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【誰よりも強くて誰よりも優しくて誰よりも不幸な騎士の悪夢:愛と友情の悲劇】 2回目



▲▽▲▽▲▽ 408号室【誰よりも強くて誰よりも優しくて誰よりも不幸な騎士の悪夢:愛と友情の悲劇】 ▲▽▲▽▲▽



 再び闇に飲まれ、そして私は遠い懐かしい光景を見ていた。


 物語のプロローグ、まだまだ子供──といっても10歳ぐらいであろう──の騎士、ジャン、レナが例の秘密の川原で遊んでいる光景だ。このころのレナはまだまだ男勝りのお転婆で、実家の資材置き場からかっぱらってきた訓練用の木剣を盛大に振り回している。ジャンはそれからひいこら言いながら逃げ回り、騎士は騎士でレナに一本入れようと隙を伺っている。三人ともが汗をキラキラと流し、幼い輝きの中で無邪気に笑っていた。


 こういう光景は今も昔も変わらないらしい。未来のこの川原でも、今の彼らよりかはだいぶ年上とはいえ、少年がこうして遊んでいたのを私はふと思い出した。そしてその瞬間、このあと起きる悲劇に胸がつまり、なんだか無性に悲しい気分になった。


 どうして、この太陽のような子供たちが、不幸に見舞われなくてはならないのか! なぜ、騎士にとりついている私が、騎士に語りかけることが出来ないのか!


 悲しいかな、現実は(といっても夢なのだが)無常で、ビデオの早回しかのように幸せな日々は過ぎていく。少年たちは成長し、騎士とレナは恋人になり、夫婦になり、そして叙任式の知らせが届いてしまった。


 例の川原で、再び騎士はぴかぴかの双剣と薬草の知識を幼馴染からもらった。必ず帰ると約束し、そして妻を任せると男同士の誓いを立てた。


 なんど私が行くなと声をかけたのかわからない。なんど私がやめろと声をかけたのかわからない。


 されど、前回の悲劇をなぞるようにして、騎士は翌日旅だち、船に乗ってしまった。私が『悲劇の大筋に影響を与えない登場人物』であることは、全く疑いようのない、いっそ忌々しいほどに純然たる事実のようだった。


 ここから先は繰り返しになるのでいくらか省こうと思う。


 船で騎士は貴族や傭兵の悪行を目の当たりにし、それでもなお魔物の襲撃のときは彼らを助けた。自らの救命胴衣を分け与えてまでクズの見本みたいな傭兵を助け、自らのことを試みずに船内中を駆けずり回り、無事な救命胴衣を見つけて子供を助けた。そしてその後も恐ろしい魔物の蝕腕を撃退しながら、とうとう甲板上にいた全ての人間を助けることに成功した。


 そして、沈み行く船と運命をともにしようとして、隅で震えるパッチュと出会った。


 サバイバル開始直後、脱水症状に苦しむパッチュに騎士は少ない水を分け与えた。少ない食料をパッチュに与え、自らは毒草をギリギリまで喰らった。足手まといのパッチュを決して見捨てず、いつも笑顔でいた。病気や怪我も、パッチュと騎士は何度も死にそうになりながら二人で乗り越えた。


 帰る手立てが見つかり、そして島の主に半殺しにされた。


 そこから長い時間、パッチュと騎士はサバイバルの傍らで修行を積んだ。修行方法も、修行開始当初のパッチュの様子も、初めて一人で獣を狩れたパッチュの飛び跳ねて喜ぶさまも、やはり一回目とまるで変わらなかった。


 それだけに、このあと起こる悲劇を知っているだけに、私には今のこの仮初のような幸せの時間を、素直な気持ちですごす気分に離れなかった。


 運命には抗えず、パッチュは再び死んだ。


 一度見た光景だったからか、前回ほどの衝撃はなかったものの、それでもまた別種の悲しみが私を深く包み込んだのを覚えている。この気持ちをうまく表現する言葉は未来永劫現れないことだろう。それこそ、私と同じように悪夢『ナイトメア・マンション』に招かれ、そしてこの悪夢の悲劇を体験しないとダメだ。


 守護霊ならもしかしてなんとかなるかもと思い、私なりに念だのオーラだの、そういったものを騎士やパッチュに送り込んだり、夢枕に立とうと足掻いてみたのだが、やはり無駄だった。前回の『ケヴィン・ブラックマンの悪夢』のときはいくらかの干渉が出来ただけに、この節目の部分で私は少女を憎まずにはいられなかった。


 誰が好き好んで、こんな悪夢を二度も見たがるというのか!


 騎士は一人で島を脱出し、そして言葉も通じぬ異国の地へと流れ着く。もはや騎士とはいえない幽鬼のような風貌をしながらも、数年もの時間をかけて故郷へとたどり着く。


 鍛冶屋の場所を秘密の川原で遊んでいた少年に聞き、そして扉を空けた瞬間に絶望する──というのが前回までの流れだ。前回は、その鍛冶屋の扉をあけたそこが管理人室へのエレベーターになっており、私の頭に『騎士は絶望した』との情報だけが入ってきたのだ。


 少女が言っていたとおり、今回は違った。

 ので、ここからは(思い出したくはないのだが)できるだけ詳しく行こう。



 薄汚れた震える手で、騎士はその扉を開け──そして固まった。


 カウンターの中には、二人の仲睦まじげな男女。おそらくは夫婦だろう。


 問題なのは、その二人の風貌が、遥か彼方の記憶にあるジャンとレナに非常にそっくりであったことだ。ホクロの位置も、一つ一つの挙止動作も、ジャンの話すときに目線が斜めになるところも、レナが笑ったときの唇の角度も、全く持って一緒だ。違うところといえば、あの日に比べて若干のシワが見受けられることと、肌に張りがなくなっているところくらいだろう。


 誰がどう見ても、仲のよい鍛冶屋の夫婦だった。


『あら、いらっしゃ……えっ!?』

『まさか……!?』


 騎士が絶望に打ちひしがれて膝を床につけるのと、二人が騎士に気付いたのは同時だった。


『ああ……生きてたのね……!!』

『よかった……っ!! 心配かけやがって……っ!!』


 自分たちの仕事をほっぽりだして、そして服が汚れるのも厭わずに、薄汚れた、すえた臭いすら漂わせている騎士に二人は駆け寄り、そして思いっきり抱きしめた。二人の目はルビーのように真っ赤になり、そして大粒の真珠のような涙がポロポロととめどなく流れ続けた。


 感動の再開であった──とその光景だけを見ていればいえるだろう。


 だが、昔からこの三人を見ていた私にとって、そして悲劇の悪夢の主人公である騎士にとって、それはただの深い絶望でしかなかった。


『おまえたち、それ……』


 騎士が発した、およそ彼とは思えない暗く低く、重い声。

 一瞬きょとんとした彼らは、濡れる瞳でその指の先を見て、そしてピシリと固まった。


 おそろいのペアリング。

 夫婦の証。


 騎士の妻であるはずのレナは、ジャンの妻になっていた。


『鍛冶屋の場所が変わっていたのはなぜ?』


『騎士が絶望したのはなぜ?』


 どこか頭の遠くから、少女の笑い声が聞こえた気がした。


 なんのことはない。鍛冶屋の場所が変わっていたのは、レナがジャンに嫁入りしたからだ。商売上の観点から見ても、薬屋と鍛冶屋が近くにあっていいことさえあれど、困ることなんてないだろう。


 騎士が絶望したのは、信じて帰ったはずの場所に、信じた人は居なく、それどころか自分の親友のものにすらなっていたからなのだ。


 非常に腹立たしいことではあるが、こういった点で見れば少女の問題の構成は非常によく出来ていたといわざるを得ない。二問目と三問目がリンクし、流れるように絶望へと導いてくれている。


『……』


『……』


『……』


 三人が三人とも、なにも言わなかった。いや、言えなかったのだろう。


 騎士の瞳はどこまでも虚ろで、およそあの騎士のようには見えなかった。レナとジャンには、悲しみのような、申し訳なさのような、背徳感のような感情があったように思える。先ほどまでの再会の喜びの空気はまるで残っておらず、全世界のありとあらゆる葬儀や不幸の場面でも、これほどの沈黙を落とすことは出来ないだろうと私には感じられた。


『クライマックスはあそこじゃない』


『シナリオには続きがある』


 そして、これもまだクライマックスではないことを思い出して、彼らに負けず劣らずどうしようもない気分になり、生まれて初めてと思えるほどに心の奥底から騎士に哀れみの感情を向けた。


『ふ……ふざけるんじゃねぇッ!!』


 沈黙を破ったのは騎士だった。


 死人のような姿からは想像できない、ある意味では逆にしっくりくる、大きく低く、ドスの効いた怒声。私が見ていた悪夢の中で、彼が始めて心の底から怒り、怒鳴った瞬間だった。


『レナを任せるっていったろうが!』


『……』


『必ず帰るって約束しただろうが!』


『……』


『親友だと思ってたのは……俺だけだったのか!?

 おまえを信じてたのは……俺だけだったのか!?』


『……』


『なんとか言えよこらぁッ!!』


 生まれて初めて、騎士は怒りに身を任せてジャンをぶん殴った。何よりも大切な親友を、どす黒い感情の赴くままにぶん殴った。今まで溜め込み続けてきた何かが、とうとう決壊してしまった瞬間だった。


 鍛えに鍛え抜かれた拳にひ弱なジャンが堪えられるはずもなく、ジャンは薬の瓶を散らかしながら吹っ飛び、そして立てかけた武具にぶつかって崩れ落ちた。薬草のえぐい匂いと、そして鍛冶屋の鉄とは別の鉄の匂いが広いとはいえない店内に広がった。


 ジャンは、一切の抵抗も弁明もしなかった。

 彼の頬が見る見る赤く腫れていった。


『あなた! やめて!』


『レナ……キミもなのか……?』


 もう一発ブチかまそうとした騎士の腕をレナが止めた。騎士は、酷く狼狽した様子で妻であった女に問いかけた。


 その瞳はかつての面影などまるで残しておらず、ただただみすぼらしい、どこまでも弱い一人の哀れな男の瞳だった。


『ジャンは……ジャンは悪くなんて……っ!』


 その言葉を聴いた瞬間、騎士は何かに怯えるようにして鍛冶屋の扉を乱暴に開けて走り去っていった。


 そのときの彼の気持ちは、ただ見ていただけの私が語るべきものではないだろう。ただ、走り去る瞬間の彼の顔は、顔に似つかわしくない、まるで子供のようにも見える泣き顔だったことをここに記しておく。


 さて、物語がここで終幕かと思いきや、やはりまだもうちょっとだけ続くらしい。エレベーターが現れない以上、そういうことなのだろう。

 

 鍛冶屋を飛び出した騎士は無意識のうちに、かつて三人で過ごした秘密の川原にいた。まるでホームレスのように気の抜けた、この世界で言うならばアンデッドのように生気のない顔のまま、その頬には一筋の涙が走り、ぬぐわれることなくその筋が一つ、また一つと増えていく。


 ただの想像でしかないが、このとき騎士は懐かしいあの日をこの思い出の川原に幻視していたのだと思う。


 川原に腰を下ろして、ただただそこにいただけの彼に近づく影が一つ。


『あれ、さっきのおじさんじゃん』


 騎士はゆったりと、それこそゾンビのように振り返った。

 溌剌とした、木剣を持った少年がいた。──鍛冶屋の場所を教えてくれた少年だ。


 騎士の顔をみて何かを悟ったのか、少年は黙って騎士の隣に腰を下ろした。そこで初めて騎士は気付いたのだが、この少年、幼げな見た目とは裏腹に体はそこそこたくましい。子供のようにも見える顔立ちだったが、こうして近づくと16,7歳ほどであると(鍛えたパッチュを見ていた騎士からするとまだまだ子供の体であったが)思われた。


『ここさ、なぜか村の誰も近寄らないからすっごく落ち着くんだよね。俺も父さんや母さんとケンカしたときとかよく来るんだ』


 少年は勝手に語り始めた。騎士は話を聴く気分ではなかったが、かといって口を開いて拒絶の意を示すのもまた億劫な気分だった。


『気分が暗いときは体動かすのが一番だって! おじさん、ボロボロだけどそれ……鎧でしょ? 剣はいいものもってるのに、なんだかもったいないなぁ』


 騎士はかすかにうなずいた。その意味は私にはわからなかった。


『ね、よかったら俺に剣術教えてよ。気分転換も兼ねて! 俺、鍛冶屋の息子なのに剣術知らないんだよね』


 その言葉を聴いた瞬間、騎士の目がカッと見開かれた。漆黒の炎がメラメラと燃え上がり、唇はプルプルと震えていた。いや、唇だけじゃない。体全体が足の先から髪の先にいたるまで振るえ、そして何かを言おうと喉仏がぴくぴくと動いているのが見えた。


 騎士の感情に引きずられたのか、そのとき確かに、私にも黒い感情が宿ったのを覚えている。運命の女神はなぜこの哀れな男に更なる追い討ちをかけるのか。出会ったら縊り殺してやりたいと心の底から望んだ。尤も、この悪夢の舞台が私の知る現実でない以上、本当に起こった出来事かどうかもわからないし、どだい無理な話ではあるのだが。


『鍛冶屋、の、むす、こ?』


 しゃがれた声で騎士はそれだけ言った。自らの意思を封じ込め、理性を保った彼の精神は純粋に称賛に値するものだと私は思う。


『そそ。……たぶん、どうせ父さんがなんか無神経なこと言ったんでしょ? すみません、あの人昔っからかわってて。あの人に代わって俺が謝ります』


 もはや騎士には抗う気力すらなかったのかもしれない。私も、出来ることなら目と耳を塞いでどこか遠くへ行ってしまいたかった。


『身内から見てもへんな人でさ。今でこそ違うものの、家に出入りするくせに一緒には暮らさないし、俺の父さんなんかじゃないっていうんすよ。小さいころは気にしなかったんですけど、物心付いてからは不思議で不思議で。俺、普通の父親は一緒に暮らすもんだって聞いてびっくりしましたよ。今から思えば、事実婚ってやつだったんでしょうかね』


『でも、なんだかんだで村のみんなにおされて正式に結婚したのが、ちょうと俺が10歳のときかな。そしたら、打って変わっていろいろ口うるさくなってきたんですよ。おまえは剣を持つんじゃない、薬師の道に進むべきだって』


 しかも、母さんまでそれに乗るし、と少年は口を尖らせて言った。さらに聞くことには、彼は勉強は嫌いらしい。だからこうして憂さ晴らしも兼ねてこの川原で剣の練習をしているのだそうだ。


『ま、いい人ではあるし俺のことを考えてくれているってのはその……わかるんだけどね。正式な結婚していなかったときも、お金とか力仕事とかめっちゃ気にしてくれたし俺の知らないところでもいろいろ助けてくれてたみたいだし。ホント性格だけが残念すぎるんだよなぁ。融通が利かないというか、不器用というか』


 もう勘弁してほしかった。私は早急にこの少年にこの場を立ち去ってもらいたかった。誰が好き好んで、裏切った親友と妻との馴れ初めを、仲良くなる過程を聞きたがるというのか! しかも罪悪感で子供を認知しない始末! 十年経ったら許されるものでもないだろう!


 騎士は無言だった。その状況において、どんな言葉が発せるというのだろう。私なら苛立ちに任せてその少年を蹴り飛ばしていただろう。最悪の愛の結晶を、これまでの不幸を理由にぶち壊していたかもしれない。


 だから、騎士が腰の剣を抜いたとき、私はとうとうその気になったかと、今から思えばかなり浅ましい考えを抱いた。


『……キミに、この剣をあげよう』


 言葉の意味が信じられなかったのは、私も少年も同じだ。


『私が知りうる限り、最高の鍛冶屋が彼の人と、そして全てを守るために鍛った剣だ。双剣の片割れだが、まぁ、これだけでも片手剣として十分に使える』


 ご両親には内緒だぞ、と騎士は笑顔で言った。隠し通せるものではないと、私は頭の隅で考えた。


 少年が目をキラキラと輝かせて受け取ろうとするのを、騎士は笑顔で見ていた。泣いているようにも、悲しんでいるようにも、困っているようにも見えた。


 そして、少年がその剣に触れた瞬間、驚くべきことが起こった。

 なんと、少し黒ずんでいた剣が光り輝き、見る見る白くなっていくではないか。手入れをしていたとはいえ、その輝きはまるで新品、いやそれ以上のものになっている。神々しさが感じられる、この世界で言うアーティファクトになったのだと感じられた。


 ついでに、なぜか私はその剣の精霊になっていた。意味がまるでわからなかった。剣に不思議が起こったのだから、の一言で片付けようとしたが、騎士との決定的な繋がりが失われてしまったことに私は不安を隠せなかった。


 視点が変わり、今は剣をもつ少年の背後に私は立っている。そこから見た騎士は、いい意味にも、悪い意味にも、吹っ切れていたように思えた。


 少年もその様子を悟ったのだろうか、騎士のそのただならぬ様子に声をかけることすらできない。


『ここにいたのか!』


 ジャンが来た。レナもいた。騎士を追いかけてきたのだろう。ある意味、今の騎士にもっともふさわしく、もっともふさわしくないのがこの三人だけの思い出の川原なのだ。ここに探しに来るのは当然といえた。


『おねがい! 話を聴いて!』


『聞く必要は、ない』


 騎士は二人が来るのと同時に背を向けた。

 その理由はたくさん考え付くけれど、私にはどれが正解だったかわからなかった。

 ただただ、騎士をそっとしておいてほしかった。


 この期に及んで、まだ言い訳をしようとするレナに、酷い憤りを覚えていたと記憶している。


『ジャン、自分の店、ちゃんともてたんだな』


『レナ、きちんと計算や勘定ができるようになったんだな』


『ジャン、レナを守ってくれてありがとうな』


『レナ、こんな男を、覚えててくれてありがとうな』


『ジャン、レナ、君たちの……息子は、とてもまっすぐだ。こんなにいい子、私は今までに一人しか見たことがないよ』


 喉の置くから声を絞り出しているのが見なくてもわかった。声は震えているし、唇をぎゅっとかみ締めているのが簡単に幻視できた。


 背中で語る騎士の言葉はどこまでも優しく、悲しく、暖かく、切ないものだった。レナも、ジャンも、少年も、何も言うことができなかった。


『私の最後のワガママだ。剣の一つくらいはこの子に教えてやっておくれよ。男ならみんな憧れるものだろう? 私たちもそうだったじゃないか。彼にはこの川原はもう狭すぎる』


 少年が二人を見上げた。何かを聞こうとして、そして口を閉じた。


『レナ、ジャン、そしてキミ──君たち家族の幸せを、私は心から願っているよ。君たちだけは、幸せにならなくてはならないんだ』


 最後に騎士は、少しだけ振り向いた。


『ごめんな、ありがとうな。幸せに──なるんだぞ』


 その顔は泣いていて、笑っていて、輝いていて、とても形容できるものではなかった。その表情は、かつての騎士とそっくりで、そしてまた、決定的に違っていた。


 あの日と同じように、されど今度は三人が、その独特な空気に呑まれて身動きも取れずに、丘を歩いていく騎士を見送っていた。


 潮風や経年劣化によってズタボロになった鎧はみすぼらしく真っ黒で、髪は汚れでぐちゃぐちゃだ。


 黒い鎧と一振りの剣をもった上から下まで真っ黒な影が、悪鬼のように丘を超えるさまは、まるでこの世のものとは思えないほど薄気味悪いものだった。


 正気に戻ったジャンたちが騎士を探すももうどこにも彼の姿は見受けられない。


 真夜中遅くまで、村人総出で捜索するもとうとう騎士は見つからず、剣の私は少年に担がれて家へと戻ることになる。


 家に入る瞬間、深い悲しみの怨嗟と、『クソッタレが!』という声が村に響いた。


 そして、家の扉をあけたそこは、ずいぶん懐かしく感じるエレベーターであった。



▲▽▲▽▲▽ ナイトメア・マンション:管理人室 ▲▽▲▽▲▽



 管理人室へ戻ってきても、私はしばらくぼうっとしていたし、今回に限って言えば少女もにこにこ笑いながら私を見ていた。やっぱり自分の飲みかけのカップを私の前に差し出してきて、『飲んでもいいよ』なんていってくる。


 試しに口をつけたが、入れてずいぶん長い時間が経っていたのか、だいぶ渋い感じがした。ただ、今の私にはそれすら爽やかに感じられた。


 帰り着くまでの悲劇と、帰ってからの絶望。

 二人が夫婦になっていたのが騎士が最初に絶望した理由だ。

 そしてさらに悪いことに、二人の間にはどこまでもまっすぐな子供まで儲けられていた。

 しかも、そんな子供が笑いながら父と母のことを騎士に向かって話し、しかも落ち込む騎士の事を励まそうとさえしたのだ。これいじょう惨めなことがあるのだろうか。


 この子供が、前回のヒントの『脇役だと思ってない?』の答えだろう。騎士の絶望の象徴でありながら、それでなお、彼自身はなにも悪くないあたりタチが悪い。


『だいぶ、わかってきたのかな?』


 憎憎しげに少女を睨んだ。

 なぜ、これほどまでの悲劇を平気で人に見せつけようとするのだろう。物理的な意味での人でなしであったが、心の芯までこの少女は人でなしであることもまた、疑いようのない事実らしい。


『じゃ、そろそろ答えあわせ行くよ!』


 余韻もヘッタクレもないその声。

 だが、私としてもさっさとこの悪夢から逃れたかった。いくらなんでも、つらすぎる。自慢じゃないが、私は本の主人公に思いっきり感情移入して電車の中で泣きそうになったことすらあるのだ。こんな悲劇、もう二度と体験したくなどなかった。


『川原の少年の正体は?』


『なぜ村ぐるみで秘密にしている川原に少年はいた?』


『騎士は何故、少年に剣を与えた?』


『最後の瞬間、騎士は二人を心の底から祝福していた?』


『騎士は何故、村から出て行った?』


 この少女らしい、実に悪意に満ちた質問だ。


 少年の正体はジャンとレナの子供に決まっている。むしろそれ以外の男がいたのだとしたら私は本気でレナを軽蔑する。


 少年が川原にいたのは両親から教えてもらったためだろう。大方、そこで三人で仲良くピクニックでもいていたに違いない。もはや二人だけの場所であったわけだし、村人も故人との思い出の場所を他の人間に荒らされるのを懸念していたはずだ。彼らの子供なら、そこに入る資格もあると考えたのだろう。


 剣を与えたのは……はっきりとはいえないが、自分の剣を彼らの息子の近くに置くことで、プレッシャーを与えるためだろう。いつでも、彼の存在を二人にチラつかせるのが目的だ。


 祝福? そんなはずはない。あれだけの結末を見せられていて、心の底から祝福を願えるわけがない。腹の底では憎くて憎くてたまらなかったことだろう。現に、鍛冶屋ではジャンを殴っている。あそこで祝福を述べることが出来た騎士の高潔なる自己犠牲精神は、おそらく私の知る何よりも尊いものがある。あれ以上模範的で、自らの犠牲を厭わずに他者の幸せを願える人間がいるだろうか。腹の底でくらい、黒い感情をもつことは許されるはずだ。いや、許されるべきだ。


 村から出て行った理由はそれこそそんな二人のそばにいたくなかったからだろう。騎士は最後の精神力で、心の奥底では炎をくすぶらせながらも、それでも無関係な二人の子供のために自らを殺してあの場を去ったのだ。


 あの騎士なら、あの子供のためだけに自分を殺すのはむしろ当然のことだ。もっと図太かったら、不幸になんてなってない。冷静に第三者の視点で考えてみれば、あの決断は騎士にとっては不幸なものでありながらも、全体で見れば忌々しいほどに平和的な方法でもあったのだから。


 こうして振り返ってみると、内部と外部とでまったく違う感情がドロドロとコールタールのように渦巻いているのがわかる。もし私が彼と同じ立場だったら、相反する二つの強い思いに飲まれて気が狂れていたのは間違いない。そうでなくとも、平常を保つことなんてできはしないだろう。




 まるで仕組まれたかのように、騎士だけが不幸になる悲劇。これこそが、この悪夢の本当の正体だ。





『全然だめだめ!』


 少女の返事に私は耳を疑った。

 聞き間違いではないようで、少女は可愛らしく胸の前で両手でばってんを作っている。腹立たしいことに、その仕草がどこかパッチュと被って見えた。


 にこにこ笑いながら、少女は呆然とする私の前にカップを突き出してくる。ついでにクッキーも。カップは新しいもので、中にはココアが入っていた。


『感情移入しすぎ! しかも自分の主観じゃん! もっと第三者の視点で見なきゃ! 』


『人の気持ちって単純じゃないけど、難しすぎるってこともないんだよ! もっと素直になろうよ!』


『せっかくのヒント、活かせてないじゃん!』


『別にあの三人、ドロドロってわけじゃないよ! みーんないい子だよ!』

 

 もう何も聞きたくなかった。ヒントがずいぶん具体的に、かつ多くなった気もしたが、私は全然うれしくなかった。

 

 これではずれということは、私は再びあの悪夢を一から追体験しなくてはならないのだ。


 そして、騎士は第三者の私が考えていた以上の絶望を味わっていたことになるのだ。


 私は机につっぷし、思考を放棄して眠ろうとした。が、夢の中で眠れるはずもなく、ココアの香りとクッキーのサクサクとした音がずっと離れなかった。悪夢の中の悪夢に、もう挑戦する気力がすっかりなくなってしまっていたのかもしれない。


 このあと数時間(あるいは数分、もしくは数日か? 時計がなかったので詳しい時間はわからない)休憩且つ少女からヒントをもらうというティータイムをすごし、私は三度あの騎士の悪夢へと挑むことになる。


 渦に怯える私に、『もうちょっとだからがんばって!』と励ました少女が、一瞬だけパッチュのような天使に見えた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 長くなったから今日はここで筆を置く。

 後1回のうちには全て語りつくせるだろう。少女のヒントはどれも非常に有効で決定的な真実を探るのに大いに役立ったことをここに記しておく。


 なお、追記として、このときは1回で纏められると思っていたが、実際は2回に分かれてしまうであろうことを述べておく。

20160817 誤字修正など


これを読んでいるあなたも少女の質問について考えてもらえるとうれしい。答えがわかったのなら、何らかの方法でメッセージを送ってもらえれば、少女よろしく答え合わせをすることができるだろう。私としても、できるだけ多くの人の意見を聞いて、ありえるかもしれない今後の招待に備えたいのだ。


本来であれば

悲劇の追体験からの帰還→質問と答え合わせ→悲劇の追体験→再び同じ質問とその答え合わせ→……→合格

と続くのだが、今回は特別なケースのようで、最初の三つの質問に答えられないと悲劇の全体を追体験できない仕様になっており、その三つを完全に答えられて初めて通常通りの流れになるようであった。


少女の質問に自分なりの答えを決めてから、次の頁を開いてもらえるとうれしい。

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