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【アンネ・フラメルの悪夢:友と鐘の悲劇】 1回目

 本当に久しぶりとなるが、ようやく筆を取る気分となったので記録として残しておこうと思う。実生活が忙しく、また悪夢の後はとてもそんな気分にならないためにここまで遅くなってしまったが、実際にこの夢を見たのはこれを書いている数か月前──下手したら一年以上前であることを記しておく。


 さて、ひねりの無い書き出しとなってしまうが、その日もまた私はクタクタになって家に帰ってきていた。報告会の直前で新たなデータを取得することとなり、強制退室ギリギリまでパソコンとにらめっこし、フラフラな状態で満員電車に揺られ、疲れ切っていたことを覚えている。夕食を取るのもそこそこに、パソコンを起動して少しばかりのリフレッシュをする気分にもなれず、シャワーを浴びて布団に潜り込んだ。


 まどろみに堕ちたと思ったら、気づけば私はあの陰気で暗く、不気味でありながらもどこか豪華で威厳のある館──悪夢の一等地にたたずむ悪夢【ナイトメア・マンション】の前に立っていた。


 ああ、またか。またしてもあの少女に呼ばれてしまったのだとあきらめの感覚が全身を包む。これからまた、身の毛のよだつような悲劇を体験させられるのだと思うと気分がどん底になった。せめてその瞬間を引き延ばそうとせいいっぱいゆっくり歩こうと──正確に言えば止まって引き返したかったのだが──試みるも、夢の中での私の体はその意志に関係なく歩を進め、古びた門扉を不気味な音を立てて開ける。そして、屋敷の中へと入って行った。


 相変わらず、屋敷の中は不気味でおどろおどろしい雰囲気に包まれている。エントランスこそまだマシだが、よくよく見れば家具はボロくて蜘蛛の巣が張っているものもあり、まるで廃墟をモチーフにしたテーマパークにいるかのように思えてしまう。もちろん、そんなまがい物には到底出しえない迫力と言うものがあるのだが。


 もはや遠慮の一切をする必要が無い。私は少し乱暴に管理人室のその扉を開いた。


 思った通り、嫌でも見慣れてしまった奇妙に穏やかなその部屋で、見た目だけは可愛らしくて優雅な性悪の人形少女が紅茶を飲んで微笑んでいた。今日も紅茶には砂糖を大盛りで入れているようで、『ひさしぶり!』と差し出されたそれは私をあざ笑うかのように甘かった。


 『なぜ毎回精神的にも肉体的にも疲れている時ばかり呼ぶのだ』と問い詰めたところ、『そっちの方が必死になるでしょ? それに、ここでいくらでもゆっくりできるんだから、むしろ感謝してほしいくらい!』とあいつは抜かしやがった。見た目が少女でなければぶん殴っていただろう。


 さて、グダグダと話していても仕方ないので、私も腹をくくって今夜のゲームの準備を進めるように少女に促す。


 これを読んでいる読者諸君には今更確認するまでもないが、ここは悪夢【ナイトメア・マンション】。そして、私の目の前にいる人形の少女はこのナイトメア・マンションの管理人だ。


 彼女は私たちゲストに、ここに入居している悲劇の悪夢を追体験させ、その悲劇の真相を暴くまで目覚められない──このナイトメア・マンションから出られず、何度でも悲劇を繰り返し追体験させ続けるという地獄の様なゲームをもちかけてくるのだ。


 もし、諸君がこの悪夢【ナイトメア・マンション】に引き込まれてしまうことがあったのなら、どうか忘れないでほしい。この見た目だけは可愛らしい西洋人形の少女は、我々が苦しむのを嬉しそうに眺めて楽しむというサディスティックな趣味があることを。


 『ど・れ・に・し・よ・う・か・な・?』と少女はにまにまと微笑みながら指を折る。やがてピンとくるものがあったのか、とてとてと壁にかけられたカギの一つを手に取った。今回は203号室だそうで、中には【アンネ・フラメルの悪夢:友と鐘の悲劇】が入居しているらしい。


 どうせまたろくでもない悲劇であることは間違いないのだが、少女は『今回はちょっと易しめだよ! トラウマシーンもあんまりないよ!』などとほざいた。そんな戯言を信じると本当に彼女は思っているのだろうか。舌打ちをした私をどうか許してほしい。


 暗い冥府へと続くかのような廊下を、彼女に手を引かれて歩いていく。相変わらず背筋の寒気と鳥肌が止まらない。ほとんど明かりの無いこの不気味な廊下をどうして彼女は鼻歌を歌いながら歩いていけるのだろうか。毎度のことながら、こうして手を引いて歩いてくれる時だけは、彼女の存在がありがたい。


 数分も歩かないうちにその場所へと到着する。鍵穴に鍵を挿す少女。がちゃりと金属音。とても少女の細腕では開けられそうにない重い扉が開いた。


 その203号室の中には、やはり暗く深い、暗黒の煙がこちらを引きずり込むように渦巻いていた。こちらもやっぱり、恐ろしいまでに黒いのにどこか色味がある。今回は黄色だった。


 満面の笑みを浮かべた少女が、しり込みする私の背中をどんと押す。『いってらっしゃい!』と心底嬉しそうな声を聞いたのを最後に、私は【アンネ・フラメルの悪夢:友と鐘の悲劇】に飲み込まれていった。



▲▽▲▽▲▽ 203号室【アンネ・フラメルの悪夢:友と鐘の悲劇】 ▲▽▲▽▲▽



 今回は騎士の悪夢やケヴィン・ブラックマンの悪夢とは違い、魔法やファンタジー要素の無い至って普通の町が悪夢の舞台であった。


 雰囲気的には近世ヨーロッパと言えばいいだろうか。レンガの街並みが美しく、街灯なんかはないものの、そこそこ立派な屋根のある馬車が走っている。町の中央には古くからある由緒正しい大きな時計台と大鐘楼があって、毎日決まった時間にゴーン、ゴーンと鐘が鳴る。


 うまく説明するのが難しいが、ともかくちょっと見渡せば伝記に出てくる偉人がひょっこり見つかりそうな雰囲気だったということが伝わってもらえると嬉しい。


 今回の追体験においては、私はこの町に住む雑貨屋となっていた。何の変哲もない、いかにもモブキャラみたいな存在だ。『悲劇の大筋に影響を与えない人物』としては申し分ないだろう。


 さて、本題に入ろう。


 今回の悲劇の悪夢の主人公はアンネ・フラメル。便宜上、この町を鐘の町と以降呼称するが、この鐘の町で生まれ、この鐘の町に住むどこにでもいる女の子だ。


 年頃の女の子らしく、アンネは元気いっぱいでいつもにこにこし、勉強よりも外で遊ぶことが好きな子だった。毎日家の手伝いを手早く済ませ、時間を作っては様々な遊びに友達と共に没頭する。時代が時代だからそれはおままごとやごっこあそび、おいかけっこといった私たちから見れば聊か幼稚なものが多かったが、それでも彼女はこの時代を幸せに過ごしていたと言えるだろう。


 さて、そんなアンネには唯一無二の親友がいた。小さいころから家族ぐるみで交流のあった──いわゆる幼馴染と言うやつだ──ルーシー・ウェンライトだ。


 明るく活発なアンネと対照的に、ルーシーは基本的にはおとなしい子だった。アンネが他の友達たちと遊んでいる時もなかなか声をかけられず、いつもアンネの方から遊びに誘われるまで待っている。おいかけっこなどのアクティブな遊びよりかはおままごとやお絵かき、絵本を読むと言った遊びが好きで、小さいころからその二人を見ていた私にとっては、何をするときもいつもアンネの背を追いかけていたイメージが強い。


 しかし、活発なアンネとおとなしいルーシーで妙に波長が合ったらしく、物心ついたときには二人は既に親友になっていた。アンネの影響か、大きくなるにつれてルーシーもそれなりの積極性を見せだしたし、アンネの方もルーシーの様な落ち着きをほんの少しだけ身に着けていた。


 もちろんそれはあくまで程度問題。『小さい頃よりかはマシだ』くらいであるので、彼女らの両親や私のように町の子供を暖かく見つめる立場の者たちは、いつも『アンネとルーシーを足して二で割ったらちょうどいいのに』、『二人は良いコンビね』などと言っていた。


 さてさて、そんないつも一緒のアンネとルーシーであったが、この鐘の町で生活する関係上、必ず守らねばならないある絶対的な決まりがあった。


 それは、『大鐘楼の鐘が鳴ったら子供たちはみんな帰ること』というものである。というのも実はこの鐘の町、二十年ほど前から子供や女性の失踪事件が多発していたのだ。


 一番最初の被害者は二十になったばかりの女性だった。夕方に勤め先を出たのを最後に消息を絶ったのである。事故に巻き込まれた、いやいや、実は想い人と駆け落ちしただの様々なうわさが流れたが、行方はわからないし死体も見つからないしで事実不明のまま捜査は打ち切られることになったのである。


 最初は騒がれた事件も、一年もすれば日常からは消えていく。そんな事件もあったね、などとたまに話されることはあったが、死体が上がったわけでもないため、そこまで取沙汰されることもなかった。


 が、最初の失踪事件からおよそ三年後。今度は二十代前半の女性が忽然と姿を消した。今回もまた、何の手がかりもなく、死体も行方もわからなかったが、あまりにも類似したその状況に、誰もが最初の事件を思い出していた。


 私が鐘の町に引っ越してきたのはこれくらいの時期だった。尤も、それはキャラクターの設定としての記憶であるので、実際の私自身の意志は今の悲劇の時間軸から開始したことを記しておこう。


 さて、以降、数年おきに女性や子供の失踪事件が立て続けに起きた。中には二人同時に消えたこともあった。さすがに町の住人すべてがおかしいと感じるが、いずれにせよ真相はわかっていない。手の施しようがなかったとも言う。


 もちろん、大人たちはこれを防ぐべく対応を取ることにした。女性の失踪はまだ駆け落ちの線がなくはないが、子供の失踪は明らかに誘拐かそれに類する犯罪である。犯行時刻……というか誘拐予想時刻は決まって人気が少なくなる夕方だったため、町の大鐘楼で刻限をはっきりと知らせることとしたのだ。


 大鐘楼がゴーン、ゴーンと鳴らされるのは夕方になるかならないかの時間。それは遊び盛りであるアンネやルーシー、町の子供たちにとってあまりにも早い時間であった。親たちはその鐘の意味を子供たちに口酸っぱく教え、『鐘が鳴っても帰らない子は人攫いに攫われるよ』と何度も言い聞かせるものの、やんちゃな子供たちがそれで納得するはずもない。悪ガキなんかはむしろ鐘が鳴っても帰らないことを誇りとし、両親にゲンコツを落とされる風景がそこかしこで見られた。


 そんな中で、アンネとルーシーはこのルールを比較的よく守っていた方であった。いや、正確に言えば、アンネ自身は守るつもりなんてほどんどなかったのだが、鐘が鳴ってもアンネが遊ぼうとすると、ルーシーが泣きそうな顔をするのだ。さすがに親友を泣かせてまでルールを破るつもりはないアンネだったから、なし崩し的にそうなったともいえる。


 ともあれ、やんちゃ盛りな子供たちがたくさんいる中で、『鐘が鳴ったら子供はすぐ帰る』というルールをアンネはよく守っていた。大人たちの言うことを聞かない友達に鐘が鳴った後に遊びに誘われても、大好きなルーシーと一緒に帰路へとついた。時折小うるさく感じるもののアンネはルーシーが大好きであり、ルーシーもまた、自分にはない行動力を持ったアンネが大好きであった。


 私は仲良く歩いて帰るアンネとルーシーの姿を毎日のように見ていた。彼女らのいつもの遊び場から家までの帰路に私の雑貨屋があったから、必然的に眼に入るのだ。鐘が鳴っても帰ろうとしない幼いアンネに帰るように促したこともあるし、遊び場から帰ろうとしない悪ガキを怒鳴ったこともある。転んで泣いてしまったルーシーを連れてオロオロしているアンネを招き入れ、ルーシーの手当てをしたこともある。


 これは何も私に限った事じゃない。失踪事件があったから、町の大人全員が子供たちのことを気にかけていたのだ。全員が全員とも協力的であったわけではないが、昨今の日本とは違い、少なくとも鐘が鳴ったら帰るように促す程度のことは誰でもしていたのである。


 ……非常に不本意な話だが、私が子供たちを叱るときの怒鳴り声は彼らにとってたいそうユニークに聞こえたらしく、しばしば『さっさと帰らんかァ!』と子供たちに真似されたことを記しておく。


 さてさて、毎日のようにアンネとルーシーは遊びに行く。そんな平和な日々が何年か続き、そして悲劇はある日突然起こった。アンネとルーシーが十一歳の時の話だ。


 その日もまた、アンネとルーシーは鐘が鳴ったために帰路に付くことになった。いつもの遊び場から家へと向かい、いつもの場所でルーシーと別れる。おいしそうな夕飯の匂いに胸を膨らませながら、アンネは家へと帰った。


 そしてまさにアンネが夕飯を食べていた時。家の扉がガンガンと激しく叩かれた。あまりの様子にいぶかしんだアンネの父が用心深く扉を開けたところ、飛び込んできたのはルーシーの母親だった。


 血相を変えたルーシーの母親。あまりにも尋常じゃない様子。告げられたのは『ルーシーが帰ってこないの!』という一言だったらしい。


 もちろん、町は騒然となった。


 町の男たち──雑貨屋の私、仕立て屋のアドルフ、鉄工職人ヴォルフと技師ロルフのゲルバー兄弟、御者のエトムント老、金貸しのイェルクなど──が総員でルーシーを探す。子供たちは戸締りをきっちりとした家に母親たちと共に残された。町全体がざわめく様子、大人たちの険しい表情を見て、どんな悪ガキであっても不安になってしまうほどである。母親たちが必死になだめても、小さい子供たちはずっと泣いていたらしい。


 当然のことながら、私もルーシーの探索に協力した。私の証言、およびアンネの証言から、少なくともルーシーはアンネと別れるまでは無事で、別れた後に一人で遊び場に戻った可能性も限りなく低い。つまり、ルーシーが消えたのはアンネと別れたあの道から彼女の家までの間のどこかということになる。


 大人たちは重点的にその付近を捜した。深夜になって真っ暗になっても、たいまつを掲げて町中を探しつくした。


 しかし結局、ルーシーは見つからなかった。今まで起きてきた失踪事件同様、忽然と姿を消してしまったのである。


 この事件は町中に衝撃を与えた。特にショックが大きかったのはやはりアンネだろう。ついさっきまで一緒に歩いていた親友が忽然と消えてしまったのだから。余りのショックからアンネはルーシーが消えた翌日から熱を出し、一週間ほどベッドから起きられなかったそうだ。


 高熱に魘されるアンネ。浮かんでくるのはルーシーがいなくなったという事実。やがて熱が下がったアンネは、あの不幸な出来事は全部夢であると思い込もうとしたらしい。しかし、今までに見たことが無いほど悲しい表情をしているルーシーの両親をみて、それが事実だと受け入れたそうだ。


 また、後に詳しく述べるが、この段階でアンネは鐘の音がトラウマになってしまっていた。鐘の音を聞くたびに手足が震え、体が動かなくなってぺたんと座り込んでしまうようになったのだ。


 そしてルーシーの失踪から六か月。手がかりの一つも見つけられなかった捜査隊は解散されることになった。これ以上時間をかけても、今まで同様無駄であると思ったのだろう。悔しいことに、今までの失踪事件すべてでろくな手がかりを得られていないのだから。初動が早かった今回でさえダメだったのなら、もはや犯人を追い詰めることなんてできなかった。


 もちろん、有志によるルーシー捜索は続く。彼女の両親はずっとずっといなくなったルーシーを探して夕闇の町を歩いていたし、私やそのほか近所の仲のいい人間もちょくちょく暇を見つけてはルーシーの捜索に協力した。


 しかし、やっぱり進展はない。有志の捜索隊もやがて一人、また一人と抜けていき、事件から一年経つころには彼女の両親も含めてすっかり捜索は打ち切られてしまった。


 たったの一年で……と思うかもしれないが、時代が時代だ。情報化社会でない時代に、むしろ一年も諦めずに捜索したことを評価すべきだろう。ましてや、それはもはや解決不能に近い失踪事件であったのだから。


 もうみんながあきらめていた。一年の時間はルーシーの事件を風化させ、町にはそれなりの平穏が戻っていた。事件直後は鐘を無視してまで遊ぶ子供はがくんと減っていたが、ぼちぼちその数も増えだしていた。


 もう、あとは時がルーシーの両親の傷を癒すだけだと、誰もがそう思っていた。


 しかし、あきらめないのが一人だけいた。アンネだ。


 彼女は大人たちがあきらめきってなお、独りで探索をつづけた。友達と遊ぶことをすっかりやめ、今まで遊んでいた時間すべてを探索と勉強の時間に充てた。当日の行動を何度も思い出し、誘拐されたであろう現場に足しげく通って、手がかりが無いかと調べつくした。


 あまりにも付き合いが悪くなったアンネは、とうとう同年代の友達から浮きはじめた。露骨ないじめなどはなかったが、誰も声をかけなくなったのである。アンネのほうも遊びほうけている時間なんてなかったから、それは願ってもいないことだった。


 明るく活発だったころと打って変わって、勉強に没頭し毎日のようにルーシーを探すアンネ。そのあまりにも痛々しく鬼気迫る姿にルーシーの両親でさえ、もうルーシーは死んだのだ、ルーシーのことはあきらめてくれ、あなたが背負う必要なんてないと説得したのだが、それでもアンネは止まらなかった。


 アンネは許せなかった。もしあの時、自分がルーシーを送り届けていたら。もしあの時、自分が何かの拍子でルーシーを追いかけていたら。アンネがほんのちょっとだけ気を使っていたら、ルーシーは、親友は失踪することなんてなかったかもしれないからだ。


 もちろん、誰が見てもアンネに非があるとは思えなかった。あの時のアンネはいつも通りの行動をして、いつも通りに振る舞っていたのだから。ルーシーのことは不幸な事件だったんだと、みんなが思っていた。


 さて、そんなアンネであったが、ルーシーがいなくなって以来、あの鐘の音がトラウマになってしまっていた。鐘の音を聞くとルーシーのことを思い出し、カタカタと手足が震えてぺたんと座り込んでしまうのである。こうなるともう、近くにいた人間がアンネを背負い、彼女の家に届けるほかなくなってしまう。実際、私も何度か彼女を送り届けたことがあった。


 そのため、ルーシーの探索も鐘が鳴る前に打ち切らざるを得ず、また外出も同様に鐘が鳴る前に終わらせる必要があった。故にその捜索は、アンネの努力の成果が発揮されるのは、非常に遅く──数年後になってしまった。


 事態が動いたのはルーシーの失踪から五年後。アンネが十六歳の時、すなわちアンネが独り立ちした時である。


 ルーシーの探索の合間に勉学に励んでいたアンネであったが、当然これはルーシーを助けるために必要な知識を得るための──簡単に言えば、警察になるための勉強だった。その学習分野は数学や物理、地学といったものはもちろん、犯罪心理学や歴史、果てに建築学など多岐にわたるものであった。


 当然のことながら、アンネの自己研鑚はそれだけにとどまらない。勉強の合間合間に走り込みや筋トレと言った体力づくりをしていたのを私は見ている。正直な話をすると、体が仕上がったアンネと私が素手で真っ向から勝負した場合、まず間違いなくアンネが勝っていたと思う。鬼気迫る勢いで訓練をしたアンネは、並みのチンピラ程度なら軽くあしらえるほどの実力をつけたのだ。


 知識を吸収し、ルーシーを助けたいがための一心で力を付けたアンネ──この段階で優秀な大学生、あるいは警察官並みの知識と考え方が身についていたと思われる──は、今までの自分の調査結果から、ある結論を出した。


 おそらくルーシーもかつての失踪者も、この町のどこかで生きていると。


 あくまで外野として見ていた私に詳しいところはわからないが、どうもそれを決定づける確信があったらしい。死体が上がっていない以上、生きている可能性が強く、街中で忽然と消えたことから、どこか声の届かないところで監禁されているのではないかという結論に至った……というようなことを話していたのを覚えている。


 そして、準備が整ったアンネはある大胆な作戦に出た。それは、秋から冬に入るかどうかの時期に行われた。


 アンネが取ったのは囮作戦だ。自分自身を誘拐させることで、犯人を捕まえようとしたのである。


 もちろん、これだけで犯人が捕まるはずはない。考えたくはなかったが、この町で失踪事件が起きている以上、犯人はこの町の住人の可能性が強いのだから。アンネがルーシーを探していることなんて百も承知だし、そんなアンネをわざわざ襲うのはあまりにもリスクが大きすぎる。


 しかしおそろしいことに、なんとアンネはこの段階である程度犯人を絞り込めていたのである。その執念の成せる技か、信頼できる人物を使って仕込みもしっかり行っていた。


 その日、アンネはいつも通りルーシーを捜索していた。もう何年も繰り返して歩いている場所であり、もはや捜索する意味なんてほとんどなかったが、それでも彼女はいつも通り必死な表情でわずかな手がかりを探している……と見せかけていたのである。


 アンネの協力者として身を潜めてその様子を眺めていた私は、アンネがゾッとするほどうれしそうな笑みを浮かべたのを見た。狂喜に満ち溢れたというか、素直にうれしく思えることが出来ない、歪んだ笑顔だった。


 おそらく、その決定的な証拠を見つけたのだろう……と思ったその時。アンネは捜査に夢中になりすぎていたのか、嫌なタイミングで帰りの鐘の音が鳴ってしまった。


 未だにトラウマが払拭しきれていないアンネは、ぺたんと座り込んで動けなくなってしまう。証拠は見つけられたようだし、捜査を打ち切っておぶって帰ろう……と私が動こうとしたその瞬間。


 『やあ、アンネ』と裏路地から誰かがやってきた。鉄工職人のヴォルフだった。


 『まだ、鐘の音がダメなのかい?』とヴォルフはその体格に似合わない人当たりのよさそうな笑みを浮かべてアンネに近寄る。アンネはすぐには返事を返さず、きょろきょろとあたりを見渡してから、弱弱しく微笑んで頷いた。


 『じゃあ、家まで送ってあげようか』──そう言ってヴォルフが取り出したのは彼の仕事道具としてよく見かけるズタ袋。私にはよくわからないが、それに彼が材料や道具を入れて肩に担いでいる姿をよく見かける。片手にはハンマーもあった。


 『気絶させる手間が省けて助かるよ』と、ヴォルフはアンネを一瞬でズタ袋に入れた。非常に手馴れた様子。準備のいいことに、小さな鐘をアンネの耳元で鳴らしてさえいる。


 もしかしなくても、そういうことなんだろう。鐘のトラウマによって動揺しているアンネは、抵抗する事すらできなかった。


 ヴォルフはいつも通り、その大きなズタ袋を担いでのっしのっしと自分の工房へと歩いていく。今まさに犯罪を犯したというのに、堂々と往来を歩いていた。


 もしヴォルフがもう少し賢ければ、未来はもうちょっと違っていたのかもしれない。こうして私がヴォルフをつけているこの事実こそ、全てはアンネの計画通りであることを示していた。


 ヴォルフは何事もなかったかのように工房へと到着する。そして、傍目から見ればごくごく自然な動作で、工房の隅の倉庫へと入って行った。実際、肩に担いだ荷物を倉庫に入れようとしているわけだし、その姿には一切の不自然さはない。


 唐突だが、ここで少し説明しておこう。ヴォルフが鉄工関係の大事な資材置き場として使用しているこの倉庫、わかりやすく言うと中学校によくある体育倉庫と大きさも造りも似ているものであった。要は、そこそこの大きさとそこそこの頑丈さ、そしてきちんと開け閉めできるちゃんとした扉があったのだ。


 ヴォルフがアンネを担いで倉庫に入った瞬間。私と同じように潜んでいた協力者が倉庫に突撃し、同時にヴォルフの尋常じゃない悲鳴が聞こえた。


 中に入った私たちが見たのは、息を荒げるアンネと、片足が鉄板に挟まれ、左目をナイフで潰されて気絶しているヴォルフだった。


 長くなってきたので簡単に結論だけ述べていこう。


 ルーシー、および失踪事件の被害者計七人は全てこの倉庫の下に密かに作られた地下室で見つかった。ルーシーの姿は痩せこけ、髪はボロボロで体中に傷があったが、それでも確かに生きていた。声もかすれていてとてもあのルーシーには見えないほど変わり果てていたが、それでもアンネはルーシーを一目で見抜き、抱きしめてわんわんと泣いた。ルーシーもまた、あのころと比べてすっかり変わってしまった自分に気づき、同時に探し続けてくれていたアンネを見てわんわんと泣いていた。



『もう二度と離さない! これからずっと、ずーっと一緒だよ、ルーシー!』


『わ、わた゛、し、も……っ! ずっ……と、アン、ネと゛いっ……しょ……!』



 そう叫びながら抱き合う二人は、ただ再会の喜びに満ちていた。もう二度と会えないと思っていた親友に会えた喜びに、うち震えていた。


 ルーシーを含めた被害者たちは、地下室の中でヴォルフに奴隷として扱われていたらしい。詳しくは後述するが、ヴォルフは自分だけの奴隷を欲し、地下室を用いて奴隷の国を作っていたそうだ。


 胸糞の悪いことに、監禁されていた女性は精神的に既に壊れていた。発見当時は襤褸をまとったほぼ全裸に近い格好をしており、体中がボロボロで長年にわたり強姦されていた形跡もあったのだという。


 ただそれだけであったのなら、まだマシだっただろう。中には声が出せないように喉を傷つけられたり、舌の一部を切り取られてしまったものもいた。いつまでもヴォルフに反抗的だったものは両手の指を切り落とされてしまってもいた。こうなるともう、まともに物をつかむことすらできない。パン一つ食べる時も、犬のように這いつくばってもがきながら食べるしかなかったらしい。


 関係者である一部の人間にのみ教えられたことであるが、ヴォルフはしばしば、新しい奴隷を調達するたびに、古くて飽き始めてきた奴隷に対し、先程述べた指の切り落としや四肢の切断、喉を傷つけることによる声の奪取などの半ば拷問染みた──いや、拷問のそれと等しいことを行い、『逆らったらこうなるぞ』と脅しをつけていたそうだ。


 もちろんそれはルーシーも例外ではなく、彼女は監禁されてそう時間が経たないうちにそれを見せつけられたそうだ。喉を傷つけられ声を失い、拷問により指を一本一本落とされてるのに叫び声も上げられずに苦しむ被害者を、間近でしっかりと見せつけられたのだ。


 詳しく描写することは憚られるので省略するが、被害者は文字通り奴隷扱いをされ、拷問やその他屈辱的な扱いをされつつヴォルフに飼われていたらしい。最初期に拉致された女性はヴォルフに飽きられ殺されてしまったという話も聞いた。


 不幸中の幸いは、ルーシーを含む三人の子供には強姦の形跡がなかったことだろう。こういういい方はおかしいが、物理的な暴力しかされなかったようだ。






 さて、事の経緯を順を追って説明していこうと思う。


 ヴォルフはもともと、心の奥底で奴隷を持つことを夢見ていた。もちろん、そんなの現実でやっていいはずがない。倫理的に大きな問題があるし、仮にその倫理のタガを外してしまったとしても、誰にも気づかれずに奴隷を持つことなんてできはしない。ヴォルフのその歪んだ野望も、誰もがもつ暗い一面として芽吹くことなく消えるはずであった。


 そんなある日、鉄工職人としてこの町にやってきた若いヴォルフが工房を立ち上げた際、彼は一緒に造った倉庫の下にたまたま謎のスペースがあることを発見した。これが事の始まりだった。


 というのも、この鐘の町の歴史は古く、すでに使われなくなった旧地下道──もはやその全貌を知る人間すらいないそれがあちこちに張り巡らされているらしい。もちろん、そのほとんどは埋もれてしまっているため何の意味もなさないが、たまたまヴォルフが建てた倉庫の下は旧地下道の交差点のような場所であったため、大きな空洞ができていたらしかった。


 この空洞の発見により、ヴォルフの野望が現実味を帯びてしまう。そう、ヴォルフは地下室で奴隷を飼うことを思いついたのだ。


 ヴォルフは鉄工職人だ。地下室を建造するための資材を運び込んだところで不自然なことは何もない。そして、気弱な弟のロルフはちょっとすごめば簡単に自分の言うことを聞いてくれる。技師としてこき使うには最適だった。


 それからヴォルフは周到に準備を始めた。自らの技術と弟の技術を合わせ、音の漏れない、それでいて快適に過ごせる地下室を作り上げる。同時に旧地下道を少しずつ掘り進め、ヴォルフだけの秘密の地下通路を長い年月をかけてこっそり作り上げたのだ。


 ヴォルフは鉄工職人だ。例えフル装備で街中を歩いていても、例え街中で何か作業をしていたとしても、仕事だと答えれば疑われない。


 この地下室と最低限の秘密の通路の完成した年、ヴォルフは最初の事件を引き起こした。それからちょっとずつ地下通路を拡張していき、町のあちこちに偽装した出入り口を作った。今の奴隷に飽きたら、新しい奴隷を秘密の通路を使って調達した。


 本来の職業、さらに地下室を作るために最初の数年は真面目に働いていたため、ヴォルフが大きな荷物をもって町を歩くことに誰も違和感を覚えなくなっていたのだ。鉄工工房から大きな音が出るのも不自然ではないし、技師のロルフが兄の元へ行くのもごくごく自然な事である。


 そう、様々な要因が重なった結果、ヴォルフの奴隷計画は現実になってしまったわけだ。


 さて、アンネがヴォルフを犯人だと睨んだのはまさにそこである。人が突如消える道理なんてものが無い以上、誰かによって誘拐されたかどこかに隠されたかのどちらかであるはずなのだ。しかし、何もそこに不自然が無いのだとしたら、自然なそれこそが最も疑わしいものだということになる。


 アンネはある程度周期的に失踪事件が起こることに着目した。また、誰一人として遺体が発見されなかったことから、それが拉致・監禁により囚われているものだと推測した。まさに犯罪者ヴォルフの考えを読み切り、『奴隷に飽きたから新しい奴隷を調達する』という事実に到達したのである。


 そして、奴隷として扱う目的で誘拐が行われる以上、それは気づかれることなく現場から運び出さなくてはならない。また、奴隷を飼う場所──脱走しないために閉じ込める場所も必要だ。


 実のところ、アンネが悩んだのはここだった。誘拐の目的はわかっても、肝心の手口がわからなければ意味がない。先入観なしに物事を考えると、子供や女性を運べそうなのはヴォルフだけしかいないが、『仕事用のズタ袋に入れて堂々と運ぶ』そんな単純な手だけを使って何年もそれがまかり通るほど世の中は甘くない。ズタ袋の運搬以外にも、何か手口があるのだと睨んでいたのだ。


 アンネの執念は実を結ぶ。あらゆる知識を吸収していくうち、アンネはこの町に既に埋もれた旧地下道があることを知った。そして、失踪事件の全てが、旧地下道があったまさにその付近で行われていることを発見した。


 もはや埃まみれで開くだけでも崩れそうになっていた、図書館の奥深くで見つけた資料をアンネは食い入るように見た。過去の失踪事件が起きた場所にある旧地下道をたどると、そのすべてがある一点で交差した。都市の設計や構造工学的に考えて、そこには今もそれなりの大きさの空洞がある可能性が強いことにアンネは気づく。


 それこそまさに、ヴォルフの工房──例の倉庫だったのだ。


 この事実にたどり着いた瞬間、アンネは事件のほぼすべてを理解したのだろう。しかし、肝心の証拠がない。例え工房や倉庫を検めさせてくれと言っても、ヴォルフが頷くはずもないし、そもそも何十年も使用しているそれにちゃんとした偽装がされていないはずもない。


 だから、現行犯で捕まえるしかなかった。アンネは、ヴォルフが作った地下道の出入り口の形跡こそ見つけられたものの、それを証明する手立ても何もなかったのである。


 とはいえ、やることは単純であった。明らかにシロである信頼できる人間たち──アンネの父やルーシーの父、それに私だ──に囮捜査とヴォルフが犯人であることを伝えて協力者を集めた後、実際に自分を誘拐させて現行犯でとらえればいいのだ。


 しかし私が懸念した通り、ヴォルフがアンネを襲う理由は存在しない。彼にとってアンネを下手に襲うのはリスクが高まるだけである。


 だから、アンネはヴォルフだけに噂を流した。ルーシーの失踪に関わる重要な手がかりを見つけた、怪しい入り口を見つけた、だからそのうちこじ開けるのを手伝って──と。


 おそらく、あの日ヴォルフはどこか秘密の出入り口でアンネの様子をうかがっていたのだろう。ヴォルフだってアンネの執念は知っている。あのアンネがあきらめるつもりが無いことなんてよくわかっていた。


 だからヴォルフは、それを利用することにした。


 ヴォルフはあえて遅れていくことにした。アンネには鐘のトラウマがある。トラウマで動けなくなっているところで、口封じも兼ねて拉致して監禁しようと思ったのだ。


 そして、それはアンネの読み通りであった。


 追い詰められたヴォルフは絶対に手を出してくる。だから、アンネは自身のトラウマさえ利用することにした。


 何のことはない。アンネは耳に耳栓を入れていたのである。鐘の音がトラウマなら、聞かなければいいだけの話だった。


 アンネは自身のトラウマのために、鐘の時間にはいつも敏感であった。そのため、日の傾きと体内時計だけで鐘の鳴る時間がわかっていたのである。もちろん、その計画を思いついた時から訓練はしていたのだが。


 あとは、鐘が鳴る時間にトラウマが発症したふりをして、ヴォルフが出てくるのを待つばかりである。もしヴォルフが冷静であれば、アンネの耳が聞こえていなかったことが──すぐに返事をできず、きょろきょろと目視でヴォルフを探していたことに気づけただろう。


 そうして動けないふりをしてまんまと倉庫まで到達したアンネは、ヴォルフが勝ち誇って秘密の地下室への扉を開けた瞬間、隠し持っていたナイフでヴォルフの目玉を突いたのである。






 さてさて、事件から早数日。異例の速さでヴォルフ=ゲルバーに死刑判決が下された。五人の大人と三人の子供の誘拐、および監禁。一人に対しては殺人、さらに大人に対しては強姦、全員に対して暴行やその他いろんな罪状があるのだ。稀に見る凶悪犯罪と言える。


 調べるまでもなかったが。彼が多数の女性や子供を誘拐し、奴隷扱いしていたのは紛れもない事実であった。拷問や強姦、屈辱的な行為など、およそ人間の尊厳全てを無視した行為を平然と行っていたことは間違いなく、最初期に監禁し殺した女性の骨も見つかったのが決定打となった。


 古くからの住民とはいえ、そのあまりの残虐非道さに住民の誰もがその判決を不当とは思わなかった。ヴォルフ自身、最後は開き直って認めている始末である。


 弟のロルフ=ゲルバーも当然裁判にかけられる。しかし、彼は懲役五年という事件の規模にしては軽い判決が言い渡された。理由としてはロルフ自身は誘拐や暴行といった実行行為を行っておらず、あくまでおっかない兄に脅されて地下室の整備や地下道の拡張を行ったり、囚われの被害者を見て見ぬふりをしていただけであったためだ。いわゆる犯罪幇助というやつである。


 また、意外なことにルーシーはロルフをかばう証言をした。ロルフは兄ヴォルフとは違い被害者たちに一切の危害を加えなかったというのである。おっかない兄にすごまれて犯罪を手伝わされたと言う件で分かる通り、ロルフは生まれつき気弱な性格で、その手のことはとてもできなかったとのことだ。


 そのため、ロルフは被害者たちとは専ら雑談をしていたらしく、とりわけルーシーとはかなり仲が良かったらしい。精神的に壊れてしまっていた他の被害者と違い、ルーシーが解放直後でも普通に自我を保って喋れたのはこのためである可能性がある……と聞いた。


 しかし、兄ヴォルフが『なんで子供をさらったかって? はん! 俺だって奴隷は若い女が良かったよ! 乳臭いガキなんてゴメンだね! だがな、ロルフはロリコンなんだ。あいつが変な事を考えないようにするためにも、餌として子供が必要だったんだよ』と証言したのは最大の皮肉であろう。


 言われてみれば、子供が被害にあったのは最初の事件からしばらく経った後だった。年頃の女性は強姦されたのに対し、ルーシーや他の子供は強姦されず、殴る蹴るの暴力の形跡しかなかった。


 ロルフがいなければ、ルーシーやその他子供たちが攫われることもなかったのだろう。


 もちろん、ロルフがヴォルフの犯罪を幇助したのは間違いない。例え危害そのものは加えなかったとしても、その事実は揺るがない。当然被害者やその家族はロルフを許せるはずもなく、こういう結果になったというわけだ。


 ……驚くべきことに、ヴォルフをかばう証言をした者もいた。それも、二番目の失踪事件の被害者である。すでに精神が壊れているらしく、長い奴隷生活の中で洗脳されてしまったのだろうという結論に至った。


 正直なところ、私はヴォルフの死刑については大いに賛成であったが、ロルフが懲役刑で済ませられたのには不服だった。知っての通り、なんだかんだ言いつつも犯罪の片棒を担いでいた上によりにもよってロリコンなのである。出所したらすぐに兄と同じことをやるんではなかろうかとずっと思っていた。


 さて、何はともあれこれで街には平穏が訪れた。


 ルーシーはすっかり痩せこけてしまったが、驚くべきことに三か月ほどで回復した。もちろん、同年代に比べてかなり細く、体力も無くて病弱であったが、それでも調子が良ければ外出できるほどには回復したのだ。これからゆっくり時間をかけていけば少しずつ体調も良くなって、体力もある程度までは戻るだろうとお医者様も言っていた。


 アンネとルーシーは離れ離れになったあの日の続きを楽しむかのように、失われた青春を取り戻すかのようにいつも一緒であった。ほぼ寝たきりなルーシーにアンネは毎日会いに行き、五年間にあったことを面白おかしく語る。体が思うように動かず日常生活に難儀するルーシーの世話を甲斐甲斐しく焼いている姿が何度も見受けられた。


 ルーシーの調子がいい時なんて、アンネは嬉しそうにルーシーの肩を抱き手を引いて散歩をしていたし、ほとんど十一歳のまま精神が止まっているルーシーもまた、大人になったアンネと懐かしいその匂いに身を委ねて楽しそうにしていた。


 彼女たちを小さい頃から知っている私たちにとって、その姿は何よりも懐かしく、喜ばしいものであった。ようやく平和が訪れたのだと実感できるものだった。


 余談ではあるが、ルーシーの救出をきっかけに、アンネの鐘のトラウマもすっかり払拭されていた。だから、例え鐘が鳴ってもアンネはまっすぐ前を向けていたし、今の二人は念願だった大人であるから、家に帰る子供たちを尻目にずっと散歩を続けることが出来た。


 もちろん、子供たちはもう鐘の音で家に帰る必要はない。恐ろしい犯罪者は捕まって裁きを受けたのだから。


 またまた余談だが、なんとトラウマを払拭したアンネは、ルーシーとお揃いの鐘の小物までそろえていたりした。一人じゃあまり動けないルーシーがちりんちりんと鐘を鳴らすと、アンネは飛んできて嬉しそうに世話を焼くのだ。万が一にもアンネとルーシーがはぐれてしまった時も、互いに鐘を鳴らして場所を知らせることが出来る。


 『昔は聞こえただけで立てなくなってしまう音だったというのに、今やこんなにも心地よい音に聞こえるなんて!』……とアンネはこっそり私に話してくれた。何を隠そう、アンネがその鐘を買ったのは私の雑貨屋である。土産物の一つだったのだ。


 とにかくまあ、昔と同じようにアンネとルーシーは四六時中傍にいた。ルーシーの世話もあったとはいえ、こっちがびっくりするくらいであった。長年貯めこんできた感情を爆発させたというか、持て余しているのだろう。それほどまでに、アンネはルーシーのことが大好きで、ずっと会いたいと思って、それだけで頑張ってきたのだから。


 独り立ちしていたアンネの家にルーシーが住むことになった……と知ったのは、ちょうど私が諸事情で鐘の町を引っ越すことになった一か月ほど前だろうか。もはや二人は夫婦のようで、むしろみんなが良い意味で苦笑いしていたのをよく覚えている。小さいころから良いコンビと言われていた二人が本当に一緒に生活をしているのを見て、ここまで来たらもういっそどこまでも突き抜けてほしいと思ってしまったくらいだ。


 本当に、それくらい二人は幸せそうだった。今までずっと頑張ってきたアンネに今までずっと怖い思いをしてきたルーシー。二人の友情と幸福が永遠に続きますように……そう思わず願ってしまうほど、二人の笑顔は輝いていた。


 そして。


 私が鐘の町を離れて四年。


 引っ越し先の町で、私はある新聞を見てしまった。



『鐘の町、五年前の悪夢再び。監禁事件により女性が死亡』



 アンネ・フラメル(21)が監禁されて死亡した──と、安っぽい見出しの下に書かれていた。



▲▽▲▽▲▽ ナイトメア・マンション:管理人室 ▲▽▲▽▲▽



 そして気づけば、私は例のエレベーターの中にいた。私は事件が無事に解決したことですっかり浮かれ、これがあの悲劇の悪夢であるということ忘れて去ってしまっていたのだ。自分でも気づかないうちに感情移入しすぎたのだろう。その時はただただ、あまりにも間抜けで能天気な自分にイライラだけが募っていたのを鮮明に覚えている。


 エレベーターから降り、私の体は勝手に管理人室へと向かっていく。ばたんとその大きな扉を開ければ、クッキーをほおいっぱいに詰め込んだ少女がハッとこちらを見上げ、恥ずかしそうに『おかえり!』と口を開いた。


 『今回は易しめでしょ? あんまり不幸じゃないでしょ? 精神的にもかなり楽でしょ?』と、口の端にクッキーの食べかすをつけたまま少女はにやにやと笑い、ちょろちょろ動いて憔悴した私の体を突いてくる。『私って本当に優しいよね!』とイライラする言動を止めなかったため、私は彼女の目の前に置いてあったクッキーを一口ですべて食べ、ついでに紅茶も飲み干してやった。


 少女が泣きそうな顔になったが知ったこっちゃない。これくらいなら許されるべきだろう。


 どうしてだ。


 どうして、ハッピーエンドで終わらないのか。


 互いに不幸な目にあいながらも、その執念をもって幸せな毎日をつかみ取りました……それでいいじゃないか。なぜわざわざあんな結末が用意されてしまうのか。いや、仮にそれが運命で仕方なかったとしても、どうしてあの、アンナとルーシーの笑顔のところで夢を終わらせてくれなかったのか。幸せの中で物語の幕を引いてくれなかったのか。


 わかってる。なぜなら、これは悪夢だからだ。


 そして腹立たしいことに、ただの悪夢と違って見終わったからはい、おしまい……とはならない。これからこの人形の少女と問答をし、悲劇の真相を暴かなければ私は再びあのアンネ・フラメルの悪夢を追体験しなくてはいけないのだ。


 何よりひどいのは、その時の私にはその悪夢の概要がまるでつかめていなかったことだろう。いったいどこにアンネの悪夢たりえる要素があるのか、わかっていなかったことだろう。最後の余計な蛇足さえなければ、普通にハッピーエンドで終わっていたのだから。


 『それじゃ、いっくよー!』と、少女は心の奥底から嬉しそうな顔をして、残酷な真実へのカギとなる質問を投げかけてきた。






『ルーシー・ウェンライトは本気でロルフ=ゲルバーを信用していた?』


『事件後もアンネ・フラメルとルーシー・ウェンライトはずっと一緒だった?』


『犯人はなぜアンネ・フラメルを監禁した?』


『アンネ・フラメルは自分を監禁した犯人のことをどう思っていた?』


『アンネ・フラメルを監禁したのは誰?』






 質問から少しでも真相へのヒントを得ようとしたが、またえらく抽象的なものばかりだったことにひどくがっかりしたことを覚えている。同時に長々と見せつけられた悪夢──主にルーシーの失踪からその救出までの過程のほとんどに意味がなかったのであろうことに確信めいた思いを抱いてしまった。


 最初の質問二つはまだいい。だが、三つ目からの質問の答えなど、わかるはずがないではないか。私がそれに関して知っていることなんて、それこそ鐘の町でアンネが監禁されて死んだという、純然たる事実しかないのだから。


 『ねえ、はやくはやく!』とほっぺに手を当て、肘をつく少女。だがしかし、こいつの根性はひねくれ曲がっており、同時にまた、悲劇の真相に関係のない質問をしないこともわかっている。


 この少女は理不尽な目ばかりに合わせてくるが、この答え合わせにおいては一切の理不尽をしない。今回は騎士の悪夢と違い私が見たあれが全容であるため、あの一連の流れとこの質問だけで悲劇の真相が暴けるはずなのである。


 一つ一つゆっくり考えよう。


 まず最初の質問についてだが、おそらくこれはひっかけ問題、難しい問題──と見せかけて、その実単純な問題のはずだ。


 この少女の価値観は知らないが、現代日本にはそれなりのミステリー小説がある。また、刑事ドラマなんかもバリエーションが豊富だ。


 したがって、こういった監禁事件においてのみ発症する、ある変わった精神的な病気についても、知っている人はそこそこ多い。


 そう、『ルーシーは本気でロルフ=ゲルバーを信用していたか?』──この質問の答えはイエスだ。普通なら自分を監禁した犯人の相棒を信用することなどないかもしれないが、これは紛れもなくストックホルム症候群のそれを示している。


 ストックホルム症候群とは、ざっくり説明するとこういう外部の接触の無い密室空間で長時間加害者と被害者が触れ合うことにより、被害者側が加害者に親密さを覚える症状のことだったはずだ。実際、ロルフ自身が気弱でルーシーには危害を加えていなかったらしいし、ほぼ間違いないだろう。


 改めて思い返してみれば、ヴォルフをかばう証言をした被害者もいた。あれもおそらく、洗脳ではなくストックホルム症候群であったのではなかろうか。


 次の質問。『事件後もアンネとルーシーはずっと一緒にいたか?』


 正直質問の真意がわからないが、これもまたイエスであろう。失われた五年間を取り戻すかのようにアンネとルーシーが一緒に居たところを町の誰もが目撃している。私は事件の一年後に町を引っ越したとはいえ、そこからアンネとルーシーの縁が切れたとは考えにくい。


 三つ目の質問。『犯人はなぜアンネを監禁したのか?』


 犯罪者の考えていることなどわかりたくもない……が、考えねばならない。そもそも鐘の町ではちょっとした有名人であるアンネを監禁する理由なんてほとんどないと思う。やるのだとしたらもっと手頃な子供のほうがいいはずだ。


 となると、犯人はアンネを監禁する明確な理由があったと考えていいはずだ。そして動機がある以上、犯人はアンネをよく知っている人物で、同時にアンネを強く憎んでいる人物なのだろう。つまり、五年前の事件を知っている町の中でも……


 ──と、私は雷を受けたかのような衝撃を受ける。


 いるではないか。アンネに恨みを持っていそうな人物が。


 パッと思いつくのはヴォルフだ。しかし、彼はおそらく死刑を執行されてこの世からはいなくなっているはずである。こいつは除外していい。


 アンネを襲ったのはおそらく、その弟のロルフだ。


 すっかり忘れていたが、アンネが死んだのは例の事件から五年後。そして五年と言えば、まさにロルフの懲役年数である。ここまで一致させておいて、何の関係もない数字だとは言わないだろう。


 ロルフが犯人だとするといろいろとピンとくるものがある。意味の無いように思えた、先の二つの質問だ。


 ロルフとルーシーは仲が良かった。そして、アンネとルーシーはずっと一緒に居た。


 おそらくロルフは、ルーシーを自分の元から奪ったアンネに逆恨みをしていたのではないだろうか。事件後もアンネとルーシーが一緒に居ることを知り、うまいことルーシーを利用して、アンネをおびき寄せて監禁したのではなかろうか。


 いくらアンネでも、例えばルーシーが『ちょっとこっちに来てくれる?』とか言えば、何も疑わずにそうするだろう。また、兄ヴォルフがロルフはロリコンであったと明確に証言し、ロルフもルーシーに手を出さなかったという事実からも、ロルフはルーシーを大事に思っていた可能性は限りなく高い。


 考えてもみよう。アンネが出しゃばらなければ、ロルフにとっての至高の時間──ルーシーと過ごす現実は壊されずに永遠と続いていたのだから。ロルフにとっては、アンネは自分の夢の時間を壊し、大切なものを奪っていった泥棒猫に他ならない。


 間違いない。この質問の答えは、ただの『逆恨み』だ。ロルフはたかだか逆恨みでアンネを監禁し、そして殺したのだ。


 そして四つ目。『アンネは犯人のことをどう思っていた?』


 これはおそらく、ひっかけだ。最初の質問でストックホルム症候群を匂わせ、ここで同じようにはめるつもりだったのだろう。ヴォルフは奴隷を楽しむために拉致監禁を行った──すなわち、悪い意味ではあるものの被害者自身を積極的に殺すつもりはなかったが、ロルフは完全な逆恨みによる犯行で、アンネには憎しみしかない。しかもアンネにとっては相手は自分がかつて追い詰めた犯罪者だ。アンネはロルフに恐怖しか感じなかったに違いない。


 ──こちらを陥れようとしてくる少女の底意地の悪い質問に本当にいらいらする。性格の悪さが一級品だ。油断も隙もあったものじゃない。


 最後の質問についてはもう答えが出ている。アンネを監禁したのはロルフ・ゲルバーだ。


 今回こそ、一発で終わる。これだけ筋道が立ち、論理的かつ突拍子もない全貌。自分の心にすとんと落ち着く、納得のいく答え。騎士の悪夢はいろんな意味で私を苦しめたが、同時に私の思考力を鍛えてくれもしたらしい。


 二度と事件が起きないはずの町で、再び起きてしまった監禁事件。親友を助けた少女が、たかだか逆恨みと言う理由で殺されるという悲劇。それこそが、この悪夢の真相だったのだ!



▲▽▲▽▲▽▲▽



 キリもよいことだし、長くなったのでそろそろ筆をおこうと思う。次回に答え合わせをし、その結果次第で合格かあるいは不合格となり、不合格の場合はヒントをもらって再度悲劇の悪夢を追体験することとなる。


 尤も多くの諸君が想像している通り、一発で終わるはずなどなかった。今思えば、その時の私はいきなり騎士の悪夢の時ほどの深い考察が出来たことに浮かれていたのだと思う。


 さて、例によって例のごとく今回も何らかの形で私にメッセージを送ってもらえれば、少女よろしく答え合わせをすることが出来る。別に強制するわけではないが、出来ればアンネ・フラメルに起こった出来事をよくよく考え、自分なりに少女の質問に対する答えを見つけてから、次のページへと進んでもらえると嬉しい。


 最後に、少しばかりのヒントを置いておこうと思う。



『ルーシーは本気でロルフ=ゲルバーを信用していた?』

A.イエス。ストックホルム症候群のため。


『事件後もアンネとルーシーはずっと一緒だった?』

A.イエス。ずっと一緒だった。


『犯人はなぜアンネを監禁した?』

A.アンネがルーシーを自分の元から連れ出したという事実に対する逆恨みのため。


『アンネは自分を監禁した犯人のことをどう思っていた?』

A.恐ろしく思っていた。


『アンネを監禁したのは誰?』

A.ロルフ=ゲルバー



 以上が今回の私のざっくりとした回答であるが、【このうちの半分は(答えはあっているが理由が間違っているのを含めて)ハズレであった】ことを述べておく。逆に言えば半分は正解だったわけだ。少しでも諸君らの考えの参考になればうれしい。

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