと少女の手の平の上で踊らされそうになった自分に腹が立った。


『いじわるしないでよ、いけずぅ! 分かってるなら最初からそっちを言ってよぉ!』


 少女が口を尖らす。


 わざわざ間違った意見を述べたのは、ちょっとした意趣返しのつもりであった。あえて誤解を招くような表現をした少女に、バカにするんじゃない、この程度の実力はあるんだと示したかっただけだ。


 『アンネを想ったルーシーがアンネを殺した』。


 なるほど、たしかにこれなら辻褄はあう。だが、それだけだ。ヒントに対しての合理性はあるが、そもそもの五つの質問に対しては何ら回答となっていない。


 同時に、この結論は間違ってはいない──正解とは成り得ないが、少なくとも事実としてはあっていることが少女の底意地の悪さ、あるいは悪夢の悲惨さを示している。


 少女の質問は『誰がアンネを監禁したか?』なのである。誰がアンネを殺したのかはこの際そこまで重要ではない。大きなヒントを得られた高揚感で、私はすっかりそのことを忘れ去りそうになっていたのだ。


 今一度、少女のヒントをすべて思い出してみよう、物語を紐解くカギとなる五つの質問と合わせて考えると、聊か消化不良のものがあるはずだ。そして、三回目の追体験で私が確認した事実。これを合わせると、ある恐ろしい考えが浮かび上がってくるのだ。



──ルーシーの誘拐・監禁はどんなに頑張っても防げない。


──ルーシーの誘拐実行後、すなわち監禁直後にルーシーを救出する事は出来ない。


──ルーシーの監禁期間はある程度なら短くすることが出来る。





──監禁事件の被害者全員を事前に救うことは無理だが、最初の被害者およびルーシー―以外であれば、一人か二人の少人数に絞る場合において未然に誘拐を防ぐことが出来る。



 これらの事実から何がわかるのか。それはずばり、【なにがアンネの悲劇に必要な出来事であったのか】である。


 何のことはない。私の行動は悪夢の大筋に影響を与えられないということは、変えられた部分はどうでもよくて、変えられなかったそれこそが重要だということになるのだ。


 それを踏まえたうえで──大変遺憾な言い方ではあるが──何がアンネの監禁、および死のフラグになったのかを考えてみる。


 ルーシーの誘拐、監禁は絶対だ。コレが無ければアンネの悲劇は成立しない。では、誘拐、監禁の何が重要であったのか。


 ルーシーの監禁そのものは防げない。しかし、監禁期間はある程度短縮できる。が、極端な短縮は出来ない。そして、ごく少数の人数であるならば、他の被害者は未然に誘拐を防ぐことが出来る。


 これはつまり、【ルーシーがある程度監禁されていること】、【ヴォルフたちが監禁の試みそのものを続けること】が変えることのできない大筋であると言うことを示している。


 二回目の追体験で私がヴォルフたちの試みを潰そうとしてすべて失敗したのは、全部の誘拐が防がれるとヴォルフたちの試みが破綻してしまうからだったのだ。


 さすがに私個人が毎回毎回都合の悪い場所に現れて誘拐を防ごうとしたら、ヴォルフたちはそれを警戒して誘拐を試みようとは思わなくなるだろう。ごく少数においてのみ助けられたのは、一度程度の失敗なら偶然と言うことで気持ちを切り替えられたからだと推測される。


 また、この事実は【ルーシー以外の被害者は誰でもよい】事も示している。人数を変えられたということはつまりそういうことだし、ヴォルフたちの全体の試みを潰そうとさえしなければ、別の被害者を助けることが出来ただろう。


 これらの事実により、【犯人が模倣犯であった】という可能性は限りなく低くなった。もし模倣犯であるならば、別にルーシーが被害者である必要はないからだ。


 では、この【ヴォルフたちが監禁の試みを続けること】──すなわち、【ルーシーがある程度監禁されていること】がアンネの悲劇にどうかかわって来るのか。この監禁期間にいったい何が行われていたのか。


 性悪人形を睨みつける。彼女はただただ面白そうにほほ笑んでいた。


 ──何のことはない。【ルーシーが監禁や奴隷の扱いについて覚える】という事実を作っていたのである。


 ルーシーの誘拐そのものがアンネの死のフラグであるならば、誘拐さえ行われれば──誘拐直後に助けることが出来たはずだ。しかし、それが出来なかったということは、ルーシーがある程度監禁されていなければならなかったということだ。監禁期間を短縮できたのは、ルーシーがそれを学び終わっていたからだと言えるだろう。


 しかし、この事実がいったい何をもたらすのか。ここで、一回目の追体験においてもらったヒントを振り返って見よう。



『ルーシーが本気でロルフを信用していたってのはあっているよ! 理由もまさにその通り! ロルフはちょくちょく時間を見つけては、ルーシーといろんなお話をしていたみたいだね! こっそりお菓子をあげたりもしてたらしいよ!』


『最大のヒント! アンネの悲劇そのものにおいては、ヴォルフよりもロルフのほうが重要だよ! ロルフがいなければ、アンネの悲劇そのものは成立しなかったよ!』



 脇役の様な出番しかないくせに、キーマンであるというロルフ。彼がやった事を事実のみを抜き出して列挙すれば、『ヴォルフの犯罪の手伝い』、『事件の日のルーシー探索』、そして──『監禁中におけるルーシーとの会話』だ。


 このルーシーとの会話こそが、アンネの悲劇につながるものだ。ロルフが関わる出来事の中で、ルーシーの監禁期間が絡んでくるのはこれしかないのだから。


 では、ここでルーシーとロルフはいったい何を話していたのか。いったいルーシーはここで何を知ってしまったのか。


 もう一度、見た目だけは可愛らしい人形少女を睨みつける。あいつは手をひらひらとふってきやがった。


 そう、こいつは最初から事実だけを言っていた。



 ──『ルーシーは監禁や奴隷の扱いについてよく知っていたよ!』



 あれは、ロルフとの会話で覚えたものだったのだ。そう、ルーシーは被害者視点でのそれではなく、加害者視点でのそれを覚えてしまっていたのだ。


 考えてもみよう。あの監禁生活の中で、いったいどんな話題があったというのか。おそらく必然的に現在の状況に関する話が多くなったことだろう。


 ロルフは奴隷たちに対して直接的に犯行を行ったわけじゃあない。そして、技師でもある。


 おそらく、ルーシーとロルフが話したのは、ヴォルフがどうしてあんなことをするのか、地下室でのロルフの仕事の意味などではないだろうか。



 ヴォルフに抵抗するから指や腕を落とされる。──だから、抵抗してはダメだ。

 声を出して騒ぐから喉を傷つけられる。──だから、騒いではいけない。

 反抗的な態度を取るから拷問される。──だから、大人しくしていなさい。



 気弱なロルフが、子供を傷つくのを嫌がったロルフがそんな話をしても不思議はないだろう。むしろそれこそがささやかなるロルフの抵抗だったのかもしれない。彼は兄に脅されて凶悪な犯罪の片棒を担がされたとはいえ、ルーシーにお菓子を差し入れするなど、根っからの悪人ではないのだ。彼女らが痛い目に会わないように話をするのもうなずける。


 また、ヴォルフがどうして人をさらって監禁するのかについても触れたのだと思う。自分がどうして技師として地下室の整備をしているのかについても話したはずだ。技師としての仕事の話は恐怖と退屈に塗れたルーシーにとって心の栄養となり、またヴォルフの犯罪の理由を知ったからこそ、何も知らない恐怖だけの状況から抜け出せ、解放されたときもルーシーは五体満足なうえ、理性を保って会話できたのだと考えられる。


 長くなったが、ざっくりまとめると【ルーシーは監禁期間の間にロルフによって監禁に関するノウハウを覚えた】と言うことである。


 さて、ここでようやく一つの新しい見解を得ることが出来た。私が先程述べた【ルーシーは奴隷がどんな風に扱われるか知っていたからアンネを殺した】という結末は、これにより不自然さを帯びることになる。


 そもそもの話だが、あの結論は少女が出した質問に触れていない。必ずしもあの質問に回答する必要はないとはいえ、まったくかすらない結論が答えになるほどこれらの悪夢は甘くない。


 私がその事実に気づいてしまったのは、【ルーシーは監禁期間の間にノウハウを覚えた】ということと、【犯人はアンネに殺意はなかった】、さらに『アンネを監禁したのは誰?』という少女の言葉を関連付けて考えた時だった。


 二回目の追体験の後の答え合わせ。こんな一幕があった。



──『事件後もアンネとルーシーはずっと一緒だった?』と言うこの質問。もしかして、これが示す事件とは、アンネの(●●●●)監禁事件(●●●●)ではないのだろうか。



 同じように考えてみよう。犯人はアンネに殺意はなかった──これが示す『犯人』とは何の犯人だ?


 アンネを殺害した犯人か? アンネを誘拐した犯人か?


 そう、よくよく考えてみれば、『犯人』が何の犯人なのか、少女は一切触れていないのである。私が勝手にそう思っていただけ──あるいは犯人と言う言葉の多様性で勝手に納得していただけで、そいつが何なのか全く気に留めなかったのだ。


 そこで私は気づいた。この少女はあえて『犯人』を『アンネを殺した人物』、『アンネを監禁した人物』とでごちゃまぜに認識してしまうように話していたのだと。


 おかしいのだ。なぜあえてわざわざ『犯人はアンネに殺意はなかった』、『アンネを監禁したのは誰?』と二つの場面でその人物を別々に呼んでいるのか。『犯人』で統一すればいいではないか。


 これらの疑問は、【ルーシーがアンネを殺した】という結論において意味を持ってくる。アンネを拉致、監禁したものとアンネを殺害したものが別々だったからこそ、その意味が出てくるのだ。


 実際、ルーシーがアンネを殺した前提、すなわち先程の間違った結論で少女の言葉を振り返って見ると、どうしてなかなかしっくりくるものがある。あえてわざわ呼び分けていたのも納得がいく。


 だが、だ。これでは肝心の『誰がアンネを監禁したのか』という疑問が残る。


 繰り返しになるが、『誰がアンネを殺したか』と言うのは手掛かりにはなるものの、悪夢を暴くための決定打とはならない。重要なのはあくまで『誰がアンネを監禁したのか』であるのだ。


 そして、先程述べたことから模倣犯は監禁の犯人としてあり得ないことが分かった。ヴォルフもロルフもまた、犯人にはなりえない。何の関係もないやつがひょっこりの犯人として出てくるわけもない。


 もう、そうなったらあとは消去法だ。


 ここまで出てきた人物の中で、監禁事件の犯人の可能性が少しでもある人物。


 いるじゃあないか。アンネの監禁において、ずっと現場にいた人物が。


『ようやくわかったみたいだね! ここまで来れば、後はクリアしたようなものだよ!』


 にっこりと笑う少女。


 やはり、やはりなのだ。私は物事を穿って見過ぎてしまっていた。事実は事実として認識し、先入観無く道理としてとらえるべきであったのだ。もっと単純に考えるべきだったのだ。






 ──そう、アンネを監禁したのは、ルーシーだ。






 この事実に思い至ったとき、私は自分で自分が信じられなくなった。最もあり得ない人物だというのに、全ての辻褄だけはしっかりとあって、少女の質問やヒントにも一切矛盾が生じない。今まで与えられた質問やヒントの全てがルーシーが監禁した犯人であることを導いている様にしか見えなくなった。


 少女は、一言たりとも『アンネの監禁事件において、ルーシーも監禁されていた』とは言っていないのだ。ルーシーの行動については言及したが、その時のルーシーの立ち位置については一切触れていないのである。『ルーシーが【被害者】である』とは一言も言っていないのである。


 全部、全部私が勝手に思い込んでいただけだ。


 少女は事実だけを述べながら、あたかも【そこにアンネとルーシー以外の第三者がいた】かのように私に錯覚させたのだ。



【『犯人』という第三者がいる】

【アンネを監禁した『犯人』とアンネを殺害した『犯人』がいる】



 少女は事実だけを用いてこの二つの勘違いを私にもたらした。それも、あくまで己が心情を曲げず、嘘を一切つかないで。


 一つ目は単純な罠。物語として当然必要になるはずの主演を、欠員が許されないそれを用意しただけだ。そして二つ目は考察を進めて得意になったものをひっかけるための罠。一人しかいないはずの主演が二人もいると思わせたのだ。実際は主演なんてそもそもいない──脇役が一人何役も兼ねていたわけだが。


 そして、彼女自身はなんら嘘をついていないので、そもそも罠と呼べるかどうかも怪しい。全部私──ゲストが勝手に思い込んだだけ、すなわち何もない道で勝手に転んだのに等しい。


 彼女は精いっぱい私にヒントを──ネタばらしにならないギリギリのヒントをあんなにも多く与えたうえで、私が勝手に錯覚するような言葉を紡いで見せたのだ。


 小生意気そうに笑うこの人形を、見た目だけは子供らしい西洋人形を、私は改めてゾッとする思いで見つめた。ふざけた態度を崩さず、今この瞬間でさえ子供のようにクッキーに舌鼓を打っているというのに、最初からそこまで計算して言葉を放っていたというのだから。


 もし私が少女と同じ管理人の立場だとして、相手に答えを教えずにヒントだけを教えられる存在だとして、少女以上に的確なヒントを与えられただろうか? 少女以上に核心を付いたヒントを与えられただろうか?


 いや、おそらく無理だ。直接的表現が使えない以上、あれ以上のヒントを私には思いつけない。それにたまたま、偶然にも、私が勘違いをしていただけなのである。


『えっへん! 少しは見直した?』


 どこからどう見ても子供にしか見えない。だが、瞳には恐ろしいほどの知性が宿っていることがうかがえた。


 話を戻そう。アンネを監禁したのがルーシーとなると、事態は大きく動いてくる。五つ目の質問はこれで解決で、残るは三つ目と四つ目の質問だ。


 『なぜアンネを監禁したのか』、『アンネは監禁した犯人のことをどう思っていたのか』。


 幸か不幸か、私にはこの理由がわかってしまった。いや、似たような物語をどこかで見たことがあるのかもしれない。あるいは、雑貨屋としての私があの二人のことをよく知っていたからか──もしくは私自身、悪夢にあてられてもう常識がいくらか消えかけているのかもしれない。


 ルーシーは、アンネが大好きだったからこそ監禁したのだ。


 ルーシーとアンネは仲がいい。いっそ異様ともいえるほどだった。ルーシーが解放された後の五年間、その気持ちが爆発しなかったとどうして言えるだろう。『ずっと一緒』と誓い合った二人なのだ。ルーシーがアンネを独占しようと思ったとしても、何ら不思議はない。


 それだけならよかったのだ。同性愛云々とかはおいておくとして、ちょっと拗れた嫉妬やその類で済ませられただろう。少なくとも【親友を監禁する】なんて突拍子もない行動はしなかった──否、出来なかったはずだ。


 そもそも、普通の人間ならそんな異常な考えなんて思いつくはずがないのである。


 問題なのは、ルーシーはアンネへのその想いを、間違った方向で表現する術を知っていたことなのだ。


 好きなもの、離したくないもの、ずっと一緒に居たいもの。


 どうすれば、それは実現できるか?


 ──監禁すればいいのである。


 少し前の話に戻るが、ルーシーは【監禁や奴隷の扱いについて覚えている】のである。ルーシーは自身の五年の監禁生活でそのことをすっかり学んでしまったのだ。図らずも、ヴォルフの行いは『欲しいものは監禁して手に入れる』という事実をルーシーに刻み込んだのである。


 それだけではない。ロルフとの交流は、ルーシーを正気に保たせてしまった。精神的に壊れていてもおかしくなかったルーシーは、ロルフのおかげで身体的なダメージだけで済み、同時に監禁に対するノウハウまでをも身に着けてしまった。


 ここで注目したいのは、ルーシーがストックホルム症候群を発症していたことだ。これはすでにルーシーが極限の精神状態にあった事実を示している。そんな中でのロルフとの交流は、ルーシーが完全に壊れることを防いだ。


 否、防いでしまった。狂気を孕んだルーシーに最後の正気を保たせてしまったのだ。


 おそらくだが、ルーシーはあの監禁生活の間で既に普通の状態ではなくなってしまっていたのだろう。表面上は解放後は何も異常は見受けられなかったが、決して以前と同じではなかったはずだ。


 四六時中アンネと離れなかったのはその現れでもある。アンネ自身、喜びに満ち溢れていたため気づきにくかったが、よくよく考えれば解放後のあの二人の距離感は普通……と捉えるにはいささかおかしい。


 いくらなんでも、親友同士だからって二人で同居などするだろうか? それも、事件のたった一年後に。


 そう、ロルフとの交流によって、本来は精神的に壊れてしまったはずだというのに、【外面だけは理性的だが狂気を孕んでいる】ルーシーが出来てしまったわけだ。


 しかも、それだけじゃない。ルーシーとロルフの交流はもっと別の大きな意味を持っている。むしろこっちが本命だろう。


 ルーシーはあの監禁事件において、五体満足で生還した。それは他ならないロルフのアドバイスのおかげである。ロルフの言う通りにしていたからこそ、他の被害者たちとは違い大きな拷問を受けることもなかった。ロルフのアドバイスがなかったら、ルーシーはもっと凄惨な目にあっていたのだ。


 これだけでもう、ルーシーの中でのロルフの信用は大きかっただろう。裁判においてルーシーがロルフをかばう証言をしたことからもそれは疑いようがない。文字通り、【ルーシーはロルフを本気で信用していた】のである。


 そんなロルフは兄ヴォルフの行動を否定していない。ヴォルフは奴隷を痛めつけて楽しむ……いや、そうやって奴隷を愛でている。実際、ロルフは雑談の中でどうしてヴォルフが拉致、監禁を行うのかという理由をルーシーに話しただろう。


『ヴォルフは好き勝手できる奴隷が欲しかったんだ。そして、ああやって奴隷を愛でている。下手に刺激するとああいう目にあうから大人しくしていなさい』


 ……おそらくだが、似たようなことを話しているはずだ。ロルフは状況を説明することでほんのわずかな安心感をルーシーに与え、それから逃れるための対抗策をも教えたはずだ。だからこそルーシーは正気を失わず──目に見えた精神崩壊をすることもなく、五体満足で生還した。


 そして、ロルフが否定していないのであればそれは真実ということになる。


 そう、自分を苦痛から救ってくれたロルフが、あの地獄の様な地下室の中で信頼できるロルフが【拷問とは愛情表現である】ことを否定していないのだ。どう見ても悪いことであるというのに、それを止めようとしていないのだ。


 少なくとも、ルーシーにはそう見えてしまっていたのである。


 ここまで言えばもうわかるだろう。


 ルーシーがアンネを監禁した理由。もちろん、それは独占欲もあったのだろう。だが、その大きな理由としてはルーシーがアンネのことが大好きだったから……すなわちただの愛情表現だったというわけだ。


 話を戻そう。アンネが好きで好きでたまらなくなってしまったルーシーは、その狂気と理性を併せ持った意識の中で考えた。これからもずっと一緒に居られるよう、アンネを監禁してしまおうと。


 ルーシーには監禁に関するノウハウがある。被害者としての視点も、加害者としての視点も理解している。


 だったら、あとはヴォルフやロルフの真似をすればいい。それだけだ。



『子供って真似するのが好きだよね! あなたも心当たりない?』



 鐘の町の悪ガキたちが私の怒鳴り声を真似たように、ルーシーもまた、身近であった大人たちのやり方を真似たのだ。あのヒントの本当の意味は、ここにあったのだ。


 さて、アンネを監禁するとなったら後は早い。ルーシーに関してはアンネは警戒すらしないだろう。寝こみでも襲って拘束し、ヴォルフがやっていたように喉を傷つけるなどして声を出させなくすればいい。アンネとルーシーは二人暮らしだ。アンネ自身の生活の形跡があっても何ら問題ない。


 そして、ルーシーには監禁についてのノウハウがある。



【ヴォルフに抵抗するから指や腕を落とされる。──だから、抵抗してはダメだ】


──『抵抗するやつは、指や腕を切り落とせば、抵抗しなくなる』



【声を出して騒ぐから喉を傷つけられる。──だから、騒いではいけない】


──『騒ぐやつは、喉を傷つければ、声を出さなくなる』



【反抗的な態度を取るから拷問される。──だから、大人しくしていなさい】


──『反抗的なやつは、拷問すれば、反抗的な態度を取らなくなる』



 そう、すでに歪んでしまっていたルーシーは、ロルフの善意のアドバイスを、すっかり別の意味で解釈してしまっていたのである。そのままの意味でよかったのに、逆の意味でさえも覚えてしまったのだ。ロルフがルーシーの無事を願ったからこそ、ルーシーはアンネを監禁する術を手に入れてしまったのだ。


 被害者としての視点も加害者としての視点も持っているルーシーだ。おそらく、あの鐘の町で誰よりも監禁の知識が深く、そしてその実力もあったに違いない。なにせ彼女は体験しているのだから。いくらあのアンネでも、逃げ出すのは不可能に近かっただろう。



 さあ、すべてが出そろったところで、少女の五つの質問に改めて答えよう。



──『ルーシー・ウェンライトは本気でロルフ=ゲルバーを信用していた?』


 ああ、言葉通り信用していた。ストックホルム症候群もあり、加害者と被害者とは思えないくらいにコミュニケーションをとっていた。その結果、ルーシーは監禁に対する様々な知識、ノウハウを手に入れた。狂気と理性を併せ持った、歪んだ思考を身に着けてしまった。



──『事件後もアンネ・フラメルとルーシー・ウェンライトはずっと一緒だった?』


 言葉通り、ずっと一緒だった。アンネのことが好きすぎて監禁してしまうくらいに。ずっとずっと、最後の瞬間まで一緒だった。



──『犯人はなぜアンネ・フラメルを監禁した?』


 ただただ、アンネが好きだったからだ。いや、『好きだったから』だけでは不十分だろう。正確には、『好きなものや大切なものは監禁して手元に置くものだ』という誤った認識を持っていたためだ。ロルフとの交流により、ルーシーの中では監禁や拷問とは愛情表現を意味している。そう、なんてことはないただの愛情表現でルーシーはアンネを監禁したのだ。



──『アンネ・フラメルは自分を監禁した犯人のことをどう思っていた?』


 ……まさしく『友達だと思っていた』。この質問は、アンネの犯人に対する感情を問うたものではない。犯人のアンネの中における立ち位置を聞いていたのだ。『どう思っていた』──過去形で聞かれているのは、つまりそういうことなんだろう。


 きっとアンネは恐怖やそのほか負の感情を抱いていたにちがいない。あるいは、本当に最後まで友達だと思い、ルーシーを憐れんで死んだのかもしれない。いずれにせよ、それは本当の意味での質問の本質には関係ないことだ。



──『アンネ・フラメルを監禁したのは誰?』


 アンネの親友の、かつてアンネ自身が監禁生活から解放したルーシー・ウェンライトだ。



 ルーシーはアンネが大切だった。大切だったからこそアンネを監禁した。大切なものや好きなものは監禁して手元に置いておくものなのだと、ルーシーは自分自身の経験のせいでそう思い込んでしまっていた。


 ……ここからは憶測だ。アンネはいったいどうして死んだのか。


 おそらく、単純にルーシーはアンネを飼う(●●)ことに失敗したのではないだろうか。


 アンネは体を鍛えていた。元々インドアなうえ、監禁事件の影響で比較的体の弱くなっていたルーシーが相手ならば、ある程度抵抗できただろう。だから、きっとルーシーはアンネの指を落とすなりして真っ先にその行動力、抵抗力を奪ったはずだ。


 なんせ、アンネはルーシーだけのものなのである。刃向かう手足など必要ない。痛みに呻くアンネはルーシーだけのことを見てくれるし、どんな時もルーシーのことを考えてくれる。


 たいへん胸糞悪い考え方だが、拷問をしているときは、アンネはルーシーだけを見てくれるのだ。そのときは、ルーシーだけのアンネになってくれるのだ。


 ルーシーが歪んで覚えた愛情表現。アンネを奴隷として監禁し、繰り返される拷問。もちろん、ルーシー自身はアンネのことが好きでやっているため、それは単なるスキンシップ、愛情表現に他ならない。ただただじゃれついているだけのつもりで、殺意は一切なかったはずだ。


 しかし、ルーシーはそれが異常なことだと気付かない。彼女の精神は、長い監禁生活の間ですっかりおかしくなってしまっていたからだ。


 そして、ルーシーは加減を知らなかった。だから、やりすぎた。あるいはアンネのことが好きすぎて、自分でも愛情表現を止めることが出来なかったのかもしれない。いずれにせよその結果、アンネは衰弱死してしまった。


 またまた胸糞悪い例え方だが、感覚としては飼っていたペットをほんのちょっとの不注意で亡くしてしまった子供のそれに近いだろう。


 長くなったが、五つの質問と以上の考察を踏まえたうえでまとめに入ろう。


 アンネ・フラメルの悪夢の本当の正体。


 それは、悪意のない親友に監禁され、拷問を喰らった末に死んだことなのだ。大好きだった友達を執念で助け出したアンネ。そんなアンネが堪らなく大好きだったルーシー。互いが互いに抱く大好きな気持ちがゆがんだ形で現れたそれこそが、アンネとルーシーの本物の、されどゆがめられた純粋な友情こそが、この悪夢の正体だったのだ!





『せいかい!』


 私の長々とした考察を聞き、少女はぱちぱちとその小さな手を叩いた。まるで初めてのおつかいを成功させた子供を褒めるかのように、机に乗り出して私の頭を撫でる。


『三回で終わるとは思わなかったよ!』


 前ほどではないが、私もクタクタだった。あれだけ普段は使わない脳みそをフル回転させて物事を考えたのだ。徹夜明けしたかのような倦怠感が全身を包んでいる。精神的動揺こそ少ないものの、出来ることならふかふかのベッドに倒れこみたい気分だった。


『監禁後のアンネの拷問についてもほぼ正解! アンネを飼ってるってのもまさにその通り! この悲劇の悪夢の真相はね、罪の意識ゼロの親友に監禁され、純粋な友情のために親友から悪意のない拷問にかけられ、たかだか飼うのに失敗したって理由で死んでしまうってのが本質なの! 本物の、深い友情が招いた悲劇なの!』


 机に突っ伏した私を無視して、少女はつらつらと補足の説明を付け加えていく。


『アンネを自分だけのものにしたかったルーシーはね、アンネの指を一本ずつ切り落として、その度にアンネが自分を見てくれることにたまらない幸せを感じていたの! 声が出せないようにアンネは舌の一部を切り取られ、喉も傷つけられていたから、悲鳴も上げたくても上げられなかったんだよね! でも、心と心で通じ合っていると思っているルーシーだから、アンネの声が聞こえなくても全然気にしなかったの! ルーシーはアンネにかまってもらいたくてしょうがないものだから、ちょくちょくアンネを痛めつけて友情を確かめ合ってたんだよ! アンネは文字通り、もうルーシーがいないと生きていけない体だったのにね!』


 なるべく考えたくなかったことを、ご丁寧に耳元で囁いてくる。首筋に少女の金髪がふれてとてもくすぐったかった。


『それと、お揃いで買った鐘の小物があるでしょ? あれもちゃーんと使ってたんだよ! ルーシーがアレを鳴らすたびにアンネはそれに反応しなきゃいけなかったし、ルーシーはアンネと一緒に鐘を鳴らして遊びたかったから、アンネはその後のお仕置きから逃れるためにも、指の無い体で頑張って鐘を鳴らさなくちゃいけなかったの! 終いにはアンネは鐘のトラウマも再発して、ルーシーは自分の知らないアンネの一面が見れて嬉しいってちょくちょくアンネの耳元で鐘を鳴らしていたの! ガタガタ震えるアンネをにこにこして眺めていたの!』


『もちろん、アンネはルーシーにやめてって懇願したよ! お絵かきして遊ぶ用のお絵かき帳を使って、切れた指をペンに、自分の体から滴る血をインクにして何度も何度も命乞いをしたよ! 時にはクレヨンを口でくわえて文字を書いたよ! とにかく、なりふり構わずいろんな方法で、時にはこっちもびっくりするような方法でルーシーの説得を試みたんだ!』


『……でも、その度にルーシーは「一緒に遊ぼうとしてくれないアンネ」と「一緒に遊びたくなるよう」に「友情を深めた」し、「嘘ばっかり言っているアンネ」に対してヴォルフと同じようにお仕置きしたんだよ! 「いっぱい遊ぶ」たびにアンネの新しい一面が、ルーシーの知らないアンネが見られてルーシーはご満悦だったよ! 泣き叫ぶアンネも、苦痛にうめくアンネも、怒りで顔を染めたアンネもルーシーは大好きだったんだよ! 文字通り、ありとあらゆるアンネが大好きで、アンネを知るためだったらルーシーはなんでもしたんだよ! アンネは拒否しても応じても、どう頑張ってもルーシーと「仲良く楽しく」過ごすことしかできなかったんだよ!』


『罪の意識ゼロでこれだけのことをするルーシーにドン引きだよ! 悪意はないから余計にタチが悪いよね! 自分のせいでアンネが死んだのに死体の傍らでわんわん大泣きするところとか、ホラーを通り越して生理的嫌悪感すら覚えるよ!』


『しかもその後、「アンネとルーシーはずっと一緒だよ……!」って嬉しそうに死体となったアンネにキスをするんだ! で、抱きしめながら死体のそばに寄り添い続けて、ルーシーもそのまま衰弱死するの! 死後でさえアンネはルーシーに付きまとわれて安心できないね! ここまで来るとドン引き通り越してもはやあっぱれだよ! 最上級のサイコさんだよ!』


『原因究明しなきゃいけない警察屋さんの胃が心配になっちゃうよね! 証拠だけはいっぱいあるのに、犯人があのルーシーだよ!? 初めて捜査が入った時も、すごく幸せそうな顔をしたとても犯人とは思えない女の子が、もはや人間とは思えない状態の死体を抱きしめながら死んでいるんだもの! 正直夢に出てきたんじゃないかな!? ……やっぱりドン引きだよ! ドン引き通り越してガチ引きだよ!』


 こういうところが、私がどうにもこの人形の少女を好きになれない理由なのだ。付け加えてもどうしようもない、ただただ気分を暗くするだけのそれを、どうしてこうも笑顔で楽しそうに言えるのだろうか。まったく理解できない。


『あなたがルーシーを助けようと二回目の追体験でいろいろ努力してた時は焦ったよ! いつ悪夢の大筋に関わるフラグを見つけられるかドキドキだった! あそこで全員助け出そうとしなければ、たぶん二回目でわかってたんじゃないかな?』


『このゲームのルールの特性を生かした裏技ってやつだね。私も結構その手は使うよ。自然と挑戦回数が増えるけど、なかなか有効な方法だ』


 きゃあきゃあとはしゃぐ少女を無視し、ぬるくなった紅茶で喉を湿らす。香りもすっかり悪くなっていたが、それは今回の悪夢の中で飲んだどんな紅茶よりも素晴らしい味わいをしているように感じられた。


 お茶請けに出されたちょっぴり高級なケーキ。つっと私の視界の端に滑り込んできたそれを見て、思わず言葉を失った。


 いつの間にか、ウチキドがいた。


『実はこれから悪夢に行くところでね。ちょうどキミが終わりそうだからって、せっかくだから待っていたんだ』


 時の流れすらあやふやなこのナイトメア・マンションにいつからウチキドがいたのか知らないが、どうやら私が二回目の追体験を終えた時にはいたらしい。言われてみれば、あのとき少女はウチキドが持ち込んだというケーキを食べていた。


 少女の管理人としての能力か、あるいはウチキド自身がゲームのクリアによって得られた権利によって、私から姿を見えなくしていたようだ。


 少しばかりの苛立ちを覚えた私は、ウチキドに対して『なぜ助け船の一つも寄越してくれなかったのだ』と問い詰めた。しかし、ウチキドは『甘やかしてたら自分で解決する能力が身につかないだろ?』と返答する。


 なので、『それにしたってこの悪夢のゲームは想像で補うところが多すぎる。何度繰り返してもわからないことが多すぎるし、本当に答えさせる気があるのか? ゲームとしてはあまりにも不出来だ』と言ってやった。もちろん、これは少女にも聞かせてやったつもりである。


『別にあなたが楽しむためのゲームじゃないもーん! 私のためのゲームだからいいんだもーん! だいたい、なんだかんだ言ってクリアしているじゃない!』


『うーん……それについては、たしかにそうなんだけど……。ごめん、ちゃんとした理由があるんだ。今はまだ言いたくても言えないけど、いずれキミにもわかってもらえると思う』


 やはり、ウチキドは少女の味方だった。少しはまともな人間だと思っていたのに、頭のネジが何本かとれているらしい。こちらの仲間と言うよりかは、都合よく利用するための人間と認識したほうが良いと思ってしまった私を、どうか許してほしい。


 

 ともあれ、こうして【アンネ・フラメルの悪夢:友と鐘の悲劇】をクリアした私は悪夢【ナイトメア・マンション】を出ることが──目覚めて現実に戻ることが出来ることとなった。


 なお、今回のクリア報酬は先に述べた通り【自分が実際に体験したものを夢に持ち込む権利】だったが、そもそも明晰夢すらまともに見ることが出来ず、かつそれはもともと夢の中である程度自由にできることであるため、この悪夢の概要をまとめてる段階(文章として起こす前)において、その効力をまるで実感できなかったことを記しておく。


 相も変わらずぶりっこぶっているのか、あの人形の少女はエントランスまで私を見送りに来て、ぴすぴすと本気で泣いてぐずっている。『行かないでよぉ! マドカもいるんだからもう一回遊んで行ってよぉ!』と私の服をつかんで離さない始末だ。


 どうしてこの子供らしさをほかでも発揮できないのか理解に苦しむ。普段からこれくらいの素直さを見せていればまだ可愛げがあるというのに。


『良かったらまたおいでよ。……まあ、来たくなくとも呼ばれちゃうみたいだけどね。あなたも私も【お気に入り】みたいだし』


 そう言いながら微笑むウチキドに、一応は同じ仲間として『気をつけてな』の一言を贈る。苦笑いしながらもウチキドはサムズアップでそれに答えた。


 私の体はゆっくりとその重苦しい門扉を開け、虚ろで荒れ果てた暗い荒野を進んでいく。ふと後ろを向けば、そこには豪華で古びた威厳のある不気味な屋敷がそびえたち、オオカミだかカラスだか、ともかく禽獣の薄気味悪い鳴き声が響いていた。


 ウチキドに抱っこされ、『また来てね! 絶対だからね!』とえぐえぐと泣きながら手を振る少女。そんな涙目の女の子を見て、しょうがなく、本当にしょうがなく私は手を振り返した。もちろん、自分から赴くつもりは一切ない。


 そうして、私は悪夢の中をあてもなく歩いていく。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 次に気付いたときにはやっぱり私は寝室にいて、耳元ではうるさく目覚ましが鳴り響いていた。聊か乱暴になってしまった手つきでそれを止め、枕元で充電していたスマホの電源をつける。そして朝の支度もそこそこに、今まで体験した出来事を片っ端からメモ帳に入力していった。


 もはや初めてではないのだ。この妙にリアリティのある気分も、夢と現実がごちゃ混ぜになった感覚も慣れてしまっている。


 あれだけの悪夢だ。ただ面倒な目にあっただけだというのはあまりにももったいない。どのみち小説として騎士の悪夢を公開している以上、このアンネの悪夢も公開しない道理はない。モチベーションの関係ですぐさま文章にする気にはなれなかったが、出来るだけ漏れのないよう、なるべく詳しくありのまま全てをメモ帳に記入しようとしたのを覚えている。


 いつもよりかはまだマシな気分。私は電車に揺られながらもそのメモを補足していった。長い悪夢を要点だけに絞ってみると、笑えて来るくらいに肝心のアンネの悲劇の部分が少なく、少女の底意地の悪さに逆に感心するほどであった。


 さて、長くなったしもう語るべきこともないのでそろそろ筆をおこう。なにやらいろいろと不穏で気になることをウチキドは述べていたが、これを書いている時点(これを公開した数日前)の段階でその意味はしっかり理解していることを述べておこう。


 というか、どこかに書いた通り、今これを書いている私は既に最後の悪夢を体験している。現実が忙しい他、単純にこれら体験した悪夢を文章に起こすモチベーションが湧かないだけなのである。


 ありきたりではあるが、最後にアンネ・フラメルの安らかなる結末の可能性を心から願って、結びの言葉とさせていただく。

 以上で今回の悪夢は終幕となる。ここまで付き合ってくれた読者諸君にはこの場をもってお礼を申し上げたい。


 なお、例によって例のごとく、次回以降の悪夢を書き上げる気力が沸くのがいつになるかわからないため、作品としては一時的に完結扱いとする。前回の騎士の悪夢の最後でも似たようなことを書いたが、今回はすでに次回以降の悪夢を見終わっているため、単純に私の気力が起きるかどうかの問題だ。現実での仕事も少々忙しくなってきてもいる。(そんな人がいるのだとして)気長に次回を待ってもらえると嬉しい。さすがに今回のように二年も待たせることにはならない……と信じたい。


 これは完全に余談……というか提案なのだが、今回の悪夢においては答え合わせとして読者諸君とかなり活発なメッセージのやり取りを行った。そこで、解説というわけではないが、こういった意見もあったのだということでそれらのメッセージを活動報告で公開してもいいだろうか?


 意見紹介コーナーというか、回答に対しての私の解説を含めた全部を公開しようと考えている。他者の意見を踏まえてそれらを見返すのもまた面白いだろうと思った次第だ。個人的には一仕事終わった後の打ち上げ(?)みたいなものと勝手に思っている。

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